晩年 62
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問題文
(「まあ、きょうはぼくはこれでかえりましょう。きっとおしごとをはじめてください。」)
「まあ、きょうは僕はこれで帰りましょう。きっとお仕事をはじめて下さい。」
(そういいおいて、せいせんのいえをでたのであるが、きと、せいせんのせいこうをいのらずに)
そう言い置いて、青扇の家を出たのであるが、帰途、青扇の成功をいのらずに
(おれなかった。それは、せいねんについてのせいせんのことばがなんだかぼくのからだに)
おれなかった。それは、青年についての青扇の言葉がなんだか僕のからだに
(しみついてきて、じぶんながらおかしいほどしおれてしまったせいでもあるし、)
しみついて来て、自分ながらおかしいほどしおれてしまったせいでもあるし、
(また、せいせんのあらたなけっこんによってなにやらかれのこうふくをいのってやりたいような)
また、青扇のあらたな結婚によって何やら彼の幸福を祈ってやりたいような
(きもちになっていたせいでもあろう。みちみちぼくはしあんした。あのやちんをとりたて)
気持になっていたせいでもあろう。みちみち僕は思案した。あの屋賃を取りたて
(ないからといって、べつにぼくにとってせいかつにきゅうするというわけではない。)
ないからといって、べつに僕にとって生活に窮するというわけではない。
(たかだかこづかいぜにのふじゆうくらいのものである。これはひとつ、あのめぐまれない)
たかだか小使銭の不自由くらいのものである。これはひとつ、あのめぐまれない
(おいたせいねんのためにぼくのそのふじゆうをしのんでやろう。ぼくはどうもげいじゅつかという)
老いた青年のために僕のその不自由をしのんでやろう。僕はどうも芸術家という
(ものにこころをひかれるけってんをもっているようだ。ことにもそのおとこが、よのなかから)
ものに心をひかれる欠点を持っているようだ。ことにもその男が、世の中から
(せいとうにいわれていないばあいには、いっそうむねがときめくのである。)
正当に言われていない場合には、いっそう胸がときめくのである。
(せいせんがほんとうにいまめがでかかっているものとすれば、やちんなどのことでかれの)
青扇がほんとうにいま芽が出かかっているものとすれば、屋賃などのことで彼の
(こころもちをにごらすのは、いけないことだ。これは、いますこしそっとして)
心持をにごらすのは、いけないことだ。これは、いますこしそっとして
(おいたほうがよい。かれのしゅっせをたのしもう。ぼくは、そのときふとくちをついてでた)
置いたほうがよい。彼の出世をたのしもう。僕は、そのときふと口をついて出た
(heisnotwhathewas.ということばをたいへん)
He is not what he was.という言葉をたいへん
(よろこばしくかんじたのである。ぼくがちゅうがっこうにはいっていたとき、このもんくを)
よろこばしく感じたのである。僕が中学校にはいっていたとき、この文句を
(えいぶんぽうのきょうかしょのなかにみつけてこころをさわがせ、そしてこのもんくはまた、)
英文法の教科書のなかに見つけて心をさわがせ、そしてこの文句はまた、
(ぼくがちゅうがくごねんかんをつうじてうけたきょういくのうちでいまだにわすれられぬゆいいつのちしき)
僕が中学五年間を通じて受けた教育のうちでいまだに忘れられぬ唯一の智識
(なのであるが、おとずれるたびごとになにかきょういとかんがいをあらたにしてくれるせいせんと、)
なのであるが、訪れるたびごとに何か驚異と感慨をあらたにしてくれる青扇と、
(このぶんぽうのさくれいとしてしるされていたいっくとをおもいあわせ、ぼくはせいせんにたいしてある)
この文法の作例として記されていた一句とを思い合せ、僕は青扇に対してある
(いじょうなきたいをもちはじめたのである。けれどもぼくは、このぼくのけついをせいせんに)
異状な期待を持ちはじめたのである。けれども僕は、この僕の決意を青扇に
(つげてやるようなことはちゅうちょしていた。それはいずれやぬしこんじょうともいうべきもの)
告げてやるようなことは躊躇していた。それはいずれ家主根性ともいうべきもの
(であろう。ひょっとすると、あすにでもせいせんがいままでのやちんをそっくり)
であろう。ひょっとすると、あすにでも青扇がいままでの屋賃をそっくり
(まとめて、もってきてくれるかもしれない。そのようなひそかなきたいもあって、)
まとめて、持って来てくれるかも知れない。そのようなひそかな期待もあって、
(ぼくはせいせんにすすんでこちらからやちんをいらぬなどとはいわないのであった。)
僕は青扇に進んでこちらから屋賃をいらぬなどとは言わないのであった。
(それがまたせいせんをはげますもとになってくれたなら、つまりりょうほうのために)
それがまた青扇をはげますもとになってくれたなら、つまり両方のために
(よいことだともおもったのである。しちがつのおわり、ぼくはせいせんのもとをまたおとずれた)
よいことだとも思ったのである。七月のおわり、僕は青扇のもとをまた訪れた
(のであるが、こんどはどんなによくなっているか、なにかまたしんぽやへんかが)
のであるが、こんどはどんなによくなっているか、何かまた進歩や変化が
(あるだろう。それをたのしみにしながらでかけたのであった。いってみてぼうぜんと)
あるだろう。それを楽しみにしながら出かけたのであった。行ってみて呆然と
(してしまった。かわっているどころではなかったのである。ぼくはそのひ、すぐに)
してしまった。変っているどころではなかったのである。僕はその日、すぐに
(にわからろくじょうのえんがわのほうへまわってみたのであるが、せいせんはさるまたひとつでえんがわに)
庭から六畳の縁側のほうへまわってみたのであるが、青扇は猿股ひとつで縁側に
(あぐらをかいていて、おおきいちゃわんをもものなかにいれ、それをさといもににたみじかいぼう)
あぐらをかいていて、大きい茶碗を股のなかにいれ、それを里芋に似た短い棒
(でもってけんめいにかきまわしていたのだ。なにをしているのですとこえをかけた。)
でもって懸命にかきまわしていたのだ。なにをしているのですと声をかけた。
(「やあ。うすちゃでございますよ。ちゃをたてているのです。こんなにあついときには、)
「やあ。薄茶でございますよ。茶をたてているのです。こんなに暑いときには、
(これにかぎるのですよ、いっぱいいかが?」ぼくはせいせんのことばづかいがどこやらかわって)
これに限るのですよ、一杯いかが?」僕は青扇の言葉づかいがどこやら変って
(いるのにきがついた。けれども、それをいぶかしがっているばあいではなかった)
いるのに気がついた。けれども、それをいぶかしがっている場合ではなかった
(ぼくはそのちゃをのまなければならなかったのである。せいせんはちゃわんをむりやりに)
僕はその茶をのまなければならなかったのである。青扇は茶碗をむりやりに
(ぼくにもたせて、それからそばにぬぎすててあった、べんけいごうしのこいきなゆかたを)
僕に持たせて、それから傍に脱ぎ捨ててあった、弁慶格子の小粋なゆかたを
(すわったままですばやくきこんだ。ぼくはえんがわにこしをおろし、しかたなくちゃをすすった)
坐ったままで素早く着込んだ。僕は縁側に腰をおろし、しかたなく茶をすすった
(のんでみると、ほどよいにがみがあって、なるほどおいしかったのである。)
飲んでみると、ほどよい苦味があって、なるほどおいしかったのである。
(「どうしてまた。ふうりゅうですね。」「いいえ。おいしいからのむのです。)
「どうしてまた。風流ですね。」「いいえ。おいしいからのむのです。
(わたくし、じつわをかくのがいやになりましてねえ。」「へえ。」「かいて)
わたくし、実話を書くのがいやになりましてねえ。」「へえ。」「書いて
(いますよ。」せいせんはへこおびをむすびながらとこのまのほうへいざりよった。)
いますよ。」青扇は兵児帯をむすびながら床の間のほうへいざり寄った。
(とこのまにはこのあいだのせっこうのぞうはなくて、そのかわりに、ぼたんのはなもようのふくろに)
床の間にはこのあいだの石膏の像はなくて、その代わりに、牡丹の花模様の袋に
(はいったさみせんらしいものがたてかけられていた。せいせんはとこのまのすみのある)
はいった三味線らしいものが立てかけられていた。青扇は床の間のすみのある
(たけのてぶんこをかきまわしていたが、やがてちいさくおりたたまれてあるしへんを)
竹の手文庫をかきまわしていたが、やがて小さく折り畳まれてある紙片を
(つまんでもってきた。「こんなのをかきたいとおもいまして、ぶんけんをあつめて)
つまんで持って来た。「こんなのを書きたいとおもいまして、文献を集めて
(いるのですよ。」ぼくはうすちゃのちゃわんをしたにおいて、そのにさんまいのしへんを)
いるのですよ。」僕は薄茶の茶碗をしたに置いて、そのニ三枚の紙片を
(うけとった。ふじんざっしあたりのきりぬきらしく、しきのわたりどりというだいが)
受けとった。婦人雑誌あたりの切り抜きらしく、四季の渡り鳥という題が
(いんさつされていた。「ねえ。このしゃしんがいいでしょう?これは、わたりどりがうみの)
印刷されていた。「ねえ。この写真がいいでしょう?これは、渡り鳥が海の
(うえでふかいきりなどにおそわれたときほうこうをみうしないひかりをしたってただまっしぐらに)
うえで深い霧などに襲われたとき方向を見失い光を慕ってただまっしぐらに
(とんだばつでとうだいへぶつかりばたばたとしんだところなのですよ。なんぜんまんという)
飛んだ罰で燈台へぶつかりばたばたと死んだところなのですよ。何千万という
(しがいです。わたりどりというのはかなしいとりですな。たびがせいかつなのですからねえ。)
死骸です。渡り鳥というのは悲しい鳥ですな。旅が生活なのですからねえ。
(ひとところにじっとしておれないしゅくめいをおうているのです。わたくし、これを)
ひとところにじっとしておれない宿命を負うているのです。わたくし、これを
(いちげんびょうしゃでやろうとおもうのさ。わたしというわかいわたりどりが、ただひがしからにし、にしから)
一元描写でやろうと思うのさ。私という若い渡り鳥が、ただ東から西、西から
(ひがしとうろうろしているうちにおいてしまうというしゅだいなのです。なかまがだんだん)
東とうろうろしているうちに老いてしまうという主題なのです。仲間がだんだん
(しんでいきましてね。てっぽうでうたれたり、なみにのまれたり、うえたり、やんだり)
死んでいきましてね。鉄砲で撃たれたり、波に呑まれたり、飢えたり、病んだり
(すのあたたまるひまもないかなしさ。あなた。おきのかもめにしおどききけば、という)
巣のあたたまるひまもない悲しさ。あなた。沖の鷗に潮どき聞けば、という
(うたがありますねえ。わたくし、いつかあなたにゆうめいびょうについておはなしいたしました)
唄がありますねえ。わたくし、いつかあなたに有名病についてお話いたしました
(けど、なに、ひとをころしたりひこうきにのったりするよりは、もっとらくなほうが)
けど、なに、人を殺したり飛行機に乗ったりするよりは、もっと楽な法が
(ありますわ。しかもしごのめいせいというふろくつきです。けっさくをひとつかくこと)
ありますわ。しかも死後の名声という附録つきです。傑作をひとつ書くこと
(なのだ。これですよ。」ぼくはかれのゆうべんのかげに、なにかまたてれかくしのいとを)
なのだ。これですよ。」僕は彼の雄弁のかげに、なにかまたてれかくしの意図を
(かいだ。はたして、かってぐちから、あのしょうじょでもない、いろのあさぐろい、にほんかみを)
嗅いだ。果して、勝手口から、あの少女でもない、色のあさぐろい、日本髪を
(ゆったやせがたのみしらぬおんなのひとがこちらをこっそりのぞいているのを、ちらと)
結った痩せがたの見知らぬ女のひとがこちらをこっそり覗いているのを、ちらと
(みてしまった。「それでは、まあ、そのけっさくをおかきなさい。」「おかえりですか)
見てしまった。「それでは、まあ、その傑作をお書きなさい。」「お帰りですか
(うすちゃを、もひとつ。」「いや。」ぼくはきとまたおもいなやまなければいけなかった)
薄茶を、もひとつ。」「いや。」僕は帰途また思いなやまなければいけなかった
(これはいよいよ、さいなんである。こんなでたらめがよのなかにあるだろうか。)
これはいよいよ、災難である。こんな出鱈目が世の中にあるだろうか。
(いまはひなんをとおりこして、あきれたのである。ふとぼくはかれのわたりどりのはなしを)
いまは非難を通り越して、あきれたのである。ふと僕は彼の渡り鳥の話を
(おもいだしたのだ。とつぜん、ぼくとかれとのそうじをかんじた。どこというのではない。)
思い出したのだ。突然、僕と彼との相似を感じた。どこというのではない。
(なにかしらおなじたいしゅうがかんぜられた。きみもぼくもわたりどりだ、そういっているようにも)
なにかしら同じ体臭が感ぜられた。君も僕も渡り鳥だ、そう言っているようにも
(おもわれ、それがぼくをふあんにしてしまった。かれがぼくにえいきょうをあたえているのか、)
思われ、それが僕を不安にしてしまった。彼が僕に影響を与えているのか、
(ぼくがかれにえいきょうをあたえているのか、どちらかがばんぴいるだ。どちらかが、)
僕が彼に影響を与えているのか、どちらかがバンピイルだ。どちらかが、
(しらぬうちにあいてのきもちにそろそろくいいっているのではあるまいか。)
知らぬうちに相手の気持ちにそろそろ食いいっているのではあるまいか。
(ぼくがかれのひょうへんぶりをきたいしておとずれるきもちをかれがさっして、そのぼくのきたいがかれを)
僕が彼の豹変ぶりを期待して訪れる気持ちを彼が察して、その僕の期待が彼を
(しばりつけ、ことさらにかれはへんかをしていかなければいけないようにつとめて)
しばりつけ、ことさらに彼は変化をして行かなければいけないように努めて
(いるのであるまいか。あれこれとかんがえればかんがえるほどせいせんとぼくとのたいしゅうが)
いるのであるまいか。あれこれと考えれば考えるほど青扇と僕との体臭が
(からまり、はんしゃしあっているようで、かそくどてきにぼくはかれにこだわりはじめたので)
からまり、反射し合っているようで、加速度的に僕は彼にこだわりはじめたので
(あった。せいせんはいまにけっさくをかくだろうか。ぼくはかれのわたりどりのしょうせつにたいへんな)
あった。青扇はいまに傑作を書くだろうか。僕は彼の渡り鳥の小説にたいへんな
(きょうみをもちはじめたのである。なんてんしょくをうえきやにいいつけてかれのげんかんのすみに)
興味を持ちはじめたのである。南天燭を植木屋に言いつけて彼の玄関の隅に
(うえさせてやったのは、そのころのことであった。)
植えさせてやったのは、そのころのことであった。