晩年 66
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問題文
(ろまねすく せんじゅつたろう)
ロマネスク 仙術太郎
(むかしつがるのくに、かなぎむらにくわがたそうすけというしょうやがいた。よんじゅうきゅうさいで、はじめて)
むかし津軽の国、神梛村に鍬形惣助という庄屋がいた。四十九歳で、はじめて
(いっしをえた。おとこのこであった。たろうとなづけた。うまれるとすぐおおきいあくびを)
一子を得た。男の子であった。太郎と名づけた。生まれるとすぐ大きいあくびを
(した。そうすけはそのあくびのおおきすぎるのをきにやみ、しゅくじをのべにやってくる)
した。惣助はそのあくびの大きすぎるのを気に病み、祝辞を述べにやって来る
(しんせきのものたちへかたみのせまいおもいをした。そうすけのけねんはそろそろとてきちゅうし)
親戚の者たちへ肩身のせまい思いをした。惣助の懸念はそろそろと的中し
(はじめた。たろうはははじゃびとのちぶさにもみずからすすんでしゃぶりつくようなことは)
はじめた。太郎は母者人の乳房にもみずからすすんでしゃぶりつくようなことは
(なく、ははじゃびとのふところのなかにいてくちをたいぎそうにあけたままちぶさのくちへの)
なく、母者人のふところの中にいて口をたいぎそうにあけたまま乳房の口への
(せっしょくをいつまででもまっていた。はりこのとらをあてがわれてもそれをいじくり)
接触をいつまででも待っていた。張子の虎をあてがわれてもそれをいじくり
(まわすことはなく、ゆらゆらうごくとらのあたまをたいくつそうにながめているだけであった。)
まわすことはなく、ゆらゆら動く虎の頭を退屈そうに眺めているだけであった。
(あさ、めをさましてからもあわててねどこからはいだすようなことはなく、)
朝、眼をさましてからもあわてて寝床から這い出すようなことはなく、
(にじかんほどはめをつぶってねむったふりをしているのである。かるがるしき)
二時間ほどは眼をつぶって眠ったふりをしているのである。かるがるしき
(からだのしぐさをきらうせいしんをもっていたのであった。さんさいのとき、ちょっとした)
からだの仕草をきらう精神を持っていたのであった。三歳のとき、鳥渡した
(じけんをおこし、そのじけんのおかげでくわがたたろうのなまえがむらのひとたちのあいだに)
事件を起し、その事件のお蔭で鍬形太郎の名前がむらのひとたちのあいだに
(すこしひろまった。それはしんぶんのじけんでないゆえ、それだけほんとうのじけんで)
少しひろまった。それは新聞の事件でないゆえ、それだけほんとうの事件で
(あった。たろうがどこまでもあるいたのである。はるのはじめのことであった。)
あった。太郎がどこまでも歩いたのである。春のはじめのことであった。
(よる、たろうはははじゃびとのふところからおともたてずにころがりでた。ころころとどまへ)
夜、太郎は母者人のふところから音もたてずにころがり出た。ころころと土間へ
(ころげおち、それからこがいへまろびでた。こがいへでてから、しゃんとたち)
ころげ落ち、それから戸外へまろび出た。戸外へ出てから、しゃんと立ち
(あがったのである。そうすけも、またははじゃびとも、それをしらずにねむっていた。)
あがったのである。惣助も、また母者人も、それを知らずに眠っていた。
(まんげつがたろうのすぐひたいのうえにうかんでいた。まんげつのりんかくはにじんでいた。)
満月が太郎のすぐ額のうえに浮かんでいた。満月の輪郭はにじんでいた。
(めだかのもようのじゅばんにくわいのもようのわたいれどういをかさねてきているたろうは、)
めだかの模様の襦袢に慈姑の模様の綿入れ胴衣を重ねて着ている太郎は、
(はだしのままでむらのばふんだらけのじゃりみちをひがしへあるいた。ねむたげにめをはんぶん)
はだしのままで村の馬糞だらけの砂利道を東へ歩いた。ねむたげに眼を半分
(とじてちいさいいきをせわしなくはきながらあるいた。あくるあさ、むらはそうどうであった。)
とじて小さい息をせわしなく吐きながら歩いた。翌る朝、村は騒動であった。
(さんさいのたろうがむらからたっぷりいちりもはなれているゆながれやまの、りんごはたけのまんまん)
三歳の太郎が村からたっぷり一里もはなれている湯流山の、林檎畑のまんまん
(なかでこともなげにねこんでいたからであった。ゆながれやまはこおりのかけらが)
なかでこともなげに寝込んでいたからであった。湯流山は氷のかけらが
(とけかけているようなかたちで、みねにはみっつのなだらかなきふくがありせいたんはながれた)
溶けかけているような形で、峯には三つのなだらかな起伏があり西端は流れた
(ようにゆるやかなけいしゃをなしていた。ひゃくめーとるくらいのたかさであった。たろうが)
ようにゆるやかな傾斜をなしていた。百米くらいの高さであった。太郎が
(どうしてそんなやまのなかにまでいきつけたのか、そのわけはふめいであった。)
どうしてそんな山の中にまで行き着けたのか、その訳は不明であった。
(いや、たろうがひとりでのぼっていったにちがいないのだ。けれどもなぜのぼって)
いや、太郎がひとりで登っていったにちがいないのだ。けれどもなぜ登って
(いったのかそのわけがわからなかった。はっけんしゃであるわらびとりのむすめのてかごに)
いったのかその訳がわからなかった。発見者である蕨取りの娘の手籠に
(いれられ、ゆられゆられしながらたろうはむらへかえってきた。てかごのなかを)
いれられ、ゆられゆられしながら太郎は村へ帰って来た。手籠のなかを
(のぞいてみたむらのひとたちはみな、まゆのあいだにくろいあぶらぎったしわをよせて、)
覗いてみた村のひとたちは皆、眉のあいだに黒い油ぎった皺をよせて、
(てんぐ、てんぐとうなずきあった、そうすけはわがこのぶじであるすがたをみて、これは、)
天狗、天狗とうなずき合った、惣助はわが子の無事である姿を見て、これは、
(これは、といった。こまったともいえなかったし、よかったともいえなかった。)
これは、と言った。困ったとも言えなかったし、よかったとも言えなかった。
(ははじゃびとはそんなにとりみだしていなかった。たろうをだきあげ、わらびとりのむすめの)
母者人はそんなに取り乱していなかった。太郎を抱きあげ、蕨取りの娘の
(てかごにはたろうのかわりにてぬぐいじをいったんいれてやって、それからどまへおおきなたらいを)
手籠には太郎のかわりに手拭地を一反いれてやって、それから土間へ大きな盥を
(もちだしおゆをなみなみといれ、たろうのからだをしずかにあらった。たろうのからだは)
持ち出しお湯をなみなみといれ、太郎のからだを静かに洗った。太郎のからだは
(ちっともよごれていなかった。まるまるとしろくふとっていた。そうすけはたらいのまわりを)
ちっとも汚れていなかった。丸々と白くふとっていた。惣助は盥のまわりを
(はげしくうろついてあるき、とうとうたらいにけつまずいてたらいのおゆをどまいちめんに)
はげしくうろついて歩き、とうとう盥に蹴躓いて盥のお湯を土間いちめんに
(おびただしくぶちまけははじゃびとにしかられた。そうすけはそれでもたらいのそばからはなれず)
おびただしくぶちまけ母者人に叱られた。惣助はそれでも盥の傍から離れず
(ははじゃびとのかたこしにたろうのかおをのぞき、たろう、なにみた、たろう、なにみた、と)
母者人の肩越しに太郎の顔を覗き、太郎、なに見た、太郎、なに見た、と
(いいつづけた。たろうはあくびをいくつもいくつもしてから)
言いつづけた。太郎はあくびをいくつもいくつもしてから
(たあなかむだあちいなええというかたことをさけんだ。そうすけはよる、ねてからやっと)
タアナカムダアチイナエエというかたことを叫んだ。惣助は夜、寝てからやっと
(このかたことのいみをさとった。たみのかまどはにぎわいにけり。はっけん!)
このかたことの意味をさとった。たみのかまどはにぎわいにけり。発見!
(そうすけはねたままぴしゃっとひざがしらをうとうとしたが、おもいかけぶとんにじゃまされ、)
惣助は寝たままぴしゃっと膝頭を打とうとしたが、重い掛布団に邪魔され、
(へそのあたりをうっていたいおもいをした。そうすけはかんがえる。しょうやのせがれはしょうやの)
臍のあたりを打って痛い思いをした。惣助は考える。庄屋のせがれは庄屋の
(おやだわ。さんさいにしてもうはやたみのかまどにこころをつかう。あらありがたのこうみょうや。)
親だわ。三歳にしてもうはや民のかまどに心をつかう。あら有難の光明や。
(このこはゆながれやまのいただきからかなぎむらのあさのけしきをみおろしたにちがいない。)
この子は湯流山のいただきから神梛木村の朝の景色を見おろしたにちがいない。
(そのときいえいえのかまどからたちのぼるけむりは、ほやほやとにぎわっていたとな。)
そのとき家々のかまどから立ちのぼる煙は、ほやほやとにぎわっていたとな。
(あらしゅしょうのちょうよのほんがんや。このこはなんとさずかりものじゃ。おたいせつにしなければ)
あら殊勝の超世の本願や。この子はなんと授かりものじゃ。御大切にしなければ
(そうすけはそっとおきあがり、うでをのばしてとなりのゆかにひとりでねているたろうの)
惣助はそっと起きあがり、腕をのばして隣の床にひとりで寝ている太郎の
(かけぶとんをていねいになおしてやった。それからもっとうでをのばしてそのまたとなりの)
掛布団をていねいに直してやった。それからもっと腕をのばしてそのまた隣りの
(ゆかにねているははじゃびとのかけぶとんをすこしばかりらんぼうになおしてやった。ははじゃびとはねぞうが)
床に寝ている母者人の掛布団を少しばかり乱暴に直してやった。母者人は寝相が
(わるかった。そうすけはははじゃびとのねぞうをみないようにして、わざとかおをきつく)
わるかった。惣助は母者人の寝相を見ないようにして、わざと顔をきつく
(そむけながらつぶやいた。これはたろうのうみのおやじゃ。おたいせつにしなければ。)
そむけながら呟いた。これは太郎の産みの親じゃ。御大切にしなければ。
(たろうのよげんはあたった。そのとしのはるにはむらのことごとくのりんごはたけにすばらしく)
太郎の予言は当った。そのとしの春には村のことごとくの林檎畑にすばらしく
(おおきいうすべにのはながさきそろい、じゅうりはなれたごじょうかまちにまでにおいをおくった。)
大きい薄紅の花が咲きそろい、十里はなれた御城下町にまで匂いを送った。
(あきにはもっとよいことがおこった。りんごのかじつがてまりくらいにおおきく)
秋にはもっとよいことが起こった。林檎の果実が手毬くらいに大きく
(さんごくらいにあかく、きりのみみたいにすずなりになったのである。こころみに)
珊瑚くらいに赤く、桐の実みたいに鈴成りに成ったのである。こころみに
(そのひとつをちぎりとりはにあてると、かじつのにくがきれるほどみずけをもっている)
そのひとつをちぎりとり歯にあてると、果実の肉が切れるほど水気を持っている
(こととてはをあてたとたんにぽんとおとたかくわれつめたいみずがほとばしりでてはなから)
こととて歯をあてたとたんにぽんと音高く割れ冷い水がほとばしり出て鼻から
(ほおまでびしょぬれにしてしまうほどであった。あくるとしのがんたんには、もっと)
頬までびしょ濡れにしてしまうほどであった。あくるとしの元旦には、もっと
(めでたいことがおこった。せんばのつるがひがしのそらからひらいし、むらのひとたちが、)
めでたいことが起こった。千羽の鶴が東の空から飛来し、村のひとたちが、
(あれよ、あれよとくちぐちにさわぎたてているまに、せんばのつるはがんたんのあおぞらのなかを)
あれよ、あれよと口々に騒ぎたてているまに、千羽の鶴は元旦の青空の中を
(ゆったりとおよぎまわりやがてにしのかたにとびさった。そのとしのあきにもまた)
ゆったりと泳ぎまわりやがて西のかたに飛び去った。そのとしの秋にもまた
(いねのほにほがみのりりんごもぜんねんにまけずにえだのたおたおするほどかたまって)
稲の穂に穂がみのり林檎も前年に負けずに枝のたおたおするほどかたまって
(けつじつしたのである。むらはうるおいはじめた。そうすけはよげんしゃとしてのたろうののうりょくを)
結実したのである。村はうるおいはじめた。惣助は予言者としての太郎の能力を
(しかとしんじた。けれどもそれをむらのひとたちにいいふらしてあるくことは)
しかと信じた。けれどもそれを村のひとたちに言いふらしてあるくことは
(ひかえていた。それはおやばかというちょうしょうをえたくないこころからであろうか。)
控えていた。それは親馬鹿という嘲笑を得たくない心からであろうか。
(ひょっとするとなにかもっとかるはずみな、ひともうけしようというしたごころからで)
ひょっとすると何かもっと軽はずみな、ひともうけしようという下心からで
(あったかもしれぬ。おさないころのしんどうは、にさんねんしてようやくじゃどうにおちた。)
あったかも知れぬ。幼いころの神童は、ニ三年してようやく邪道におちた。
(いつしかたろうは、むらのひとたちからなまけものというなまえをつけられていた。)
いつしか太郎は、村のひとたちからなまけものという名前をつけられていた。
(そうすけもそういわれるのをしかたがないとおもいはじめたのである。)
惣助もそう言われるのを仕方がないと思いはじめたのである。