黒死館事件86

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(のぶこのへやは、いくぶんぽんぱどぅーるふうにへんしたしゅみで、ぴんくのぱねるを)

伸子の室は、幾分ポンパドゥール風に偏した趣味で、桃色の羽目を

(きんのぶどうづたもようでふちどっていて、それはあかるいかんじのするしょさいづくりだった。)

金の葡萄蔦模様で縁取っていて、それは明るい感じのする書斎造だった。

(そして、ひだりがわがほそながくつくられたしょしつにはいるつうろ、みぎがわのききょういろしたとばりのかげが、)

そして、左側が細長く造られた書室に入る通路、右側の桔梗色した帷幕の蔭が、

(しんしつになっていた。のぶこはのりみずをみると、あたかもよきしていたかのように、)

寝室になっていた。伸子は法水を見ると、あたかも予期していたかのように、

(おちついていすをすすめた。もうそろそろ、おいでになるころあいだと)

落着いて椅子を薦めた。「もうそろそろ、お出でになる頃合だと

(おもってましたわ。きっとこんどは、だんねべるぐさまのことを)

思ってましたわ。きっと今度は、ダンネベルグ様のことを

(おききになりたいのでしょう いやけっして、もんだいというのは、あのしこうにも)

お訊きになりたいのでしょう」「いやけっして、問題と云うのは、あの屍光にも

(そうもんにもないのですよ。もちろん、しやんにはてきかくなちゅうわざいがないのですから、あなたが)

創紋にもないのですよ。勿論、青酸には適確な中和剤がないのですから、貴女が

(だんねべるぐふじんとおなじれもなーでをのんだにしても、あながちそれには、)

ダンネベルグ夫人と同じレモナーデを飲んだにしても、あながちそれには、

(れいだいとするかちはないでしょう とのりみずは、かのじょをあんどさせるためにまずぜんていを)

例題とする価値はないでしょう」と法水は、彼女を安堵させるためにまず前提を

(おいてから、ところで、あなたはあのよる、しんいしんもんかいのちょくぜんに)

おいてから、「ところで、貴女はあの夜、神意審問会の直前に

(だんねべるぐふじんとこうろんなさったそうですが ええ、しましたとも。ですけど)

ダンネベルグ夫人と口論なさったそうですが」「ええ、しましたとも。ですけど

(それについてのぎねんなら、かえってわたしのほうにあるくらいですわ。わたしには、)

それについての疑念なら、かえって私の方にあるくらいですわ。私には、

(あのかたがなぜおいかりになったのか、てんでけんとうがつかないんですの。じつは、)

あの方が何故お怒りになったのか、てんで見当がつかないんですの。実は、

(こうなのでございます とのぶこはためらわずげんかにこたえて、いっこうにあいてを)

こうなのでございます」と伸子は躊わず言下に答えて、いっこうに相手を

(きしするようなたいどもなかった。ちょうどばんしょくごいちじかんごろのことで、としょしつに)

窺視するような態度もなかった。「ちょうど晩食後一時間頃のことで、図書室に

(もどさねばならないかいぜるすべるひの せんとうるすらき を、しょだなのなかから)

戻さねばならないカイゼルスベルヒの『聖ウルスラ記』を、書棚の中から

(とりだそうとしたさいでございました。とつぜんよろめいて、もっていたそのほんを、)

取り出そうとした際でございました。突然蹌踉いて、持っていたその本を、

(すみにあるけんりゅうがらすがらすのおおかびんにうちあてて、)

隅にある乾隆硝子ガラスの大花瓶に打ち当てて、

(たおしてしまったのでございます。ところが、それからがみょうなんですわ。)

倒してしまったのでございます。ところが、それからが妙なんですわ。

など

(そりゃひどいものおとがしましたけれども、べつにおしかりをうけるというほどの)

そりゃひどい物音がしましたけれども、別にお叱りをうけるというほどの

(もんだいでもございません。それなのに、だんねべるぐさまがすぐと)

問題でもございません。それなのに、ダンネベルグ様がすぐと

(おいでになって・・・・・・でございますもの。わたしにはいまだもって、すべてがはんぜんと)

お出でになってでございますもの。私には未だもって、すべてが判然と

(のみこめないようなきがいたしております いや、ふじんはたぶんあなたを)

嚥み込めないような気がいたしております」「いや、夫人はたぶん貴女を

(しかったのではないでしょうよ。いかりわらいなげく けれども、そのたいしょうがあいての)

叱ったのではないでしょうよ。怒り笑い嘆くけれども、その対象が相手の

(にんげんではなく、じぶんがうけたかんかくにないもんしている。そういうように、いしきが)

人間ではなく、自分がうけた感覚に内問している。そういうように、意識が

(いようにぶんれつしたようなじょうたい それはときたま、あるしゅのへんしつしゃには)

異様に分裂したような状態それは時偶、ある種の変質者には

(あらわれるものですからね とのりみずは、のぶこのこうていをきたいするように、じいっと)

現われるものですからね」と法水は、伸子の肯定を期待するように、凝然と

(かのじょのかおをみまもるのだった。ところが、じじつはけっして・・・・・・とのぶこはしんけんな)

彼女の顔を見守るのだった。「ところが、事実はけっして」と伸子は真剣な

(たいどで、きっぱりひていしてから、まるであのときのだんねべるぐさまは、へんけんと)

態度で、キッパリ否定してから、「まるであの時のダンネベルグ様は、偏見と

(きょうらんのかいぶつでしかございませんでした。それに、あのにそうのようなせいかくを)

狂乱の怪物でしかございませんでした。それに、あの尼僧のような性格を

(もったかたが、こえをふるわせみもだえまでして、わたしのみをざんこくにおあらいたてに)

持った方が、声を慄わせ身悶えまでして、私の身を残酷にお洗いたてに

(なるのでした。ばぐやのむすめ・・・・・・ちごいねるですって。それから、たつみかわがくえんのほぼ・・・・・・)

なるのでした。馬具屋の娘賤民ですって。それから、竜見川学園の保姆

(それはまだしもで、わたしはやどりぎとまでののしられたのですわ。いいえ、わたしだっても、)

それはまだしもで、私は寄生木とまで罵られたのですわ。いいえ、私だっても、

(どんなにこころぐるしいことか・・・・・・。たとえさんてつさませいぜんのじひぶかいおぼしめしが)

どんなに心苦しいことか。たとえ算哲様生前の慈悲深い思召しが

(あったにしても、いつまでごようのないこのやかたに、ごやっかいになっておりますことが)

あったにしても、いつまで御用のないこの館に、御厄介になっておりますことが

(どんなにか・・・・・・とむすめらしいかなしみがふんぬにかわっていったが、ようやくなみだにぬれた)

どんなにか」と娘らしい悲哀が憤怒に代っていったが、ようやく涙に濡れた

(ほおのあたりがおちついてきて、ですから、わたしがいまだにげしかねているという)

頬のあたりが落着いてきて、「ですから、私が未だに解しかねているという

(いみが、これで、すっかりおわかりでございましょう。あのかたはわたしがそそうで)

意味が、これで、すっかりお判りでございましょう。あの方は私が粗相で

(たてたものおとには、いっこうにふれようとはなさらなかったのですから)

立てた物音には、いっこうに触れようとはなさらなかったのですから」

(まったくぼくも、あなたのたちばにはどうじょうしているんです とのりみずは)

「まったく僕も、貴女の立場には同情しているんです」と法水は

(なぐさめるようなこえでいったが、しんじゅうかれはなにごとかをきたいしているらしくおもわれた。)

慰めるような声で云ったが、心中彼は何事かを期待しているらしく思われた。

(ところであなたは、だんねべるぐふじんがこのどあをひらいたさいを)

「ところで貴女は、ダンネベルグ夫人がこの扉を開いた際を

(ごらんになりましたか。いったいそのとき、あなたはどこにいましたね?まあ、)

御覧になりましたか。いったいその時、貴女はどこにいましたね?」「マア、

(あなたらしくもない。まるで、しんりぜんはのきゅうしきたんていみたいですこと とのぶこは、)

貴方らしくもない。まるで、心理前派の旧式探偵みたいですこと」と伸子は、

(のりみずのしつもんにたまげたようなひょうじょうをみせたが、ところが、あいにくとそのときへやを)

法水の質問に魂消たような表情を見せたが、「ところが、生憎とそのとき室を

(あけておりました。べるがこわれていたので、ばとらーのへやへかびんのあとしまつを)

空けておりました。電鈴が壊れていたので、召使の室へ花瓶の後始末を

(たのみにいっていたものですから。ところが、もどってまいりますと、)

頼みに行っていたものですから。ところが、戻ってまいりますと、

(だんねべるぐさまがしんしつのなかにいらっしゃるではございませんか そうすると、)

ダンネベルグ様が寝室の中にいらっしゃるではございませんか」「そうすると、

(いぜんからとばりのかげにいたのを、しらなかったのでは いいえ、たぶんわたしを)

以前から帷幕の蔭にいたのを、知らなかったのでは」「いいえ、たぶん私を

(さがしに、しんしつのなかへおはいりになったのだろうとおもいますわ。そのしょうこには、)

探しに、寝室の中へお入りになったのだろうと思いますわ。その証拠には、

(あのかたのすがたが、とばりのすきまからちらとみえたときには、そこからすこしみぎかたを)

あの方の姿が、帷幕の隙間からチラと見えた時には、そこから少し右肩を

(おだしになっていて、そのままのかたちでしばらくたって)

お出しになっていて、そのままの形でしばらく立って

(いらっしゃったのですから。そのうちそばのいすをひきよせになって、)

いらっしゃったのですから。そのうち側の椅子を引き寄せになって、

(やはりその、ふたつのとばりのあいだのところへおかけになりました。ねえいかがのりみずさん)

やはりその、二つの帷幕の中間の所へお掛けになりました。ねえいかが法水さん

(わたしのちんじゅつのなかには、どのひとつだって、さんてつさまをはじめこくしかんのあにみずむが)

私の陳述の中には、どの一つだって、算哲様をはじめ黒死館の精霊主義が

(あらわれてはおりませんでしょう だって、しょうじきはさいじょうのじゅっさくなりと)

現われてはおりませんでしょうだって、正直は最上の術策なりと

(もうしますもの ありがとう。もうこれいじょう、あなたにおたずねすることは)

申しますもの」「ありがとう。もうこれ以上、貴女にお訊ねすることは

(ありません。しかし、ひとことごちゅういしておきますが、たとえこのじけんのどうきが、)

ありません。しかし、一言御注意しておきますが、仮令この事件の動機が、

(やかたのいさんにあるにしてもですよ、ごじぶんのぼうえいということには、)

館の遺産にあるにしてもですよ、御自分の防衛ということには、

(じゅうぶんごちゅういなさったほうがいいとおもいます。ことに、かぞくのひとたちとは、)

充分御注意なさった方がいいと思います。ことに、家族の人達とは、

(あまりしげしげとせっきんなさらないように 。いずれわかるだろうとおもいますが、)

あまり繁々と接近なさらないように。いずれ判るだろうと思いますが、

(それが、このさいなによりのりょうさくなんですからね といみありげなけいこくをのこして、)

それが、この際何よりの良策なんですからね」と意味あり気な警告を残して、

(のりみずはのぶこのへやをさった。しかし、そのでぎわに、かれはいようにねつのこもっためで、)

法水は伸子の室を去った。しかし、その出際に、彼は異様に熱の罩もった眼で、

(どあならびのみぎてのぱねるにしせんをおとした。そこには、かれがはいりしなすでに)

扉並びの右手の羽目に視線を落した。そこには、彼が入りしなすでに

(はっけんしたことであったが、どあからさんじゃくほどはなれているところに、もくめのささくれが)

発見したことであったが、扉から三尺ほど離れている所に、木理の剥離片が

(つきでていて、それに、くろずんだいふくのせんいらしいものが)

突き出ていて、それに、黝ずんだ衣服の繊維らしいものが

(ひっかかっていたからだ。ところでどくしゃしょくんは、だんねべるぐのちゃくいのみぎかたに、)

引っ掛っていたからだ。ところで読者諸君は、ダンネベルグの着衣の右肩に、

(いっかしょかぎざきがあったのをきおくされるだろうが、それにはまた、よういに)

一個所鉤裂があったのを記憶されるだろうが、それにはまた、容易に

(ときえないぎぎがひそんでいるのだった。なぜなら、じょうたいのさまざまにそうぞうされる)

解き得ない疑義が潜んでいるのだった。何故なら、常態の様々に想像される

(しせいではいったものなら、とうぜさんじゃくのきょりをよこにうごいて、そのささくれにみぎかたを)

姿勢で入ったものなら、当然三尺の距離を横に動いて、その剥離片に右肩を

(ふれるどうりがないからである。それからのりみずは、くらいしずかなろうかをひとりで)

触れる道理がないからである。それから法水は、暗い静かな廊下を一人で

(あるいていった。そのちゅうとで、かれはたちどまってまどをあけ、がいきのなかへおおきくいきを)

歩いて行った。その中途で、彼は立ち止って窓を明け、外気の中へ大きく呼吸を

(はいた。それは、ひじょうにふかみのあるせいかんだった。そらのどこかにつきがあるとみえて)

吐いた。それは、非常に深みのある静観だった。空のどこかに月があると見えて

(うっすらしたひかりが、てんぼうとうやじょうへきや、それをしげりおおうているかのようにみえる、)

薄っすらした光が、展望塔や城壁や、それを繁り覆うているかのように見える、

(かつようじゅのきぎにふりそそぎ、まるでがんぜんいったいがうみのそこのようにあおくよどんでいる。)

闊葉樹の樹々に降り注ぎ、まるで眼前一帯が海の底のように蒼く淀んでいる。

(また、そのたいかんをよかぜがはいて、それをなみのように、みなみのほうへ)

また、その大観を夜風が掃いて、それを波のように、南の方へ

(ひろげてゆくのだった。そのうち、のりみずののうりにふとひらめいたものがあって、)

拡げてゆくのだった。そのうち、法水の脳裡にふと閃いたものがあって、

(そのかんねんがしだいにおおきくせいちょうしていった。そして、かれはいぜんそのばを)

その観念がしだいに大きく成長していった。そして、彼は依然その場を

(はなれないで、しかも、ふれるといきさえおそれるもののように、じいっとみみを)

離れないで、しかも、触れる吐息さえ怖れるもののように、じいっと耳を

(こらしはじめたのだった。すると、それからじゅうすうふんたって、どこからか)

凝らしはじめたのだった。すると、それから十数分経って、どこからか

(ことりことりとあゆむあしおとがひびいてきて、それがしだいに、みみもとから)

コトリコトリと歩む跫音が響いてきて、それがしだいに、耳元から

(とおざかっていくようにはなれていくと、のりみずのからだがようやくうごきはじめ、)

遠ざかっていくように離れていくと、法水の身体がようやく動きはじめ、

(かれはにどのぶこのへやにはいっていった。そして、そこにに、さんぷんいたかとおもうと、)

彼は二度伸子の室に入っていった。そして、そこに二、三分いたかと思うと、

(ふたたびろうかにあらわれて、こんどは、そのはいめんにあたるれヴぇずのへやのまえにたった。)

再び廊下に現われて、今度は、その背面に当るレヴェズの室の前に立った。

(しかし、のりみずがどあののっぶをひいたときに、はたしてかれのすいそくがてきちゅうしていたのを)

しかし、法水が扉の把手を引いた時に、はたして彼の推測が適中していたのを

(しった。なぜなら、そのしゅんかん、あのゆううつなえんせいかめいたれヴぇずのしせん)

知った。何故なら、その瞬間、あの憂鬱な厭世家めいたレヴェズの視線

(それにはいようなじょうねつがこもり、まるでやじゅうのように、あらあらしいといきをはいて)

それには異様な情熱が罩もり、まるで野獣のように、荒々しい吐息を吐いて

(せまってくるのにぶつかったからである。)

迫ってくるのに打衝ったからである。

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