【タイピング文庫】芥川龍之介「蜘蛛の糸」

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プレイ回数6418難易度(4.2) 6022打 長文 かな
短編名作を数多くのこした、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。
芥川龍之介が手がけたはじめての児童文学作品。地獄に落ちた男が、やっとのことでつかんだ一条の救いの糸。ところが自分だけが助かりたいというエゴイズムのために、またもや地獄に落ちる。

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問題文

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(あるひのことでございます。おしゃかさまはごくらくのはすいけのふちを、ひとりで)

(一)ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りで

(ぶらぶらおあるきになっていらっしゃいました。いけのなかにさいているはすのはなは、)

ぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、

(みんなたまのようにまっしろで、そのまんなかにあるきんいろのずいからは、なんともいえない)

みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない

(よいにおいが、たえまなくあたりへあふれております。ごくらくはちょうど)

好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度

(あさなのでございましょう。やがておしゃかさまはそのいけのふちにおたたずみになって、)

朝なのでございましょう。やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、

(みずのおもてをおおっているはすのはのあいだから、ふとしたのようすをごらんになりました。)

水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。

(このごくらくのはすいけのしたは、ちょうどじごくのそこにあたっておりますから、すいしょうのようなみずを)

この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を

(すきとおして、さんずのかわやはりのやまのけしきが、ちょうどのぞきめがねをみるように、)

透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、

(はっきりとみえるのでございます。するとそのじごくのそこにかんだたというおとこがひとり)

はっきりと見えるのでございます。するとその地獄の底に犍陀多と云う男が一人

(ほかのざいにんといっしょにうごめいているすがたが、おめにとまりました。このかんだたと)

ほかの罪人と一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。この犍陀多と

(いうおとこは、ひとをころしたりいえにひをつけたり、いろいろあくじをはたらいたおおどろぼうで)

云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊で

(ございますが、それでもたったひとつ、よいことをいたしたおぼえがございます。)

ございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。

(ともうしますのは、あるときこのおとこがふかいはやしのなかをとおりますと、ちいさなくもがいっぴき、)

と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、

(みちばたをはっていくのがみえました。そこでかんだたはさっそくあしをあげて、)

路ばたを這って行くのが見えました。そこで犍陀多は早速足を挙げて、

(ふみころそうといたしましたが、いや、いや、これもちいさいながら、いのちのあるもの)

踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるもの

(にちがいない。そのいのちをむやみにとるということは、いくらなんでもかわいそうだ。と、)

に違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、

(こうきゅうにおもいかえして、とうとうそのくもをころさずにたすけてやったからで)

こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからで

(ございます。おしゃかさまはじごくのようすをごらんになりながら、このかんだたには)

ございます。御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この犍陀多には

(くもをたすけたことがあるのをおおもいだしになりました。そうしてそれだけの)

蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの

(よいことをしたむくいには、できるなら、このおとこをじごくからすくいだしてやろうと)

善い事をした報には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと

など

(おかんがえになりました。さいわいそばをみますと、ひすいのようないろをしたはすのはのうえに、)

御考えになりました。幸い側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、

(ごくらくのくもがいっぴき、うつくしいぎんいろのいとをかけております。おしゃかさまは)

極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様は

(そのくものいとをそっとおてにおとりになって、たまのようなしらはすのあいだから、)

その蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、

(はるかしたにあるじごくのそこへ、まっすぐにそれをおおろしなさいました。)

遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。

(こちらはじごくのそこのちのいけで、ほかのざいにんといっしょに、)

(二)こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、

(ういたりしずんだりしていたかんだたでございます。なにしろどちらをみても、)

浮いたり沈んだりしていた犍陀多でございます。何しろどちらを見ても、

(まっくらで、たまにそのくらやみからぼんやりうきあがっているものがあると)

まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると

(おもいますと、それはおそろしいはりのやまのはりがひかるのでございますから、そのこころぼそさ)

思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さ

(といったらございません。そのうえあたりははかのなかのようにしんとしずまりかえって、)

と云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、

(たまにきこえるものといっては、ただざいにんがつくかすかなたんそくばかりで)

たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微かな嘆息ばかりで

(ございます。これはここへおちてくるほどのにんげんは、もうさまざまなじごくの)

ございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の

(せめくにつかれはてて、なきごえをだすちからさえなくなっているのでございましょう。)

責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。

(ですからさすがおおどろぼうのかんだたも、やはりちのいけのちにむせびながら、)

ですからさすが大泥坊の犍陀多も、やはり血の池の血に咽びながら、

(まるでしにかかったかえるのように、ただもがいてばかりおりました。)

まるで死にかかった蛙のように、ただもがいてばかり居りました。

(ところがあるときのことでございます。なにげなくかんだたがあたまをあげて、ちのいけのそらを)

ところがある時の事でございます。何気なく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を

(ながめますと、そのひっそりとしたやみのなかを、とおいとおいてんじょうからぎんいろのくものいとが)

眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から銀色の蜘蛛の糸が

(まるでひとめにかかるのをおそれるように、ひとすじほそくひかりながら、するすると)

まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると

(じぶんのうえへたれてまいるのではございませんか。かんだたはこれをみると、)

自分の上へ垂れて参るのではございませんか。犍陀多はこれを見ると、

(おもわずてをうってよろこびました。このいとにすがりついてどこまでものぼっていけば、)

思わず手を拍って喜びました。この糸に縋りついてどこまでものぼって行けば、

(きっとじごくからぬけだせるのにそういございません。いや、うまくいくと、)

きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、

(ごくらくへはいることさえもできましょう。そうすれば、もうはりのやまへおいあげられる)

極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる

(こともなくなれば、ちのいけにしずめられることもあるはずはございません。)

事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。

(こうおもいましたからかんだたは、さっそくそのくものいとをりょうてでしっかりと)

こう思いましたから犍陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりと

(つかみながら、いっしょうけんめいにうえへうえへとたぐりのぼりはじめました。もとよりおおどろぼうの)

つかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の

(ことでございますから、こういうことにはむかしから、なれきっているのでございます。)

事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。

(しかしじごくとごくらくとのあいだは、なんまんりとなくございますから、いくらあせって)

しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦って

(みたところでよういにうえへはでられません。ややしばらくのぼるなかにとうとうかんだたも)

見た所で容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中にとうとう犍陀多も

(くたびれて、もうひとたぐりもうえのほうへはのぼれなくなってしまいました。)

くたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。

(そこでしかたがございませんから、まずひとやすみやすむつもりで、いとのちゅうとに)

そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途に

(ぶらさがりながら、はるかにめのしたをみくだしました。すると、いっしょうけんめいにのぼった)

ぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。すると、一生懸命にのぼった

(かいがあって、さっきまでじぶんがいたちのいけは、いまではもうやみのそこに)

甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底に

(いつのまにかかくれております。それからあのぼんやりひかっているおそろしい)

いつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しい

(はりのやまも、あしのしたになってしまいました。このぶんでのぼっていけば、じごくから)

針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、地獄から

(ぬけだすのも、ぞんがいわけがないかもしれません。かんだたはりょうてをくものいとに)

ぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。犍陀多は両手を蜘蛛の糸に

(からみながら、ここへきてからなんねんにもだしたことのないこえで、)

からみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、

(しめた。しめた。とわらいました。ところがふときがつきますと、くものいとの)

「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の

(したのほうには、かずかぎりもないざいにんたちが、じぶんののぼったあとをつけて、まるで)

下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで

(ありのぎょうれつのようにやはりうえへうえへいっしんによじのぼってくるではございませんか。)

蟻の行列のようにやはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。

(かんだたはこれをみると、おどろいたのとおそろしいのとで、しばらくはただばかのように)

犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ莫迦のように

(おおきなくちをあいたまま、めばかりうごかしておりました。じぶんひとりでさえ)

大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ

(きれそうな、このほそいくものいとが、どうしてあれだけのにんずのおもみに)

断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに

(たえることができましょう。もしまんいちとちゅうできれたといたしましたら、せっかくここへ)

堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへ

(までのぼってきたこのかんじんなじぶんまでも、もとのじごくへさかおとしにおちて)

までのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちて

(しまわなければなりません。そんなことがあったら、たいへんでございます。が、)

しまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、

(そういうなかにも、ざいにんたちはなんびゃくとなくなんぜんとなく、まっくらなちのいけのそこから、)

そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、

(うようよとはいあがって、ほそくひかっているくものいとを、いちれつになりながら、)

うようよと這い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、

(せっせとのぼってまいります。いまのなかにどうかしなければ、いとはまんなかから)

せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から

(ふたつにきれて、おちてしまうのにちがいありません。そこでかんだたは)

二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。そこで犍陀多は

(おおきなこえをだして、こら、ざいにんども。このくものいとはおれのものだぞ。)

大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。

(おまえたちはいったいだれにきいてのぼってきた。おりろ。おりろ。とわめきました。)

お前たちは一体誰に尋いてのぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。

(そのとたんでございます。いままでなんともなかったくものいとが、きゅうに)

その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に

(かんだたのぶらさがっているところから、ぷつりとおとをたててきれました。ですから)

犍陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから

(かんだたもたまりません。あっというまもなくかぜをきって、こまのようにくるくる)

犍陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくる

(まわりながら、みるみるなかにやみのそこへ、まっさかさまにおちてしまいました。)

まわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

(あとにはただごくらくのくものいとが、きらきらとほそくひかりながら、)

後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、

(つきもほしもないそらのちゅうとに、みじかくたれているばかりでございます。)

月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

(おしゃかさまはごくらくのはすいけのふちにたって、このいちぶしじゅうをじっとみて)

(三)御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見て

(いらっしゃいましたが、やがてかんだたがちのいけのそこへいしのようにしずんで)

いらっしゃいましたが、やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んで

(しまいますと、かなしそうなおかおをなさりながら、またぶらぶらおあるきになり)

しまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり

(はじめました。じぶんばかりじごくからぬけだそうとする、かんだたのむじひなこころが、)

始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、

(そうしてそのこころそうとうなばつをうけて、もとのじごくへおちてしまったのが、おしゃかさまの)

そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の

(おめからみると、あさましくおぼしめされたのでございましょう。しかしごくらくの)

御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。しかし極楽の

(はすいけのはすは、すこしもそんなことにはとんちゃくいたしません。そのたまのようなしろいはなは、)

蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、

(おしゃかさまのおあしのまわりに、ゆらゆらうてなをうごかして、そのまんなかにある)

御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある

(きんいろのずいからは、なんともいえないよいにおいが、たえまなくあたりへ)

金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ

(あふれております。ごくらくももううひるにちかくなったのでございましょう。)

溢れて居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。

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