生きている腸1　海野十三

(「はあ、こちらはまるまるけいむびょういんでございます」「ああ、まるまるけいむびょういんかね。)

「はあ、こちらは○○刑務病院でございます」「ああ、○○刑務病院かね。

(ーーふん、くまもとはかせをよんでくれたまえ。ぼくか、ぼくはいのまたとでも)

ーーふん、熊本博士をよんでくれたまえ。僕か、僕は猪俣とでも

(いっておいてくれ」と、かれはなぜかぎめいをつかい、おうへいなくちをきいて、)

いっておいてくれ」と、彼はなぜか偽名をつかい、横柄な口をきいて、

(こうかんじょうをどうせんのえんちょうのうえにおいておびえさせた。「ああくまもとくんか。ぼくはーー)

交換嬢を銅線の延長の上においておびえさせた。「ああ熊本君か。僕はーー

(いわんでもわかっているだろう。きょうはだいじょうぶかね。まちがいなしかね。)

いわんでも分っているだろう。今日は大丈夫かね。まちがいなしかね。

(ほんとうにはらわたをよういしておいてくれたんだね。ーーみなみからみっつめのまどだったね。)

本当に腸を用意しておいてくれたんだね。ーー南から三つ目の窓だったね。

(もしまちがっていると、ぼくはかんがえていることがあるんだぜ。そいつはおそらく)

もしまちがっていると、僕は考えていることがあるんだぜ。そいつはおそらく

(きみにしょくをうしなわせ、そしてつづいてしょくをあたえないことになろう。ーーいやおどかす)

君に職を失わせ、そしてつづいて食を与えないことになろう。ーーいやおどかす

(わけではない。きみはつねに、はいはいといってぼくのいいつけをきいてりゃ)

わけではない。君は常に、はいはいといって僕のいいつけをきいてりゃ

(いいんだ。ーーいくぜ。きっとさ。よるのじゅういちじだったな」そこでかれは、だれが)

いいんだ。ーー行くぜ。きっとさ。夜の十一時だったな」そこで彼は、誰が

(きいてもけしからんでんわをきった。くまもとはかせといえば、せけんからそのうつくしい)

聞いてもけしからん電話を切った。熊本博士といえば、世間からその美しい

(じんかくをたたえられているまるまるけいむびょういんのげかちょうであった。かれはかていに、)

人格をたたえられている○○刑務病院の外科長であった。彼は家庭に、

(まねきんにんぎょうのようにうつくしいさいくんをもってい、またすくなからぬちょきんを)

マネキン人形のように美しい妻君をもってい、またすくなからぬ貯金を

(つくったというこうふくそのもののようないがくしゃであった。しかしなぜかふきやは、)

つくったという幸福そのもののような医学者であった。しかしなぜか吹矢は、

(はかせのことをあたまごなしにやっつけてしまうわるいしゅうかんがあった。もっともかれに)

博士のことを頭ごなしにやっつけてしまう悪い習慣があった。もっとも彼に

(いわせると、くまもとはかせなんかかざかみにおけないいんちきじんぶつであって、てんにかわって)

いわせると、熊本博士なんか風上におけないインチキ人物であって、天に代って

(おおいにいじめてやるひつようのあるいんてりさくしであるという。そういって、)

大いにいじめてやる必要のあるインテリ策士であるという。そういって、

(けなしているいっぽう、いがくせいふきやは、がくれきにおいてはすうじっぽせんぱいのくまもとはかせを)

けなしている一方、医学生吹矢は、学歴においては数十歩先輩の熊本博士を

(ひゃくぱーせんとにりようし、すくなからぬそのおんけいによくしているくせに、くまもとはかせを)

百パーセントに利用し、すくなからぬその恩恵に浴しているくせに、熊本博士を

(つねにどれいのごとくしえきした。「はらわたをよういしておいてくれたろうね」)

つねに奴隷のごとく使役した。「腸を用意しておいてくれたろうね」

(さっきふきやはそういうでんわをかけていたが、これでみるとかれは、くまもとはかせにたいし)

さっき吹矢はそういう電話をかけていたが、これで見ると彼は、熊本博士に対し

(またいかくしゅだんをろうしているものらしい。しかし「はらわたをようい」とはいったい)

また威嚇手段を弄しているものらしい。しかし「腸を用意」とはいったい

(なにごとであるか。かれはいま、なにをくわだて、そしてなにをかんがえているので)

なにごとであるか。彼はいま、なにを企て、そしてなにを考えているので

(あろうか。こんやのじゅういちじにならないと、そのこたえはでないのであった。)

あろうか。今夜の十一時にならないと、その答は出ないのであった。