山本周五郎 赤ひげ診療譚 むじな長屋 16
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問題文
(いちねんのちふたりはふうふになった。さはちがおやかたへすべてをはなし、)
一年のち二人は夫婦になった。佐八が親方へすべてを話し、
(おやかたがえちとくへいってくれた。)
親方が越徳へいってくれた。
(えちとくではしぶったが、しゃっきんをきれいにかえし、じぶんがおやがわりになるといって、)
越徳では渋ったが、借金をきれいに返し、自分が親代りになると云って、
(ようやくしょうちをさせたのである。)
ようやく承知をさせたのである。
(ふたりはしたやのやまさきちょうにいえをもち、さはちはおやかたのみせへはたらきにかよった。)
二人は下谷の山崎町に家を持ち、佐八は親方の店へ働きにかよった。
(そうしてやくいちねん、おだやかでたのしいひがつづいた。)
そうして約一年、穏やかでたのしい日が続いた。
(ーーさはちはしんそこおなかがかわいかった。ふうふになるまえよりも、)
ーー佐八はしんそこおなかが可愛かった。夫婦になるまえよりも、
(ふうふになってからのほうがずっとかわいく、)
夫婦になってからのほうがずっと可愛く、
(いいようのないほどいとしいものになった。)
云いようのないほどいとしい者になった。
(「そしてひのえうまのとしのかじになりました」とさはちはしずかにつづけた、)
「そして丙午(ひのえうま)の年の火事になりました」と佐八は静かに続けた、
(「ーーあれはにがつすえのひるかじで、したやいったいからあさくさばしまでやけたものですが、)
「ーーあれは二月末の昼火事で、下谷一帯から浅草橋まで焼けたものですが、
(わたしがかなすぎのみせからかけつけてみると、うちのあたりはいちめんのひで、)
私が金杉の店から駆けつけてみると、うちのあたりはいちめんの火で、
(ちかよることもできませんでした」)
近よることもできませんでした」
(さはちはそこでまたみずをすすった。)
佐八はそこでまた水をすすった。
(かれはきがくるいそうなおもいで、おなかをさがしあるいた。)
彼は気が狂いそうな思いで、おなかを捜し歩いた。
(そのときかなすぎのみせもとびひでやけたのだが、かれはそれさえもしらなかった。)
そのとき金杉の店も飛び火で焼けたのだが、彼はそれさえも知らなかった。
(ひるまではあるしわかいおんなひとりのみがるだから、)
昼間ではあるし若い女一人の身軽だから、
(まさかやけしぬようなことはあるまい、どこかににげているのだとしんじて、)
まさか焼け死ぬようなことはあるまい、どこかに逃げているのだと信じて、
(やけだされたひとたちのあつまっているところを、つぎからつぎとさがしまわった。)
焼け出された人たちの集まっているところを、次から次と捜しまわった。
(そしてあくるひ、さんやはやけなかったので、そこへたずねていったが、)
そして明くる日、山谷(さんや)は焼けなかったので、そこへ訪ねていったが、
(「おなかはこない」というだけだった。)
「おなかは来ない」というだけだった。
(それまでまいつきのしおくりはしていたが、おなかがきらうので、)
それまで毎月の仕送りはしていたが、おなかが嫌うので、
(さはちがそのいえをたずねたのはにどめであり、かぞくのたいどはれいたんをきわめていた。)
佐八がその家を訪ねたのは二度めであり、家族の態度は冷淡を極めていた。
(「まるで、むすめをひとりぬすまれた、とでもいうようなあんばいでした」)
「まるで、娘を一人ぬすまれた、とでもいうようなあんばいでした」
(さはちはそういってたいそくをついた。)
佐八はそう云って太息をついた。
(かなすぎのみせがやけ、おやかたふうふはえばらのほうのいなかへひっこんだ。)
金杉の店が焼け、親方夫婦は荏原(えばら)のほうの田舎へひっこんだ。
(さはちはともだちのいえにねとまりをして、はんつきばかりやけあとや、)
佐八は友達の家に寝泊りをして、半月ばかり焼跡や、
(おすくいごやをたずねあるいたのち、ようやくおなかはしんだものとあきらめ、)
お救い小屋をたずね歩いたのち、ようやくおなかは死んだものと諦め、
(するときゅうにきおちがして、そのままともだちのいえでねこんでしまった。)
すると急に気落ちがして、そのまま友達の家で寝こんでしまった。
(「このむじなながやへこしてきたのは、そのとしのしちがつのことでした」)
「このむじな長屋へ越して来たのは、その年の七月のことでした」
(さはちはとおいなにかをおいもとめるようなめつきでいった、)
佐八は遠いなにかを追い求めるような眼つきで云った、
(「やっぱりともだちなかまのせわで、ながやのはしにしごとばをくっつけ、)
「やっぱり友達なかまの世話で、長屋の端に仕事場をくっつけ、
(ちゅうもんをとるのも、しあげたものをとどけるのもじぶんでやり、)
注文を取るのも、仕上げた物を届けるのも自分でやり、
(めしもたいていはめしやでかたづけるというぐあいで。)
めしもたいていは飯屋でかたづけるというぐあいで。
(どうやらのんきにくらすようになりました」)
どうやら暢気(のんき)にくらすようになりました」
(よめをもらえと、うるさくすすめられたが、いつもあいまいにはなしをそらして、)
嫁を貰えと、うるさくすすめられたが、いつもあいまいに話をそらして、
(かれはひとりぐらしをつづけていた。にねんたってにじゅうはちのとしのなつ、)
彼は独りぐらしを続けていた。二年経って二十八の年の夏、
(さはちはせんそうじのけいだいでおなかとであった。)
佐八は浅草寺の境内(けいだい)でおなかと出会った。
(しまんろくせんにちのひで、けいだいはさんけいのひとたちでいっぱいだったが、)
四万六千日の日で、境内は参詣(さんけい)の人たちでいっぱいだったが、
(ねんぶつどうのわきのひとごみのなかで、ふたりはましょうめんからであい、)
念仏堂の脇の人混みの中で、二人は真正面から出会い、
(おたがいをみとめてたちすくんだ。)
お互いを認めて立竦(たちすく)んだ。
(おなかはあかごをせおっていた。すこしこえたうえにかみのかたちもちがって、)
おなかは赤児を背負っていた。少し肥えたうえに髪の形も違って、
(おもがわりがしていたのに、さはちはひとめでおなかだときづき、)
おも変りがしていたのに、佐八は一と眼でおなかだと気づき、
(かのじょのほうでもすぐにかれだということをみとめた。)
彼女のほうでもすぐに彼だということを認めた。
(ーーしばらくだったね、とさはちがいった。)
ーーしばらくだったね、と佐八が云った。
(ーーしばらくでした、とおなかがこたえた。)
ーーしばらくでした、とおなかが答えた。
(こみあうひとのためにおされて、ふたりはおくやまのほうへとあるいていった。)
混みあう人のために押されて、二人は奥山のほうへと歩いていった。