山本周五郎 赤ひげ診療譚 三度目の正直 8
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問題文
(「としがあけたらしゅうげんをしよう、ということになりましたが」ととうきちはいった、)
「年が明けたら祝言をしよう、ということになりましたが」と藤吉は云った、
(「しょうがつのまつがとれるとすぐ、あっしはみとへゆくことになった、)
「正月の松が取れるとすぐ、あっしは水戸へゆくことになった、
(みとのさがみやという、かいさんぶつしょうのいんきょじょをたてるしごとで、)
水戸の相模屋という、海産物商の隠居所を建てる仕事で、
(だいく、さかん、たてぐやなど、にじゅうにんばかりのしょくにんをつかうことになったんです、)
大工、左官、建具屋など、二十人ばかりの職人を使うことになったんです、
(そのしたじゅんびができて、えどをたつみっかまえのことでしたが、)
その下準備ができて、江戸を立つ三日まえのことでしたが、
(いのがきゅうにおれもつれていってくれといいだしました」)
猪之が急におれも伴れていってくれと云いだしました」
(もうひとえらびはきまったからだめだ、とうりょうがゆるしゃあしないといいながら、)
もう人選びはきまったからだめだ、頭梁が許しゃあしないと云いながら、
(ようすをみるとどうもおかしい。なにかあったのか、ととうきちはきいた。)
ようすを見るとどうもおかしい。なにかあったのか、と藤吉は訊いた。
(うん、といのはもじもじしていたが、)
うん、と猪之はもじもじしていたが、
(やがて、どきょうをすえたというかおつきでいった。)
やがて、度胸を据えたという顔つきで云った。
(ーーよめにほしいむすめがいるんだ、すまねえがあにきにくちをきいてもらいたいんだ。)
ーー嫁に欲しい娘がいるんだ、済まねえがあにきに口をきいてもらいたいんだ。
(とうきちはいきをしずめてからききかえした。)
藤吉は息をしずめてから訊き返した。
(ーーもうそのはなしはきまってるじゃねえか。)
ーーもうその話はきまってるじゃねえか。
(ーーいや、いまはじめてたのむんだ。)
ーーいや、いま初めて頼むんだ。
(ーーうめもとのおよのじゃあねえのか。)
ーー梅本のおよのじゃあねえのか。
(ーーもちろんそうじゃねえさ。)
ーーもちろんそうじゃねえさ。
(とうきちはいかりをおさえるのにひまがかかった。)
藤吉は怒りを押えるのに暇がかかった。
(ーーうめもとのおよのはどうするんだ。)
ーー梅本のおよのはどうするんだ。
(ーーことわっちまうさ、あんなあま、といのはくちびるをまげた。)
ーー断わっちまうさ、あんなあま、と猪之は唇を曲げた。
(いまになってみると、どうしてあんなおんなにほれこんだかわけがわからねえ、)
いまになってみると、どうしてあんな女に惚れこんだかわけがわからねえ、
(しょうじきのところじぶんでじぶんがおかしいくらいなんだ。)
正直のところ自分で自分が訝(おか)しいくらいなんだ。
(ーーおい、よくきけいの。)
ーーおい、よく聞け猪之。
(ーーわかってるよ、あにきがおこるだろうってことはわかってるんだ、)
ーーわかってるよ、あにきが怒るだろうってことはわかってるんだ、
(といのはせきこんでいった。ほかのものならこんなことをたのめやあしねえ、)
と猪之はせきこんで云った。ほかの者ならこんなことを頼めやあしねえ、
(あにきだからこそ、おこられるのをしょうちでたのむんだ、)
あにきだからこそ、怒られるのを承知で頼むんだ、
(さんどめのしょうじき、こんどこそまちげえのねえむすめなんだから。)
三度目の正直、こんどこそまちげえのねえ娘なんだから。
(とうきちはじっといののめをみつめた。)
藤吉はじっと猪之の眼をみつめた。
(ーーそんなむすめがいるのに、どうしてみとへゆこうというんだ。)
ーーそんな娘がいるのに、どうして水戸へゆこうというんだ。
(ーーそれあその、うめもとのほうをしばらく。)
ーーそれあその、梅本のほうを暫く。
(ーーしばらくどうだってんだ。)
ーー暫くどうだってんだ。
(いのはあたまをかきかき、つまりしばらくほとぼりをさまそうとおもうんだ、といった。)
猪之は頭を掻き掻き、つまり暫くほとぼりをさまそうと思うんだ、と云った。
(「あっしはどなりました、どなりつけてやりました」)
「あっしはどなりました、どなりつけてやりました」
(とうきちはさけがなくなったのにきづき、のぼるにむかってかんどっくりをふってみせた、)
藤吉は酒がなくなったのに気づき、登に向かって燗徳利を振ってみせた、
(「もうちっとやりてえが、ごめいわくですか」)
「もうちっとやりてえが、御迷惑ですか」
(「いいとも」とのぼるはうなずいた。)
「いいとも」と登は頷いた。
(とうきちがてをたたくと、かいかでへんじがきこえ、ころあいをはかっていたのだろうか、)
藤吉が手を叩くと、階下で返辞が聞え、ころあいを計っていたのだろうか、
(まもなくにょうぼうがかんどっくりをにほんもってきた。)
まもなく女房が燗徳利を二本持って来た。
(「しかしつまるところ、どなるほうがまけというやつですかね」)
「しかしつまるところ、どなるほうが負けというやつですかね」
(とてじゃくでひとくちすすりながらとうきちははなしつづけた、)
と手酌で一と口啜りながら藤吉は話し続けた、
(「やりこめるだけやりこめたあげくが、いののおもうつぼにはまったかたちで、)
「やりこめるだけやりこめたあげくが、猪之の思う壺にはまったかたちで、
(だらしのねえはなしだが、またかけあいにゆきました」)
だらしのねえ話だが、また掛合いにゆきました」
(こんどのあいてはおうみやという、たびももひきどんやのじょちゅうで、)
こんどの相手は近江屋という、足袋股引(たびももひき)問屋の女中で、
(おまつというじゅうはちのむすめであった。)
お松という十八の娘であった。