戯作三昧(三)

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投稿者投稿者鳴きウサギ(鹿の声)いいね1お気に入り登録
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(さん)

(かれが「しょうにあわない」ということばにちからをいれたうしろには、こういうけいべつが)

彼が「性に合わない」という語に力を入れた後ろには、こういう軽蔑が

(ひそんでいた。が、ふこうにしておうみやへいきちには、ぜんぜんそういういみが)

潜んでいた。が、不幸にして近江屋平吉には、全然そういう意味が

(つうじなかったものらしい。)

通じなかったものらしい。

(「ははあ、やっぱりそういうものでございますかな。てまえなどのりょうけんでは、)

「ははあ、やっぱりそういうものでございますかな。手前などの量見では、

(せんせいのようなたいかなら、なんでもじゆうにおつくりになれるだろうとぞんじて)

先生のような大家なら、なんでも自由にお作りになれるだろうと存じて

(おりましたがーーいや、てんにぶつをあたえずとは、よくもうしたものでございます。」)

おりましたがーーいや、天二物を与えずとは、よく申したものでございます。」

(へいきちはしぼったてぬぐいで、ひふがあかくなるほど、ごしごしからだをこすりながら、)

平吉はしぼった手拭で、皮膚が赤くなるほど、ごしごし体をこすりながら、

(ややえんりょするようなちょうしで、こういった。が、じそんしんのつよいばきんには、)

やや遠慮するような調子で、こう言った。が、自尊心の強い馬琴には、

(かれのけんじをそのままことばどおりうけとられたということが、まずなによりも)

彼の謙辞をそのまま語通り受け取られたということが、まず何よりも

(ふまんである。そのうえへいきちのえんりょするようなちょうしがいよいよまたきにいらない。)

不満である。その上平吉の遠慮するような調子がいよいよまた気に入らない。

(そこでかれはてぬぐいとあかすりとをながしへほうりだすとなかばみをおこしながら、)

そこで彼は手拭と垢すりとを流しへほうり出すと半ば身を起しながら、

(にがいかおをして、こんなきえんをあげた。)

苦い顔をして、こんな気焔をあげた。

(「もっとも、とうせつのうたよみやそうしょうくらいにはいくつもりだがね。」)

「もっとも、当節の歌よみや宗匠くらいにはいくつもりだがね。」

(しかし、こういうとともに、かれはきゅうにじぶんのこどもらしいじそんしんがはずかしく)

しかし、こう言うとともに、彼は急に自分の子供らしい自尊心が恥ずかしく

(かんぜられた。じぶんはさっきへいきちが、さいじょうきゅうのことばをつかってはっけんでんをほめたときにも、)

感ぜられた。自分はさっき平吉が、最上級の語を使って八犬伝を褒めた時にも、

(かくべつうれしかったとはおもっていない。そうしてみれば、いまそのはんたいに、)

格別嬉しかったとは思っていない。そうしてみれば、今その反対に、

(じぶんがうたやほっくをつくることのできないにんげんとみられたにしても、)

自分が歌や発句を作ることの出来ない人間と見られたにしても、

(それをふまんにおもうのは、あきらかにむじゅんである。)

それを不満に思うのは、明らかに矛盾である。

(とっさにこういうじせいをうごかしたかれは、あたかもないしんのせきめんをかくそうと)

とっさにこういう自省を動かした彼は、あたかも内心の赤面を隠そうと

など

(するように、あわただしくとめおけのゆをかたからあびた。)

するように、あわただしく止め桶の湯を肩から浴びた。

(「でございましょう。そうなくっちゃ、とてもああいうけっさくは、)

「でございましょう。そうなくっちゃ、とてもああいう傑作は、

(おできになりますまい。してみますと、せんせいはうたもほっくもおつくりになると、)

お出来になりますまい。してみますと、先生は歌も発句もお作りになると、

(こうにらんだてまえのがんこうは、やっぱりたいしたものでございますな。)

こうにらんだ手前の眼光は、やっぱりたいしたものでございますな。

(これはとんだてまえみそになりました。」)

これはとんだ手前味噌になりました。」

(へいきちはまたおおきなこえをたてて、わらった。さっきのすがめはもうかたわらにいない。)

平吉はまた大きな声を立てて、笑った。さっきの眇はもう側にいない。

(たんもばきんのあびたゆに、ながされてしまった。が、ばきんがさっきにもまして)

痰も馬琴の浴びた湯に、流されてしまった。が、馬琴がさっきにも増して

(きょうしゅくしたのはもちろんのことである。)

恐縮したのはもちろんのことである。

(「いや、うっかりはなしこんでしまった。どれわたしもひとふろ、あびてこようか。」)

「いや、うっかり話しこんでしまった。どれ私も一風呂、浴びて来ようか。」

(みょうにまのわるくなったかれは、こういうあいさつとともに、じぶんにたいするいっしゅの)

妙に間の悪くなった彼は、こういう挨拶とともに、自分に対する一種の

(はらだたしさをかんじながら、とうとうこのこうじんぶつのあいどくしゃのまえをたいきゃくすべく、)

腹立たしさを感じながら、とうとうこの好人物の愛読者の前を退却すべく、

(おもむろにたちあがった。)

おもむろに立ち上がった。

(が、へいきちはかれのきえんによってむしろあいどくしゃたるかれじしんまで、かたみがひろく)

が、平吉は彼の気焔によってむしろ愛読者たる彼自身まで、肩身が広く

(なったように、かんじたらしい。)

なったように、感じたらしい。

(「ではせんせいそのうちにひとつうたかほっくかをかいていただきたいものでございますな。)

「では先生そのうちに一つ歌か発句かを書いて頂きたいものでございますな。

(よろしゅうございますか。おわすれになっちゃいけませんぜ。じゃてまえも、)

よろしゅうございますか。お忘れになっちゃいけませんぜ。じゃ手前も、

(これでしつれいいたしましょう。おせわしゅうもございましょうが、おとおりすがりの)

これで失礼いたしましょう。おせわしゅうもございましょうが、お通りすがりの

(せつは、ちとおたちよりを。てまえもまた、おじゃまにあがります。」)

節は、ちとお立ち寄りを。手前もまた、お邪魔に上がります。」

(へいきちはおいかけるように、こういった。そうして、もういちどてぬぐいをあらい)

平吉は追いかけるように、こう言った。そうして、もう一度手拭を洗い

(だしながら、ざくろぐちのほうへあるいていくばきんのうしろすがたをみおくって、)

出しながら、柘榴口の方へ歩いて行く馬琴の後ろ姿を見送って、

(これからいえへかえったときに、きょくていせんせいにあったということを、)

これから家へ帰った時に、曲亭先生に遇ったということを、

(どんなちょうしでにょうぼうにはなしてきかせようかとかんがえた。)

どんな調子で女房に話して聞かせようかと考えた。

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