ああ玉杯に花うけて 第十一部 4
青空文庫より引用
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問題文
(はははあんしんしてへやをでた、あとでひとりこういちはてーぶるにほおづえをついて)
母は安心して室をでた、あとでひとり光一はテーブルにほおづえをついて
(かんがえこんだ、ふみこがまいにちおそくかえる、たまにはやくかえってもどうぐをほうりだしたまま)
考えこんだ、文子が毎日晩く帰る、たまに早く帰っても道具をほうりだしたまま
(どこかへでてゆく、それについてはこういちもおもしろからずおもっている、のみならず、)
どこかへでてゆく、それについては光一も面白からず思っている、のみならず、
(このごろはしみじみとはなしをしたこともない、ははのことばによってさてはなにか)
このごろはしみじみと話をしたこともない、母の言葉によってさてはなにか
(よからぬことがあるかもしらぬ、とおもったものの、ははにしんぱいをかけるのは)
よからぬことがあるかも知らぬ、と思ったものの、母に心配をかけるのは
(なによりつらい、できることならじぶんひとりでことのじっぴをきわめてみたい、)
なによりつらい、できることなら自分ひとりで事の実否をきわめてみたい、
(そうしてふこうにもいもうとにきけんなことがあるならははにもちちにもしらさずに、)
そうして不幸にも妹に危険なことがあるなら母にも父にも知らさずに、
(じぶんひとりでばんじをかいけつしてやろう、こうおもってわざとへいきをよそおうて)
自分ひとりで万事を解決してやろう、こう思ってわざと平気を装うて
(ははにあんしんさした。 だがふみこははたしてあくまのてにおちたであろうか。)
母に安心さした。 だが文子ははたして悪魔の手に落ちたであろうか。
(こういちは、じっとそれをかんがえつづけるうちにしたのほうでふみこのこえがした。)
光一は、じっとそれを考えつづけるうちに階下の方で文子の声がした。
(「ただいま!」 こういちはたちあがった、にかいをおりると)
「ただいま!」 光一は立ちあがった、二階を降りると
(ふみこはくつをはくところであった。 「ふみさん」とこういちはよびとめた。)
文子は靴をはくところであった。 「文さん」と光一は呼びとめた。
(「なあに?」 「どこへいくの?」)
「なあに?」 「どこへいくの?」
(「おともだちがまってるのよ、てにすよ、きょうはふくしゅうせんよ、たいへんよ」)
「お友達が待ってるのよ、テニスよ、今日は復讐戦よ、大変よ」
(「ちょっとまってくれ」 「だって、もうおそいんですもの、あああつい、)
「ちょっと待ってくれ」 「だって、もうおそいんですもの、ああ暑い、
(わたしあせがびっしょりよ」 かのじょはふろしきづつみをほうりだしてさっさとでていった)
私汗がびっしょりよ」 かの女は風呂敷包みをほうりだしてさっさとでていった
(こういちはふろしきづつみをもったまましばらくいもうとのうしろすがたをみおくったが、)
光一は風呂敷包みを持ったまましばらく妹の後ろ姿を見送ったが、
(きゅうににかいのしょさいへかけあがった。かれはふろしきつつみをといた、)
急に二階の書斎へかけあがった。かれは風呂敷包みを解いた、
(なかかられきしやちりやずがやふでばこなどがでた、かれはそれらを)
中から歴史や地理や図画や筆箱などがでた、かれはそれらを
(ひとつひとつしらべるとざっきちょうのあいだからいっぷうのてがみがおちた。)
一つ一つしらべると雑記帳の間から一封の手紙が落ちた。
(ふうとうにはただ「ふみこさま」とかいてある。 かれはなかをひらいた。)
封筒にはただ「文子様」と書いてある。 かれは中をひらいた。
(「おとといあってきのうあわなかった、いつものところへきてください、)
「一昨日逢って昨日逢わなかった、いつものところへ来てください、
(きょうはだいじなそうだんがあります。ふみこさん・・・・・・せんぞうより」)
今日は大事な相談があります。文子さん……千三より」
(「あっ」とばかりにこういちはおもわずこえをあげた。 「せんぞう!せんぞう!あおきか、)
「あっ」とばかりに光一は思わず声をあげた。 「千三! 千三!青木か、
(あああおきが・・・・・・あのちびこうが、ちくしょう!」 ぼうぜんとしりもちをついたこういちのかおは)
ああ青木が……あのチビ公が、畜生!」 茫然としりもちをついた光一の顔は
(みるみるひのごとくあかくなった。ちくしょう!おんしらず!)
見る見る火のごとく赤くなった。畜生! 恩知らず!
(あいつがふみこをゆうわくしているのだ、あいつがふみこをゆうわくしているのだ、)
あいつが文子を誘惑しているのだ、あいつが文子を誘惑しているのだ、
(あいつがおれもおれのちちもあれだけにつくしてやったにかかわらず)
あいつがおれもおれの父もあれだけにつくしてやったにかかわらず
(いもうとをゆうわくしていもうとからぜにをとりやがった、ああちびこう!そんなやつだとは)
妹を誘惑して妹から銭を取りやがった、ああチビ公! そんなやつだとは
(おもわなかった、おれはうられた、おれは・・・・・・おれは・・・・・・。 こういちはそのまま)
思わなかった、おれは売られた、おれは……おれは……。 光一はそのまま
(にかいをおりるやいなや、ぞうりをつっかけたままいえをでた、)
二階を降りるやいなや、ぞうりをつっかけたまま家を出た、
(かれはまっすぐにせんぞうのいえへはしった。 「まあぼっちゃん、せっかくおいで)
かれはまっすぐに千三の家へ走った。 「まあ坊ちゃん、せっかくおいで
(くだすったのに、せんぞうはるすですよ」とせんぞうのははがいった。)
くだすったのに、千三は留守ですよ」と千三の母がいった。
(「しょうばいからかえらないのですか」 「きょうはね、おひるまえだけで)
「商売から帰らないのですか」 「今日はね、お昼前だけで
(おひるすぎからやすみです、ぼーるへいったのじゃありますまいか」)
お昼すぎから休みです、ボールへいったのじゃありますまいか」
(「さようなら」 こういちはすぐひきかえしてもくもくじゅくへでかけた。)
「さようなら」 光一はすぐ引きかえして黙々塾へでかけた。
(じゅくにはだれもいなかった。こういちはひっかえそうとするとまどからやせたひげづらが)
塾にはだれもいなかった。光一はひっかえそうとすると窓から瘠せたひげ面が
(ぬっとあらわれた。 「やあやなぎくん、ちょっとはいれ」)
ぬっと現われた。 「やあ柳君、ちょっとはいれ」
(「ぼくはいそぎますからしつれいします」 「なに?いそぐ?だんしたるものがことを)
「ぼくは急ぎますから失礼します」 「なに? 急ぐ? 男子たるものがことを
(いそぐというほうがあるか、いそぐというもじはてんかこっかのだいじなばあいにのみ)
急ぐという法があるか、急ぐという文字は天下国家の大事な場合にのみ
(よううべしだ」 「ですがせんせい、ぼくは・・・・・・」)
用うべしだ」 「ですが先生、ぼくは……」
(「てきにこえをかけられておめおめにげるというひきょうものは)
「敵に声をかけられておめおめ逃げるという卑怯者は
(うらちゅうにあるかもしらんが、もくもくじゅくにはひとりもないぞ」)
浦中にあるかも知らんが、黙々塾にはひとりもないぞ」
(「じゃかんたんにごようむきをうかがいましょう」とこういちはちゅうっぱらになっていった。)
「じゃ簡単にご用向きをうかがいましょう」と光一は中腹になっていった。
(「よしっ、じゃきみにきくがきみはみずをのむか」 「のみます」)
「よしッ、じゃきみにきくがきみは水を飲むか」 「飲みます」
(「いちにちなんじょうのみずをのむか」 「そんなにのみません」)
「一日何升の水を飲むか」 「そんなに飲みません」
(「いかん、にんげんはまいにちにしょうのみずをのむべしだ、)
「いかん、人間は毎日二升の水を飲むべしだ、
(がんかいはいっぴょうのいんといったが、あれはさんしょういりのふくべだ、せいじんは」)
顔回は一瓢の飲といったが、あれは三升入りのふくべだ、聖人は」
(「さようなら」 こういちはたまらなくなってにげだした。)
「さようなら」 光一はたまらなくなって逃げだした。
(「ばかにしてやがる、じゅくちょうがあんなふうだからでしどもまでろくなものがない、)
「ばかにしてやがる、塾長があんな風だから弟子共までろくなものがない、
(あんちくしょう!ちびのやつ、どこへいったろう」)
あん畜生! チビのやつ、どこへいったろう」
(こういちはかっかくともえたついかりにかられながらちまなこになってせんぞうをさがしまわった、)
光一は赫々と燃え立つ怒りにかられながら血眼になって千三を探しまわった、
(かれはたいていせんぞうがさんぽするみちをしっていたのでつきのみやじんじゃのほうへはしった。)
かれは大抵千三が散歩する道を知っていたので調神社の方へ走った。
(かれはむちゅうになみきとなみきのまをのぞいたりおみやをぐるぐるまわったりした。)
かれは夢中に並み木と並み木の間をのぞいたりお宮をぐるぐるまわったりした。
(と、かれはふとおおきなまつのしたでひとかげをみた。)
と、かれはふと大きな松の下で人影を見た。