『愛撫』梶井基次郎2【完】
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問題文
(かれはだんだんじしんをうしなってゆく。もはやじぶんがある「たかさ」にいる)
彼は段々自信を失ってゆく。もはや自分がある「高さ」にいる
(ということにさえぶるぶるふるえずにはいられない。)
ということにさえブルブル震えずにはいられない。
(「らっか」からつねにじぶんをまもってくれていたつめがもはやないからである。)
「落下」から常に自分を守ってくれていた爪がもはやないからである。
(かれはよたよたとあるくべつのどうぶつになってしまう。)
彼はよたよたと歩く別の動物になってしまう。
(ついにそれさえしなくなる。ぜつぼうし、そしてたえまないきょうふのゆめを)
遂にそれさえしなくなる。絶望し、そして絶え間ない恐怖の夢を
(みながら、ものをたべるげんきさえうせて、ついにはしんでしまう。)
見ながら、物を食べる元気さえ失せて、遂には死んでしまう。
(つめのないねこ。こんな、たよりない、あわれなこころもちがあろうか。)
爪のない猫。こんな、頼りない、哀れな心持ちがあろうか。
(くうそうをうしなってしまったしじん、そうはつせいちほうにおちいったてんさいにもにている。)
空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている。
(このくうそうはいつもわたしをかなしくする。そのかなしみのために、)
この空想はいつも私を悲しくする。その悲しみのために、
(このけつまつのだとうであるかどうかということさえ、)
この結末の妥当であるかどうかということさえ、
(わたしにとってはもんだいではなくなってしまう。)
私にとっては問題ではなくなってしまう。
(しかし、はたして、つめをぬかれたねこはどうなるのだろう。)
しかし、はたして、爪を抜かれた猫はどうなるのだろう。
(めをぬかれても、ひげをぬかれてもねこはいきているにちがいない。)
目を抜かれても、髭を抜かれても猫は生きているに違いない。
(しかし、やわらかいあしのうらの、さやのなかにかくされた、まがった)
しかし、柔らかい足の裏の、鞘の中に隠された、曲がった
(あいくちのようにするどいつめ。これがこのどうぶつのかつりょくであり、ちえであり、)
アイクチのように鋭い爪。これがこの動物の活力であり、知恵であり、
(せいれいであり、いっさいであることをわたしはしんじてうたがわないのである。)
精霊であり、一切であることを私は信じて疑わないのである。
(あるひ、わたしはきみょうなゆめをみた。とあるおんなのししつである。)
ある日、私は奇妙な夢を見た。とある女の私室である。
(このおんなはへいじょう、かわいいねこをかっていて、わたしがいくと、だいていたむねから、)
この女は平常、可愛い猫を飼っていて、私が行くと、抱いていた胸から、
(いつもそいつをはなしてよこすのであるが、)
いつもそいつを放して寄越すのであるが、
(いつもわたしはそれにへきえきするのである。だきあげてみると、そのこねこには、)
いつも私はそれに辟易するのである。抱きあげてみると、その子猫には、
(いつもほのかなこうりょうのにおいがしている。ゆめのなかのかのじょは、)
いつもほのかな香料の匂いがしている。夢の中の彼女は、
(かがみのまえでけしょうをしていた。わたしはしんぶんかなにかをみながら、)
鏡の前で化粧をしていた。私は新聞かなにかを見ながら、
(ちらちらそのほうをながめていたのであるが、)
ちらちらその方を眺めていたのであるが、
(あっとおどろきのちいさなこえをあげた。かのじょは、なんとねこのてでかおへおしろいを)
アッと驚きの小さな声をあげた。彼女は、なんと猫の手で顔へおしろいを
(ぬっているのである。わたしはぞっとした。しかし、よくみていると、)
塗っているのである。私はゾッとした。しかし、よく見ていると、
(それはいっしゅのけしょうどうぐで、ただそれをねことおなじように)
それは一種の化粧道具で、ただそれを猫と同じように
(つかっているのだとわかった。しかし、あまりにもそれがふしぎなので、)
使っているのだと分かった。しかし、あまりにもそれが不思議なので、
(わたしはうしろからたずねずにはいられなかった。)
私はうしろから尋ねずにはいられなかった。
(「それはなんですか。かおをこすっているものは」「これのことですか」)
「それはなんですか。顔をこすっているものは」「これのことですか」
(ふじんはびしょうとともにふりむいた。そしてそれをわたしのほうへほうってよこした。)
夫人は微笑と共に振り向いた。そしてそれを私の方へ放って寄越した。
(とりあげてみると、やはりねこのてなのである。「いったいこれはどうしたの」)
取りあげて見ると、やはり猫の手なのである。「一体これはどうしたの」
(ききながらわたしは、きょうはいつものこねこがいないことや、)
聞きながら私は、今日はいつもの子猫がいないことや、
(そのまえあしがどうやらそのねこのものらしいことを、せんこうのようにりょうかいした。)
その前足がどうやらその猫のものらしいことを、閃光のように了解した。
(「わかっているじゃないの。これはみゅるのまえあしよ」)
「わかっているじゃないの。これはミュルの前足よ」
(かのじょのこたえはへいぜんとしていた。そして、このごろがいこくで)
彼女の答えは平然としていた。そして、この頃外国で
(こんなのがはやるというので、みゅるでつくってみたのだというのである。)
こんなのが流行るというので、ミュルで作ってみたのだというのである。
(あなたがつくったのかと、ないしんわたしはかのじょのざんこくさにしたをまきながら)
あなたが作ったのかと、内心私は彼女の残酷さに舌を巻きながら
(たずねてみると、それはいかだいがくのひとがつくってくれたというのである。)
尋ねて見ると、それは医科大学の人が作ってくれたというのである。
(わたしはいかのひとというものが、かいぼうごのしたいのくびをつちにうめておいて)
私は医科の人というものが、解剖後の死体の首を土に埋めておいて
(どくろをつくり、がくせいとひみつのとりひきをするということをきいていたので、)
ドクロを作り、学生と秘密の取引をするということを聞いていたので、
(ひじょうにいやなきになった。なにもそんなやつにたのまなくたっていいじゃないか。)
非常に嫌な気になった。何もそんな奴に頼まなくたっていいじゃないか。
(そしておんなというものの、そんなことにかけての、むしんけいさやざんこくさを、)
そして女というものの、そんなことにかけての、無神経さや残酷さを、
(いまさらのようににくみだした。しかし、それががいこくではやっている)
今更のように憎み出した。しかし、それが外国で流行っている
(ということについては、じぶんもなにかそんなことを、)
ということについては、自分もなにかそんなことを、
(ふじんざっしかしんぶんかでよんでいたようなきがした。)
婦人雑誌か新聞かで読んでいたような気がした。
(ねこのてのけしょうどうぐ。わたしはねこのまえあしをひっぱって、)
猫の手の化粧道具。 私は猫の前足を引っ張って、
(いつもひとりわらいをしながら、そのけなみをなでてやる。)
いつも独り笑いをしながら、その毛並みを撫でてやる。
(かれがかおをあらうまえあしのよこには、けあしのみじかいじゅうたんのようなけが)
彼が顔を洗う前足の横には、毛足の短いじゅうたんのような毛が
(みっせいしていて、なるほどにんげんのけしょうどうぐにもなりそうなのである。)
密生していて、なるほど人間の化粧道具にもなりそうなのである。
(しかし、わたしにはそれがなんのやくにたとうか。)
しかし、私にはそれがなんの役に立とうか。
(わたしはごろっとあおむきにねころんで、ねこをかおのうえへあげる。)
私はゴロッと仰向きに寝転んで、猫を顔の上へあげる。
(にほんのまえあしをつかんで、やわらかいそのあしのうらを、)
二本の前足を掴んで、柔らかいその足の裏を、
(ひとつずつわたしのまぶたにあてがう。ここちよいねこのじゅうりょう。)
一つずつ私のまぶたにあてがう。心地よい猫の重量。
(あたたかいそのあしのうら。わたしのつかれたがんきゅうには、しみじみとした、)
温かいその足の裏。私の疲れた眼球には、しみじみとした、
(このよのものでないきゅうそくがつたわってくる。)
この世のものでない休息が伝わってくる。
(こねこよ。おねがいだから、しばらくふみはずさないでいろよ。)
子猫よ。お願いだから、しばらく踏み外さないでいろよ。
(おまえはすぐつめをたてるのだから。)
お前はすぐ爪を立てるのだから。