『赤とんぼ』新美南吉1
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問題文
(あかとんぼは、さんかいほどそらをまわって、いつもやすむいっぽんのかきねのたけのうえに、)
赤とんぼは、三回ほど空を回って、いつも休む一本の垣根の竹の上に、
(ちょいととまりました。やまざとのひるはしずかです。そしてしょかのやまざとは、)
チョイととまりました。山里の昼は静かです。そして初夏の山里は、
(ほんとうにみどりにつつまれています。あかとんぼは、くるりとめだまをまわしました。)
本当に緑に包まれています。赤とんぼは、クルリと目玉を回しました。
(あかとんぼのやすんでいるたけには、あさがおのつるがまきついています。)
赤とんぼの休んでいる竹には、朝顔のツルが巻きついています。
(さくねんのなつ、このべっそうのしゅじんがうえていったあさがおのむすんだみが、)
昨年の夏、この別荘の主人が植えていった朝顔の結んだ実が、
(またはえたんだろうと、あかとんぼはおもいました。)
また生えたんだろうと、赤とんぼは思いました。
(いまはこのいえにはだれもいないので、あまどがさびしくしまっています。)
今はこの家には誰もいないので、雨戸がさびしく閉まっています。
(あかとんぼは、ついとたけのさきからからだをはなして、たかいそらにまいあがりました。)
赤とんぼは、ツイと竹の先から体を離して、高い空に舞い上がりました。
(さん、よにんのひとがこっちへやってきます。)
三、四人の人がこっちへやって来ます。
(あかとんぼは、さっきのたけにまたとまって、じっとちかづいてくるひとびとを)
赤とんぼは、さっきの竹にまたとまって、じっと近づいて来る人々を
(みていました。いちばんさいしょにかけてきたのは、あかいりぼんのぼうしをかぶった)
見ていました。一番最初にかけて来たのは、赤いリボンの帽子をかぶった
(かわいいおじょうちゃんでした。それから、おじょうちゃんのおかあさん、)
可愛いお嬢ちゃんでした。それから、お嬢ちゃんのお母さん、
(にもつをどっさりもったしょせいさんと、こうさんにんです。)
荷物をドッサリ持った書生さんと、こう三人です。
(あかとんぼは、かわいいおじょうちゃんのあかいりぼんにとまってみたくなりました。)
赤とんぼは、可愛いお嬢ちゃんの赤いリボンにとまってみたくなりました。
(でも、おじょうちゃんがおこるとこわいなと、あかとんぼはあたまをかしげました。)
でも、お嬢ちゃんが怒ると怖いなと、赤とんぼは頭をかしげました。
(けれど、とうとう、おじょうちゃんがまえへきたとき、あかとんぼは、)
けれど、とうとう、お嬢ちゃんが前へ来た時、赤とんぼは、
(おじょうちゃんのあかいりぼんにとびうつりました。)
お嬢ちゃんの赤いリボンに飛び移りました。
(「あ、おじょうさん、ぼうしにあかとんぼがとまりましたよ」と、)
「あ、お嬢さん、帽子に赤とんぼがとまりましたよ」と、
(しょせいさんがさけびました。あかとんぼは、いまにおじょうちゃんのてが、)
書生さんが叫びました。赤とんぼは、今にお嬢ちゃんの手が、
(じぶんをつかまえにきやしないかとおもって、すぐとぶよういをしました。)
自分を捕まえにきやしないかと思って、すぐ飛ぶ用意をしました。
(しかし、おじょうちゃんは、あかとんぼをつかまえようともせず、)
しかし、お嬢ちゃんは、赤とんぼを捕まえようともせず、
(「まあ、あたしのぼうしに。うれしいわ」といって、うれしさにとびあがりました。)
「まあ、あたしの帽子に。嬉しいわ」と言って、嬉しさに跳び上がりました。
(つばめが、かぜのようにかけていきます。かわいいおじょうちゃんは、)
ツバメが、風のようにかけていきます。可愛いお嬢ちゃんは、
(いままであきやだったそのいえにすみこみました。もちろん、おかあさんや)
今まで空家だったその家に住み込みました。もちろん、お母さんや
(しょせいさんもいっしょです。あかとんぼは、きょうもそらをまわっています。)
書生さんも一緒です。赤とんぼは、今日も空を回っています。
(ゆうひが、そのはねをいっそうあかくしています。)
夕日が、その羽を一層赤くしています。
(「とんぼとんぼあかとんぼ、すすきのなかはあぶないよ」)
「とんぼとんぼ赤とんぼ、ススキの中は危ないよ」
(あどけないこえで、こんなうたをうたっているのが、きこえてきました。)
あどけない声で、こんな歌を歌っているのが、聞こえてきました。
(あかとんぼは、あのおじょうちゃんだろうとおもって、そのままこえのするほうへ)
赤とんぼは、あのお嬢ちゃんだろうと思って、そのまま声のする方へ
(とんでいきました。おもったとおり、うたっているのは、あのおじょうちゃんでした。)
飛んでいきました。思った通り、歌っているのは、あのお嬢ちゃんでした。
(おじょうちゃんは、にわでみずあびをしながら、ひとりうたっていたのです。)
お嬢ちゃんは、庭で水浴びをしながら、ひとり歌っていたのです。
(あかとんぼが、あたまのうえへくると、おじょうちゃんは、もっていた)
赤とんぼが、頭の上へ来ると、お嬢ちゃんは、持っていた
(おもちゃのきんぎょをにぎったまま、「あたしのあかとんぼ」とさけんで、)
おもちゃの金魚を握ったまま、「あたしの赤とんぼ」と叫んで、
(りょうてをたかくさしあげました。あかとんぼは、とてもゆかいです。)
両手を高く差し上げました。赤とんぼは、とても愉快です。
(しょせいさんが、せっけんをもってやってきました。)
書生さんが、石鹸を持ってやってきました。
(「おじょうさん、せなかをあらいましょうか」「いや」「だって」)
「お嬢さん、背中を洗いましょうか」「いや」「だって」
(「いや、いや、おかあさんでなくっちゃ」「こまったおじょうさん」)
「いや、いや、お母さんでなくっちゃ」「困ったお嬢さん」
(しょせいさんは、あたまをかきながらあるきだしましたが、あさがおのはにとまって、)
書生さんは、頭をかきながら歩きだしましたが、朝顔の葉にとまって、
(ふたりのはなしをきいているあかとんぼをみつけると、)
二人の話を聞いている赤とんぼを見つけると、
(みぎてをおおきくぐるーといっかいまわしました。みょうなことをするなとおもって、)
右手を大きくグルーと一回まわしました。妙なことをするなと思って、
(あかとんぼはそのゆびさきをみていました。つづけて、ぐるぐるとしょせいさんは)
赤とんぼはその指先を見ていました。続けて、グルグルと書生さんは
(みぎてをまわします。そしてだんだん、そのえんをちいさくして)
右手を回します。そして段々、その円を小さくして
(あかとんぼにちかづいてきます。あかとんぼは、おおきなめをぎょろぎょろうごかして、)
赤とんぼに近づいてきます。赤とんぼは、大きな目をギョロギョロ動かして、
(しょせいさんのゆびさきをみつめています。だんだん、えんはちいさくちかく、)
書生さんの指先を見つめています。段々、円は小さく近く、
(そしてはやくまわってきます。あかとんぼは、めまいをおこしてしまいました。)
そして速く回ってきます。赤とんぼは、めまいを起してしまいました。
(つぎのしゅんかん、あかとんぼはしょせいさんのおおきなゆびに、はさまれていました。)
次の瞬間、赤とんぼは書生さんの大きな指に、はさまれていました。
(「おじょうさん、あかとんぼをつかまえましたよ。あげましょうか」)
「お嬢さん、赤とんぼを捕まえましたよ。あげましょうか」
(「ばか、あたしのあかとんぼをつかまえるなんかして、やまだのばか」)
「バカ、あたしの赤とんぼを捕まえるなんかして、山田のバカ」
(おじょうちゃんは、くちをとがらして、ゆをしょせいさんにぶっかけました。)
お嬢ちゃんは、口をとがらして、湯を書生さんにぶっかけました。
(しょせいさんは、あかとんぼをはなしてにげていきました。)
書生さんは、赤とんぼを離して逃げていきました。