陰翳礼讃 6

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谷崎潤一郎
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問題文

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(きょうとに「わらんじや」というゆうめいなりょうりやがあって、ここのいえではちかごろまで)

京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで

(きゃくまにでんとうをともさず、こふうなしょくだいをつかうのがめいぶつになっていたが、ことしのはる)

客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春

(ひさしぶりでいってみると、いつのまにかあんどんしきのでんとうをつかうようになっている。)

久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。

(いつからこうしたのかときくと、きょねんからこれにいたしました。ろうそくのあかりでは)

いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭の灯では

(あまりくらすぎるとおっしゃるおきゃくさまがおおいものでござりますから、)

あまり暗すぎると仰っしゃるお客様が多いものでござりますから、

(よんどころなくこういうふうにいたしましたが、やはりこのままのほうがよいと)

拠んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のまゝの方がよいと

(おっしゃるおかたには、しょくだいをもってまいりますという。で、せっかくそれを)

仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。で、折角それを

(たのしみにしてきたのであるから、しょくだいにかえてもらったが、そのときわたしがかんじたのは)

楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは

(にほんのしっきのうつくしさは、そういうぼんやりしたうすあかりのなかにおいてこそ、)

日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、

(はじめてほんとうにはっきされるということであった。「わらんじや」のざしき)

始めてほんとうに発揮されると云うことであった。「わらんじや」の座敷

(というのはよじょうはんぐらいのこじんまりしたちゃせきであって、とこばしらやてんじょうなども)

と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども

(くろびかりにひかっているから、あんどんしきのでんとうでももちろんくらいかんじがする。)

黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。

(が、それをいっそうくらいしょくだいにあらためて、そのほのゆらゆらとまたたくかげにある)

が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆら/\とまたゝく蔭にある

(ぜんやわんをみつめていると、それらのぬりもののぬまのようなふかさとあつみとを)

膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを

(もったつやが、まったくいままでとはちがったみりょくをおびだしてくるのをはっけんする。)

持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。

(そしてわれわれのそせんがうるしというとりょうをみだし、それをぬったきぶつのしきたくに)

そしてわれ/\の祖先がうるしと云う塗料を見出し、それを塗った器物の色沢に

(あいちゃくをおぼえたことのぐうぜんでないのをしるのである。ゆうじんさばるわるくんのはなしに、)

愛着を覚えたことの偶然でないのを知るのである。友人サバルワル君の話に、

(いんどではげんざいでもしょっきにとうきをつかうことをいやしみ、おおくはぬりものを)

印度では現在でも食器に陶器を使うことを卑しみ、多くは塗り物を

(もちいるという。われわれはそのはんたいに、さじとか、ぎしきとかのばあいでなければ、)

用いると云う。われ/\はその反対に、茶事とか、儀式とかの場合でなければ、

(ぜんとすいものわんのそとはほとんどとうきばかりをもちい、しっきというと、やぼくさい、)

膳と吸い物椀の外は殆ど陶器ばかりを用い、漆器と云うと、野暮くさい、

など

(がみのないものにされてしまっているが、それはひとつには、さいこうやしょうめいのせつびが)

雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備が

(もたらした「あかるさ」のせいではないであろうか。じじつ、「やみ」をじょうけんに)

もたらした「明るさ」のせいではないであろうか。事実、「闇」を条件に

(いれなければしっきのうつくしさはかんがえられないといっていい。きょうではしろうるしと)

入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。今日では白漆と

(いうようなものもできたけれども、むかしからあるしっきのはだは、くろか、ちゃか、)

云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、

(あかであって、それはいくえもの「やみ」がたいせきしたいろであり、)

赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、

(しゅういをつつむあんこくのなかからひつぜんてきにうまれでたもののようにおもえる。)

周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。

(はでなまきえなどをほどこしたぴかぴかひかるろうぬりのてばことか、ぶんだいとか、)

派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、

(たなとかをみると、いかにもけばけばしくておちつきがなく、ぞくあくにさえ)

棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ

(おもえることがあるけれども、もしそれらのきぶつをとりかこむくうはくをまっくろなやみで)

思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で

(ぬりつぶし、たいようやでんとうのこうせんにかえるにいってんのとうみょうかろうそくのあかりにしてみたまえ)

塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭のあかりにして見給え

(たちまちそのけばけばしいものがそこふかくしずんで、しぶい、おもおもしいものに)

忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものに

(なるであろう。ふるえのこうげいかがそれらのうつわにうるしをぬり、まきえをえがくときは、)

なるであろう。古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、

(かならずそういうくらいへやをあたまにおき、とぼしいひかりのなかにおけるこうかを)

必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を

(ねらったのにちがいなく、きんいろをぜいたくにつかったりしたのも、それがやみにうかびでる)

狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る

(ぐあいや、とうかをはんしゃするかげんをこうりょしたものとさっせられる。)

工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。

(つまりきんまきえはあかるいところでいちどにぱっとそのぜんたいをみるものではなく、)

つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、

(くらいところでいろいろのぶぶんがときどきすこしずつそこびかりするのをみるように)

暗い所でいろ/\の部分がとき/″\少しずつ底光りするのを見るように

(できているのであって、ごうかけんらんなもようのたいはんをやみにかくしてしまっているのが、)

出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、

(いいしれぬよじょうをもよおすのである。そして、あのぴかぴかひかる)

云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る

(はだのつやも、くらいところにおいてみると、それがともしびのほのゆらめきをうつし、)

肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、

(しずかなへやにもおりおりかぜのおとずれのあることをおしえて、)

静かな部屋にもおり/\風のおとずれのあることを教えて、

(そぞろにひとをめいそうにさそいこむ。もしあのいんうつなしつないにしっきというものが)

そゞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものが

(なかったなら、ろうそくやとうみょうのかもしだすあやしいひかりのゆめのせかいが、)

なかったなら、蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、

(そのあかりのはためきがうっているよるのみゃくはくが、どんなにみりょくを)

その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を

(げんさいされることであろう。まことにそれは、たたみのうえにいくすじものおがわがながれ、)

減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、

(ちすいがたたえられているごとく、ひとつのとうえいをここかしこにとらえて、ほそく、)

池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、

(かそけく、ちらちらとつたえながら、よるそのものにまきえをしたようなあやを)

かそけく、ちら/\と伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を

(おりだす。けだししょっきとしてはとうきもわるくないけれども、とうきにはしっきのような)

織り出す。けだし食器としては陶器も悪くないけれども、陶器には漆器のような

(いんえいがなく、ふかみがない。とうきはてにふれるとおもくつめたく、しかもねつを)

陰翳がなく、深みがない。陶器は手に触れると重く冷たく、しかも熱を

(つたえることがはやいのであついものをさかるのにふべんであり、そのうえかちかちというおとが)

伝えることが早いので熱い物を盛るのに不便であり、その上カチカチと云う音が

(するが、しっきはてざわりがかるく、やわらかで、みみにつくほどのおとをたてない。)

するが、漆器は手ざわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。

(わたしは、すいものわんをてにもったときの、てのひらがうけるしるのおもみのかんかくと、)

私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、

(なまあたたかいぬくみとをなによりもこのむ。それはうまれたてのあかんぼうの)

生あたゝかい温味とを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊の

(ぷよぷよしたにくたいをささえたようなかんじでもある。すいものわんにいまもぬりものが)

ぷよ/\した肉体を支えたような感じでもある。吸い物椀に今も塗り物が

(もちいられるのはまったくりゆうのあることであって、とうきのいれものでは)

用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の容れ物では

(ああはいかない。だいいち、ふたをとったときに、とうきではなかにあるしるのみやいろあいが)

あゝは行かない。第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが

(みなみえてしまう。しっきのわんのいいことは、まずそのふたをとって、)

皆見えてしまう。漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、

(くちにもっていくまでのあいだ、くらいおくふかいそこのほうに、ようきのいろとほとんどちがわない)

口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない

(えきたいがおともなくよどんでいるのをながめたしゅんかんのきもちである。)

液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。

(ひとは、そのわんのなかのやみになにがあるかをみわけることはできないが、)

人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、

(しるがゆるやかにどうようするのをてのうえにかんじ、わんのふちがほんのりあせを)

汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を

(かいているので、そこからゆげがたちのぼりつつあることをしり、)

掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、

(そのゆげがはこぶにおいによってくちにふくむまえにぼんやりあじわいをよかくする。)

その湯気が運ぶ匂に依って口に啣む前にぼんやり味わいを豫覚する。

(そのしゅんかんのこころもち、すーぷをあさいしろちゃけたさらにいれてだすせいようりゅうにくらべて)

その瞬間の心持、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて

(なんというそういか。それはいっしゅのしんぴであり、ぜんみであるともいえなくはない。)

何と云う相違か。それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。

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