『朝のヨット』山川方夫1【完】
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問題文
(あさやけのようなきいろがかったあわいあかいろが、ひがしのそらをそめて、)
朝焼けのような黄色がかった淡い赤色が、東の空を染めて、
(まもなくそのひのさいしょのたいようのひかりが、はるかなかいめんを)
まもなくその日の最初の太陽の光が、はるかな海面を
(まるできんぞくのすずがかみのようにうすくのばされたように、かがやかせた。)
まるで金属のスズが紙のように薄く伸ばされたように、輝かせた。
(かいじょうはまだうすぐらく、そらとうみのさかいもはっきりしなかったが、)
海上はまだ薄暗く、空と海の境もはっきりしなかったが、
(とにかく、うみにはあさがきていた。)
とにかく、海には朝が来ていた。
(かもめがいちわ、そのよっとのじょうくうで、ゆるやかにつばさをじょうげしていた。)
カモメが一羽、そのヨットの上空で、ゆるやかに翼を上下していた。
(かもめは、まるでどこまでもはなれないけっしんをしたように、)
カモメは、まるでどこまでも離れない決心をしたように、
(そのよっとのほうこうとそくどをひとつにして、)
そのヨットの方向と速度を一つにして、
(あさぞらをうごくかなりのかぜのなかをとびつづけた。)
朝空を動くかなりの風の中を飛び続けた。
(「いってくるよ」しょうねんはすないぷがたのよっとにのり、)
「行ってくるよ」少年はスナイプ型のヨットに乗り、
(そのふねをつないでいるつなをほどきながら、しょうじょにこえをかけた。)
その船をつないでいる綱をほどきながら、少女に声をかけた。
(「ねえ、つれていって。わたしも」「だめだったら」)
「ねえ、連れて行って。私も」「だめだったら」
(しょうねんは、おこったようなこわいろだった。)
少年は、怒ったような声色だった。
(「うみは、ふたりでたのしくでかけるばしょじゃない。)
「海は、二人で楽しく出かける場所じゃない。
(にんげんが、ひとりきりでぶつかりにいくあいてなんだ」)
人間が、一人きりでぶつかりに行く相手なんだ」
(「わたしよりも、うみのほうがすきなの」)
「私よりも、海のほうが好きなの」
(しょうねんはいらだち、しんけいしつにまゆをよせた。)
少年はいらだち、神経質に眉を寄せた。
(「きみといっしょにいると、ぼくはときどきもうひとりのじぶんが、)
「君と一緒にいると、僕は時々もう一人の自分が、
(ひどくとおいところにおきざりにされているようなきぶんになる。)
ひどく遠い所に置き去りにされているような気分になる。
(ぼくは、そのもうひとりのじぶんをとりもどすためにうみへいくんだ。)
僕は、そのもう一人の自分を取り戻すために海へ行くんだ。
(うみは、にんげんをほんとうのひとりきりにしてくれるばしょだからね」)
海は、人間を本当の一人きりにしてくれる場所だからね」
(「どうしてひとりきりになりたがるの」「おんなにはわからないさ」)
「どうして一人きりになりたがるの」「女には分からないさ」
(しょうねんはきびしいかおでこたえ、ふいにしろいはをひからせてわらいかけた。)
少年は厳しい顔で答え、ふいに白い歯を光らせて笑いかけた。
(そして、いった。「きみがすきだよ」ふねは、すでにきしをはなれていた。)
そして、言った。「君が好きだよ」舟は、すでに岸を離れていた。
(しろいほをななめに、ぐんじょうのごごのうみをすべっていくよっとをみて、)
白い帆をななめに、群青の午後の海をすべって行くヨットを見て、
(しょうじょはめになみだがうかんできた。だが、しょうじょはえがおのままてをふりつづけた。)
少女は目に涙が浮かんできた。だが、少女は笑顔のまま手を振り続けた。
(きゅうそくにひろがるふたりのきょり、あかるいそのかいめんのひろさを、そのままとおざかる)
急速にひろがる二人の距離、明るいその海面の広さを、そのまま遠ざかる
(ほのはやさでかのじょのむねをさき、ひろがるひとつのきずぐちのようにかんじながら。)
帆の速さで彼女の胸を裂き、ひろがる一つの傷口のように感じながら。
(しょうねんは、そしてうみにきえた。)
少年は、そして海に消えた。
(えんがんやりとうのかくしょからのへんでんはすべて「とうちゃくなし」であった。)
沿岸や離島の各所からの返電は全て「到着ナシ」であった。
(きゅうへんしたてんこう、とっぷうとちいさなたつまきとが、そのりゆうをかたっていた。)
急変した天候、突風と小さな竜巻とが、その理由を語っていた。
(しょうじょはうみをみていた。しめっぽくはだにおもいそうちょうのしおかぜのなかを、)
少女は海を見ていた。しめっぽく肌に重い早朝の潮風の中を、
(いくそうかのよっとが、しょうねんのふねをもとめてはしっていた。)
幾艘かのヨットが、少年の舟を求めて走っていた。
(くろいうみは、やがてそのそこのあおみどりいろと、ひょうめんのなみだちとをあきらかにし、)
黒い海は、やがてその底の青緑色と、表面の波立ちとを明らかにし、
(ふねにちるしろいしぶきをぬい、ほのかにほそいにじのあしがめいめつした。)
舟に散る白いしぶきを縫い、ほのかに細い虹の脚が明滅した。
(きりのようにこまかいしぶきが、しょうじょのほおをぬらして、)
霧のように細かいしぶきが、少女の頬を濡らして、
(はんたいにすんだあさいいろのそらは、そのひのかいせいをやくそくしていた。)
反対に澄んだ浅い色の空は、その日の快晴を約束していた。
(うみはうそのようにかぜがやんで、すいめんがしずかになっていた。)
海は嘘のように風がやんで、水面が静かになっていた。
(「なぜなの。なぜ、ひとりきりになるために、いかなくちゃならなかったの」)
「なぜなの。なぜ、一人きりになるために、行かなくちゃならなかったの」
(しょうじょは、さくやからなんびゃっかいとなくくりかえしたことばを、またくちびるにうかべた。)
少女は、昨夜から何百回となく繰り返した言葉を、また唇に浮かべた。
(ふと、すなはまでしょうねんとやさしくさわりあったきおくがよみがえって、)
ふと、砂浜で少年と優しく触り合った記憶がよみがえって、
(あのよるもすなをたたきつけおこったようなかおで、)
あの夜も砂を叩きつけ怒ったような顔で、
(にげるようによるのうみにはしりこんだしょうねんをおもっていた。)
逃げるように夜の海に走りこんだ少年を想っていた。
(なぜなの。あのときもあなたはひっしに、ひとりきりにしがみつこうとしていた。)
なぜなの。あの時もあなたは必死に、一人きりにしがみつこうとしていた。
(まるで、わたしよりもじぶんのこどくをかくにんすることを、あいしているみたいに。)
まるで、私よりも自分の孤独を確認することを、愛しているみたいに。
(でも、どうしてなの。わたしたち、あいしあっていたのよ。)
でも、どうしてなの。私たち、愛し合っていたのよ。
(わたしのなかにあなたはいて、あなたのなかにわたしはいて、)
私の中にあなたはいて、あなたの中に私はいて、
(どうしても、どこへいっても「ひとりきり」になんかなれないのに。)
どうしても、どこへ行っても「一人きり」になんかなれないのに。
(それなのに、どうしてひとりきりになんてなりたがるの。)
それなのに、どうして一人きりになんてなりたがるの。
(わたしがきらいだったの。いいえ、そんなはずないわ。)
私が嫌いだったの。いいえ、そんなはずないわ。
(だって、あなたは「きみがすきだよ」って、いってくれたじゃない。)
だって、あなたは「君が好きだよ」って、言ってくれたじゃない。
(わきつづけるなみだのため、あかるくへいおんなしょかのあさのうみは、)
湧き続ける涙のため、明るく平穏な初夏の朝の海は、
(いつまでもしょうじょのしやでぼやけ、ゆれうごいた。)
いつまでも少女の視野でぼやけ、揺れ動いた。
(だが、そのうみこそが、いまはかのじょのなかのひとつのきょだいなきずぐちであり、)
だが、その海こそが、今は彼女の中の一つの巨大な傷口であり、
(そこにえいえんの、むげんのちんもくをみるしょうじょのめは、)
そこに永遠の、無限の沈黙を見る少女の目は、
(もはやただひとつのといかけしかなかった。かのじょはくりかえした。)
もはやただ一つの問いかけしかなかった。彼女は繰り返した。
(「ねえ、おしえて。あなたはなぜ、ひとりきりになりにいったの」)
「ねえ、教えて。あなたはなぜ、一人きりになりにいったの」
(かもめは、どこまでもそのしょうじょとよっとをおい、とびつづけた。)
カモメは、どこまでもその少女とヨットを追い、飛び続けた。
(うすらぎかかるきおくのなかで、かもめはしょうじょにじぶんがただ、)
薄らぎかかる記憶の中で、カモメは少女に自分がただ、
(じぶんだけのじゅうじつをおったおさないこいびとだったことをつげたかった。)
自分だけの充実を追った幼い恋人だったことを告げたかった。
(じぶんが、おくびょうなひとひとりのたびびとにふさわしい、)
自分が、臆病な人ひとりの旅人にふさわしい、
(このすがたでいることをつげたかった。)
この姿でいることを告げたかった。
(だが、いくらのどをふりしぼってかもめがどりょくしても、)
だが、いくらノドをふりしぼってカモメが努力しても、
(そのさけびは、ねこににたたんちょうななきごえにしかならなかった。)
その叫びは、猫に似た単調な鳴き声にしかならなかった。
(そして、いつのまにかかもめはじぶんがひしょうするいみをわすれ、)
そして、いつのまにかカモメは自分が飛翔する意味を忘れ、
(こどくなさわやかさも、あいすることのきょうふやくつじょくも、そのよろこびもわすれはてて、)
孤独な爽やかさも、愛することの恐怖や屈辱も、その喜びも忘れ果てて、
(ただしょうじょのよっとのうえ、ぜんしんをあらうとうめいなあさのかぜのなかで、)
ただ少女のヨットの上、全身を洗う透明な朝の風の中で、
(ねこのなきごえをくりかえして、むしんにそのゆるやかなつばさのよくようをつづけていた。)
猫の鳴き声を繰り返して、無心にそのゆるやかな翼の抑揚を続けていた。