谷崎潤一郎 痴人の愛 1

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね9お気に入り登録1
プレイ回数2920難易度(5.0) 7002打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました。
私のお気に入りです。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 ゆうりん 6271 S 6.4 97.2% 1114.9 7195 203 95 2024/11/13
2 布ちゃん 5495 B++ 5.8 93.7% 1186.3 6982 463 95 2024/11/12
3 ひま 5451 B++ 5.7 95.0% 1243.1 7151 374 95 2024/12/09
4 kei 4746 C++ 4.9 95.4% 1407.4 7014 334 95 2024/12/06
5 sada 2912 E+ 3.0 96.5% 2325.7 7021 248 95 2024/11/14

関連タイピング

問題文

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(わたしはこれから、あまりせけんにるいれいがないだろうとおもわれるわたしたちふうふのあいだがらに)

一 私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に

(ついて、できるだけしょうじきに、ざっくばらんに、ありのままのじじつをかいてみよう)

就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見よう

(とおもいます。それはわたしじしんにとってわすれがたないたっといきろくであるとどうじに、)

と思います。それは私自身に取って忘れがたない貴い記録であると同時に、

(おそらくはどくしゃしょくんにとっても、きっとなにかのさんこうしりょうとなるにちがいない。ことに)

恐らくは読者諸君に取っても、きっと何かの参考資料となるに違いない。殊に

(このころのようににほんもだんだんこくさいてきにかおがひろくなってきて、ないちじんとがいこくじん)

この頃のように日本もだんだん国際的に顔が広くなって来て、内地人と外国人

(とがさかんにこうさいする、いろんなしゅぎやらしそうやらがはいってくる、おとこはもちろんおんなも)

とが盛んに交際する、いろんな主義やら思想やらが這入って来る、男は勿論女も

(どしどしはいからになる、というようなじせいになってくると、いままではあまり)

どしどしハイカラになる、と云うような時勢になって来ると、今まではあまり

(るいれいのなかったわたしたちのごときふうふかんけいも、おいおいしょほうにしょうじるだろうと)

類例のなかった私たちの如き夫婦関係も、追い追い諸方に生じるだろうと

(おもわれますから。かんがえてみると、わたしたちふうふはすでにそのなりたちからかわって)

思われますから。考えて見ると、私たち夫婦は既にその成り立ちから変わって

(いました。わたしがはじめてげんざいのわたしのつまにあったのは、ちょうどあしかけはちねんまえのこと)

いました。私が始めて現在の私の妻に会ったのは、ちょうど足かけ八年前のこと

(になります。もっともなんがつのなんにちだったか、くわしいことはおぼえていませんが、)

になります。尤も何月の何日だったか、委しいことは覚えていませんが、

(とにかくそのじぶん、かのじょはあさくさのかみなりもんのちかくにあるかふええ・だいやもんどと)

とにかくその時分、彼女は浅草の雷門の近くにあるカフエエ・ダイヤモンドと

(いうみせの、きゅうじおんなをしていたのです。かのじょのとしはやっとかぞえどしのじゅうごでした。)

云う店の、給仕女をしていたのです。彼女の歳はやっと数え歳の十五でした。

(だからわたしがしったときはまだそのかふええへほうこうにきたばかりの、ほんのしんまい)

だから私が知った時はまだそのカフエエへ奉公に来たばかりの、ほんの新米

(だったので、いちにんまえのじょきゅうではなく、それのみならい、まあいってみれば、)

だったので、一人前の女給ではなく、それの見習い、まあ云って見れば、

(うえいとれすのたまごにすぎなかったのです。)

ウエイトレスの卵にすぎなかったのです。

(そんなこどもをもうそのときはにじゅうはちにもなっていたわたしがなんでめをつけたかと)

そんな子供をもうその時は二十八にもなっていた私が何で目をつけたかと

(いうと、それはじぶんでもはっきりとはわかりませんが、たぶんさいしょは、そのこの)

云うと、それは自分でもハッキリとは分かりませんが、多分最初は、その児の

(なまえがきにいったからなのでしょう。かのじょはみんなから「なおちゃん」とよばれて)

名前が気に入ったからなのでしょう。彼女はみんなから「直ちゃん」と呼ばれて

(いましたけれど、あるときわたしがきいてみると、ほんみょうはなおみというのでした。)

いましたけれど、或るとき私が聞いてみると、本名は奈緒美と云うのでした。

など

(この「なおみ」というなまえが、たいへんわたしのこうきしんにとうじました。「なおみ」は)

この「奈緒美」という名前が、たいへん私の好奇心に投じました。「奈緒美」は

(すてきだ、naomiとかくとまるでせいようじんのようだ、と、そうおもったのがはじまり)

素敵だ、NAOMIと書くとまるで西洋人のようだ、と、そう思ったのが始まり

(で、それからしだいにかのじょにちゅういしだしたのです。ふしぎなものでなまえがはいから)

で、それから次第に彼女に注意し出したのです。不思議なもので名前がハイカラ

(だとなると、かおだちなどもどこかせいようじんくさく、そうしてたいそうりこうそうにみえ、)

だとなると、顔だちなども何処か西洋人臭く、そうして大そう悧巧そうに見え、

(「こんなところのじょきゅうにしておくのはおしいもんだ」とかんがえるようになったのです。)

「こんな所の女給にして置くのは惜しいもんだ」と考えるようになったのです。

(じっさいなおみのかおだちは、(ことわっておきますが、わたしはこれからかのじょのなまえをかたかな)

実際ナオミの顔だちは、(断って置きますが、私はこれから彼女の名前を片仮名

(でかくことにします。どうもそうしないとかんじがでないのです)かつどうじょゆうの)

で書くことにします。どうもそうしないと感じが出ないのです)活動女優の

(めりー・ぴくふぉーどににたところがあって、たしかにせいようじんじみていました。)

メリー・ピクフォードに似たところがあって、たしかに西洋人じみていました。

(これはけっしてわたしのひいきめではありません。わたしのつまとなっているげんざいでもおおくの)

これは決して私のひいき眼ではありません。私の妻となっている現在でも多くの

(ひとがそういうのですから、じじつにちがいないのです。そしてかおだちばかりでなく、)

人がそう云うのですから、事実に違いないのです。そして顔だちばかりでなく、

(かのじょをすっぱだかにしてみると、そのからだつきがいっそうせいようじんくさいのですが、それはもちろん)

彼女を素っ裸にして見ると、その体つきが一層西洋人臭いのですが、それは勿論

(あとになってからわかったことで、そのじぶんにはわたしもそこまではしりませんでした。)

後になってから分ったことで、その時分には私もそこまでは知りませんでした。

(ただおぼろげに、きっとああいうすたいるならてあしのかっこうもわるくはなかろうと、)

ただおぼろげに、きっとああ云うスタイルなら手足の格好も悪くはなかろうと、

(きもののきこなしぐあいからそうぞうしていただけでした。)

着物の着こなし工合から想像していただけでした。

(いったいじゅうごろくのしょうじょのきもちというものは、にくしんのおやかしまいででもなければ、)

一体十五六の少女の気持ちと云うものは、肉親の親か姉妹ででもなければ、

(なかなかわかりにくいものです。だからかふええにいたころのなおみのせいしつがどんな)

なかなか分りにくいものです。だからカフエエにいた頃のナオミの性質がどんな

(だったかといわれると、どうもわたしにはめいりょうなこたえができません。おそらくなおみ)

だったかと云われると、どうも私には明瞭な答えが出来ません。恐らくナオミ

(じしんにしたって、あのころはただなにごともむちゅうですごしたというだけでしょう。が、)

自身にしたって、あの頃はただ何事も夢中で過したと云うだけでしょう。が、

(かおいろなどもすこしあおみをおびていて、たとえばこう、むしょくとうめいないたがらすをなんまいも)

顔色なども少し青みを帯びていて、譬えばこう、無色透明な板ガラスを何枚も

(かさねたような、ふかくしずんだいろあわせをしていて、けんこうそうではありませんでした。)

重ねたような、深く沈んだ色合をしていて、健康そうではありませんでした。

(これはひとつにはまだほうこうにきたてだったので、そとのじょきゅうのようにおしろいも)

これは一つにはまだ奉公に来たてだったので、外の女給のようにお白粉も

(つけず、おきゃくやほうばいにもなじみがうすく、すみのほうにちいさくなってだまって)

つけず、お客や朋輩にも馴染みがうすく、隅の方に小さくなって黙って

(ちょこちょこはたらいていたものだから、そんなふうにみえたのでしょう。そして)

チョコチョコ働いていたものだから、そんな風に見えたのでしょう。そして

(かのじょがりこうそうにかんぜられたのも、やっぱりそのせいだったかもしれません。)

彼女が悧巧そうに感ぜられたのも、やっぱりそのせいだったかも知れません。

(ここでわたしは、わたしじしんのけいれきをせつめいしておくひつようがありますが、わたしはとうじげっきゅう)

ここで私は、私自身の経歴を説明して置く必要がありますが、私は当時月給

(ひゃくごじゅうえんをもらっている、あるでんきがいしゃのぎしでした。わたしのうまれはとちぎけんの)

百五十円を貰っている、或る電気会社の技師でした。私の生れは栃木県の

(うつのみやみで、くにのちゅうがっこうをそつぎょうするととうきょうへきてくらまえのこうとうこうぎょうへはいり、)

宇都宮在で、国の中学校を卒業すると東京へ来て蔵前の高等工業へ這入り、

(そこをでてからまもなくぎしになったのです。そしてにちようをのぞくほかは、まいにち)

そこを出てから間もなく技師になったのです。そして日曜を除く外は、毎日

(しばくちのげしゅくやからおおいまちのかいしゃへかよっていました。)

芝口の下宿屋から大井町の会社へ通っていました。

(ひとりでげしゅくずまいをしていて、ひゃくごじゅうえんのげっきゅうをもらっていたのですから、わたしの)

一人で下宿住まいをしていて、百五十円の月給を貰っていたのですから、私の

(せいかつはかなりらくでした。それにわたしは、そうりょうむすこではありましたけれども、きょうりの)

生活は可成り楽でした。それに私は、総領息子ではありましたけれども、郷里の

(ほうのおややきょうだいへしおくりをするぎむはありませんでした。というのは、)

方の親やきょうだいへ仕送りをする義務はありませんでした。と云うのは、

(じっかはそうとうにおおきくのうぎょうをいとなんでいて、もうちちおやはいませんでしたが、としおいた)

実家は相当に大きく農業を営んでいて、もう父親は居ませんでしたが、年老いた

(ははおやと、ちゅうじつなおじふうふとが、ばんじをきりもりしていてくれたので、わたしはまったく)

母親と、忠実な叔父夫婦とが、万事を切り盛りしていてくれたので、私は全く

(じゆうなきょうがいにあったのです。が、さればといってどうらくをするのでも)

自由な境涯にあったのです。が、さればと云って道楽をするのでも

(ありませんでした。まずもはんてきなさらりー・まん、しっそで、まじめで、)

ありませんでした。先ず模範的なサラリー・マン、質素で、真面目で、

(あんまりきょくがなさすぎるほどぼんようで、なにのふへいもふまんもなくひびのしごとをつとめて)

あんまり曲がなさ過ぎるほど凡庸で、何の不平も不満もなく日々の仕事を勤めて

(いる、とうじのわたしはおおかたそんなふうだったでしょう。「かわいじょうじくん」といえば)

いる、当時の私は大方そんな風だったでしょう。「河合譲治君」と云えば

(かいしゃのなかでも「くんし」というひょうばんがあったくらいですから。)

会社の中でも「君子」という評判があったくらいですから。

(それでわたしのごらくといったら、ゆうがたからかつどうしゃしんをみにいくとか、ぎんざどおりをさんぽ)

それで私の娯楽と云ったら、夕方から活動写真を見に行くとか、銀座通りを散歩

(するとか、たまたまふんぱつしてていげきへでかけるとか、せいぜいそんなものだったの)

するとか、たまたま奮発して帝劇へ出かけるとか、せいぜいそんなものだったの

(です。もっともわたしもけっこんまえのせいねんでしたから、わかいじょせいにせっしょくすることはむろんきらい)

です。尤も私も結婚前の青年でしたから、若い女性に接触することは無論嫌い

(ではありませんでした。がんらいがいなかそだちのぶこつものなので、ひとづきあいがまずく、)

ではありませんでした。元来が田舎育ちの無骨者なので、人づきあいが拙く、

(したがって、いせいとのこうさいなどはひとつもなく、まあそのために「くんし」にさせられた)

従って、異性との交際などは一つもなく、まあそのために「君子」にさせられた

(かたちだったでもありましょうが、しかしひょうめんがくんしであるだけ、こころのなかはなかなか)

形だったでもありましょうが、しかし表面が君子であるだけ、心の中はなかなか

(ゆだんなく、おうらいをあるくときでもまいあさでんしゃにのるときでも、おんなにたいしてはたえずちゅういを)

油断なく、往来を歩く時でも毎朝電車に乗る時でも、女に対しては絶えず注意を

(くばっていました。あたかもそういうじきにおいて、たまたまなおみというものが)

配っていました。あたかもそう云う時期に於いて、たまたまナオミと云う者が

(わたしのめのまえにあらわれてきたのです。)

私の眼の前に現れて来たのです。

(けれどわたしは、そのとうじ、なおみいじょうのびじんはないときめていたわけではけっして)

けれど私は、その当時、ナオミ以上の美人はないときめていた訳では決して

(ありません。でんしゃのなかや、ていげきのろうかや、ぎんざどおりや、そういうばしょですれちがう)

ありません。電車の中や、帝劇の廊下や、銀座通りや、そう云う場所で擦れ違う

(れいじょうのうちには、いうまでもなくなおみいじょうにうつくしいひとがたくさんあった。なおみの)

令嬢のうちには、云うまでもなくナオミ以上に美しい人が沢山あった。ナオミの

(きりょうがよくなるかどうかはしょうらいのもんだいで、じゅうごやそこらのこむすめではこれからさきが)

器量がよくなるかどうかは将来の問題で、十五やそこらの小娘ではこれから先が

(たのしみでもあり、しんぱいでもあった。ですからさいしょのわたしのけいかくは、とにかくこのこ)

楽しみでもあり、心配でもあった。ですから最初の私の計画は、とにかくこの児

(をひきとってせわをしてやろう。そしてのぞみがありそうなら、おおいにきょういくして)

を引き取って世話をしてやろう。そして望みがありそうなら、大いに教育して

(やって、じぶんのつまにもらいうけてもさしつかえない。と、いうくらいなていど)

やって、自分の妻に貰い受けても差し支えない。と、云うくらいな程度

(だったのです。これはいちめんからいうと、かのじょにどうじょうしたけっかなのですが、ほかの)

だったのです。これは一面から云うと、彼女に同情した結果なのですが、他の

(いちめんにはわたしじしんのあまりにへいぼんな、あまりにたんちょうなそのひぐらしに、たしょうのへんか)

一面には私自身のあまりに平凡な、あまりに単調なその日暮らしに、多少の変化

(をあたえてみたかったからでもあるのです。しょうじきのところ、わたしはながねんのげしゅくずまいに)

を与えて見たかったからでもあるのです。正直のところ、私は長年の下宿住居に

(あきていたので、なんとかして、このさっぷうけいなせいかつにいってんのしきさいをそえ、あたたかみを)

飽きていたので、何とかして、この殺風景な生活に一点の色彩を添え、温かみを

(くわえてみたいとおもっていました。それにはたといちいさくともことりのかごをつるす)

加えて見たいと思っていました。それにはたとい小さくとも小鳥のかごを吊るす

(とかして、だいどころのようじや、ふきそうじをさせるためにじょちゅうのひとりもおいたら)

とかして、台所の用事や、拭き掃除をさせるために女中の一人も置いたら

(どうだろう。そしてなおみがきてくれたらば、かのじょはじょちゅうのやくもしてくれ、)

どうだろう。そしてナオミが来てくれたらば、彼女は女中の役もしてくれ、

(ことりのかわりにもなってくれよう。と、だいたいそんなかんがえでした。)

小鳥の代りにもなってくれよう。と、大体そんな考でした。

(そのくらいなら、なぜそうとうなところからよめをむかえて、せいしきなかていをつくろうと)

そのくらいなら、なぜ相当な所から嫁を迎えて、正式な家庭を作ろうと

(しなかったのか?というと、ようするにわたしはまだけっこんをするだけのゆうきが)

しなかったのか?と云うと、要するに私はまだ結婚をするだけの勇気が

(なかったのでした。これについてはすこしくわしくはなさなければなりませんが、いったい)

なかったのでした。これに就いては少し委しく話さなければなりませんが、一体

(わたしはじょうしきてきなにんげんで、とっぴなことはきらいなほうだし、しかしふしぎに、けっこんに)

私は常識的な人間で、突飛なことは嫌いな方だし、しかし不思議に、結婚に

(たいしてはかなりすすんだ、はいからないけんをもっていました。「けっこん」というと)

対しては可なり進んだ、ハイカラな意見を持っていました。「結婚」と云うと

(せけんのひとはだいそうことをかたぐるしく、ぎしきばらせるけいこうがある。まずだいいちにはしわたしと)

世間の人は大そう事を堅苦しく、儀式張らせる傾向がある。先ず第一に橋渡しと

(いうものがあって、それとなくそうほうのかんがえをあたってみる。つぎには「みあい」と)

云うものがあって、それとなく双方の考をあたって見る。次には「見合い」と

(いうことをする。さてそのうえでそうほうにふふくがなければあらためてなこうどをたて、ゆいのうを)

いう事をする。さてその上で双方に不服がなければ改めて媒人を立て、結納を

(とりかわし、ごかとか、ななかとか、じゅうさんかとか、はなよめのにもつをこんかへはこぶ。)

取り交し、五荷とか、七荷とか、十三荷とか、花嫁の荷物を婚家へ運ぶ。

(それからこしいれ、しんこんりょこう、さとがえり、・・・・・・・・・とずいぶんめんどうなてつづきをふみますが、)

それから輿入れ、新婚旅行、里帰り、………と随分面倒な手続きを踏みますが、

(そういうことがどうもわたしはきらいでした。けっこんするならもっとかんたんな、じゆうなけいしき)

そう云うことがどうも私は嫌いでした。結婚するならもっと簡単な、自由な形式

(でしたいものだとかんがえていました。)

でしたいものだと考えていました。

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