『寒い日のこと』小川未明1【完】

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時期外れのトンボは、山茶花や少女に出会うが、時間は待ってくれず…
※分かりやすくする為、表記等を一部改変しております

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問題文

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(それは、もうふゆにちかい、あさのことでした。)

それは、もう冬に近い、朝のことでした。

(いっぴきのとんぼは、つめたいちじょうにおちて、じっとしていました。)

一匹のトンボは、冷たい地上に落ちて、ジッとしていました。

(りょうほうのはねはよつゆにぬれて、しっとりとしており、)

両方の羽は夜露にぬれて、しっとりとしており、

(もはやとんぼには、とびたつほどのげんきがなかったのです。)

もはやトンボには、飛び立つほどの元気がなかったのです。

(きのうのゆうがた、かれは、このさざんかのところへとんできました。)

昨日の夕方、彼は、このサザンカの所へ飛んで来ました。

(さびしくなったはたけのほうからゆうひのひかりをみにうけ、やってきて、)

さびしくなった畑の方から夕日の光を身に受け、やって来て、

(このうつくしくあかいはなをみたとき、とんぼは、どんなによろこんだでありましょう。)

この美しく赤い花を見た時、トンボは、どんなに喜んだでありましょう。

(「まだ、こんなにうつくしいはながさいているではないか。)

「まだ、こんなに美しい花が咲いているではないか。

(そうかなしむこともない」とおもったのでした。)

そう悲しむこともない」と思ったのでした。

(かれはさざんかのはのうえにとまりました。)

彼はサザンカの葉の上に止まりました。

(そこにも、あたたかなゆうひのひかりが、あかあかとてっていました。)

そこにも、あたたかな夕日の光が、赤々と照っていました。

(「このごろ、あなたたちのすがたをみませんが、あなたは、おひとりですか」と、)

「この頃、あなたたちの姿を見ませんが、あなたは、おひとりですか」と、

(さざんかはとんぼにむかって、たずねました。)

サザンカはトンボに向かって、たずねました。

(「みんな、もういってしまったのです」と、かれはこたえたが、)

「みんな、もういってしまったのです」と、彼は答えたが、

(さすがに、そのようすはさびしそうでした。)

さすがに、その様子は寂しそうでした。

(ほんとうに、いつのまに、こんなにさびしくなったのだろう。)

本当に、いつのまに、こんなに寂しくなったのだろう。

(ついこのあいだまで、やかましいくらいないていたせみもいなくなれば、)

ついこのあいだまで、やかましいくらい鳴いていたセミもいなくなれば、

(またとんぼのかげもみえなくなった。)

またトンボの影も見えなくなった。

(「あなたは、どうして、ひとりのこったのですか」と、)

「あなたは、どうして、ひとり残ったのですか」と、

(さざんかは、けっしてわるいつもりはなく、おもったままをたずねました。)

サザンカは、決して悪いつもりはなく、思ったままをたずねました。

など

(「わたしは、まだゆきたくないのです。もっとあそんでいたいのです。)

「私は、まだゆきたくないのです。もっと遊んでいたいのです。

(こうして、うつくしいはながさいているのですもの」と、とんぼはこたえました。)

こうして、美しい花が咲いているのですもの」と、トンボは答えました。

(さざんかは、ゆうひにあかいはなびらをひらひらさせながら、)

サザンカは、夕日に赤い花びらをヒラヒラさせながら、

(「はなといいましても、わたしはふゆにかけてさくはななんですよ。)

「花といいましても、私は冬にかけて咲く花なんですよ。

(あなたのおともだちは、わたしのすがたをみないものがたいはんだとおもいます」といいました。)

あなたのお友達は、私の姿を見ないものが大半だと思います」と言いました。

(とんぼとさざんかは、それからせけんばなしをしているうちに、ひはくれました。)

トンボとサザンカは、それから世間話をしているうちに、日は暮れました。

(やみのなかなので、はなはとんぼをみることができません。)

闇の中なので、花はトンボを見ることができません。

(くわえて、そのばんは、ぜんじつよりもさらにつめたかったのです。)

加えて、その晩は、前日よりもさらに冷たかったのです。

(よくじつ、さざんかはあたりがあかるくなったときに、)

翌日、サザンカは辺りが明るくなった時に、

(とんぼのとまっていたあたりをみますと、そこにはちいさなかげがみえません。)

トンボの止まっていた辺りを見ますと、そこには小さな影が見えません。

(「どうしたのだろう」と、はなはおもったのでした。)

「どうしたのだろう」と、花は思ったのでした。

(うすくしめった、じめんにおちたとんぼは、もうはなしかけることすらできず、)

薄く湿った、地面に落ちたトンボは、もう話しかけることすら出来ず、

(そのみをうんめいにまかせるより、ほかならなかったのでした。)

その身を運命に任せるより、ほかならなかったのでした。

(やがて、ありが、それをみつけたら、)

やがて、アリが、それを見つけたら、

(じぶんたちのすのほうへ、ひいてゆくでしょう。)

自分たちの巣の方へ、引いてゆくでしょう。

(そんなときに、おじょうさんはまどからさざんかをみるのをやめて、)

そんな時に、お嬢さんは窓からサザンカを見るのをやめて、

(げたをはいて、にわへでてきて、きのしたにたったのです。)

下駄をはいて、庭へ出てきて、木の下に立ったのです。

(「ひあたりがいいから、まあ、よくさいたこと」といって、)

「日当たりがいいから、まあ、よく咲いたこと」と言って、

(さざんかをゆびさきでつついていましたが、ふとあしもとをみると、)

サザンカを指先でつついていましたが、ふと足元を見ると、

(そこに、とんぼがおちているのにきづくと、)

そこに、トンボが落ちているのに気づくと、

(「まあ、かわいそうに」といって、おじょうさんはひろいあげました。)

「まあ、かわいそうに」と言って、お嬢さんは拾い上げました。

(「きっと、さくや、さむかったので、とべなくなったのだわ」)

「きっと、昨夜、寒かったので、飛べなくなったのだわ」

(かのじょは、どうにかしてとんぼをげんきづけて、とばしてやりたいとおもいました。)

彼女は、どうにかしてトンボを元気づけて、飛ばしてやりたいと思いました。

(もし、じぶんのちからで、それができたら、どんなにうれしいだろうとおもいました。)

もし、自分の力で、それが出来たら、どんなに嬉しいだろうと思いました。

(「たいようがでて、あたたかくなって、)

「太陽が出て、あたたかくなって、

(ちからがつきさえすればとべるわ」と、おじょうさんはいいました。)

力がつきさえすれば飛べるわ」と、お嬢さんは言いました。

(そして、とんぼも、どんなにとべることをねがったでありましょう。)

そして、トンボも、どんなに飛べることを願ったでありましょう。

(おじょうさんは、さむさによりとべなくなったとんぼを、くちびるのところへもってきて、)

お嬢さんは、寒さにより飛べなくなったトンボを、唇の所へ持ってきて、

(あたたかないきをなんども、なんどもかけてやりました。)

温かな息を何度も、何度もかけてやりました。

(とんぼは、からだがあたたまると、げんきづきました。)

トンボは、体が温まると、元気づきました。

(「さあ、とんでおゆき」おじょうさんはさいごに、もういちど、)

「さあ、飛んでおゆき」 お嬢さんは最後に、もう一度、

(あたたかいいきをふきかけてやりました。)

温かい息を吹きかけてやりました。

(とんぼは、かのじょのてのなかで、つよくはばたき、)

トンボは、彼女の手の中で、強くはばたき、

(つういと、ふいにおおぞらをめがけてとびたちました。)

ツウイと、ふいに大空を目がけて飛び立ちました。

(もはや、そらには、たいようのひかりとねつがみなぎっていました。)

もはや、空には、太陽の光と熱がみなぎっていました。

(とんぼは、ちょうどきのう、くったくもしらずにあそんでいたように、)

トンボは、ちょうど昨日、屈託も知らずに遊んでいたように、

(はたけへおりると、そこで、ぼんやりと、またいちにちをすごしたのでした。)

畑へ降りると、そこで、ぼんやりと、また一日を過ごしたのでした。

(とんぼにとっては、このいちにちはながかったのであります。)

トンボにとっては、この一日は長かったのであります。

(しかし、そのひもいつしかくれかかったのでした。)

しかし、その日もいつしか暮れかかったのでした。

(かれが、どこをみても、ともだちのかげはみえません。)

彼が、どこを見ても、友達の影は見えません。

(それをひじょうにさびしくおもいました。)

それを非常に寂しく思いました。

(さくやよりも、もっとつめたくてつよいかぜが、)

昨夜よりも、もっと冷たくて強い風が、

(どんよりとくもったそらのしたに、ふいていました。)

どんよりと曇った空の下に、吹いていました。

(とんぼは、しっかりぼうのさきにとまって、)

トンボは、しっかり棒の先に止まって、

(かぜにふきたおされないようにしていました。)

風に吹き倒されないようにしていました。

(このとき、かぜはとんぼにむかって、)

この時、風はトンボに向かって、

(「はやく、あなたも、おともだちのいるところへ、おゆきなさい。)

「早く、あなたも、お友達のいる所へ、おゆきなさい。

(わたしがつれていってあげましょう」と、とんぼのみみにささやいたのでした。)

私が連れていってあげましょう」と、トンボの耳にささやいたのでした。

(とんぼは、あらしのことばにふるえて、だまっていました。)

トンボは、嵐の言葉に震えて、黙っていました。

(そのばん、とんぼのちいさなたましいは、あおい、あおいそらを、)

その晩、トンボの小さな魂は、青い、青い空を、

(うえへ、うえへとかけていきました。)

上へ、上へと駆けていきました。

(えんぽうの、きよらかにかがやいているほしのせかいへと、たびだったのです。)

遠方の、清らかに輝いている星の世界へと、旅立ったのです。

(ほしのひかりは、それをむかえるように、にこにことわらっていました。)

星の光は、それを迎えるように、ニコニコと笑っていました。

(そして、うるんだうつくしいめで、じっとげかいをみおろしながら、)

そして、うるんだ美しい目で、ジッと下界を見下ろしながら、

(「らいねんのなつまで、ここで、ゆっくりやすむがいい。)

「来年の夏まで、ここで、ゆっくり休むがいい。

(そしてまたらいねんになったら、そちらへたびだつがいい」といったのでした。)

そしてまた来年になったら、そちらへ旅立つがいい」と言ったのでした。

(そんなこともしらず、おじょうさんは、こがらしのふくばんに、)

そんなことも知らず、お嬢さんは、木枯らしの吹く晩に、

(まどのところで、ぴあのをひいていました。すとーぶのそばには、)

窓の所で、ピアノを弾いていました。ストーブのそばには、

(つちをやぶったばかりのひやしんすのはちうえが、おいてありました。)

土を破ったばかりのヒヤシンスの鉢植えが、置いてありました。

(このくさが、すがすがしいそらいろのはなになるときには、はるなのでした。)

この草が、すがすがしい空色の花になる時には、春なのでした。

(ふゆとはるがとなりあわせになって、もうまぢかにきていました。)

冬と春が隣り合わせになって、もう間近に来ていました。

(つきひのながれは、このようにはやかったのでした。)

月日の流れは、このように速かったのでした。

(おじょうさんは、むしんでぴあのをひいていましたが、ふとてをやすめて、)

お嬢さんは、無心でピアノを弾いていましたが、ふと手を休めて、

(そとをながめてみますと、くものきれたそらに、)

外をながめてみますと、雲の切れた空に、

(ぴかぴかとひかるほしが、はのおちつくしたはやしのちょうじょうにみえました。)

ピカピカと光る星が、葉の落ちつくした林の頂上に見えました。

(そして、にわにさいたさざんかが、がらすまどをとおして、)

そして、庭に咲いたサザンカが、ガラス窓をとおして、

(へやからさすあかりに、ほんのりとしろくういていました。)

部屋から射す明かりに、ほんのりと白く浮いていました。

(「そうそう、けさ、ひろって、にがしてやったとんぼは、)

「そうそう、今朝、拾って、逃がしてやったトンボは、

(こんやもさむいが、どうしたでしょう」と、おじょうさんはおもいました。)

今夜も寒いが、どうしたでしょう」と、お嬢さんは思いました。

(このじきには、にしからひがしへとんであるいた、とんぼのはねはひつようない。)

この時期には、西から東へ飛んで歩いた、トンボの羽は必要ない。

(それをあらしは、おもしろそうに、もてあそんでいたのです。)

それを嵐は、面白そうに、もてあそんでいたのです。

(そのうちに、あらしはだんだんはげしさをましていきました。)

そのうちに、嵐は段々激しさを増していきました。

(しまいには、とんぼのはねをまきあげて、)

しまいには、トンボの羽をまき上げて、

(くうちゅうを、おちばといっしょにふきとばしたのでした。)

空中を、落ち葉と一緒に吹き飛ばしたのでした。

(おじょうさんは、ふとまどのそとに、ちらっとひかるものをみつけました。)

お嬢さんは、ふと窓の外に、チラッと光るものを見つけました。

(なんだろうとおもってみたときには、もうやみのなかにきえてしまいましたが、)

なんだろうと思って見た時には、もう闇の中に消えてしまいましたが、

(それは、とんぼのはねだったのです。)

それは、トンボの羽だったのです。

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