谷崎潤一郎 痴人の愛 8

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数826難易度(4.5) 6258打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 やまちやまちゃん 4652 C++ 4.7 98.0% 1307.7 6205 121 100 2024/04/27
2 水原一平 3545 D+ 3.8 92.5% 1605.9 6191 497 100 2024/03/29
3 i 3333 D 3.5 94.9% 1784.8 6286 336 100 2024/03/21

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問題文

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(といいながら、わたしはかいすいふくのはしをつまんで、おおきなものをふくろのなかへつめるように、)

と云いながら、私は海水服の端を摘まんで、大きな物を袋の中へ詰めるように、

(むりにそのかたをおしこんでやるのがつねでした。)

無理にその肩を押し込んでやるのが常でした。

(こういうたいかくをもっていたかのじょが、うんどうずきで、おてんばだったのはあたりまえだと)

こう云う体格を持っていた彼女が、運動好きで、お転婆だったのは当り前だと

(いわなければなりません。じっさいなおみはてあしをつかってやることならなにごとによらず)

云わなければなりません。実際ナオミは手足を使ってやることなら何事に依らず

(きようでした。すいえいなどはかまくらのみっかをかわきりにして、あとはおおもりのかいがんで)

器用でした。水泳などは鎌倉の三日を皮切りにして、あとは大森の海岸で

(いっしょうけんめいにならって、そのなつじゅうにとうとうものにしてしまい、ぼーとをこいだり、)

一生懸命に習って、その夏中にとうとう物にしてしまい、ボートを漕いだり、

(よっとをあやつったり、いろんなことができるようになりました。そしていちにち)

ヨットを操ったり、いろんな事が出来るようになりました。そして一日

(あそびぬいて、ひがくれるとがっかりつかれて「ああ、くたびれた」といいながら、)

遊び抜いて、日が暮れるとガッカリ疲れて「ああ、くたびれた」と云いながら、

(びっしょりぬれたかいすいぎをもってかえってくる。)

ビッショリ濡れた海水着を持って帰って来る。

(「あーあ、おなかがへっちゃった」)

「あーあ、お腹が減っちゃった」

(と、ぐったりいすにからだをなげだす。どうかすると、ばんめしをたくのがめんどうなので、)

と、ぐったり椅子に体を投げ出す。どうかすると、晩飯を炊くのが面倒なので、

(かえりみちにようしょくやへよって、まるでふたりがきょうそうのようにたらふくものを)

帰り路に洋食屋へ寄って、まるで二人が競争のようにたらふく物を

(たべっくらする。びふてきのあとでまたびふてきと、びふてきのすきなかのじょは)

たべッくらする。ビフテキのあとで又ビフテキと、ビフテキの好きな彼女は

(わけなくぺろりとさんさらぐらいおかわりをするのでした。)

訳なくペロリと三皿ぐらいお代りをするのでした。

(あのとしのなつの、たのしかったおもいでをかきしるしたらさいげんがありませんから)

あの歳の夏の、楽しかった思い出を書き記したら際限がありませんから

(このくらいにしておきますが、さいごにひとつかきもらしてならないのは、そのじぶん)

このくらいにして置きますが、最後に一つ書き洩らしてならないのは、その時分

(からわたしがかのじょをおゆへいれて、てだのあしだのせなかだのをごむのすぽんじで)

から私が彼女をお湯へ入れて、手だの足だの背中だのをゴムのスポンジで

(あらってやるしゅうかんがついたことです。これはなおみがねむがったりしてせんとうへ)

洗ってやる習慣がついたことです。これはナオミが睡がったりして銭湯へ

(いくのをたいぎがったものですから、うみのしおみずをあらいおとすのにだいどころでみずを)

行くのを大儀がったものですから、海の潮水を洗い落すのに台所で水を

(あびたり、ぎょうずいをつかったりしたのがはじまりでした。)

浴びたり、行水を使ったりしたのが始まりでした。

など

(「さあ、なおみちゃん、そのまんまねちまっちゃからだがべたべたしてしようが)

「さあ、ナオミちゃん、そのまんま寝ちまっちゃ身体がべたべたして仕様が

(ないよ。あらってやるからこのたらいのなかへおはいり」)

ないよ。洗ってやるからこの盥の中へお這入り」

(と、そういうと、かのじょはいわれるがままになっておとなしくわたしにあらわせていました)

と、そう云うと、彼女は云われるがままになって大人しく私に洗わせていました

(それがだんだんくせになって、すずしいあきのきせつがきてもぎょうずいはやまず、もう)

それがだんだん癖になって、すずしい秋の季節が来ても行水は止まず、もう

(しまいにはあとりえのすみにせいようぶろや、ばす・まっとをすえて、そのまわりを)

しまいにはアトリエの隅に西洋風呂や、バス・マットを据えて、その周りを

(ついたてでかこって、ずっとふゆじゅうあらってやるようになったのです。)

衝立で囲って、ずっと冬中洗ってやるようになったのです。

(さっしのいいどくしゃのうちには、すでにぜんかいのはなしのあいだに、わたしとなおみがともだちいじょうの)

五 察しのいい読者のうちには、既に前回の話の間に、私とナオミが友達以上の

(かんけいをむすんだかのようにそうぞうするひとがあるでしょう。が、じじつそうではなかった)

関係を結んだかのように想像する人があるでしょう。が、事実そうではなかった

(のです。それはなるほどつきひのたつにしたがって、おたがいのむねのなかにいっしゅの「りょうかい」と)

のです。それはなるほど月日の立つに随って、お互の胸の中に一種の「了解」と

(いうようなものができていたことはありましょう。けれどもいっぽうはまだじゅうごさいの)

云うようなものが出来ていたことはありましょう。けれども一方はまだ十五歳の

(しょうじょであり、わたしはまえにもいうようにおんなにかけてけいけんのないきんちょくな「くんし」で)

少女であり、私は前にも云うように女にかけて経験のない謹直な「君子」で

(あったばかりでなく、かのじょのていそうにかんしてはせきにんをかんじていたのですから、)

あったばかりでなく、彼女の貞操に関しては責任を感じていたのですから、

(めったにいちじのしょうどうにかられてその「りょうかい」のはんいをこえるようなことは)

めったに一時の衝動に駆られてその「了解」の範囲を超えるようなことは

(しなかったのです。もちろんわたしのこころのなかには、なおみをおいてじぶんのつまにするような)

しなかったのです。勿論私の心の中には、ナオミを措いて自分の妻にするような

(おんなはいない、あったところでいまさらじょうとしてかのじょをすてるわけにはいかないという)

女はいない、あったところで今更情として彼女を捨てる訳には行かないという

(かんがえが、しだいにしっかりとねをはってきていました。で、それだけになお、かのじょを)

考が、次第にしっかりと根を張って来ていました。で、それだけに猶、彼女を

(けがすようなしかたで、あるいはもてあそぶようなたいどで、さいしょにそのことにふれたくないと)

汚すような仕方で、或は弄ぶような態度で、最初にその事に触れたくないと

(おもっていました。)

思っていました。

(さよう、わたしとなおみがはじめてそういうかんけいになったのはそのあくるとし、なおみが)

左様、私とナオミが始めてそう云う関係になったのはその明くる年、ナオミが

(とってじゅうろくさいのとしのはる、しがつのにじゅうろくにちでした。と、そうはっきりと)

取って十六歳の年の春、四月の二十六日でした。と、そうハッキリと

(おぼえているのは、じつはそのじぶん、いやずっとそのいぜん、あのぎょうずいをつかいだしたころ)

覚えているのは、実はその時分、いやずっとその以前、あの行水を使い出した頃

(から、わたしはまいにちなおみについていろいろきょうみをかんじたことをにっきにつけておいた)

から、私は毎日ナオミに就いていろいろ興味を感じたことを日記に附けて置いた

(からです。まったくあのころのなおみは、そのからだつきがいちにちいちにちとおんならしく、きわだって)

からです。全くあの頃のナオミは、その体つきが一日々々と女らしく、際立って

(そだっていきましたから、ちょうどあかごをうんだおやが「はじめてわらう」とか)

育って行きましたから、ちょうど赤子を産んだ親が「始めて笑う」とか

(「はじめてくちをきく」とかいうふうに、そのこどものおいたちのさまをかきとめて)

「始めて口をきく」とか云う風に、その子供の生い立のさまを書き留めて

(おくのとおなじようなこころもちで、わたしはいちいちじぶんのちゅういをひいたことがらをにっきにしるしたの)

置くのと同じような心持で、私は一々自分の注意を惹いた事柄を日記に誌したの

(でした。わたしはいまでもときどきそれをくってみることがありますが、たいしょうぼうねんくがつ)

でした。私は今でもときどきそれを繰って見ることがありますが、大正某年九月

(にじゅういちにちすなわちなおみがじゅうごさいのあき、のくだりにはこうかいてあります。)

二十一日即ちナオミが十五歳の秋、の条にはこう書いてあります。

(「よるのはちじにぎょうずいをつかわせる。かいすいよくでひにやけたのがまだなおらない。ちょうど)

「夜の八時に行水を使わせる。海水浴で日に焼けたのがまだ直らない。ちょうど

(かいすいぎをきていたところだけがしろくて、あとがまっくろで、わたしもそうだがなおみは)

海水着を着ていたところだけが白くて、あとが真っ黒で、私もそうだがナオミは

(きじがしろいから、よけいかっきりとめについて、はだかでいてもかいすいぎをきている)

生地が白いから、余計カッキリと眼について、裸でいても海水着を着ている

(ようだ。おまえのからだはしまうまのようだといったら、なおみはおかしがってわらった。」)

ようだ。お前の体は縞馬のようだといったら、ナオミは可笑しがって笑った。」

(それからひとつきばかりたって、じゅうがつじゅうしちにちのくだりには、)

それから一と月ばかり立って、十月十七日の条には、

(「ひにやけたりかわがはげたりしていたのがだんだんなおったとおもったら、かえって)

「日に焼けたり皮が剥げたりしていたのがだんだん直ったと思ったら、却って

(まえよりつやつやしいひじょうにうつくしいはだになった。わたしがうでをあらってやったら、)

前よりつやつやしい非常に美しい肌になった。私が腕を洗ってやったら、

(なおみはだまって、はだのうえをとけてながれていくしゃぼんのあわをみつめていた。)

ナオミは黙って、肌の上を溶けて流れて行くシャボンの泡を見つめていた。

(「きれいだね」とわたしがいったら、「ほんとにきれいね」とかのじょはいって、)

『綺麗だね』と私が云ったら、『ほんとに綺麗ね』と彼女は云って、

(「しゃぼんのあわがよ」とつけくわえた。・・・・・・・・・」)

『シャボンの泡がよ』と附け加えた。・・・・・・・・・」

(つぎにじゅういちがつのいつか)

次に十一月の五日

(「こんやはじめてせいようぶろをつかってみる。なれないのでなおみはつるつるゆのなかで)

「今夜始めて西洋風呂を使って見る。馴れないのでナオミはつるつる湯の中で

(すべってきゃっきゃっとわらった。「おおきなべびーさん」とわたしがいったら、わたしのことを)

滑ってきゃっきゃっと笑った。『大きなベビーさん』と私が云ったら、私の事を

(「ぱぱさん」とかのじょがいった。・・・・・・・・・」)

『パパさん』と彼女が云った。・・・・・・・・・」

(そうです、この「べびーさん」と「ぱぱさん」とはそれからあともしばしばでました。)

そうです、この「ベビーさん」と「パパさん」とはそれから後も屡々出ました。

(なおみがなにかをねだったり、だだをこねたりするときは、いつもふざけてわたしを)

ナオミが何かをねだったり、だだを捏ねたりする時は、いつもふざけて私を

(「ぱぱさん」とよんだものです。)

「パパさん」と呼んだものです。

(「なおみのせいちょう」と、そのにっきにはそういうひょうだいがついていました。)

「ナオミの成長」と、その日記にはそう云う標題が附いていました。

(ですからそれはいうまでもなく、なおみにかんしたことがらばかりをしるしたもので、)

ですからそれは云うまでもなく、ナオミに関した事柄ばかりを記したもので、

(やがてわたしはしゃしんきをかい、いよいよめりー・ぴくふぉーどににてくるかのじょのかおを)

やがて私は写真機を買い、いよいよメリー・ピクフォードに似て来る彼女の顔を

(さまざまなこうせんやかくどからうつしとっては、きじのあいだのところどころへ)

さまざまな光線や角度から映し撮っては、記事の間のところどころへ

(はりつけたりしました。)

貼りつけたりしました。

(にっきのことではなしがよこみちへそれましたが、とにかくそれによってみると、わたしと)

日記のことで話が横道へ外れましたが、とにかくそれに依って見ると、私と

(かのじょとがきってもきれないかんけいになったのは、おおもりへきてからだいにねんめのしがつの)

彼女とが切っても切れない関係になったのは、大森へ来てから第二年目の四月の

(にじゅうろくにちなのです。もっともふたりのあいだにはいわずかたらず「りょうかい」ができていたのです)

二十六日なのです。尤も二人の間には云わず語らず「了解」が出来ていたのです

(から、きわめてしぜんにどちらがどちらをゆうわくするのでもなく、ほとんどこれということば)

から、極めて自然に孰方が孰方を誘惑するのでもなく、殆どこれと云う言葉

(ひとつもかわさないで、あんもくのうちにそういうけっかになったのです。それからかのじょは)

一つも交さないで、暗黙の裡にそう云う結果になったのです。それから彼女は

(わたしのみみにくちをつけて、)

私の耳に口をつけて、

(「じょうじさん、きっとあたしをすてないでね」)

「譲治さん、きっとあたしを捨てないでね」

(といいました。)

と云いました。

(「すてるなんて、そんなことはけっしてないからあんしんおしよ。なおみちゃん)

「捨てるなんて、そんなことは決してないから安心おしよ。ナオミちゃん

(にはぼくのこころがよくわかっているだろうが、・・・・・・・・・」)

には僕の心がよく分っているだろうが、・・・・・・・・・」

(「ええ、そりゃわかっているけれど、・・・・・・・・・」)

「ええ、そりゃ分っているけれど、・・・・・・・・・」

(「じゃ、いつからわかっていた?」)

「じゃ、いつから分っていた?」

(「さあ、いつからだか、・・・・・・・・・」)

「さあ、いつからだか、・・・・・・・・・」

(「ぼくがおまえをひきとってせわするといったときに、なおみちゃんはぼくをどういうふう)

「僕がお前を引き取って世話すると云った時に、ナオミちゃんは僕をどう云う風

(におもった?おまえをりっぱなものにして、ゆくゆくおまえとけっこんするつもりじゃ)

に思った?お前を立派な者にして、行く行くお前と結婚するつもりじゃ

(ないかと、そういうふうにはおもわなかった?」)

ないかと、そう云う風には思わなかった?」

(「そりゃ、そういうつもりなのかしらとおもったけれど、・・・・・・・・・」)

「そりゃ、そう云う積りなのかしらと思ったけれど、・・・・・・・・・」

(「じゃなおみちゃんもぼくのおくさんになってもいいきできてくれたんだね」)

「じゃナオミちゃんも僕の奥さんになってもいい気で来てくれたんだね」

(そしてわたしはかのじょのへんじをまつまでもなく、ちからいっぱいかのじょをつよくだきしめながら)

そして私は彼女の返辞を待つまでもなく、力一杯彼女を強く抱きしめながら

(つづけました。)

つづけました。

(「ありがとよ、なおみちゃん、ほんとにありがと、よくわかっていてくれた。)

「ありがとよ、ナオミちゃん、ほんとにありがと、よく分っていてくれた。

(・・・・・・・・・ぼくはいまこそしょうじきなことをいうけれど、おまえがこんなに、)

・・・・・・・・・僕は今こそ正直なことを云うけれど、お前がこんなに、

(・・・・・・・・・こんなにまでぼくのりそうにかなったおんなになってくれようとは)

・・・・・・・・・こんなにまで僕の理想にかなった女になってくれようとは

(おもわなかった。ぼくはうんがよかったんだ。ぼくはいっしょうおまえをかわいがってあげるよ。)

思わなかった。僕は運がよかったんだ。僕は一生お前を可愛がって上げるよ。

(・・・・・・・・・おまえばかりを。・・・・・・・・・せけんによくあるふうふの)

・・・・・・・・・お前ばかりを。・・・・・・・・・世間によくある夫婦の

(ようにおまえをけっしてそまつにはしないよ。ほんとにぼくはおまえのためにいきて)

ようにお前を決して粗末にはしないよ。ほんとに僕はお前のために生きて

(いるんだとおもっておくれ。おまえののぞみはなんでもきっときいてあげるから、おまえも)

いるんだと思っておくれ。お前の望みは何でもきっと聴いて上げるから、お前も

(もっとがくもんをしてりっぱなひとになっておくれ。・・・・・・・・・」)

もっと学問をして立派な人になっておくれ。・・・・・・・・・」

(「ええ、あたしいっしょうけんめいべんきょうしますわ、そしてほんとにじょうじさんのきにいる)

「ええ、あたし一生懸命勉強しますわ、そしてほんとに譲治さんの気に入る

(ようなおんなになるわ、きっと・・・・・・・・・」)

ような女になるわ、きっと・・・・・・・・・」

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