谷崎潤一郎 痴人の愛 12

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数804難易度(5.0) 6149打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 sada 2627 E 2.7 95.0% 2227.0 6171 320 99 2024/11/20

関連タイピング

問題文

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(あるときこんなことがありました。”doing”とか”going”とかいう)

或るときこんな事がありました。“doing"とか“going"とか云う

(げんざいぶんしにはかならずそのまえに「ある」というどうし、”to be”を)

現在分詞には必ずその前に「ある」と云う動詞、“to be"を

(つけなければいけないのに、それがかのじょにはなんどおしえてもりかいできない。そして)

附けなければ行けないのに、それが彼女には何度教えても理解出来ない。そして

(いまだに”i going””he making”というようなあやまりをするので)

未だに“I going"“He making"と云うような誤りをするので

(わたしはさんざんはらをたててれいの「ばか」をれんぱつしながらくちがすっぱくなるほどこまかくせつめい)

私は散々腹を立てて例の「馬鹿」を連発しながら口が酸っぱくなる程細かく説明

(してやったあげく、かこ、みらい、みらいかんりょう、かこかんりょうといろいろなてんすにわたって)

してやった揚句、過去、未来、未来完了、過去完了といろいろなテンスに亙って

(”going”のへんかをやらせてみると、あきれたことにはそれがやっぱりわかって)

“going"の変化をやらせて見ると、呆れた事にはそれがやっぱり分って

(いない。いぜんとして”he will going”とやったり、)

いない。依然として“He will going"とやったり、

(”i had going”とかいたりする。わたしはおぼえずかっとなって、)

“I had going"と書いたりする。私は覚えずかッとなって、

(「ばか!おまえはなんというばかなんだ!”will going”だの)

「馬鹿!お前は何という馬鹿なんだ!“will going”だの

(”have going”だのってことはけっしていえないってひとがあれほど)

“have going”だのッてことは決して云えないッて人があれほど

(いったのがまだおまえにはわからないか。わからなけりゃわかるまでやってみろ。こんや)

云ったのがまだお前には分らないか。分らなけりゃ分るまでやって見ろ。今夜

(ひとばんじゅうかかってもできるまではゆるさないから」)

一と晩中かかっても出来るまでは許さないから」

(そしてはげしくえんぴつをたたきつけて、そのちょうめんをなおみのまえへつきかえすと、なおみは)

そして激しく鉛筆を叩きつけて、その帳面をナオミの前へ突き返すと、ナオミは

(かたくくちびるをむすんで、まっさおになって、うえめづかいに、じーっとするどくわたしのみけんを)

固く唇を結んで、真っ青になって、上眼づかいに、じーッと鋭く私の眉間を

(ねめつけました。と、なんとおもったかかのじょはいきなりちょうめんをわしづかみにして、)

睨めつけました。と、何と思ったか彼女はいきなり帳面を鷲掴みにして、

(ぴりぴりにひきさいて、ぽんとゆかのうえへなげだしたきり、ふたたびものすごいひとみをすえて)

ピリピリに引き裂いて、ぽんと床の上へ投げ出したきり、再び物凄い瞳を据えて

(わたしのかおをあなのあくほどねめるのです。)

私の顔を穴のあくほど睨めるのです。

(「なにするんだ!」)

「何するんだ!」

(いちしゅんかん、その、もうじゅうのようなきせいにあっされてあっけにとられていたわたしは、しばらく)

一瞬間、その、猛獣のような気勢に圧されてアッケに取られていた私は、暫く

など

(たってからそういいました。)

立ってからそう云いました。

(「おまえはぼくにはんこうするきか。がくもんなんかどうでもいいとおもっているのか。)

「お前は僕に反抗する気か。学問なんかどうでもいいと思っているのか。

(いっしょうけんめいにべんきょうするの、えらいおんなになるのといったのは、ありゃいったいどうしたんだ)

一生懸命に勉強するの、偉い女になるのと云ったのは、ありゃ一体どうしたんだ

(どういうつもりでちょうめんをやぶったんだ。さ、あやまれ、あやまらなけりゃしょうちしないぞ!)

どう云う積りで帳面を破ったんだ。さ、詫まれ、詫まらなけりゃ承知しないぞ!

(もうきょうかぎりこのいえをでていってくれ!」)

もう今日限りこの家を出て行ってくれ!」

(しかしなおみは、まだごうじょうにおしだまったまま、そのまっさおなかおのくちもとに、いっしゅ)

しかしナオミは、まだ強情に押し黙ったまま、その真っ青な顔の口もとに、一種

(なくようなうすわらいをうかべているだけでした。)

泣くような薄笑いを浮べているだけでした。

(「よし!あやまらなけりゃそれでいいから、いますぐここをでていってくれ!)

「よし!詫まらなけりゃそれでいいから、今直ぐ此処を出て行ってくれ!

(さ、いでいけといったら!」)

さ、出で行けと云ったら!」

(そのくらいにしてみせないととてもかのじょをおどかすことはできまいと)

そのくらいにして見せないととても彼女を威嚇かすことは出来まいと

(おもったので、ついとわたしはたちあがってぬぎすててあるかのじょのきがえをにさんまい、)

思ったので、ついと私は立ち上がって脱ぎ捨ててある彼女の着替えを二三枚、

(てばやくまるめてふろしきにつつみ、にかいのへやからかみいれをもってきてじゅうえんさつをにまい)

手早く円めて風呂敷に包み、二階の部屋から紙入れを持って来て十円札を二枚

(とりだし、それをかのじょにつきつけながらいいました。)

取り出し、それを彼女に突きつけながら云いました。

(「さあ、なおみちゃん、このふろしきにみのまわりのものはいれてあるから、これを)

「さあ、ナオミちゃん、この風呂敷に身の周りの物は入れてあるから、これを

(もってこんやあさくさへかえっておくれ。ついてはここににじゅうえんある。すくないけれどとうざの)

持って今夜浅草へ帰っておくれ。就いては此処に二十円ある。少いけれど当座の

(こづかいにとっておおき。いずれごからきっぱりとはなしはつけるし、にもつはあしたに)

小遣いに取ってお置き。いずれ後からキッパリと話はつけるし、荷物は明日に

(でもおくりとどけてあげるから。え?なおみちゃん、どうしたんだよ、なぜ)

でも送り届けて上げるから。え?ナオミちゃん、どうしたんだよ、なぜ

(だまっているんだよ。・・・・・・・・・」)

黙っているんだよ。・・・・・・・・・」

(そういわれると、きかぬきのようでもそこはさすがにこどもでした。よういならない)

そう云われると、きかぬ気のようでもそこはさすがに子供でした。容易ならない

(わたしのけんまくになおみはいささかひるんだかたちで、いまさらこうかいしたようにしゅしょうらしくこうを)

私の剣幕にナオミはいささか怯んだ形で、今更後悔したように殊勝らしく項を

(たれ、ちいさくなってしまうのでした。)

垂れ、小さくなってしまうのでした。

(「おまえもなかなかごうじょうだけど、ぼくにしたっていったんこうといいだしたら、けっして)

「お前もなかなか強情だけど、僕にしたって一旦こうと云い出したら、決して

(そのままにゃすまさないよ。わるいとおもったらあやまるがよし、それがいやなら)

そのままにゃ済まさないよ。悪いと思ったら詫まるがよし、それが厭なら

(かえっておくれ。・・・・・・・・・さ、どっちにするんだよ、はやくきめたら)

帰っておくれ。・・・・・・・・・さ、孰方にするんだよ、早く極めたら

(いいじゃないか。あやまるのかい?それともあさくさへかえるのかい?」)

いいじゃないか。詫まるのかい?それとも浅草へ帰るのかい?」

(するとかのじょはくびをふって「いやいや」をします。)

すると彼女は首を振って「いやいや」をします。

(「じゃ、かえりたくないのかい?」)

「じゃ、帰りたくないのかい?」

(「うん」というように、こんどはあごでうなずいてみせます。)

「うん」と云うように、今度は頤で頷いて見せます。

(「じゃ、あやまるというのかい?」)

「じゃ、詫まると云うのかい?」

(「うん」)

「うん」

(と、またおなじようにうなずきます。)

と、又同じように頷きます。

(「それならかんにんしてあげるから、ちゃんとてをついてあやまるがいい」)

「それなら堪忍して上げるから、ちゃんと手を衝いて詫まるがいい」

(で、しかたなしになおみはつくえへりょうてをついて、それでもまだどこかひとを)

で、仕方なしにナオミは机へ両手を衝いて、それでもまだ何処か人を

(ばかにしたようなふうつきをしながら、ぶしょうったらしく、よこっちょをむいて)

馬鹿にしたような風つきをしながら、不精ったらしく、横ッちょを向いて

(おじぎをします。)

お辞儀をします。

(こういうごうまんな、わがままなこんじょうは、まえからかのじょにあったのであるか、あるいはわたしが)

こういう傲慢な、我が儘な根性は、前から彼女にあったのであるか、或は私が

(あまやかしすぎたけっかなのか、いずれにしてもひをふるにしたがってそれがだんだん)

甘やかし過ぎた結果なのか、いずれにしても日を経るに従ってそれがだんだん

(こうじてきつつあることはさやかでした。いや、じつはこうじてきたのではなく、)

昂じて来つつあることは明かでした。いや、実は昂じて来たのではなく、

(じゅうごろくのじぶんにはそれをこどもらしいあいきょうとしてみのがしていたのが、おおきく)

十五六の時分にはそれを子供らしい愛嬌として見逃していたのが、大きく

(なってもやまないのでしだいにわたしのてにあまるようになったのかもしれません。)

なっても止まないので次第に私の手に余るようになったのかも知れません。

(いぜんはどんなにだだをこねてもこごとをいえばすなおにきいたものですが、もう)

以前はどんなにだだを捏ねても叱言を云えば素直に聴いたものですが、もう

(このころではすこしきにくわないことがあると、すぐにむうっとふくれかえる。それでも)

この頃では少し気に喰わないことがあると、直ぐにむうッと膨れ帰る。それでも

(しくしくないたりされればまだかわいげがありますけれど、ときにはわたしがいかに)

しくしく泣いたりされればまだ可愛げがありますけれど、時には私がいかに

(きびしくしかりつけてもなみだいってきこぼさないで、こにくらしいほどそらとぼけたり、れいの)

厳しく叱りつけても涙一滴こぼさないで、小憎らしいほど空惚けたり、例の

(するどいうえめをつかって、まるでねらいをつけるようにいっちょくせんにわたしをみすえる。)

鋭い上眼を使って、まるで狙いをつけるように一直線に私を見据える。

(もしじっさいにどうぶつでんきというものがあるなら、なおみのめにはきっとたりょうに)

もし実際に動物電気と云うものがあるなら、ナオミの眼にはきっと多量に

(それがふくまれているのだろうと、わたしはいつもそうかんじました。なぜならそのめは)

それが含まれているのだろうと、私はいつもそう感じました。なぜならその眼は

(おんなのものとはおもわれないほど、けいけいとしてつよくすさまじく、おまけにいっしゅのそこの)

女のものとは思われない程、烱々として強く凄まじく、おまけに一種の底の

(しれないふかいみりょくをたたえているので、ぐっとひといきにねめられると、おりおりぞっと)

知れない深い魅力を湛えているので、グッと一と息に睨められると、折々ぞっと

(するようなことがあったからです。)

するようなことがあったからです。

(そのじぶん、わたしのむねにはしつぼうとあいぼと、たがいにむじゅんしたふたつのものがかわるがわる)

七 その時分、私の胸には失望と愛慕と、互に矛盾した二つのものが交る交る

(せめぎあっていました。じぶんがせんたくをあやまったこと、なおみはじぶんのきたいしたほど)

鬩ぎ合っていました。自分が選択を誤ったこと、ナオミは自分の期待したほど

(かしこいおんなではなかったこと、もうこのじじつはいくらわたしのひいきめでもいなむに)

賢い女ではなかったこと、もうこの事実はいくら私のひいき眼でも否むに

(よしなく、かのじょがたじつりっぱなふじんになるであろうというようなのぞみは、いまと)

由なく、彼女が他日立派な婦人になるであろうと云うような望みは、今と

(なってはまったくゆめであったことをさとるようになったのです。やっぱりそだちのわるい)

なっては全く夢であったことを悟るようになったのです。やっぱり育ちの悪い

(ものはあらそわれない、せんぞくちょうのむすめにはかふええのじょきゅうがそうとうなのだ、がらにないきょういくを)

者は争われない、千束町の娘にはカフエエの女給が相当なのだ、柄にない教育を

(さずけたところでなんにもならない。わたしはしみじみそういうあきらめをいだく)

授けたところで何にもならない。私はしみじみそう云うあきらめを抱く

(ようになりました。が、どうじにわたしは、いっぽうにおいてあきらめながら、ほかの)

ようになりました。が、同時に私は、一方に於いてあきらめながら、他の

(いっぽうではますますつよくかのじょのにくたいにひきつけられていったのでした。そうです、)

一方ではますます強く彼女の肉体に惹きつけられて行ったのでした。そうです、

(わたしはとくに「にくたい」といいます、なぜならそれはかのじょのひふや、はや、くちびるや、)

私は特に『肉体』と云います、なぜならそれは彼女の皮膚や、歯や、唇や、

(かみや、ひとみや、そのたあらゆるしたいのうつくしさであって、けっしてそこにはせいしんてきの)

髪や、瞳や、その他あらゆる姿態の美しさであって、決して底には精神的の

(なにものもなかったのですから。つまりかのじょはずのうのほうではわたしのきたいをうらぎりながら)

何物もなかったのですから。つまり彼女は頭脳の方では私の期待を裏切りながら

(にくたいのほうではいよいよますますりそうどおりに、いやそれいじょうに、うつくしさをまして)

肉体の方ではいよいよますます理想通りに、いやそれ以上に、美しさを増して

(いったのです。「ばかなおんな」「しようのないやつだ」と、おもえばおもうほどなおいじわるく)

行ったのです。「馬鹿な女」「仕様のない奴だ」と、思えば思うほど尚意地悪く

(そのうつくしさにゆうわくされる。これはじつにわたしにとってふこうなことでした。わたしはしだいに)

その美しさに誘惑される。これは実に私に取って不幸なことでした。私は次第に

(かのじょを「したててやろう」というじゅんなこころもちをわすれてしまって、むしろあべこべに)

彼女を「仕立ててやろう」と云う純な心持を忘れてしまって、寧ろあべこべに

(ずるずるひきずられるようになり、これではいけないときがついたときには、すでに)

ずるずる引き摺られるようになり、これではいけないと気が付いた時には、既に

(じぶんでもどうすることもできなくなっていたのでした。)

自分でもどうする事も出来なくなっていたのでした。

(「よのなかのことはすべてじぶんのおもいどおりにいくものではない。じぶんはなおみを、)

「世の中の事は総べて自分の思い通りに行くものではない。自分はナオミを、

(せいしんとにくたいと、りょうほうめんからうつくしくしようとした。そしてせいしんのほうめんではしっぱいした)

精神と肉体と、両方面から美しくしようとした。そして精神の方面では失敗した

(けれど、にくたいのほうめんではりっぱにせいこうしたじゃないか。じぶんはかのじょがこのほうめんで)

けれど、肉体の方面では立派に成功したじゃないか。自分は彼女がこの方面で

(これほどうつくしくなろうとはおもいもうけていなかったのだ。そうしてみればその)

これほど美しくなろうとは思い設けていなかったのだ。そうして見ればその

(せいこうはほかのしっぱいをおぎなってあまりあるではないか」)

成功は他の失敗を補って余りあるではないか」

(わたしはむりにそういうふうにかんがえて、それでまんぞくするようにじぶんのきもちを)

私は無理にそう云う風に考えて、それで満足するように自分の気持を

(しむけていきました。)

仕向けて行きました。

(「じょうじさんはこのころえいごのじかんにも、あんまりあたしをばかばかっていわない)

「譲治さんはこの頃英語の時間にも、あんまりあたしを馬鹿々々ッて云わない

(ようになったわね」)

ようになったわね」

(と、なおみははやくもわたしのこころのへんかをみてとってそういいました。がくもんのほうには)

と、ナオミは早くも私の心の変化を看て取ってそう云いました。学問の方には

(うとくっても、わたしのかおいろをよむことにかけてはかのじょはじつにさとかったのです。)

疎くっても、私の顔色を読むことにかけては彼女は実に敏かったのです。

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