谷崎潤一郎 痴人の愛 31

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数515順位1967位  難易度(5.0) 5275打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
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順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 7028 7.0 99.0% 735.1 5218 51 100 2024/08/03
2 berry 6723 S+ 6.8 97.5% 752.0 5185 129 100 2024/08/08

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問題文

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(とうじ、わたしのこんなふしだらなありさまは、かいしゃのものはだれもしらないはずでした。)

十三 当時、私のこんなふしだらな有様は、会社の者は誰も知らない筈でした。

(いえにいるときとかいしゃにいるときと、わたしのせいかつはかくぜんとにぶんされていました。もちろん)

家に居る時と会社に居る時と、私の生活は劃然と二分されていました。勿論

(じむをとっているさいでも、あたまのなかにはなおみのすがたがしじゅうちらついて)

事務を執っている際でも、頭の中にはナオミの姿が始終チラついて

(いましたけれど、べつだんそれがしごとのじゃまになるほどではなく、ましてたにんは)

いましたけれど、別段それが仕事の邪魔になるほどではなく、まして他人は

(きがつくわけもありません。で、どうりょうのめにはわたしはやはりくんしにみえているのだろう)

気がつく訳もありません。で、同僚の眼には私は矢張君子に見えているのだろう

(と、そうおもいこんでいたことでした。)

と、そう思い込んでいたことでした。

(ところがあるひまだつゆがあけきれないころで、うっとうしいばんの)

ところが或る日まだ梅雨が明けきれない頃で、鬱陶しい晩の

(ことでしたが、どうりょうのひとりのなみかわというぎしが、こんどかいしゃからようこうをめいぜられ、)

ことでしたが、同僚の一人の波川と云う技師が、今度会社から洋行を命ぜられ、

(そのそうべつかいがつきじのせいようけんでもよおされたことがありました。わたしはれいによって)

その送別会が築地の精養軒で催されたことがありました。私は例に依って

(ぎりいっぺんにしゅっせきしたにすぎませんから、かいしょくがすみ、でざーと・こーすのあいさつが)

義理一遍に出席したに過ぎませんから、会食が済み、デザート・コースの挨拶が

(おわり、みんながぞろぞろしょくどうからきつえんしつへながれこんで、しょくごのりきうるを)

終り、みんながぞろぞろ食堂から喫煙室へ流れ込んで、食後のリキウルを

(のみながらがやがやざつだんをしはじめたじぶん、もうかえってもよかろうとおもって)

飲みながらガヤガヤ雑談をし始めた時分、もう帰っても好かろうと思って

(たちあがると、)

立ち上ると、

(「おい、かわいくん、まあかけたまえ」)

「おい、河合君、まあかけ給え」

(と、にやにやわらいながらよびとめたのは、sというおとこでした。sはほんのり)

と、ニヤニヤ笑いながら呼び止めたのは、Sと云う男でした。Sはほんのり

(びくんをおびて、tやkやhなどとひとつそおふぁをせんりょうして、そのまんなかへわたしを)

微醺を帯びて、TやKやHなどと一つソオファを占領して、そのまん中へ私を

(むりにとりこめようとするのでした。)

無理に取り込めようとするのでした。

(「まあ、そうにげんでもいいじゃないか、これからどこかへおでかけかね、)

「まあ、そう逃げんでもいいじゃないか、これから何処かへお出かけかね、

(このあめのふるのに。」)

この雨の降るのに。」

(と、sはそういって、どっちつかずにつったったままのわたしのかおをみあげながら、)

と、Sはそう云って、孰方つかずに衝っ立ったままの私の顔を見上げながら、

など

(もういちどにやにやわらいました。)

もう一度ニヤニヤ笑いました。

(「いや、そういうわけじゃないけれど、・・・・・・・・・」)

「いや、そう云う訳じゃないけれど、・・・・・・・・・」

(「じゃ、まっすぐにおかえりかね」)

「じゃ、真っ直ぐにお帰りかね」

(そういったのはhでした。)

そう云ったのはHでした。

(「ああ、すまないけれど、しっけいさせてくれたまえ。ぼくのところはおおもりだから、こんな)

「ああ、済まないけれど、失敬させてくれ給え。僕の所は大森だから、こんな

(てんきにはみちがわるくって、はやくかえらないとくるまがなくなっちまうんだよ」)

天気には路が悪くって、早く帰らないと俥がなくなっちまうんだよ」

(「あははは、うまくいってるぜ」)

「あははは、巧く云ってるぜ」

(と、こんどはtがいいました。)

と、今度はTが云いました。

(「おい、かわいくん、たねはすっかりあがってるんだぜ」)

「おい、河合君、種はすっかり上ってるんだぜ」

(「なにが?・・・・・・・・・」)

「何が?・・・・・・・・・」

(「たね」とはどういういみなのか、tのことばをはんじかねて、わたしはすこしろうばいしながら)

「種」とはどう云う意味なのか、Tの言葉を判じかねて、私は少し狼狽しながら

(ききかえしました。)

聞き返しました。

(「おどろいたなあどうも、くんしとばかりおもっていたのになあ・・・・・・・・・」)

「驚いたなアどうも、君子とばかり思っていたのになア・・・・・・・・・」

(と、つぎにはkがむやみとかんしんしたようにくびをひねって、)

と、次にはKが無闇と感心したように首をひねって、

(「かわいくんがだんすをするというにいたっちゃあ、なにしろじせいはしんぽしたもんだよ」)

「河合君がダンスをすると云うに至っちゃあ、何しろ時勢は進歩したもんだよ」

(「おい、かわいくん」)

「おい、河合君」

(と、sはあたりにえんりょしながら、わたしのみみにくちをつけるようにしました。)

と、Sはあたりに遠慮しながら、私の耳に口をつけるようにしました。

(「その、きみがつれてあるいているすばらしいびじんというのはなにものかね?)

「その、君が連れて歩いている素晴らしい美人と云うのは何者かね?

(いっぺんぼくらにもしょうかいしたまえ」)

一遍僕等にも紹介し給え」

(「いやしょうかいするようなおんなじゃないよ」)

「いや紹介するような女じゃないよ」

(「だって、ていげきのじょゆうだっていうはなしじゃないか。・・・・・・・・・え、)

「だって、帝劇の女優だって云う話じゃないか。・・・・・・・・・え、

(そうじゃないのか、かつどうのじょゆうだといううわさもあるし、あいのこだというせつも)

そうじゃないのか、活動の女優だと云う噂もあるし、混血児だと云う説も

(あるんだが、そのおんなのすをいいたまえ。いわなけりゃかえさんよ」)

あるんだが、その女の巣を云い給え。云わなけりゃ帰さんよ」

(わたしがあきらかにふゆかいなかおをして、くちをどもらしているのもきがつかず、sはむちゅうで)

私が明かに不愉快な顔をして、口を吃らしているのも気がつかず、Sは夢中で

(ひざをのりだして、むきになってたずねるのでした。)

膝を乗り出して、ムキになって尋ねるのでした。

(「え、きみ、そのおんなはだんすでなけりゃあよべないのか?」)

「え、君、その女はダンスでなけりゃあ呼べないのか?」

(わたしはもうすこしで「ばかっ」といったかもしれませんでした。まだかいしゃではおそらく)

私はもう少しで「馬鹿ッ」と云ったかも知れませんでした。まだ会社では恐らく

(だれもきがつくまいとおもっていたのに、あにはからんやかぎつけていたばかりでなく、)

誰も気がつくまいと思っていたのに、豈図らんや嗅ぎつけていたばかりでなく、

(どうらくもののなをはくしているsのこうふんからさっすると、やつらはわたしたちをふうふであるとは)

道楽者の名を博しているSの口吻から察すると、奴等は私たちを夫婦であるとは

(しんじないで、なおみをどこへでもよべるしゅるいのおんなのようにかんがえているのです。)

信じないで、ナオミを何処へでも呼べる種類の女のように考えているのです。

(「ばかっ、ひとのさいくんをつかまえて「よべるか」とはなにだ!しっけいなことをいいたまうな」)

「馬鹿ッ、人の細君を掴まえて『呼べるか』とは何だ!失敬な事を云い給うな」

(このたえがたいぶじょくにたいして、わたしはとうぜん、けっそうをかえてこうどなりつけるところ)

この堪え難い侮辱に対して、私は当然、血相を変えてこう怒鳴りつけるところ

(でした。いや、たしかにほんのいっしゅんかん、わたしはさっとかおいろをかえました。)

でした。いや、たしかにほんの一瞬間、私はさッと顔色を変えました。

(「おい、かわいかわい、おしえろよ、ほんとに!」)

「おい、河合々々、教えろよ、ほんとに!」

(と、やつらはわたしのひとのよいのをみこんでいるので、どこまでもずうずうしく、)

と、奴等は私の人の好いのを見込んでいるので、何処までもずうずうしく、

(hがそういってkのほうをふりむきながら、)

Hがそう云ってKの方を振り向きながら、

(「なあ、k、きみはどこからきいたんだっていったけな。」)

「なあ、K、君は何処から聞いたんだって云ったけな。」

(「ぼかあけいおうのがくせいからきいたよ」)

「僕ア慶応の学生から聞いたよ」

(「ふん、なんだって?」)

「ふん、何だって?」

(「ぼくのしんせきのやつなんでね、だんすきちがいなもんだからしじゅうだんすじょうへ)

「僕の親戚の奴なんでね、ダンス気違いなもんだから始終ダンス場へ

(でいりするんで、そのびじんをしってるんだ」)

出入りするんで、その美人を知ってるんだ」

(「おい、なまえはなんていうんだ?」)

「おい、名前は何て云うんだ?」

(と、tがよこあいからくびをだしました。)

と、Tが横合から首を出しました。

(「なまえは・・・・・・・・・ええと、・・・・・・・・・みょうななだったよ、)

「名前は・・・・・・・・・ええと、・・・・・・・・・妙な名だったよ、

(・・・・・・・・・なおみ、・・・・・・・・・なおみというんじゃ)

・・・・・・・・・ナオミ、・・・・・・・・・ナオミと云うんじゃ

(なかったかな」)

なかったかな」

(「なおみ?・・・・・・・・・じゃあやっぱりあいのこかな」)

「ナオミ?・・・・・・・・・じゃあやっぱり混血児かな」

(そういってsは、ひやかすようにわたしのかおののぞいて、)

そう云ってSは、冷やかすように私の顔の覗いて、

(「あいのこだとすると、じょゆうじゃないな」)

「混血児だとすると、女優じゃないな」

(「なんでもえらいはつめいかだそうだぜ、そのおんなは。さかんにけいおうのがくせいなんかを)

「何でも偉い発明家だそうだぜ、その女は。盛んに慶応の学生なんかを

(あらしまわるんだそうだから」)

荒らし廻るんだそうだから」

(わたしはへんな、けいれんのようなうすわらいをうかべたまま、くちもとをぴくぴくふるわせている)

私は変な、痙攣のような薄笑いを浮べたまま、口もとをぴくぴく顫わせている

(だけでしたが、kのはなしがここまでくると、そのうすわらいはにわかにこおりついた)

だけでしたが、Kの話が此処まで来ると、その薄笑いは俄かに凍りついた

(ように、ほっぺたのうえでうごかなくなり、めだまがぐっとがんかのおくへくぼんだような)

ように、頬ッぺたの上で動かなくなり、眼玉がグッと眼窩の奥へ凹んだような

(きがしました。)

気がしました。

(「ふん、ふん、そいつあたのもしいや!」)

「ふん、ふん、そいつあ頼もしいや!」

(と、sはすっかりきょうえつしながらいうのでした。)

と、Sはすっかり恐悦しながら云うのでした。

(「きみのしんせきのがくせいというのも、そのおんなとなにかあったのかい?」)

「君の親戚の学生と云うのも、その女と何かあったのかい?」

(「いや、そりゃどうだかしらないが、ともだちのうちににさんにんはあるそうだよ」)

「いや、そりゃどうだか知らないが、友達のうちに二三人はあるそうだよ」

(「よせ、よせ、かわいがしんぱいするから。ほら、ほら、あんなかおしてるぜ」)

「止せ、止せ、河合が心配するから。ほら、ほら、あんな顔してるぜ」

(tがそういうと、みんないちどにわたしをみあげてわらいました。)

Tがそう云うと、みんな一度に私を見上げて笑いました。

(「なあに、ちっとぐらいしんぱいさせたってかまわんさ。われわれにないしょでそんな)

「なあに、ちっとぐらい心配させたって構わんさ。われわれに内証でそんな

(びじんをせんゆうしようとするなんてこころがけがけしからんよ」)

美人を専有しようとするなんて心がけが怪しからんよ」

(「あはははは、どうだかわいくん、くんしもたまにはいきなしんぱいを)

「あはははは、どうだ河合君、君子もたまにはイキな心配を

(するのもよかろう?」)

するのもよかろう?」

(「あはははは」)

「あはははは」

(もはやわたしは、おこるどころではありませんでした。だれがなんといったのかまるで)

もはや私は、怒るどころではありませんでした。誰が何と云ったのかまるで

(きこえませんでした。ただどっというわらいごえが、りょうほうのみみにがんがんひびいただけ)

聞えませんでした。ただどっと云う笑い声が、両方の耳にがんがん響いただけ

(でした。とっさのわたしのとうわくは、どうしてこのばをきりぬけたらいいか、ないたら)

でした。咄嗟の私の当惑は、どうしてこの場を切り抜けたらいいか、泣いたら

(いいのか、わらったらいいのか、が、うっかりなにかいったりすると、なおさら)

いいのか、笑ったらいいのか、が、うっかり何か云ったりすると、尚更

(ちょうろうされやしないかということでした。)

嘲弄されやしないかと云うことでした。

(とにかくわたしは、なにがなんやらうわのそらできつえんしつをとびだしました。そしてぬかるみの)

とにかく私は、何が何やら上の空で喫煙室を飛び出しました。そしてぬかるみの

(おうらいへたってつめたいあめにうたれるまでは、あしがだいちにつきませんでした。)

往来へ立って冷めたい雨に打たれるまでは、足が大地に着きませんでした。

(いまだにあとからなにかがおいかけてくるようなここちで、わたしはどんどんぎんざのほうへ)

未だに後から何かが追い駆けて来るような心地で、私はどんどん銀座の方へ

(にげのびました。)

逃げ伸びました。

(おわりちょうのもうひとつひだりのよつかどへでて、そこをわたしはしんばしのほうへあるいていきました。)

尾張町のもう一つ左の四つ角へ出て、そこを私は新橋の方へ歩いて行きました。

(・・・・・・・・・というよりも、わたしのあしがただむいしきに、わたしのあたまとは)

・・・・・・・・・と云うよりも、私の足がただ無意識に、私の頭とは

(かんけいなく、そのほうがくへうごいていきました。わたしのめにはあめにぬれたほどうのうえに)

関係なく、その方角へ動いて行きました。私の眼には雨に濡れた舗道の上に

(まちのとうかのきらきらひかるのがうつりました。このおてんきにもかかわらず、とおりは)

街の燈火のきらきら光るのが映りました。このお天気にも拘わらず、通りは

(なかなかひとがでているようでした。)

なかなか人が出ているようでした。

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