谷崎潤一郎 痴人の愛 42

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね1お気に入り登録
プレイ回数523難易度(4.5) 5678打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
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問題文

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(「そんなことを、・・・・・・・・・そんなことをなおみがいったんですね?」)

「そんな事を、・・・・・・・・・そんな事をナオミが云ったんですね?」

(「ええ、いいました。ちかいうちにあなたにはなして、ぼくとふうふになれるように)

「ええ、云いました。近いうちにあなたに話して、僕と夫婦になれるように

(するから、もうすこしじきをまってくれろと、なんどもなんどもぼくにかたいやくそくを)

するから、もう少し時期を待ってくれろと、何度も何度も僕に堅い約束を

(しました。そしてくまがいともてをきるといいました。けれどもみんな)

しました。そして熊谷とも手を切ると云いました。けれどもみんな

(でたらめだったんです。なおみさんははじめっから、ぼくとふうふになるつもりなんか)

出鱈目だったんです。ナオミさんは初めッから、僕と夫婦になるつもりなんか

(まるっきりなかったんです」)

まるッきりなかったんです」

(「なおみはそれじゃ、くまがいくんともそんなやくそくをしているんでしょうか?」)

「ナオミはそれじゃ、熊谷君ともそんな約束をしているんでしょうか?」

(「さあ、それはどうだかわかりませんが、おそらくそうじゃなかろうとおもいます。)

「さあ、それはどうだか分りませんが、恐らくそうじゃなかろうと思います。

(なおみさんはあきっぽいたちですし、くまがいのほうだってどうせまじめじゃ)

ナオミさんは飽きッぽいたちですし、熊谷の方だってどうせ真面目じゃ

(ないんです。あのおとこはぼくなんかよりずっと)

ないんです。あの男は僕なんかよりずっと

(こうかつなんですから、・・・・・・・・・」)

狡猾なんですから、・・・・・・・・・」

(ふしぎなもので、わたしはさいしょからはまだをにくむこころはなかったのですが、こんなはなしを)

不思議なもので、私は最初から浜田を憎む心はなかったのですが、こんな話を

(きかされてみると、むしろどうびょうあいあわれむと、いうようなきもちに)

きかされて見ると、寧ろ同病相憐れむと、云うような気持に

(させられました。そしてそれだけ、いっそうくまがいがにくくなりました。くまがやこそは)

させられました。そしてそれだけ、一層熊谷が憎くなりました。熊谷こそは

(ふたりのきょうどうのてきであるというかんじをつよくいだきました。)

二人の共同の敵であると云う感じを強く抱きました。

(「はまだくん、まあなんにしてもこんなところでしゃべってもいられないから、どこかで)

「浜田君、まあ何にしてもこんな所でしゃべってもいられないから、何処かで

(めしでもくいながら、ゆっくりはなそうじゃありませんか。まだまだたくさん)

飯でも喰いながら、ゆっくり話そうじゃありませんか。まだまだ沢山

(ききたいことがあるんですから」)

聞きたいことがあるんですから」

(で、わたしはかれをさそいだして、ようしょくやではぐあいがわるいので、おおもりのかいがんの「まつあさ」へ)

で、私は彼を誘い出して、洋食屋では工合が悪いので、大森の海岸の「松浅」へ

(つれていきました。)

連れて行きました。

など

(「それじゃかわいさんも、きょうはかいしゃをおやすみになったんですか」)

「それじゃ河合さんも、今日は会社をお休みになったんですか」

(と、はまだもまえのこうふんしたちょうしではなく、いくらかおもにをおろしたような、)

と、浜田も前の興奮した調子ではなく、いくらか重荷をおろしたような、

(うちとけたくちぶりで、みちみちそんなふうにはなしかけました。)

打ち解けた口ぶりで、途々そんな風に話しかけました。

(「ええ、きのうもやすんじまったんです。かいしゃのほうもこのころはまたいじわるく)

「ええ、昨日も休んじまったんです。会社の方もこの頃は又意地悪く

(いそがしいんで、でなけりゃわるいんですけれど、おとといいらいあたまがむしゃくしゃ)

忙しいんで、出なけりゃ悪いんですけれど、一昨日以来頭がむしゃくしゃ

(しちまって、とてもそれどころじゃないもんだから。・・・・・・・・・」)

しちまって、とてもそれどころじゃないもんだから。・・・・・・・・・」

(「なおみさんは、あなたがきょうおおもりへいらっしゃるのを、)

「ナオミさんは、あなたが今日大森へ入らっしゃるのを、

(しっていますかしら?」)

知っていますかしら?」

(「ぼくはきのうはいちにちうちにいましたけれど、きょうはかいしゃへでるといってきたんです。)

「僕は昨日は一日内にいましたけれど、今日は会社へ出ると云って来たんです。

(あのおんなのことだから、あるいはうちうちきがついたかもしれないが、まさかおおもりへ)

あの女のことだから、或は内々気がついたかもしれないが、まさか大森へ

(くるとはおもっていないでしょう。ぼくはあいつのへやをさがしたら、らぶ・れたーでも)

来るとは思っていないでしょう。僕は彼奴の部屋を捜したら、ラブ・レターでも

(ありゃしないかとおもったもんだから、それでとつぜんよってみるきになったんです」)

ありゃしないかと思ったもんだから、それで突然寄って見る気になったんです」

(「ああそうですか、ぼくはそうじゃない、あなたがぼくをつかまえにきたと)

「ああそうですか、僕はそうじゃない、あなたが僕を掴まえに来たと

(おもったんです。しかしそれだと、あとからなおみさんもやってきや)

思ったんです。しかしそれだと、後からナオミさんもやって来や

(しないでしょうか」)

しないでしょうか」

(「いや、だいじょうぶ、・・・・・・・・・ぼくはるすちゅう、きものもさいふも)

「いや、大丈夫、・・・・・・・・・僕は留守中、着物も財布も

(とりあげちまって、いっぽもそとへでられないようにしてきたんです。あのなりじゃ)

取り上げちまって、一歩も外へ出られないようにして来たんです。あのなりじゃ

(かどぐちへだってでられやしませんよ」)

門口へだって出られやしませんよ」

(「へえ、どんななりをしているんです?」)

「へえ、どんななりをしているんです?」

(「ほら、きみもしっている、あのももいろのちぢみのがうんがあったでしょう?」)

「ほら、君も知っている、あの桃色のちぢみのガウンがあったでしょう?」

(「ああ、あれですか」)

「ああ、あれですか」

(「あれいちまいで、ほそおびひとつしめていないんだから、だいじょうぶですよ。まあもうじゅうが)

「あれ一枚で、細帯一つ締めていないんだから、大丈夫ですよ。まあ猛獣が

(おりへいれられたようなもんです」)

檻へ入れられたようなもんです」

(「しかし、さっきあそこへなおみさんがはいってきたらどうなったでしょう。)

「しかし、さっき彼処へナオミさんが這入って来たらどうなったでしょう。

(それこそほんとに、どんなさわぎがもちあがったかもしれませんね」)

それこそほんとに、どんな騒ぎが持ち上ったかも知れませんね」

(「ですがいったい、なおみがきみときょうあうやくそくをしたのはいつなんです?」)

「ですが一体、ナオミが君と今日逢う約束をしたのはいつなんです?」

(「それはおととい、あなたにみつかったあのばんでした。なおみさんは、)

「それは一昨日、あなたに見つかったあの晩でした。ナオミさんは、

(ぼくがあのばんすねていたもんですから、ごきげんをとるつもりかなにかで、あさって)

僕があの晩すねていたもんですから、御機嫌を取るつもりか何かで、明後日

(おおもりへきてくれろっていったんですが、もちろんぼくもわるいんですよ。ぼくは)

大森へ来てくれろって云ったんですが、勿論僕も悪いんですよ。僕は

(なおみさんとぜっこうするか、でなけりゃくまがいとけんかをするのがあたりまえだのに、)

ナオミさんと絶交するか、でなけりゃ熊谷と喧嘩をするのが当り前だのに、

(それがぼくにはできないんです。じぶんもひくつだとおもいながら、きがよわくって、)

それが僕には出来ないんです。自分も卑屈だと思いながら、気が弱くって、

(ついぐずぐずにやつらとつきあっていたんです。ですからなおみさんに)

ついぐずぐずに奴等と附き合っていたんです。ですからナオミさんに

(だまされたとはいうものの、つまりじぶんがばかだったんですよ」)

欺されたとは云うものの、つまり自分が馬鹿だったんですよ」

(わたしはなんだか、じぶんのことをいわれているようなきがしました。そして「まつあさ」の)

私は何だか、自分のことを云われているような気がしました。そして「松浅」の

(ざしきへとおって、さしむかいにすわってみると、どうやらこのおとこがかわいくさえなって)

座敷へ通って、さし向いに坐って見ると、どうやらこの男が可愛くさえなって

(くるのでした。)

来るのでした。

(「さあ、はまだくん、きみがしょうじきにいってくれたので、ぼくはひじょうにきもちがいい。)

十七 「さあ、浜田君、君が正直に云ってくれたので、僕は非常に気持がいい。

(とにかくいっぱいやりませんか」)

とにかく一杯やりませんか」

(そういってわたしは、さかずきをさしました。)

そう云って私は、杯をさしました。

(「じゃあかわいさんは、ぼくをゆるしてくださるんですか」)

「じゃあ河合さんは、僕を赦して下さるんですか」

(「ゆるすもゆるさないもありませんよ。きみはなおみにだまされていたので、ぼくと)

「赦すも赦さないもありませんよ。君はナオミに欺されていたので、僕と

(なおみとのあいだがらをしらなかったというのだから、ちっともつみはないわけです。)

ナオミとの間柄を知らなかったと云うのだから、ちっとも罪はない訳です。

(もうなんともおもってやしません」)

もう何とも思ってやしません」

(「いや、ありがとう、そういってくださればぼくもあんしんするんです」)

「いや、有難う、そう云って下されば僕も安心するんです」

(はまだはしかし、やっぱりきまりがわるいとみえて、さけをすすめてものもうとは)

浜田はしかし、やっぱり極まりが悪いと見えて、酒を進めても飲もうとは

(しないで、ふせしめがちに、えんりょしながらぽつぽつとくちをきくのでした。)

しないで、伏しめがちに、遠慮しながらぽつぽつと口を利くのでした。

(「じゃなんですか、しつれいですがかわいさんとなおみさんとは、ごしんせきというような)

「じゃ何ですか、失礼ですが河合さんとナオミさんとは、御親戚と云うような

(わけじゃないんですか?」)

訳じゃないんですか?」

(しばらくたってから、はまだはなにかおもいつめていたらしく、そういってかすかなためいきを)

暫く立ってから、浜田は何か思いつめていたらしく、そう云って微かな溜息を

(つきました。)

つきました。

(「ええ、しんせきでもなんでもありません。ぼくはうつのみやのうまれですが、あれはきっすいの)

「ええ、親戚でも何でもありません。僕は宇都宮の生れですが、あれは生粋の

(えどっこで、じっかはいまでもとうきょうにあるんです。とうにんはがっこうへいきたがって)

江戸ッ児で、実家は今でも東京にあるんです。当人は学校へ行きたがって

(いたのに、じっかのじじょうでいかれなかったもんですから、それをかわいそうだと)

いたのに、実家の事情で行かれなかったもんですから、それを可哀そうだと

(おもって、じゅうごのとしにぼくがひきとってやったんですよ」)

思って、十五の歳に僕が引き取ってやったんですよ」

(「そうしていまじゃ、けっこんなすっていらっしゃるんですね?」)

「そうして今じゃ、結婚なすっていらっしゃるんですね?」

(「ええ、そうなんです、りょうほうのおやのゆるしをえて、りっぱにてつづきを)

「ええ、そうなんです、両方の親の許しを得て、立派に手続きを

(ふんであるんです。もっともそれは、あれがじゅうろくのときだったので、あんまりとしが)

蹈んであるんです。尤もそれは、あれが十六の時だったので、あんまり歳が

(わかすぎるのに「おくさん」あつかいにするのもへんだし、とうにんにしてもいやだろうと)

若過ぎるのに『奥さん』扱いにするのも変だし、当人にしてもイヤだろうと

(おもったもんだから、しばらくのあいだはともだちのようにしてくらそうと、そんなやくそくでは)

思ったもんだから、暫くの間は友達のようにして暮らそうと、そんな約束では

(あったんですがね」)

あったんですがね」

(「ああ、そうですか、それがごかいのもとだったんですね。なおみさんのようすを)

「ああ、そうですか、それが誤解の原だったんですね。ナオミさんの様子を

(みると、おくさんのようにはおもえなかったし、じぶんでもそういって)

見ると、奥さんのようには思えなかったし、自分でもそう云って

(いなかったから、それでぼくらもついだまされてしまったんです」)

いなかったから、それで僕等もつい欺されてしまったんです」

(「なおみもわるいが、ぼくにもせきにんがあるんですよ。ぼくはせけんのいわゆる「ふうふ」と)

「ナオミも悪いが、僕にも責任があるんですよ。僕は世間の所謂『夫婦』と

(いうものがおもしろくないんで、なるべくふうふらしくなくくらそうという)

云うものが面白くないんで、成るべく夫婦らしくなく暮らそうと云う

(しゅぎだったんです。そいつがどうもとんだまちがいになったんだから、)

主義だったんです。そいつがどうも飛んだ間違いになったんだから、

(もうこれからはかいりょうしますよ。いや、ほんとうにこりごりしましたよ」)

もうこれからは改良しますよ。いや、ほんとうに懲り懲りしましたよ」

(「そうなすったほうがよござんすね。それからかわいさん、じぶんのことをたなにあげて)

「そうなすった方がよござんすね。それから河合さん、自分のことを棚にあげて

(こんなことをいうのもおかしいですが、くまがはわるいやつですから、)

こんなことを云うのも可笑しいですが、熊谷は悪い奴ですから、

(ちゅういなさらないといけませんよ。ぼくはけっしてうらみがあるというんじゃ)

注意なさらないといけませんよ。僕は決して恨みがあると云うんじゃ

(ないんです。くまがいでもせきでもなかむらでも、あのれんちゅうはみんなよくない)

ないんです。熊谷でも関でも中村でも、あの連中はみんな良くない

(やつらなんです。なおみさんはそんなにわるいひとじゃありません。みんなあいつらが)

奴等なんです。ナオミさんはそんなに悪い人じゃありません。みんな彼奴等が

(わるくさせてしまったんです。・・・・・・・・・」)

悪くさせてしまったんです。・・・・・・・・・」

(はまだはかんどうのこもったこえでいうとどうじに、そのりょうめにはふたたびなみだを)

浜田は感動の籠った声で云うと同時に、その両眼には再び涙を

(ひからせていました。さてはこのせいねんは、これほどまじめになおみを)

光らせていました。さてはこの青年は、これほど真面目にナオミを

(こいしていたのだったか、そうおもうとわたしはかんしゃしたいような、すまないようなきが)

恋していたのだったか、そう思うと私は感謝したいような、済まないような気が

(しました。もしもはまだは、わたしとかのじょとがすでにかんぜんなふうふであると)

しました。若しも浜田は、私と彼女とが既に完全な夫婦であると

(いわれなかったら、すすんでかのじょをゆずってくれといいだすつもり)

云われなかったら、進んで彼女を譲ってくれと云い出すつもり

(だったのでしょう。いやそれどころか、たったいまでも、わたしがかのじょをあきらめさえ)

だったのでしょう。いやそれどころか、たった今でも、私が彼女をあきらめさえ

(したら、かれはそくざにかのじょをひきとるというでしょう。)

したら、彼は即座に彼女を引き取ると云うでしょう。

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