谷崎潤一郎 痴人の愛 54
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ばぼじま | 5080 | B+ | 5.2 | 96.3% | 963.8 | 5088 | 191 | 96 | 2024/09/27 |
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問題文
(「ところではまだくん、ぼくはききたいことがあるんだ」)
「ところで浜田君、僕は聞きたいことがあるんだ」
(と、わたしはころあいをみはからって、いちだんとひざをすすめながら、)
と、私は頃合を見計らって、一段と膝を進めながら、
(「ひどいあだながなおみについているというのは、いったいどんなあだなですか?」)
「ヒドイ仇名がナオミに附いていると云うのは、一体どんな仇名ですか?」
(「いや、そりゃいえません、そりゃあとてもひどいんですから」)
「いや、そりゃ云えません、そりゃあとてもヒドイんですから」
(「ひどくったってかまわんじゃありませんか。もうあのおんなはぼくとは)
「ヒドクったって構わんじゃありませんか。もうあの女は僕とは
(あかのたにんだから、えんりょすることはないじゃないですか。え、なんというんだか)
あかの他人だから、遠慮することはないじゃないですか。え、何と云うんだか
(おしえてくださいよ。かえってそいつをきかされたほうが、ぼくはきもちが)
教えて下さいよ。却ってそいつを聞かされた方が、僕は気持が
(さっぱりするんだ」)
サッパリするんだ」
(「あなたはそうかもしれませんがぼくにはとうてい、いうにたえないことなんだから)
「あなたはそうかも知れませんが僕には到底、云うに堪えないことなんだから
(かんにんしてください。とにかくひどいあだなだとおもって、そうぞうなすったら)
堪忍して下さい。とにかくヒドイ仇名だと思って、想像なすったら
(わかるんですよ。もっともそういうあだながついた、ゆらいだけならおはなしても)
分るんですよ。尤もそう云う仇名が附いた、由来だけならお話しても
(よござんすがね」)
よござんすがね」
(「じゃあそのゆらいをきかしてください」)
「じゃあその由来を聞かして下さい」
(「しかしかわいさん、・・・・・・・・・こまっちゃったなあ」)
「しかし河合さん、・・・・・・・・・困っちゃったなあ」
(といって、はまだはあたまをかきながら、)
と云って、浜田は頭を掻きながら、
(「それもずいぶんひどいんですよ、おききになったらいくらなんでも、きっときもちを)
「それも随分ヒドイんですよ、お聞きになったらいくら何でも、きっと気持を
(わるくしますよ」)
悪くしますよ」
(「いいです、いいです、かまわないからいってください!ぼくはいまじゃじゅんぜんたる)
「いいです、いいです、構わないから云って下さい!僕は今じゃ純然たる
(こうきしんから、あのおんなのひみつをしりたいんです」)
好奇心から、あの女の秘密を知りたいんです」
(「じゃあそのひみつをしょうしょうばかりいいましょうか、あなたはいったい、)
「じゃあその秘密を少々ばかり云いましょうか、あなたは一体、
(このなつかまくらにいらしったじぶん、なおみさんにいくにんおとこがあったとおもいます?」)
この夏鎌倉にいらしった時分、ナオミさんに幾人男があったと思います?」
(「さあ、ぼくのしっているかぎりでは、きみとくまがいだけだけれど、まだそのほかにも)
「さあ、僕の知っている限りでは、君と熊谷だけだけれど、まだその外にも
(あったんですか?」)
あったんですか?」
(「かわいさん、あなたおどろいちゃいけませんよ、せきもなかむらも)
「河合さん、あなた驚いちゃいけませんよ、関も中村も
(そうだったんですよ」)
そうだったんですよ」
(わたしはよってはいましたけれど、びりりとからだにでんきがきたようなきがしました。)
私は酔ってはいましたけれど、ビリリと体に電気が来たような気がしました。
(そしておもわず、めのまえにあったはいをがぶがぶごろっぱいひっかけてから、)
そして思わず、眼の前にあった杯をガブガブ五六杯引っかけてから、
(はじめてくちをききました。)
始めて口を利きました。
(「するとあのときのれんちゅうは、ひとりのこらず?」)
「するとあの時の連中は、一人残らず?」
(「ええ、そうですよ、そうしてあなた、どこであっていたとおもうんです?」)
「ええ、そうですよ、そうしてあなた、何処で会っていたと思うんです?」
(「あのおおくぼのべっそうですか?」)
「あの大久保の別荘ですか?」
(「あなたのかりていらしった、うえきやのはなれざしきですよ」)
「あなたの借りていらしった、植木屋の離れ座敷ですよ」
(「ふうむ、・・・・・・・・・」)
「ふうむ、・・・・・・・・・」
(といったなり、まるでいきでもつまったようにしんとしずんでしまったわたしは、)
と云ったなり、まるで息でも詰まったようにしんと沈んでしまった私は、
(と、やっとうめるようなこえをだしました。)
と、やっと呻るような声を出しました。
(「だからあのじぶん、おそらくいちばんめいわくしたのはうえきやのかみさんだった)
「だからあの時分、恐らく一番迷惑したのは植木屋のかみさんだった
(でしょうよ。くまがいのぎりがあるもんだから、でてくれろというわけにもいかず、)
でしょうよ。熊谷の義理があるもんだから、出てくれろと云う訳にも行かず、
(そうかといってじぶんのいえがいっしゅのまくつになってしまって、いろんなおとこが)
そうかと云って自分の家が一種の魔窟になってしまって、いろんな男が
(しっきりなしにでいりするんで、きんじょどなりにはていさいがわるいし、それにまんいち、)
しっきりなしに出入りするんで、近所隣りには体裁が悪いし、それに万一、
(あなたにしれたらたいへんだとおもうもんだから、はらはらしていたようでしたよ」)
あなたに知れたら大変だと思うもんだから、ハラハラしていたようでしたよ」
(「ははあ、なるほど、そういわれりゃ、いつだかぼくがなおみのことをたずねると、)
「ははあ、成る程、そう云われりゃ、いつだか僕がナオミのことを尋ねると、
(かみさんがひどくめんくらっておどおどしていたようでしたが、そういうわけが)
かみさんがひどく面喰ってオドオドしていたようでしたが、そう云う訳が
(あったんですか。おおもりのいえはきみのみっかいじょにされるし、うえきやのはなれは)
あったんですか。大森の家は君の密会所にされるし、植木屋の離れは
(まくつになるし、それをしらずにいたなんて、いやはやどうも、さんざんなめに)
魔窟になるし、それを知らずにいたなんて、イヤハヤどうも、散々な目に
(あってたんだな」)
遇ってたんだな」
(「あ、かわいさん、おおもりのことはいいっこなし!それをいわれるとあやまります」)
「あ、河合さん、大森のことは云いッこなし!それを云われると詫まります」
(「あはははは、なあにいいですよ、もうなにもかもいっさいかこのできごとだから、)
「あはははは、なあにいいですよ、もう何もかも一切過去の出来事だから、
(さしつかえないじゃありませんか。しかしそれほどなおみのやつにうまく)
差支えないじゃありませんか。しかしそれ程ナオミの奴に巧く
(だまされていたのかとおもうと、むしろだまされてもつうかいですな。あんまりわざが)
欺されていたのかと思うと、寧ろ欺されても痛快ですな。あんまり技が
(きれいなんで、ただあっといってかんしんしちまうばかりですな」)
キレイなんで、唯あッと云って感心しちまうばかりですな」
(「まるですもうのてかなにかで、すぽりとせおいなげをくらわされたような)
「まるで相撲の手か何かで、スポリと背負い投げを喰わされたような
(もんですからね」)
もんですからね」
(「どうかんどうかん、まったくおせつのとおりですよ。それでなんですか、そのれんちゅうは)
「同感々々、全くお説の通りですよ。それで何ですか、その連中は
(みんななおみにほんろうされて、たがいにしらずにいたんですか?」)
みんなナオミに翻弄されて、互に知らずにいたんですか?」
(「いや、しってましたさ、どうかするといちどにふたりがかちあうことが)
「いや、知ってましたさ、どうかすると一度に二人がカチ合うことが
(あったくらいです」)
あったくらいです」
(「それでけんかにもならないんですか?」)
「それで喧嘩にもならないんですか?」
(「やつらはたがいに、あんもくのうちにどうめいをつくって、なおみさんをきょうゆうぶつに)
「奴等は互に、暗黙のうちに同盟を作って、ナオミさんを共有物に
(していたんです。つまりそれからひどいあだながついちゃったんで、かげじゃあ)
していたんです。つまりそれからヒドイ仇名が附いちゃったんで、蔭じゃあ
(みんな、あだなでばかりよんでいましたよ。あなたはそれをごぞんじないから、)
みんな、仇名でばかり呼んでいましたよ。あなたはそれを御存じないから、
(かえってこうふくだったけれど、ぼくはつくづくあさましいきがして、どうかして)
却って幸福だったけれど、僕はつくづく浅ましい気がして、どうかして
(なおみさんをすくいだそうとおもったんですが、いけんをするとつんとおこって、)
ナオミさんを救い出そうと思ったんですが、意見をするとつんと怒って、
(あべこべにぼくをばかにするんで、てのつけようがなかったんです」)
あべこべに僕を馬鹿にするんで、手の附けようがなかったんです」
(はまだもさすがにあのじぶんのことをおもいだしたのか、かんしょうてきなくちょうになって、)
浜田もさすがにあの時分のことを想い出したのか、感傷的な口調になって、
(「ねえかわいさん、ぼくはいつぞや「まつあさ」でおめにかかったとき、こんなことまでは)
「ねえ河合さん、僕はいつぞや『松浅』でお目に懸った時、こんなことまでは
(あなたにいわなっかたでしょう。」)
あなたに云わなっかたでしょう。」
(「あのときのきみのはなしだと、なおみをじゆうにしているものはくまがいだという」)
「あの時の君の話だと、ナオミを自由にしているものは熊谷だと云う」
(「ええ、そうでした、ぼくはあのときそういいました。もっともそれはうそじゃないので、)
「ええ、そうでした、僕はあの時そう云いました。尤もそれは嘘じゃないので、
(なおみさんとくまがいとはがさつなところがしょうにあったのか、いちばんなかよくしていました。)
ナオミさんと熊谷とはガサツな所が性に合ったのか、一番仲よくしていました。
(だからだれよりもくまがいがきょかいだ。わるいことはみんなあいつがおしえるんだと)
だから誰よりも熊谷が巨魁だ。悪いことはみんな彼奴が教えるんだと
(おもったので、ああいうふうにいったのですが、まさかそれいじょうは、あなたに)
思ったので、ああ云う風に云ったのですが、まさかそれ以上は、あなたに
(いえなかったんですよ。まだあのときは、あなたがなおみさんとすてないように、)
云えなかったんですよ。まだあの時は、あなたがナオミさんと捨てないように、
(そしてぜんりょうなほうめんへみちびいておやりになるようにと、いのっていたのですから」)
そして善良な方面へ導いておやりになるようにと、祈っていたのですから」
(「それがみちびくどころじゃない、かえってこっちがひきずられて)
「それが導くどころじゃない、却って此方が引き摺られて
(いっちまったんだから、」)
行っちまったんだから、」
(「なおみさんにかかったひには、どんなおとこでもそうなりまさあ」)
「ナオミさんに懸った日には、どんな男でもそうなりまさあ」
(「あのおんなにはふしぎなまりょくがあるんですな」)
「あの女には不思議な魔力があるんですな」
(「たしかにあれはまりょくですなあ!ぼくもそれをかんじたから、もうあのひとには)
「確かにあれは魔力ですなあ!僕もそれを感じたから、もうあの人には
(ちかよるべからず、ちかよったらば、こっちがあぶないとさとったんです。」)
近寄るべからず、近寄ったらば、此方が危いと悟ったんです。」
(なおみ、なおみ、たがいのあいだにそのながいくどくりかえされたか)
ナオミ、ナオミ、互の間にその名が幾度繰り返されたか
(しれませんでした。ふたりはそのなをさけのさかなにしてのみました。そのなめらかな)
知れませんでした。二人はその名を酒の肴にして飲みました。その滑かな
(はつおんを、ぎゅうにくよりもいっそううまいくいもののように、したであじわい、だえきでねぶり、そして)
発音を、牛肉よりも一層旨い食物のように、舌で味わい、唾液で舐り、そして
(くちびるにのぼせました。)
唇に上せました。
(「だがいいですよ、まあいっぺんはああいうおんなにだまされてみるのも」)
「だがいいですよ、まあ一遍はああ云う女に欺されて見るのも」
(と、わたしはかんがいむりょうのていでそういいました。)
と、私は感慨無量の体でそう云いました。
(「そりゃそうですとも!ぼくはとにかくあのひとのおかげではつこいのあじを)
「そりゃそうですとも!僕はとにかくあの人のお陰で初恋の味を
(しったんですもの。たといわずかのあいだでもうつくしいゆめをみせてもらった、それをおもえば)
知ったんですもの。たとい僅かの間でも美しい夢を見せて貰った、それを思えば
(かんしゃしなけりゃなりませんよ」)
感謝しなけりゃなりませんよ」
(「だけどもいまにどうなるでしょう、あのおんなのみのゆくすえは?」)
「だけども今にどうなるでしょう、あの女の身の行く末は?」
(「さあ、これからどんどんだらくしていくばかりでしょうね。くまがいのはなしじゃ、)
「さあ、これからどんどん堕落して行くばかりでしょうね。熊谷の話じゃ、
(まっかねるのところにだってながくいられるはずはないから、にさんにちしたらまたどこかへ)
マッカネルの所にだって長く居られる筈はないから、二三日したら又何処かへ
(いくだろう、おれんとこにもにもつがあるからくるかもしれないって)
行くだろう、己ンとこにも荷物があるから来るかも知れないッて
(いっていましたが、ぜんたいなおみさんは、じぶんのいえがないんでしょうか?」)
云っていましたが、全体ナオミさんは、自分の家がないんでしょうか?」
(「いえはあさくさのめいしゅやなんですよ、あいつにかわいそうだとおもって、いままで)
「家は浅草の銘酒屋なんですよ、彼奴に可哀そうだと思って、今まで
(だれにもいったことはありませんがね」)
誰にも云ったことはありませんがね」
(「ああ、そうですか、やっぱりそだちというものはあらそわれないもんですなあ」)
「ああ、そうですか、やっぱり育ちと云うものは争われないもんですなあ」