中島敦 光と風と夢 4

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録
プレイ回数309難易度(5.0) 6575打 長文
中島敦の中編小説です

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問題文

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(そのみずはすぐちかにもぐってみえなくなってしまう。がんぺきはよじのぼれそうもないので、)

其の水は直ぐ地下に潜って見えなくなって了う。岩壁は攀登れそうもないので、

(きをつたってよこのつつみにのぼる。あおくさいくさのにおいがむんむんして、あつい。みもざのはな。)

木を伝って横の堤に上る。青臭い草の匂がむんむんして、暑い。ミモザの花。

(しだるいのしょくしゅ。からだじゅうをみゃくはくがはげしくうつ。とたんになにかおとがしたようにおもって)

羊歯類の触手。身体中を脈搏が烈しく打つ。途端に何か音がしたように思って

(みみをすます。たしかにすいしゃのまわるようなおとがした。それも、きょだいなすいしゃが)

耳をすます。確かに水車の廻るような音がした。それも、巨大な水車が

(すぐあしもとでごーっとなったような、あるいは、えんらいのようなおとが、にさんかい。そして、)

直ぐ足許でゴーッと鳴った様な、或いは、遠雷の様な音が、二三回。そして、

(そのおとがつよくなるたびに、しずかなやまぜんたいがゆれるようにかんじた。じしんだ。)

その音が強くなる度に、静かな山全体が揺れるように感じた。地震だ。

(また、すいろにそっていく。こんどはみずがおおい。おそろしくつめたくすんだみず。きょうちくとう、)

又、水路に沿って行く。今度は水が多い。恐ろしく冷たく澄んだ水。夾竹桃、

(しとろん、たこのき、おれんじ。それなどのきぎのまるてんじょうのしたを)

枸櫞樹[シトロン]、たこの木、オレンジ。其等の樹々の円天井の下を

(しばらくいくと、またみずがなくなる。ちかのようがんのどうけつのろうかにもぐりこむのだ。)

暫く行くと、また水が無くなる。地下の熔岩の洞穴の廊下に潜り込むのだ。

(わたしはそのろうかのうえをあるく。いつまでいっても、きぎにうもれたいどのそこから)

私は其の廊下の上を歩く。何時迄行っても、樹々に埋れた井戸の底から

(なかなかぬきでられぬ。よほどいってから、しばらくしげみがあさくなり、そらがはのあいだから)

仲々抜出られぬ。余程行ってから、暫く繁みが浅くなり、空が葉の間から

(すけてみえるようになった。)

透けて見えるようになった。

(ふと、うしのなきこえをききつける。たしかにわたしのしょゆうするうしにはちがいないが、せんぽうでは)

ふと、牛の鳴声を聞きつける。確かに私の所有する牛には違いないが、先方では

(しょゆうぬしをみしるまいから、すこぶるきけんだ。たちどまり、ようすをうかがって、)

所有主を見知るまいから、頗る危険だ。立停り、様子をうかがって、

(うまくやりすごす。しばらくすすむと、るいるいたるようがんのがけにでくわす。あさいうつくしいたきが)

巧くやり過ごす。暫く進むと、纍々たる熔岩の崖に出くわす。浅い美しい滝が

(かかっている。したのみずたまりのなかを、ゆびぐらいのこざかなのかげがすいすいとはしる。)

かかっている。下の水溜の中を、指ぐらいの小魚の影がすいすいと走る。

(ざりがにもいるらしい。くちたおれ、なかばみずにひたったきょぼくのほら。けいりゅうのそこの)

ざりがにもいるらしい。朽ち倒れ、半ば水に浸った巨木の洞。渓流の底の

(いちまいいわがふしぎにるびいのようにあかい。)

一枚岩が不思議にルビイの様に紅い。

(やがてまたもかしょうはかわき、いよいよヴぁえあやまのけわしいめんをのぼっていく。)

やがて又も河床は乾き、いよいよヴァエア山の嶮しい面を上って行く。

(かしょうらしいものもなくなり、さんちょうにちかいだいちにでる。ほうこうすることしばし、だいちが)

河床らしいものもなくなり、山頂に近い台地に出る。彷徨すること暫し、台地が

など

(ひがしがわのだいきょうこくにおちこむえんのところに、いっぽんのすばらしいきょじゅをみつけた。)

東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。

(がじまるだ。たかさはにひゃくふぃーともあろう。きょかんとかずしれぬ)

榕樹[ガジマル]だ。高さは二百呎もあろう。巨幹と数知れぬ

(そのじゅうしゃども(きこん)とは、ちきゅうをになうあとらすのように、かいちょうのつばさを)

其の従者共(気根)とは、地球を担うアトラスの様に、怪鳥の翼を

(ひろげたるがごときおおえだのむれをささえ、いっぽう、えだえだのみねのなかには、しだ・らんるいが)

拡げたるが如き大枝の群を支え、一方、枝々の嶺の中には、羊歯・蘭類が

(それぞれまたひとつのもりのようにむらがりしげっている。えだえだのぐんは、ひとつのとほうもなく)

それぞれ又一つの森のように叢がり茂っている。枝々の群は、一つの途方もなく

(おおきなどーむだ。それはそうそうるいるいともりあがって、あかるいにしぞら(すでにだいぶ)

大きな円蓋[ドーム]だ。それは層々纍々と盛上がって、明るい西空(既に大分

(ゆうがたにちかくなっていた)にたかくむかいあい、ひがしのかたすうまいるのたにからのにかけて)

夕方に近くなっていた)に高く向い合い、東の方数哩の谿から野にかけて

(えんえんとひろがるそのかげのおおきさ!まことに、なにともごうとうなみものであった。)

蜿蜒と拡がる其の影の巨[おお]きさ!誠に、何とも豪宕な観ものであった。

(もうおそいのであわてて、きとにつく。うまをつないでおいたところへきてみると、)

もう遅いので慌てて、帰途に就く。馬を繋いで置いた所へ来て見ると、

(じゃっくははんきょうらんのざまだ。ひとりぼっちでもりのなかにはんにちすておかれたきょうふの)

ジャックは半狂乱の態だ。独りぼっちで森の中に半日捨て置かれた恐怖の

(ためらしい。ヴぁえあやまにはあいとぅ・ふぁふぃねなるじょかいがでると)

為らしい。ヴァエア山にはアイトゥ・ファフィネなる女怪が出ると

(どじんはいうから、じゃっくはそれをみたのかもしれぬ。なんどもじゃっくに)

土人は云うから、ジャックはそれを見たのかも知れぬ。何度もジャックに

(けられそうになりながら、ようやくのことでなだめて、つれかえった。)

蹴られそうになりながら、漸くのことで宥めて、連れ帰った。

(ごがつばつにち)

五月日

(ごご、べる(いそべる)のぴあのにあわせてふらじおれっとをふく。)

午後、ベル(イソベル)のピアノに合せて銀笛[フラジオレット]を吹く。

(くらっくすとんしらいほう。「ぼっとる・いむぷ」をさもあごに)

クラックストン師来訪。「壜の魔物[ボットル・イムプ]」をサモア語に

(やくして、お・れ・さる・お・さもあしにのせたきよし。よろこんでしょうだく。じぶんの)

訳して、オ・レ・サル・オ・サモア誌に載せ度き由。欣んで承諾。自分の

(たんぺんのなかでも、ずっとむかしの「ねじけじゃけっと」や、このぐうわなど、さくしゃのもっとも)

短編の中でも、ずっと昔の「ねじけジャケット」や、この寓話など、作者の最も

(すきなものだ。なんかいをぶたいにしたはなしだから、あんがいどじんたちもよろこぶかもしれない。)

好きなものだ。南海を舞台にした話だから、案外土人達も喜ぶかも知れない。

(これでいよいよわたしはかれらのつしたら(ものがたりのかたりて)となるのだ。)

之で愈々私は彼等のツシタラ(物語の語りて)となるのだ。

(よる、ねについてから、あめのおと。かいじょうとおくかすかないなずま。)

夜、寝に就いてから、雨の音。海上遠く微かな稲妻。

(ごがつばつばつにち)

五月日

(まちへおりる。ほとんどしゅうじつかわせのことでごたごた。ぎんのとうらくは、このちにおいては)

街へ下りる。殆ど終日為替のことでゴタゴタ。銀の騰落は、此の地に於いては

(すこぶるだいもんだいなり。)

頗る大問題なり。

(ごご、こうないにていはくちゅうのふねぶねにちょうきあがる。どじんのおんなをつまとし、)

午後、港内に碇泊中の船々に弔旗揚がる。土人の女を妻とし、

(さめそにのなをもってとうみんにしたしまれていたきゃぷてん・はるとみんが)

サメソニの名を以て島民に親しまれていたキャプテン・ハルトミンが

(しんだのだ。)

死んだのだ。

(ゆうがた、べいこくりょうじかんのほうへあるいてみた。まんげつのうつくしいよる。またうとぅのかどを)

夕方、米国領事館の方へ歩いて見た。満月の美しい夜。マタウトゥの角を

(まがったとき、ぜんぽうからさんびかのがっしょうのこえがきこえた。ししゃのいえのばるこにいに)

曲った時、前方から讃美歌の合唱の声が聞えた。死者の家のバルコニイに

(おんなたち(どじんの)がたくさんいてうたっているのだった。みぼうじんになっためぁりい)

女達(土人の)が沢山いて唱っているのだった。未亡人になったメァリイ

((やはり、さもあじんだが)が、いえのいりぐちのいすにかけていた。わたしとみしりごしの)

(矢張、サモア人だが)が、家の入口の椅子に掛けていた。私と見知越しの

(かのじょは、わたしをしょうじいれてじぶんのとなりにかけさせた。しつないのてーぶるの)

彼女は、私を請じ入れて自分の隣に掛けさせた。室内の卓子[テーブル]の

(うえに、しーつにつつまれてよこたわっているこじんのいがいをわたしはみた。さんびかが)

上に、シーツに包まれて横たわっている故人の遺骸を私は見た。讃美歌が

(おわってから、どじんのぼくしがたちあがって、はなしをはじめた。ながいはなしだった。)

終ってから、土人の牧師が立上がって、話を始めた。長い話だった。

(とうみょうのひかりがとびらやまどからそとへながれだしていた。かっしょくのしょうじょたちがたくさんわたしの)

灯明の光が扉や窓から外へ流れ出していた。褐色の少女達が沢山私の

(ちかくにすわっていた。おそろしくむしあつかった。ぼくしのはなしがおわると、めぁりいはわたしを)

近くに坐っていた。恐ろしく蒸暑かった。牧師の話が終ると、メァリイは私を

(なかにあんないした。こきゃぷてんのゆびはむねのうえにくまれ、そのしにがおはおだやかだった。)

中に案内した。故キャプテンの指は胸の上に組まれ、其の死顔は穏やかだった。

(いまにもなにかぐちをききそうであった。これほどしょうじょうした・うつくしいろうざいくのめんを)

今にも何か口をききそうであった。之程生々した・美しい蝋細工の面を

(いまだみたことがない。)

未だ見たことがない。

(いちれいしてわたしはおもてへでた。つきがあかるく、おれんじのこうがどこからかにおっていた、)

一礼して私は表へ出た。月が明るく、オレンジの香が何処からか匂っていた、

(すでにこのよのいくさをおえ、こんなうつくしいねったいのよる、おとめらのうたにかこまれてしずかに)

既に此の世の戦を終え、こんな美しい熱帯の夜、乙女等の唄に囲まれて静かに

(ねむっているこじんにたいして、いっしゅかんびなせんぼうのねんをわたしはおぼえた。)

眠っている故人に対して、一種甘美な羨望の念を私は覚えた。

(ごがつばつばつにち)

五月日

(「なんようだよりは、へんしゅうしゃならびにどくしゃにふまんのよし。いわく、「なんようけんきゅうの)

「南洋だよりは、編輯者並びに読者に不満の由。曰く、『南洋研究の

(しりょうしうしふ、あるひはかがくてきかんさつならば、また、ほかにひともあるべし。)

資料蒐集[しうしふ]、或ひは科学的観察ならば、又、他に人もあるべし。

(どくしゃのr・l・s・しにのぞむところのものは、もとよりそのれいひつにかかるなんかいの)

読者のR・L・S・氏に望む所のものは、固よりその麗筆に係る南海の

(りょうきてきぼうけんしにこれありそうろう」じょうだんではない。わたしがあのげんこうを)

猟奇的冒険詩に有之候[これありそうろう]』冗談ではない。私があの原稿を

(かくとき、あたまにうかべていたもでるは、じゅうはっせいきふうのきこうぶん、ひっしゃのしゅかんや)

書く時、頭に浮べていた模範[モデル]は、十八世紀風の紀行文、筆者の主観や

(じょうちょをおさえて、そくぶつてきなかんさつにしゅうしした・ああいういきかたなのだ。「たからじま」の)

情緒を抑えて、即物的な観察に終始した・ああいう行き方なのだ。「宝島」の

(さくしゃはいつまでもかいぞくとうもれたたからもののことをかいていればいいのであって、なんかいの)

作者は何時迄も海賊と埋れた宝物のことを書いていればいいのであって、南海の

(しょくみんじじょうや、どちゃくみんのじんこうげんしょうげんしょうや、ふきょうじょうたいについて)

殖民事情や、土着民の人口減少現象や、布教状態に就いて

(こうさつするしかくがないとでもいうのか?やりきれないことには、ふぁにいまでが)

考察する資格が無いとでもいうのか?やり切れないことには、ファニイ迄が

(あめりかのへんしゅうしゃとどういけんなのだ。「せいかくなかんさつよりも、はなやかでおもしろいはなしを)

亜米利加の編輯者と同意見なのだ。「精確な観察よりも、華やかで面白い話を

(かかなければ、」というのだ。)

書かなければ、」と云うのだ。

(だいたい、わたしはちかごろ、じゅうらいのじぶんのごくさいしきびょうしゃがだんだんいやになってきた。さいきんの)

大体、私は近頃、従来の自分の極彩色描写が段々厭になって来た。最近の

(わたしのぶんたいは、つぎのふたつをめざしているつもりだ。いち、むようのけいようしのぜつめつ。)

私の文体は、次の二つを目指している積りだ。一、無用の形容詞の絶滅。

(に、しかくてきびょうしゃへのせんせん。にゅーよーく・さんしのへんしゅうしゃにもふぁにいにも)

二、視覚的描写への宣戦。ニューヨーク・サン紙の編輯者にもファニイにも

(ろいどにも、いまだこのことがわからないのだ。)

ロイドにも、未だ此の事が解らないのだ。

(「れっかー」はじゅんちょうにしんちょくしつつある。ろいどのほかに)

「難破船引揚業者[レッカー]」は順調に進捗しつつある。ロイドの他に

(いそべるといういっそうていねいなひっきしゃがふえたのは、おおいにたすかる。)

イソベルという一層叮嚀な筆記者が殖えたのは、大いに助かる。

(かちくのさいりょうをしているらふぁえれに、げんざいのとうすうをきいてみたら、にゅうぎゅうさんとう、)

家畜の宰領をしているラファエレに、現在の頭数を聞いて見たら、乳牛三頭、

(こうしがめすおすかくいっとうずつ、うまはっとう、(ここまではきかなくても)

犢[こうし]が牝牡[めすおす]各一頭ずつ、馬八頭、(ここ迄は聞かなくても

(しっている。)ぶたがさんじゅっぴきあまり。あひるとにわとりとはずいしょにしゅつぼつするので)

知っている。)豚が三十匹余り。家鴨[あひる]と鶏とは随所に出没するので

(ほとんどむすうというほかはなく、なお、べつにおびただしいのらねこどもが)

殆ど無数という外はなく、尚、別に夥しい野良猫共が

(ばっこしているよし。のらねこはかちくなりや?)

跋扈[ばっこ]している由。野良猫は家畜なりや?

(ごがつばつばつにち)

五月日

(まちに、しまめぐりのさーかすがきたというので、いっかそうででみにいく。まひるの)

街に、島巡りのサーカスが来たというので、一家総出で見に行く。真昼の

(だいてんまくのした、どじんのだんじょのけんそうのなかで、なまぬるいかぜにふかれながら、きょくげいをみる。)

大天幕の下、土人の男女の喧騒の中で、生温い風に吹かれながら、曲芸を見る。

(これがわれわれにとってのゆいいつのげきじょうだ。われわれのぷろすぺろおはたまのりのくろくま。)

これが我々にとっての唯一の劇場だ。我々のプロスペロオは球乗の黒熊。

(みらんだはうまのせにらんぶしつつひのわをもぐる。)

ミランダは馬の背に乱舞しつつ火の輪を潜る。

(ゆうがた、かえる。なにかこころたのしまず。)

夕方、帰る。何か心格[たの]しまず。

(ろくがつばつにち)

六月日

(さくやはちじはんごろにろいどとじしつにいると、みたいえれ(じゅういち・にさいのしょうねんめしつかい)が)

昨夜八時半頃にロイドと自室にいると、ミタイエレ(十一・二歳の少年召使)が

(やってきて、いっしょにねているぱーたりせ(さいきん、こがいろうどうからしつないきゅうじに)

やって来て、一緒に寐ているパータリセ(最近、戸外労働から室内給仕に

(しょうかくしたじゅうご・ろくさいのしょうねん、わりすとうのものでえいごはかいもくわからず、さもあごも)

昇格した十五・六歳の少年、ワリス島の者で英語は皆目判らず、サモア語も

(いつつしかしらない。)が、きゅうにへんなことをいいいだしてきみがわるい。といった。)

五つしか知らない。)が、急に変な事を言出して気味が悪い。と言った。

(なんでも、「いまからもりのなかにいるうちのものにあいにいく。」といって)

何でも、「今から森の中にいる家族[うち]の者に逢いに行く。」といって

(きかないのだそうだ。「もりのなかに、あのこのいえがあるのか?」ときくと、)

聞かないのだそうだ。「森の中に、あの子の家があるのか?」と聞くと、

(「あるもんですか。」とみたいえれがいう。すぐにろいどと、かれらの)

「あるもんですか。」とミタイエレが言う。直ぐにロイドと、彼等の

(しんしつへいった。)

寝室へ行った。

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