人間失格【太宰治】28
第三の手記2です
三月末~「すみません」まで
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問題文
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(さんがつまつのあるゆうがたひらめはおもわぬもうけぐちにでもありついたのか)
三月末の或る夕方、ヒラメは思わぬもうけ口にでもありついたのか、
(またはなにかほかにさくりゃくでもあったのかそのふたつのすいさつが)
または何か他に策略でもあったのか、(その二つの推察が、
(ともにあたっていたとしてもおそらくはさらにまたいくつかの)
ともに当たっていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、
(じぶんなどにはとてもすいさつのとどかないこまかいげんいんもあったのでしょうが)
自分などにはとても推察のとどかないこまかい原因もあったのでしょうが)
(じぶんをかいかのめずらしくおちょうしなどついているしょくたくにまねいて)
自分を階下の珍しくお銚子などついている食卓に招いて、
(ひらめならぬまぐろのさしみにごちそうのあるじみずからかんぷくししょうさんし)
ヒラメならぬマグロの刺身に、ごちそうの主人みずから感服し、賞讃し、
(ぼんやりしているいそうろうにもすこしくおさけをすすめどうするつもりなんです)
ぼんやりしている居候にも少しくお酒をすすめ、「どうするつもりなんです、
(いったいこれからじぶんはそれにこたえずたくじょうのさらからたたみいわしをつまみあげ)
いったい、これから」自分はそれに答えず、卓上の皿から畳鰯をつまみ上げ、
(そのこざかなたちのぎんのめだまをながめていたらよいがほのぼのはっしてきて)
その小魚たちの銀の眼玉を眺めていたら、酔いがほのぼの発して来て、
(あそびまわっていたころがなつかしくほりきでさえなつかしくつくづくじゆう)
遊び廻っていた頃がなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由」
(がほしくなりふっとかぼそくなきそうになりました)
が欲しくなり、ふっと、かぼそく泣きそうになりました。
(じぶんがこのいえへきてからはどうけをえんずるはりあいさえなく)
自分がこの家へ来てからは、道化を演ずる張合いさえ無く、
(ただもうひらめとこぞうのべっしのなかにみをよこたえひらめのほうでもまた)
ただもうヒラメと小僧の蔑視の中に身を横たえ、ヒラメのほうでもまた、
(じぶんとうちとけたながばなしをするのをさけているようすでしたし)
自分と打ち解けた長噺をするのを避けている様子でしたし、
(じぶんもそのひらめをおいかけてなにかをうったえるきなどはおこらずほとんどじぶんは)
自分もそのヒラメを追いかけて何かを訴える気などは起らず、ほとんど自分は、
(まぬけづらのいそうろうになりきっていたのですきそゆうよというのは)
間抜けづらの居候になり切っていたのです。「起訴猶予というのは、
(ぜんかなんぱんとかそうなものにはならないもようですだからまあ)
前科何犯とか、そうなものには、ならない模様です。だから、まあ、
(あなたのこころがけひとつでこうせいができるわけですあなたがもしかいしんして)
あなたの心掛け一つで、更生が出来るわけです。あなたが、もし、改心して、
(あなたのほうからまじめにわたしにそうだんをもちかけてくれたらわたしもかんがえてみます)
あなたのほうから、真面目に私に相談を持ちかけてくれたら、私も考えてみます
(ひらめのはなしかたにはいやよのなかのぜんぶのひとのはなしかたにはこのようにややこしく)
ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このようにややこしく
など
(どこかもうろうとしてにげごしとでもいったみたいなびみょうなふくざつさがあり)
どこか朦朧として、逃腰とでもいったみたいな微妙な複雑さがあり、
(そのほとんどむえきとおもわれるくらいのげんじゅうなけいかいと)
そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、
(むすうといっていいくらいのこうるさいかけひきとにはいつもじぶんはとうわくし)
無数と言っていいくらいの小うるさい駈引きとには、いつも自分は当惑し、
(どうでもいいやというきぶんになっておどけでちゃかしたり)
どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、
(またはむごんのしゅこうでいっさいおまかせという)
または無言の首肯で一さいおまかせという、
(いわばはいぼくのたいどをとってしまうのでしたこのときもひらめがじぶんにむかって)
謂わば敗北の態度をとってしまうのでした。この時もヒラメが、自分に向って、
(だいたいつぎのようにかんたんにほうこくすれば)
だいたい次のように簡単に報告すれば、
(それですむことだったのをじぶんはこうねんにいたってしりひらめのふひつようなようじん)
それですむ事だったのを自分は後年に到って知り、ヒラメの不必要な用心、
(いやよのなかのひとたちのふかかいなみえおていさいに)
いや、世の中の人たちの不可解な見栄、おていさいに、
(なんともいんうつなおもいをしましたひらめはそのとき)
何とも陰鬱な思いをしました。ヒラメは、その時、
(ただこういえばよかったのでしたかんりつでもしりつでもとにかくしがつから)
ただこう言えばよかったのでした。「官立でも私立でも、とにかく四月から、
(どこかがっこうへはいりなさいあなたのせいかつひはがっこうへはいるとくにから)
どこか学校へはいりなさい。あなたの生活費は、学校へはいると、くにから、
(もっとじゅうぶんにおくってくることになっているのです)
もっと充分に送って来る事になっているのです」
(ずっとあとになってわかったのですがじじつはそのようになっていたのでした)
ずっと後になってわかったのですが、事実は、そのようになっていたのでした。
(そうしてじぶんもそのいいつけにしたがったのでしょうそれなのに)
そうして、自分もその言いつけに従ったのでしょう。それなのに、
(ひらめのいやにようじんぶかくもってまわったいいかたのためにみょうにこじれ)
ヒラメのいやに用心深く持って廻った言い方のために、妙にこじれ、
(じぶんのいきていくほうこうもまるでかわってしまったのです)
自分の生きて行く方向もまるで変ってしまったのです。
(まじめにわたしにそうだんをもちかけてくれるきもちがなければしようがないですが)
「真面目に私に相談を持ちかけてくれる気持が無ければ、仕様がないですが」
(どんなそうだんじぶんにはほんとうになにもけんとうがつかなかったのです)
「どんな相談?」自分には、本当に何も見当がつかなかったのです。
(それはあなたのむねにあることでしょうたとえばたとえばって)
「それは、あなたの胸にある事でしょう?」「たとえば?」「たとえばって、
(あなたじしんこれからどうするきなんですはたらいたほうがいいんですか)
あなた自身、これからどうする気なんです」「働いたほうが、いいんですか?」
(いやあなたのきもちはいったいどうなんですだって)
「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです」「だって、
(がっこうへはいるといったってそりゃおかねがいりますしかしもんだいは)
学校へはいるといったって、……」「そりゃ、お金が要ります、しかし、問題は
(おかねでないあなたのきもちですおかねは)
お金でない。あなたの気持です」お金は、
(くにからくることになっているんだからとなぜひとこといわなかったのでしょう)
くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わなかったのでしょう
(そのひとことによってじぶんのきもちもきまったはずなのにじぶんには)
その一言に依って、自分の気持も、きまった筈なのに、自分には、
(ただごりむちゅうでしたどうですかなにかしょうらいのきぼうとでもいったものが)
ただ五里霧中でした。「どうですか?何か、将来の希望、とでもいったものが、
(あるんですかいったいどうもひとをひとりせわしているというのは)
あるんですか?いったい、どうも、ひとをひとり世話しているというのは、
(どれだけむずかしいものだかせわされてるひとにはわかりますまい)
どれだけむずかしいものだか、世話されてるひとには、わかりますまい」
(すみません)
「すみません」