黄金風景2(完)/太宰治

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問題文

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(おもいだした。ああ、とおもわずうめいて、わたしはげんかんのしきだいにしゃがんだまま、)

思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、

(あたまをたれて、そのにじゅうねんまえ、のろくさかったひとりのじょちゅうにたいしてのわたしの)

頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の

(あくぎょうが、ひとつひとつ、はっきりおもいだされ、ほとんどざにたえかねた。)

悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。

(「こうふくですか?」ふとかおをあげてそんなとっぴょうしもないしつもんをするわたしの)

「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子もない質問をする私の

(かおは、たしかにざいにん、ひこく、ひくつなわらいをさえうかべていたときおくする。)

かおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。

(「ええ、もう、どうやら」くったくなく、そうほがらかにこたえて、おまわりは)

「ええ、もう、どうやら」くったくなく、そうほがらかに答えて、お巡りは

(はんけちでひたいのあせをぬぐって、「かまいませんでしょうか。こんどあれを)

ハンケチで額の汗をぬぐって、「かまいませんでしょうか。こんどあれを

(つれて、いちどゆっくりおれいにあがりましょう」)

連れて、いちどゆっくりお礼にあがりましょう」

(わたしはとびあがるほどぎょっとした。いいえ、もう、それには、とはげしく)

私は飛び上るほどぎょっとした。いいえ、もう、それには、と激しく

(きょひして、わたしはいいしれぬくつじょくかんにみもだえしていた。)

拒否して、私は言い知れぬ屈辱感に身悶えしていた。

(けれども、おまわりは、ほがらかだった。)

けれども、お巡りは、朗らかだった。

(「こどもがねえ、あなた、ここのえきにつとめるようになりましてな、それが)

「子供がねえ、あなた、ここの駅につとめるようになりましてな、それが

(ちょうなんです。それからおとこ、おんな、おんな、そのすえのがやっつでことししょうがっこうに)

長男です。それから男、女、女、その末のが八つでことし小学校に

(あがりました。もうひとあんしん。おけいもくろういたしました。なんというか、まあ、)

あがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、まあ、

(おたくのようなおおやにあがってぎょうぎみならいしたものは、やはりどこか、)

お宅のような大家にあがって行儀見習いした者は、やはりどこか、

(ちがいましてな」すこしかおをあかくしてわらい、「おかげさまでした。おけいも、)

ちがいましてな」すこし顔を赤くして笑い、「おかげさまでした。お慶も、

(あなたのおうわさ、しじゅうしております。こんどのこうきゅうには、きっといっしょに)

あなたのお噂、しじゅうして居ります。こんどの公休には、きっと一緒に

(おれいにあがります」きゅうにまじめなかおになって、「それじゃ、きょうはしつれい)

お礼にあがります」急に真面目な顔になって、「それじゃ、きょうは失礼

(いたします。おだいじに」)

いたします。お大事に」

(それから、みっかたって、わたしがしごとのことよりも、きんせんのことでおもいなやみ、)

それから、三日たって、私が仕事のことよりも、金銭のことで思い悩み、

など

(うちにじっとしていれなくて、たけのすてっきもって、うみへでようと、げんかんの)

うちにじっとして居れなくて、竹のステッキ持って、海へ出ようと、玄関の

(とをがらがらあけたら、そとにさんにん、ゆかたきたちちとははと、あかいようふくきたおんなのこ)

戸をがらがらあけたら、外に三人、浴衣着た父と母と、赤い洋服着た女の子

(と、えのようにうつくしくならんでたっていた。おけいのかぞくである。)

と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。

(わたしはじぶんでもいがいなほどの、おそろしくおおきなどせいをはっした。)

私は自分でも意外なほどの、おそろしく大きな怒声を発した。

(「きたのですか。きょう、わたしこれからようじがあってでかけなければ)

「来たのですか。きょう、私これから用事があって出かけなければ

(なりません。おきのどくですが、またのひにおいでください」)

なりません。お気の毒ですが、またの日においで下さい」

(おけいは、ひんのいいちゅうねんのおくさんになっていた。やっつのこは、じょちゅうのころの)

お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころの

(おけいによくにたかおをしていて、うすのろらしいにごっためでぼんやりわたしを)

お慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った眼でぼんやり私を

(みあげていた。わたしはかなしく、おけいがまだひとこともいいださぬうち、にげる)

見上げていた。私はかなしく、お慶がまだひとことも言い出さぬうち、逃げる

(ように、かいひんへとびだした。たけのすてっきで、かいひんのざっそうをなぎはらい)

ように、海浜へ飛び出した。竹のステッキで、海浜の雑草を薙ぎ払い

(なぎはらい、いちどもあとをふりかえらず、いっぽ、いっぽ、じだんだふむような)

薙ぎ払い、いちどもあとを振りかえらず、一歩、一歩、地団駄踏むような

(すさんだあるきかたで、とにかくかいがんづたいにまちのほうへ、まっすぐにあるいた。わたしは)

荒んだ歩きかたで、とにかく海岸伝いに町の方へ、まっすぐに歩いた。私は

(まちでなにをしていたろう。ただいみもなく、かつどうごやのえかんばんみあげたり、)

町で何をしていたろう。ただ意味もなく、活動小屋の絵看板見あげたり、

(ごふくやのかざりまどをみつめたり、ちえっちえっとしたうちしては、こころのどこかの)

呉服屋の飾窓を見つめたり、ちえっちえっと舌打ちしては、心のどこかの

(すみで、まけた、まけた、とささやくこえがきこえて、これはならぬとはげしくからだを)

隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬと烈しくからだを

(ゆすぶっては、またあるき、さんじゅっぷんほどそうしていたろうか、わたしはふたたび)

ゆすぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私はふたたび

(わたしのいえへとってかえした。)

私の家へとって返した。

(うみぎしにでて、わたしはたちどまった。みよ、ぜんぽうにへいわのずがある。おけいおやこ)

うみぎしに出て、私は立止まった。見よ、前方に平和の図がある。お慶親子

(さんにん、のどかにうみにいしのなげっこしてはわらいにきょうじている。こえがここまで)

三人、のどかに海に石の投げっこしては笑いに興じている。声がここまで

(きこえてくる。)

聞えて来る。

(「なかなか」おまわりは、うんとちからをこめていしをほうって、「あたまのよさそうな)

「なかなか」お巡りは、うんと力をこめて石をほうって、「頭の良さそうな

(ほうじゃないか。あのひとは、いまにえらくなるぞ」)

方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」

(「そうですとも、そうですとも」おけいのほこらしげなたかいこえである。「あの)

「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あの

(かたは、おちいさいときからひとりかわっておられた。めしたのものにもそれは)

方は、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは

(しんせつに、めをかけてくだすった」)

親切に、目をかけて下すった」

(わたしはたったままないていた。けわしいこうふんが、なみだで、まるできもちよくとけ)

私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け

(さってしまうのだ。)

去ってしまうのだ。

(まけた。これは、いいことだ。そうしなければ、いけないのだ。かれらの)

負けた。これは、いいことだ。そうしなければ、いけないのだ。かれらの

(しょうりは、またわたしのあすのしゅっぱつにも、ひかりをあたえる。)

勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。

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