人間失格【太宰治】34
第三の手記8です
世間とは~いるだけだ。までです
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問題文
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(せけんとはいったいなんのことでしょうにんげんのふくすうでしょうかどこに)
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、
(そのせけんというもののじったいがあるのでしょうけれどもなにしろつよく)
その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、
(きびしくこわいものとばかりおもってこれまでいきてきたのですがしかし)
きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、
(ほりきにそういわれてふと)
堀木にそう言われて、ふと、
(せけんというのはきみじゃないかということばがしたのさきまででかかって)
「世間というのは、君じゃないか。」という言葉が、舌の先まで出かかって、
(ほりきをおこらせるのがいやでひっこめましたそれはせけんがゆるさない)
堀木を怒らせるのがイヤで。ひっこめました。(それは世間が、ゆるさない)
(せけんじゃないあなたがゆるさないのでしょう)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんなことをするとせけんからひどいめにあうぞ)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ。)
(せけんじゃないあなたでしょういまにせけんからほうむられる)
(世間じゃない。あなたでしょう?)(いまに世間から葬られる。)
(せけんじゃないほうむるのはあなたでしょう)
(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)
(なんじはなんじこじんのおそろしさかいきあくらつふるだぬきせいようばせいをしれなどと)
汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、
(さまざまのことばがきょうちゅうにきょらいしたのですがじぶんは)
さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、
(ただかおのあせをはんけちでふいてひやあせひやあせといってわらっただけでした)
ただ顔の汗をハンケチで拭いて、「冷汗、冷汗。」と言って笑っただけでした。
(けれどもそのときいらいじぶんはせけんとはこじんじゃないかという)
けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、
(しそうめいたものをもつようになったのですそうしてせけんというものは)
思想めいたものを持つようになったのです。そうして、世間というものは、
(こじんではなかろうかとおもいはじめてからじぶんはいままでよりはたしょう)
個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、
(じぶんのいしでうごくことができるようになりましたしづこのことばをかりていえば)
自分の意志で動く事が出来るようになりました。シヅ子の言葉を借りて言えば、
(じぶんはすこしわがままになりおどおどしくなくなりましたまた)
自分は少しわがままになり、おどおどしくなくなりました。また、
(ほりきのことばをかりていえばへんにけちになりましたまた)
堀木の言葉を借りて言えば、へんにケチになりました。また、
(しげこのことばをかりていえばあまりしげこをかわいがらなくなりました)
シゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子を可愛がらなくなりました。
など
(むくちでわらわずまいにちまいにちしげこのおもりをしながら)
無口で、笑わず、毎日毎日、シゲ子のおもりをしながら、
(きんたさんとおたさんのぼうけんやらまたのんきなとうさんのれきぜんたるありゅうの)
「キンタさんとオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たる亜流の
(のんきおしょうやらまたせっかちぴんちゃん)
「ノンキ和尚」やら、また、「セッカチピンチャン」
(というじぶんながらわけのわからぬやけくそだいのれんさいまんがやらをかくしゃのごちゅうもん)
という自分ながらわけのわからぬヤケクソ題の連載漫画やらを、各社の御注文
(ぽつりぽつりしづこのしゃよりも)
(ぽつりぽつり、シヅ子の社よりも、
(もっとげひんないわばさんりゅうのしゅっぱんしゃからのちゅうもんばかりでしたにおうじ)
もっと下品な謂わば三流の出版社からの注文ばかりでした)に応じ、
(じつにじつにいんうつなきもちでのろのろとじぶんのえのうんぴつは)
実に実に陰鬱な気持で、のろのろと、(自分の画の運筆は、
(ひじょうにおそいほうでしたいまはたださけだいがほしいばかりにかいて)
非常におそいほうでした)いまは、ただ酒代がほしいばかりに描いて、
(そうしてしづこがしゃからかえるとそれとこうたいにぷいとそとへでて)
そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと外へ出て、
(こうえんじのえきちかくのやたいやすたんどばあでやすくてつよいさけをのみ)
高円寺の駅近くの屋台やスタンド・バアで安くて強い酒を飲み、
(すこしようきになってあぱーとへかえりみればみるほどへんなかおをしているねえ)
少し陽気になってアパートへ帰り、「見れば見るほど、へんな顔をしているねえ
(おまえはのんきおしょうのかおはじつはおまえのねがおからひんとをえたのだ)
お前は。ノンキ和尚の顔は、実は、お前の寝顔からヒントを得たのだ。」
(あなたのねがおだってずいぶんおふけになりましてよしじゅうおとこみたい)
「あなたの寝顔だって、ずいぶんお老けになりましてよ。四十男みたい。」
(おまえのせいだすいとられたんだみずのながれとひとのみはあさ)
「お前のせいだ、吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。
(なにをくよくよかわばたやなあぎいささわがないではやくおやすみなさいよ)
何をくよくよ川端やなあぎいサ。」「騒がないで、早くおやすみなさいよ。
(それともごはんをあがりますかおちついていてまるであいてにしません)
それとも、ごはんをあがりますか?」落ちついていて、まるで相手にしません。
(さけならのむがねみずのながれとひとのみはあさひとのながれといや)
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、
(みずのながれえとみずのみはあさうたいながらしづこにいふくをぬがせられ)
水の流れえと、水の身はあサ。」唄いながら、シヅ子に衣服を脱がせられ、
(しづこのむねにじぶんのひたいをおしつけてねむってしまうそれがじぶんのにちじょうでした)
シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
(してそのあくるひもおなじことをくりかえしてきのうにかわらぬしきたりにしたがえばよい)
してその翌日も同じ事を繰返して、昨日に異らぬ慣例に従えばよい。
(すなわちあらっぽいおおきなよろこびをさけてさえいれば)
即ち荒っぽい大きな歓楽を避けてさえいれば、
(しぜんまたおおきなかなしみもやってこないのだ)
自然また大きな悲哀もやって来ないのだ。
(ゆくてをふさぐじゃまないしをひきがえるはまわってとおる)
ゆくてを塞ぐ邪魔な石を蟾蜍は廻って通る。
(うえだびんやくのぎいしゃるるくろおとかいうひとのこんなしくをみつけたとき)
上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、
(じぶんはひとりでかおをもえるくらいにあかくしましたひきがえるそれがじぶんだ)
自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。蟾蜍。(それが、自分だ、
(せけんがゆるすもゆるさぬもないほうむるもほうむらぬもないじぶんは)
世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬るも、葬らぬもない。自分は、
(いぬよりもねこよりもれっとうなどうぶつなのだひきがえるのそのそうごいているだけだ)
犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ。)