第45回パソコンスピード認定試験問題

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順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 とんと 4054 C 4.5 90.0% 1288.7 5870 645 89 2024/10/22
2 顔診断エレガント 2582 E 2.8 92.5% 2099.0 5892 471 89 2024/10/04
3 tatu 673 G 0.8 84.3% 7015.3 5804 1080 89 2024/10/22

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問題文

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(わたしのはははいけばなのせんせいです。いえできょうしつをひらいていて、)

わたしの母は生け花の先生です。家で教室を開いていて、

(せいとさんがかよってきます。ちいさいときからわたしもおしえられました。)

生徒さんが通ってきます。小さい時からわたしも教えられました。

(けれど、なかなかうまくなりませんでした。そのうち、ちゅうがくにはいって)

けれど、なかなかうまくなりませんでした。そのうち、中学に入って

(てにすにむちゅうになりやめてしまいました。しかしいまでもはなはすきで、)

テニスに夢中になりやめてしまいました。しかし今でも花は好きで、

(きがむいたときにへやにいけてたのしんでいます。)

気が向いたときに部屋に生けて楽しんでいます。

(はははいけばなのことをよくひきざんのげいじゅつだといいます。)

母は生け花のことをよく引き算の芸術だといいます。

(せいようのふらわーあれんじめんとがはなをたくさんつかってくうかんをうめていくのにたいし)

西洋のフラワーアレンジメントが花をたくさん使って空間を埋めていくのに対し

(いけばなはできるだけすくないかずでしぜんをひょうげんしようとします。)

生け花はできるだけ少ない数で自然を表現しようとします。

(ははのたとえとしてだすのがちゃのゆをたいせいした、せんのりきゅうのえぴそーどです。)

母のたとえとして出すのが茶の湯を大成した、千利休のエピソードです。

(あるひ、とよとみひでよしがせんのりきゅうのにわにあさがおがたくさんきれいにさいているという)

ある日、豊臣秀吉が千利休の庭にアサガオがたくさんきれいに咲いているという

(うわさをききます。そこで、ぜひそのはなをみてみたいとおもいかれのやしきをおとずれます。)

噂を聞きます。そこで、ぜひその花を見てみたいと思い彼の屋敷を訪れます。

(ところが1ぽんのあさがおもそのにわにはありません。 いぶかしくかんじながら、)

ところが1本のアサガオもその庭にはありません。 いぶかしく感じながら、

(ちゃしつにはいってみるとなんとそこには、1りんだけはながいけられていたのです。)

茶室に入ってみると何とそこには、1輪だけ花が生けられていたのです。

(はながたくさんあっては、ほんとうのうつくしさはわからないということを)

花がたくさんあっては、本当の美しさはわからないということを

(かれはひでよしにつたえたかったのでしょう。えやぶんがくとちがって、)

彼は秀吉に伝えたかったのでしょう。絵や文学と違って、

(いけばなはとてもゆにーくなげいじゅつです。 いきているしょくぶつをざいりょうにします。)

生け花はとてもユニークな芸術です。 生きている植物を材料にします。

(くさばなはじかんがたつとしおれてしまいます。はなびのようにほんとうにうつくしいのは)

草花は時間がたつとしおれてしまいます。花火のように本当に美しいのは

(あるじかんだけです。わたしたちは、なんびゃくねんもまえにえがかれたえをいまでもびじゅつかんで)

ある時間だけです。私たちは、何百年も前に描かれた絵を今でも美術館で

(みることができますが、いけばなはそうはいきません。)

見ることができますが、生け花はそうはいきません。

(たとえてんかびとのひでよしであったとしても、いけられたそのばにいって、)

たとえ天下人の秀吉であったとしても、生けられたその場に行って、

など

(いちばんうつくしいしゅんかんにたちあういがい、このげいじゅつにせっすることはできないのです。)

一番美しい瞬間に立ち会う以外、この芸術に接することはできないのです。

(くわえてざいりょうのしょくぶつは、おなじあさがおやつばきといっても、)

加えて材料の植物は、同じアサガオやツバキといっても、

(1ぽんずつはなやえだのかたちがちがうので、にどとおなじものをつくることはできないのです。)

1本ずつ花や枝の形が違うので、二度と同じものを作ることはできないのです。

(いまからかんがえると、わたしがちいさいとき、いけばなをむずかしいとかんじたのはこのてんです。)

今から考えると、わたしが小さい時、生け花を難しいと感じたのはこの点です。

(まずはじめにきほんのかたをははからならいました。わたしはははがいけたおてほんを)

まず初めに基本の型を母から習いました。わたしは母が生けたお手本を

(いっしょうけんめいまねようとするのですが、うまくいきません。)

一生懸命まねようとするのですが、うまくいきません。

(えだのかたちがびみょうにちがうので、なんどやってもばらんすをとることができないのです。)

枝の形が微妙に違うので、何度やってもバランスを取ることができないのです。

(こまっているわたしをみてははがちょんちょんとはさみをいれました。)

困っているわたしを見て母がちょんちょんとハサミを入れました。

(するとどうでしょう、みごとないけばなができあがりました。)

するとどうでしょう、見事な生け花が出来上がりました。

(じょうずなひとがいけると、ことばはへんですがしぜんにさいているはなよりも、)

上手な人が生けると、言葉は変ですが自然に咲いている花よりも、

(しぜんらしくみえることがあります。しょうがくせいのわたしはすこしでもじょうたつしたいとおもい)

自然らしく見えることがあります。小学生のわたしは少しでも上達したいと思い

(そのおてほんをかたちでおぼえようとしたのです。)

そのお手本を形で覚えようとしたのです。

(しかし、そこにはいけばなのうつくしさはなく、ひとつひとつちがうくさばなのこせいをみきわめ、)

しかし、そこには生け花の美しさはなく、一つ一つ違う草花の個性を見極め、

(いっしゅんのまのびをとらえなければならなかったのです。)

一瞬の間の美を捉えなければならなかったのです。

(うみのさち、やまのさちにめぐまれたにほんは、ほうふなしょくざいをいかしてわしょくというぶんかを)

海の幸、山の幸に恵まれた日本は、豊富な食材を生かして和食という文化を

(つくりだしました。またこくどのやく7わりをしんりんにおおわれたわがくには、)

作り出しました。また国土の約7割を森林に覆われたわが国は、

(ふるくからひのきやすぎなどをりようしてさまざまなもくぞうけんちくをはってんさせてきました。)

古くからヒノキやスギなどを利用して様々な木造建築を発展させてきました。

(ただざんねんなことに、いしょくじゅうのいふくのざいりょうだけにはめぐまれませんでした。)

ただ残念なことに、衣食住の衣服の材料だけには恵まれませんでした。

(えどじだいのまえまで、しょみんがきていたのは、あさのいっしゅであるちょまという)

江戸時代の前まで、庶民が着ていたのは、アサの一種であるチョマという

(しょくぶつからつくられたふくでした。こくないでとれるふくのざいりょうとしては、)

植物から作られた服でした。国内で取れる服の材料としては、

(これがほとんどゆいいつのものでした。きじにするにはくきのかわからせんいをとり、)

これがほとんど唯一のものでした。生地にするには茎の皮から繊維を取り、

(それをいとにしておりあげます。できたぬのは、かぜとおしがよくあせなどのきゅうすいせいもたかく)

それを糸にして織り上げます。できた布は、風通しが良く汗などの吸水性も高く

(せんたくにもつよいというとくちょうがあり、そのため、なつのざいりょうとしてはさいてきですが)

洗濯にも強いという特徴があり、そのため、夏の材料としては最適ですが

(ふゆにはむきません。これをきていたとうじのひとびとはたいへんさむかったのでは)

冬には向きません。これを着ていた当時の人々は大変寒かったのでは

(ないでしょうか。いっぽう、きぞくのふくにつかわれていたのがきぬです。)

ないでしょうか。一方、貴族の服に使われていたのが絹です。

(かいこというこんちゅうのまゆからとったせんいをつかっていとにします。)

カイコという昆虫の繭から取った繊維を使って糸にします。

(はだざわりやこうたく、いろあいのどれをとってもすばらしく、)

肌触りや光沢、色合いのどれをとっても素晴らしく、

(またほおんせいもすぐれています。にほんではこだいからせいさんされてきましたが、)

また保温性も優れています。日本では古代から生産されてきましたが、

(とれるりょうがかぎられていて、そのほとんどがじょうりゅうかいきゅうのどくせんぶつでした。)

取れる量が限られていて、そのほとんどが上流階級の独占物でした。

(そんなにほんのいふくにかくめいをおこしたのがもめんです。)

そんな日本の衣服に革命を起こしたのが木綿です。

(ちゅうごくではふるくからこのしょくぶつのさいばいがはじまりましたがにほんにはありませんでした。)

中国では古くからこの植物の栽培が始まりましたが日本にはありませんでした。

(そのためさいばいがはじまったのは、かなりおくれて14せいきから15せいきと)

そのため栽培が始まったのは、かなり遅れて14世紀から15世紀と

(いわれています。しゅしは、ちょうせんからゆにゅうされたとかひょうりゅうみんがもたらしたなど、)

いわれています。種子は、朝鮮から輸入されたとか漂流民がもたらしたなど、

(しょせつがありますがたしかなことはわかりません。)

諸説がありますが確かなことは分かりません。

(そして、おもにとうかいやきんきをちゅうしんにさいばいされるようになったのです。)

そして、主に東海や近畿を中心に栽培されるようになったのです。

(せんごくじだいには、へいしのふくやひなわじゅうのひなわとしてもちいられました。)

戦国時代には、兵士の服や火縄銃の火縄として用いられました。

(そしてえどじだいになると、しょみんのいりょうとしてばくはつてきにひろまっていきます。)

そして江戸時代になると、庶民の衣料として爆発的に広まっていきます。

(はだざわりがよくきゅうすいせいもあり、あつでにすればあたたかいので1ねんをとおして)

肌触りが良く吸水性もあり、厚手にすれば温かいので1年を通して

(きることができたのです。また、そめることもかんたんで、)

着ることができたのです。また、染めることも簡単で、

(さまざまないろやもようのきじをつくることができます。)

さまざまな色や模様の生地を作ることができます。

(ただしそだてるには、たいりょうのひりょうがいりました。)

ただし育てるには、大量の肥料が要りました。

(そのためにりようされたのが、さかなのいわしでこれをかんそうさせてつかいます。)

そのために利用されたのが、魚のイワシでこれを乾燥させて使います。

(もめんのじゅようがふえることでいわしのさんちもかっきょうをていしました。)

木綿の需要が増えることでイワシの産地も活況を呈しました。

(さらにもめんはあいぞめとあいしょうがよく、そのふきゅうにともないあいのさいばいもふえたそうです。)

さらに木綿は藍染と相性が良く、その普及に伴いアイの栽培も増えたそうです。

(こうして、そのせいさんをささえるためのかんれんさんぎょうもかくだいしていきました。)

こうして、その生産を支えるための関連産業も拡大していきました。

(もめんはあさにかわって、いっぱんのひとびとのいふくとなりました。)

木綿はアサに代わって、一般の人々の衣服となりました。

(ただし、いとにするにはてまがかかりまだこうかでした。)

ただし、糸にするには手間が掛かりまだ高価でした。

(そのためしんぴんをかえるのは、ふゆうなしょうにんやのうみんだけでした。)

そのため新品を買えるのは、富裕な商人や農民だけでした。

(いっぱんのちょうにんやのうみんはじぶんでおるかふるぎをかうのがふつうでした。)

一般の町人や農民は自分で織るか古着を買うのが普通でした。

(おおさかには、ふるぎせんもんのとんやがあり、とうほくちほうへたいりょうにはんばいして)

大阪には、古着専門の問屋があり、東北地方へ大量に販売して

(りえきをえたそうです。しかし、もめんはあくまでいっぱんのひとびとのふくで)

利益を得たそうです。しかし、木綿はあくまで一般の人々の服で

(ぶしのせいしきないしょうはきぬでした。さてそのきぬですが、えどじだいになっても)

武士の正式な衣装は絹でした。さてその絹ですが、江戸時代になっても

(せいさんりょうはすくなく、たりないぶんはちゅうごくからのゆにゅうにたよっていました。)

生産量は少なく、足りない分は中国からの輸入に頼っていました。

(とうじのいちばんのゆにゅうひんはきぬだったそうです。そのしはらいにつかわれたのが)

当時の一番の輸入品は絹だったそうです。その支払いに使われたのが

(にほんのかくちでさいくつされたきんやぎんでした。しかし、やがてそれらは)

日本の各地で採掘された金や銀でした。しかし、やがてそれらは

(こかつしてしまいます。そこでばくふは、ゆにゅうをへらすためようさんをしょうれいしました。)

枯渇してしまいます。そこで幕府は、輸入を減らすため養蚕を奨励しました。

(かくはんでは、きょうとのにしじんからぎじゅつをまなび、かなざわのゆうぜんぞめややまがたのよねざわおりなど)

各藩では、京都の西陣から技術を学び、金沢の友禅染や山形の米沢織など

(どくじのおりものをうみだしました。さんちではきそうように)

独自の織物を生み出しました。産地では競うように

(いろいろなきじをつくるぎじゅつがはったつし、おりやししゅうなどをくみあわせた、)

いろいろな生地を作る技術が発達し、織りや刺しゅうなどを組み合わせた、

(かれいなもようのきものがつくられるようになりました。)

華麗な模様の着物が作られるようになりました。

(しょうぐんやだいみょう、そのふじんたちにとってきぬのきものをきることはすてーたすでした。)

将軍や大名、その夫人たちにとって絹の着物を着ることはステータスでした。

(そしてかれらにしょうひんをうるごうしょうにとっても、そのけいざいりょくをみせつける)

そして彼らに商品を売る豪商にとっても、その経済力を見せつける

(ぜっこうのしんぼるとなったのです。いっぽう、もめんによって)

絶好のシンボルとなったのです。一方、木綿によって

(そのちいをうばわれたあさですが、おりかたにかいりょうがくわえられて、)

その地位を奪われたアサですが、織り方に改良が加えられて、

(すずしさをかんじられるなつのいりょうとしてひとびとのあいだでにんきとなりました。)

涼しさを感じられる夏の衣料として人々の間で人気となりました。

(いまではほとんどみかけなくなりましたが、かやとよばれるどうぐがあります。)

今ではほとんど見掛けなくなりましたが、蚊帳と呼ばれる道具があります。

(なつのよる、かをふせぐためへやによすみをつってねどこをおおうようにしてつかいます。)

夏の夜、蚊を防ぐため部屋に四隅をつって寝床を覆うようにして使います。

(これもあさがげんりょうです。かやはおうみがさんちで、)

これもアサが原料です。蚊帳は近江が産地で、

(おうみしょうにんによってぜんこくへとひろまっていきました。)

近江商人によって全国へと広まっていきました。

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