第54回パソコンスピード認定試験問題

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順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 だいふく 5595 A 5.8 95.4% 967.4 5686 273 91 2024/11/04
2 ぶう 5302 B++ 5.4 97.4% 1060.7 5776 152 91 2024/11/13
3 茶々 5145 B+ 5.4 94.7% 1084.6 5906 325 91 2024/10/08
4 daifuku 3818 D++ 4.0 94.6% 1427.8 5779 327 91 2024/10/09

関連タイピング

問題文

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(にほんのあにめやげーむ、おんがくなどは、こくないだけでなく、)

日本のアニメやゲーム、音楽などは、国内だけでなく、

(かいがいでもぜつだいなにんきをえています。)

海外でも絶大な人気を得ています。

(これらをめあてにわがくにをおとずれるりょこうしゃもふえています。)

これらを目当てにわが国を訪れる旅行者も増えています。

(ふらんすやあめりかでかいさいされるにほんのいべんとには、)

フランスやアメリカで開催される日本のイベントには、

(いつもおおぜいのひとびとがつめかけるほどなのです。)

いつも大勢の人々が詰め掛けるほどなのです。

(いまから150ねんほどまえ、これとよくにたぶーむがよーろっぱでおきました。)

今から150年ほど前、これとよく似たブームがヨーロッパで起きました。

(ろんどんでひらかれたこくさいはくらんかいでした。)

ロンドンで開かれた国際博覧会でした。

(はじめてみるにほんのとうきやちょうどひんのうつくしさに、ひとびとはいきをのみました。)

初めて見る日本の陶器や調度品の美しさに、人々は息をのみました。

(じぶんたちがしっているえとはいろづかいもかきかたもまったくことなるいこくのあーとに、)

自分たちが知っている絵とは色使いも描き方もまったく異なる異国のアートに、

(たくさんのひとびとがみりょうされました。とくにこのじだいにぱりでかつやくしたげいじゅつかたちは)

たくさんの人々が魅了されました。特にこの時代にパリで活躍した芸術家たちは

(それらのえからおおくのことをまなんだといわれています。)

それらの絵から多くのことを学んだといわれています。

(たとえば、だいひょうさく「ひまわり」でしられているごっほのさくひんに、)

例えば、代表作「ひまわり」で知られているゴッホの作品に、

(いすにこしかけただんせいをえがいたものがあります。)

椅子に腰掛けた男性を描いたものがあります。

(まっすぐにこちらをみつめていますが、そのはいけいはなんまいものうきよえでびっしりと)

真っすぐにこちらを見詰めていますが、その背景は何枚もの浮世絵でびっしりと

(うめつくされています。かれは、うたがわひろしげのさくひんをたすうもしゃしており、)

埋め尽くされています。彼は、歌川広重の作品を多数模写しており、

(そのがふうにおおきなえいきょうをあたえたそうです。)

その画風に大きな影響を与えたそうです。

(じゃぽにすむとよばれたこのぶーむはおんがくやけんちくにもおよびました。)

ジャポニスムと呼ばれたこのブームは音楽や建築にも及びました。

(そのご、こんどはかれのえがゆにゅうされるようになり、)

その後、今度は彼の絵が輸入されるようになり、

(にほんのがかにえいきょうをあたえたというからおもしろいものです。)

日本の画家に影響を与えたというから面白いものです。

(これいぜんに、17せいきにもにほんのあるものが、)

これ以前に、17世紀にも日本のあるものが、

など

(ひかりとかげのまじゅつしとよばれるおらんだのがかをみりょうしたといいます。)

光と影の魔術師と呼ばれるオランダの画家を魅了したといいます。

(かれは、どうばんがをたくさんつくっていますが、それをするのにてきしたかみを)

彼は、銅版画をたくさん作っていますが、それを刷るのに適した紙を

(さがしていました。さまざまなものをためしてみましたが、)

探していました。さまざまなものを試してみましたが、

(どれもしっくりきませんでした。そんなときにめにとまったのが)

どれもしっくりきませんでした。そんなときに目に留まったのが

(わしだったのです。17せいきといえば、にほんではさこくのじだいです。)

和紙だったのです。17世紀といえば、日本では鎖国の時代です。

(どうして、がいこくにそんなものがあるのだろうとふしぎにおもうかもしれませんが、)

どうして、外国にそんなものがあるのだろうと不思議に思うかもしれませんが、

(じつは、ながさきにあったおらんだのひがしいんどかいしゃをつうじて、)

実は、長崎にあったオランダの東インド会社を通じて、

(とうきなどがゆしゅつされていたのです。このほうそうにつかわれていたのがわしでした。)

陶器などが輸出されていたのです。この包装に使われていたのが和紙でした。

(かれはこれをみたのではないかといわれています。)

彼はこれを見たのではないかといわれています。

(いんくがにじむこうかをいかすことができるうえに、)

インクがにじむ効果を生かすことができるうえに、

(やわらかくつよいので、どうばんがをするのにぴったりでした。)

柔らかく強いので、銅版画を刷るのにぴったりでした。

(そのごもわしは、かいがいのひとびとからあいされつづけ、ながさきにやってきたおらんだじんが)

その後も和紙は、海外の人々から愛され続け、長崎にやって来たオランダ人が

(にほんをしょうかいするためにかいたほんにもそのせいほうなどがかかれています。)

日本を紹介するために書いた本にもその製法などが書かれています。

(また、ろんどんのこくさいはくらんかいにもしゅっぴんされていました。)

また、ロンドンの国際博覧会にも出品されていました。

(ようしとちがってうすくてやわらかく、やぶれにくいので、)

洋紙と違って薄くて柔らかく、破れにくいので、

(げんざいもかいがいのびじゅつかんでえのしゅうふくなどにもちいられています。)

現在も海外の美術館で絵の修復などに用いられています。

(こうちゃといえば、いぎりすのゆうがなきっさしゅうかんをおもいだすひともおおいでしょう。)

紅茶といえば、イギリスの優雅な喫茶習慣を思い出す人も多いでしょう。

(ごごの4じから5じくらいにおちゃとけいしょくをたのしむかいのことで、)

午後の4時から5時くらいにお茶と軽食を楽しむ会のことで、

(19せいきにきぞくかいきゅうのふじんたちのあいだで、しゃこうをもくてきとしてはじまったしゅうかんだと)

19世紀に貴族階級の婦人たちの間で、社交を目的として始まった習慣だと

(いわれています。よーろっぱにおちゃがもたらされたのは、)

いわれています。ヨーロッパにお茶がもたらされたのは、

(17せいきごろだとされており、でんらいしたとうしょはりょくちゃだったといいます。)

17世紀ごろだとされており、伝来した当初は緑茶だったといいます。

(それがこうちゃとなったけいいはさだかではありませんが、せいぞうぎょうしゃがかいてのこのみに)

それが紅茶となった経緯は定かではありませんが、製造業者が買い手の好みに

(あわせてそのはっこうをすすめているうちにたんじょうしたといわれています。)

合わせてその発酵を進めているうちに誕生したといわれています。

(ところで、りょくちゃとこうちゃのちがいはなんでしょうか。)

ところで、緑茶と紅茶の違いは何でしょうか。

(じつは、げんりょうとなるしょくぶつはおなじつばきかのきです。)

実は、原料となる植物は同じツバキ科の木です。

(これがつくりかたによって、いろもかおりもかわるというからおどろきです。)

これが作り方によって、色も香りも変わるというから驚きです。

(つんできたはをすぐにあつりょくのないじょうきでまんべんなくむすことで、)

摘んできた葉をすぐに圧力のない蒸気で満遍なく蒸すことで、

(さんかこうそのかっせいをとめるとりょくちゃができあがります。)

酸化酵素の活性を止めると緑茶が出来上がります。

(ぎゃくにはをひとばんおいてしおれさせ、もむことでそのはたらきをうながすと、)

逆に葉を一晩置いてしおれさせ、もむことでその働きを促すと、

(ちゃいろにへんしょくしてこうちゃになるのです。ちなみにうーろんちゃは、)

茶色に変色して紅茶になるのです。ちなみにウーロン茶は、

(みどりいろがはんぶんていどのこるじょうたいのときにかねつしてこうそのはたらきをとめてつくります。)

緑色が半分程度残る状態のときに加熱して酵素の働きを止めて作ります。

(とうじ、こうちゃはちゅうごくからのゆにゅうひんで、とてもこうかなものでした。)

当時、紅茶は中国からの輸入品で、とても高価なものでした。

(なんとかじぶんたちでおちゃをさいばいして、やすくてにいれたいとかんがえたいぎりすは、)

何とか自分たちでお茶を栽培して、安く手に入れたいと考えたイギリスは、

(しょくみんちにしていたいんどでせいさんすることをけいかくします。どうこくのひまらやさんみゃくと)

植民地にしていたインドで生産することを計画します。同国のヒマラヤ山脈と

(ちゅうごくのさいこうきゅうちゃのさんちのきこうふうどがよくにていたからです。)

中国の最高級茶の産地の気候風土がよく似ていたからです。

(しかし、そこにはげんりょうにするひんしつのよいちゃのきがありませんでした。)

しかし、そこには原料にする品質の良いチャノキがありませんでした。

(そこで、ちゅうごくにあるおとこをおくりこんでなえをてにいれることをもくろみます。)

そこで、中国にある男を送り込んで苗を手に入れることをもくろみます。

(かれはうでのよいぷらんとはんたーでした。これはしょくりょうやこうりょう、かんしょうようのしんしゅや)

彼は腕の良いプラントハンターでした。これは食料や香料、観賞用の新種や

(くすりになるゆうようしょくぶつをもとめてせかいじゅうをたんさくするひとのことです。)

薬になる有用植物を求めて世界中を探索する人のことです。

(かれもちゅうごくやにほんなどでめずらしいせいぶつをさいしゅうしていました。)

彼も中国や日本などで珍しい生物を採集していました。

(とうじ、こうちゃのせいさんはちゅうごくがどくせんしていてせいほうもひみつでした。)

当時、紅茶の生産は中国が独占していて製法も秘密でした。

(またなんせいきものあいだ、さこくせいさくをつづけており、がいこくじんがちゃのせいさんちであるないりくぶへ)

また何世紀もの間、鎖国政策を続けており、外国人が茶の生産地である内陸部へ

(いくことはゆるされませんでした。そこでいぎりすはげんだいでいう)

行くことは許されませんでした。そこでイギリスは現代でいう

(さんぎょうすぱいのようなしゅだんでかれをはけんして、そのなえをぬすませようとしたのです。)

産業スパイのような手段で彼を派遣して、その苗を盗ませようとしたのです。

(さて、かれはちゅうごくにつくとまず、ちゃのさんちしゅっしんのちゅうごくじんをじゅうしゃにやといます。)

さて、彼は中国に着くとまず、茶の産地出身の中国人を従者に雇います。

(しごとをてつだわせるとともに、みちあんないやくもかねていたようです。)

仕事を手伝わせるとともに、道案内役も兼ねていたようです。

(とうはつのいちぶをのこしてそりあげ、かつらのかみをつかってみつあみにしてうしろにたらし)

頭髪の一部を残してそり上げ、かつらの髪を使って三つ編みにして後ろに垂らし

(へんそうしました。かれは、げんちのだんせいのすたいるをまねたのです。)

変装しました。彼は、現地の男性のスタイルをまねたのです。

(みやぶられてしまうのではないかとしんぱいしましたが、うまくいきました。)

見破られてしまうのではないかと心配しましたが、うまくいきました。

(こうしてかれらはちゅうごくないりくぶのちゃばたけへせんにゅうし、まんまとすうまんほんのなえぎと)

こうして彼らは中国内陸部の茶畑へ潜入し、まんまと数万本の苗木と

(たいりょうのたねをてにいれたのでした。ここまではだいせいこうでしたが、つみだしのさい、)

大量の種を手に入れたのでした。ここまでは大成功でしたが、積み出しの際、

(ほんこんのみなとからいんどへゆそうするふねのなかでじけんはおこりました。)

香港の港からインドへ輸送する船の中で事件は起こりました。

(とうじ、ぷらんとはんたーたちはさいしゅしたしょくぶつをうんぱんするために、)

当時、プラントハンターたちは採取した植物を運搬するために、

(さいばいせんようのようきをしようしていました。)

栽培専用の容器を使用していました。

(これはきとがらすでくまれたはこで、ちいさなおんしつのようなものです。)

これは木とガラスで組まれた箱で、小さな温室のようなものです。

(ふたをとじるとみっぷうされたじょうたいになり、こうかいちゅうはしょうりょうのみずでいきたまま)

ふたを閉じると密封された状態になり、航海中は少量の水で生きたまま

(はこぶことができるすぐれものでした。はこのなかでみずはすいじょうきとなり、)

運ぶことができる優れものでした。箱の中で水は水蒸気となり、

(それががらすへついて、またつちへもどっていくからです。)

それがガラスへ付いて、また土へ戻っていくからです。

(ところが、こうかいちゅうにだれかがそのようきのふたをあけたらしく、)

ところが、航海中に誰かがその容器のふたを開けたらしく、

(いんどのじっけんのうじょうへついたときにはほとんどがかれていました。)

インドの実験農場へ着いたときにはほとんどが枯れていました。

(さらに、ふくろづめにしたたねもあつさによってぜんめつしていたのです。)

さらに、袋詰めにした種も暑さによって全滅していたのです。

(そこでかれはもういちどたびにでることになりました。)

そこで彼はもう一度旅に出ることになりました。

(こんどのもくてきちは、ふっけんしょうのやまおくにあるちゃのさんちでした。)

今度の目的地は、福建省の山奥にある茶の産地でした。

(そこでたねとなえをにゅうしゅすると、つみだしのみなとであるしゃんはいへもどります。)

そこで種と苗を入手すると、積み出しの港である上海へ戻ります。

(もうしっぱいはゆるされないため、こんどははこのなかにたねをまき、)

もう失敗は許されないため、今度は箱の中に種をまき、

(そこではつがさせることにしました。まさに、これがだいせいこうのかぎとなりました。)

そこで発芽させることにしました。まさに、これが大成功のかぎとなりました。

(いんどへむかうせんじょうでこうちゃのたねはつぎつぎとめをだしたのです。)

インドへ向かう船上で紅茶の種は次々と芽を出したのです。

(はつがしたなえはひまらやさんみゃくののうえんにはこばれ、すぐにいしょくされました。)

発芽した苗はヒマラヤ山脈の農園に運ばれ、すぐに移植されました。

(そのすうねんご、どうちでそだてられたこうちゃはしつやりょうなど、すべてのてんでちゅうごくさんを)

その数年後、同地で育てられた紅茶は質や量など、すべての点で中国産を

(うわまわったといいます。そしてたいりょうにせいさんされるようになったことで、)

上回ったといいます。そして大量に生産されるようになったことで、

(あふたぬーんてぃーは、いっぱんしょみんのあいだでもしゅうかんとなっていったのです。)

アフタヌーンティーは、一般庶民の間でも習慣となっていったのです。

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