ロマ書11章 part1
リビングバイブル訳。
あなたへの神様の祝福が、豊かにありますように。
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問題文
(では、かみはごじぶんのたみであるゆだやじんをしりぞけ、)
では、神はご自分の民であるユダヤ人を退け、
(みすててしまわれたのでしょうか。けっしてそんなことはありません。)
見捨ててしまわれたのでしょうか。決してそんなことはありません。
(このわたしもゆだやじんであり、あぶらはむのしそん、べにやみんぞくのひとり )
この私もユダヤ人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の一人
(であることをわすれないでください。かみはもちろん、さいしょからえらんだ)
であることを忘れないでください。神はもちろん、最初から選んだ
(ごじぶんのたみをみすてたわけではありません。せいしょにはなんとかいてあるでしょうか)
ご自分の民を見捨てたわけではありません。聖書には何と書いてあるでしょうか
(よげんしゃえりやはゆだやじんをこくはつし、かれらがほかのよげんしゃたちをころし、)
預言者エリヤはユダヤ人を告発し、彼らが他の預言者たちを殺し、
(かみのさいだんをこわしたことをかみにうったえています。)
神の祭壇をこわしたことを神に訴えています。
(「いまなおあなたをあいするものは、このくにじゅうでわたしひとりです。そのわたしも、)
「今なおあなたを愛する者は、この国中で私一人です。その私も、
(ころされそうなのです」と。それにたいして、かみがなんとおこたえになったか、)
殺されそうなのです」と。それに対して、神がなんとお答えになったか、
(おぼえていますか。「いや、あなただけではない。わたしには、なおもわたしをあいし、)
覚えていますか。「いや、あなただけではない。わたしには、なおも私を愛し、
(ぐうぞうをおがんだことのないひとがほかにななせんにんいる。」それとおなじように、)
偶像を拝んだことのない人がほかに七千人いる。」それと同じように、
(かみのめぐみによってえらばれ、すくわれているひとびとがしょうすうながらいるのです。)
神の恵みによって選ばれ、救われている人々が少数ながらいるのです。
(しかしそれはかみのめぐみによるのであり、かれらのおこないによるのではありません。)
しかしそれは神の恵みによるのであり、彼らの行いによるのではありません。
(そうでなければ、めぐみがめぐみでなくなってしまいます。)
そうでなければ、恵みが恵みでなくなってしまいます。
(だいぶぶんのゆだやじんは、おいもとめていたかみのめぐみをえることができませんでした。)
大部分のユダヤ人は、追い求めていた神の恵みを得ることが出来ませんでした。
(めぐみをえたのは、かみにえらばれたしょうすうのものだけでした。)
恵みを得たのは、神に選ばれた少数の者だけでした。
(ほかのひとびとは、こころをとざされてしまったのです。)
ほかの人々は、心を閉ざされてしまったのです。
(つぎのようにしるされているのは、そのことなのです。)
次のように記されているのは、そのことなのです。
(「かみはかれらをねむらせ、めとみみとをふさがれた。)
「神は彼らを眠らせ、目と耳とをふさがれた。
(それゆえ、きりすとのことをかたりかけても、かれらにはわからない。)
それゆえ、キリストのことを語りかけても、彼らにはわからない。
(きょうまでそのじょうたいはつづいている。」だびでもおなじことをいっています。)
今日までその状態は続いている。」ダビデも同じことを言っています。
(「しょくたくのごちそうや、さまざまのしゅくふくはかれらのわなとなれ。かれらを、)
「食卓のごちそうや、さまざまの祝福は彼らのわなとなれ。彼らを、
(かみとはばんじうまくいっている。というおもいにさせよ。)
神とは万事うまくいっている。という思いにさせよ。
(これらのよいものがはねかえってきて、かれらのずじょうにおち、とうぜんのむくいとして)
これらの良いものがはね返って来て、彼らの頭上に落ち、当然の報いとして
(かれらをおしつぶすがいい。かれらのめはみえなくなれ。おもにをおわされて、)
彼らを押しつぶすがいい。彼らの目は見えなくなれ。重荷を負わされて、
(いつまでもせなかをまげたままあるくがいい。」)
いつまでも背中を曲げたまま歩くがいい。」
(これは、かみがごじぶんのたみであるゆだやじんを)
これは、神がご自分の民であるユダヤ人を
(しりぞけてしまわれたことをいみするのでしょうか。)
退けてしまわれたことを意味するのでしょうか。
(ぜったいにそんなことはありません。かみのもくてきは、このことによって)
絶対にそんなことはありません。神の目的は、このことによって
(かみのすくいががいこくじんにもおよび、そのけっか、ゆだやじんがねたんで、)
神の救いが外国人にも及び、その結果、ユダヤ人がねたんで、
(じぶんでもすくいをもとめるようになることにあったのです。)
自分でも救いを求めるようになることにあったのです。
(かんがえてごらんなさい。かれらがかみのすくいにつまずき、それをこばんだことによって、)
考えてごらんなさい。彼らが神の救いにつまずき、それを拒んだことによって、
(ぜんせかいがゆたかにめぐまれたのです。とすれば、あとにゆだやじんが)
全世界が豊かに恵まれたのです。とすれば、後にユダヤ人が
(きりすとにたちかえるときには、)
キリストに立ち返る時には、
(どんなにすばらしいしゅくふくがもたらされることでしょう。)
どんなに素晴らしい祝福がもたらされることでしょう。
(がいこくじんのかたがたにいいますが、かみはわたしを、あなたがたがいこくじんへの)
外国人の方々に言いますが、神は私を、あなたがた外国人への
(しとににんめいしてくださったので、わたしはそれをたいせつなしめいとしています。)
使徒に任命してくださったので、私はそれを大切な使命としています。
(しかしなんとかして、ゆだやじんにも、あなたがたがいこくじんがもっているものを)
しかし何とかして、ユダヤ人にも、あなたがた外国人が持っているものを
(もとめさせ、いくにんかでもすくいたいのです。かれらがくりすちゃんになったら、)
求めさせ、幾人かでも救いたいのです。彼らがクリスチャンになったら、
(どんなにすばらしいでしょう。かみがゆだやじんからみかおをそむけられたために、)
どんなに素晴らしいでしょう。神がユダヤ人から御顔をそむけられたために、
(かみのすくいがせかいのゆだやじんいがいのひとびとにさしだされたのです。)
神の救いが世界のユダヤ人以外の人々に差し出されたのです。
(とすれば、ゆだやじんがきりすとにたちかえるなら、)
とすれば、ユダヤ人がキリストに立ち返るなら、
(もっとすばらしいことがおこります。それはちょうど、)
もっとすばらしいことが起こります。それはちょうど、
(ししゃがいきかえるようなものです。あぶらはむやよげんしゃは、)
死者が生き返るようなものです。アブラハムや預言者は、
(かみのたみなのですから、そのしそんもまたかみのたみとなるはずです。)
神の民なのですから、その子孫もまた神の民となるはずです。
(きのねがきよければ、そのえだもきよくなるはずだからです。)
木の根がきよければ、その枝もきよくなるはずだからです。
(ところが、あぶらはむのしそんという、おりーぶのきのいくえだかがおりとられ、)
ところが、アブラハムの子孫という、オリーブの木の幾枝かが折り取られ、
(そして、いわばやせいのおりーぶのきのえだであったがいこくじんのあなたがたが、)
そして、いわば野生のオリーブの木の枝であった外国人のあなた方が、
(それにつぎきされました。それでいま、あなたがたも、)
それに接ぎ木されました。それで今、あなたがたも、
(かみがおりーぶのきにそそがれる、とくべつにゆたかなじようぶんにあずかって、)
神がオリーブの木に注がれる、特別に豊かな滋養分にあずかって、
(あぶらはむとそのしそんとにやくそくされたしゅくふくをいただいているのです。)
アブラハムとその子孫とに約束された祝福をいただいているのです。