ロマ書9章 part1
リビングバイブル訳
ありがとうございます。
神様の祝福が、あなたへ豊かにありますようにお祈りしています。
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問題文
(わたしのどうほうであるいすらえるのひとびと、どうこくじんであるゆだやじんのひとたちが)
私の同胞であるイスラエルの人々、同国人であるユダヤ人の人たちが
(きりすとのもとにくることを、わたしはどんなにのぞんでいるでしょう。)
キリストのもとに来ることを、私はどんなに望んでいるでしょう。
(ひるもよるも、かれらのことでこころはおもく、)
昼も夜も、彼らのことで心は重く、
(かなしみのあまり、むねもはりさけんばかりです。)
悲しみのあまり、胸も張り裂けんばかりです。
(かれらがきりすとによってすくわれるためなら、)
彼らがキリストによって救われるためなら、
(わたしはえいきゅうにのろわれてもかまいません。)
私は永久にのろわれてもかまいません。
(むしろ、のろわれたいくらいです。)
むしろ、のろわれたいくらいです。
(くちさきだけでこういっているのでないことは、)
口先だけでこう言っているのでないことは、
(きりすともせいれいもごぞんじです。)
キリストも聖霊もご存知です。
(かみはじつにおおくのものをあたえてくださいました。)
神は実に多くのものを与えてくださいました。
(それなのにかれらは、いっこうにかみにききしたがおうとしません。)
それなのに彼らは、いっこうに神に聞き従おうとしません。
(かみはゆだやじんたちをごじぶんのとくべつなたみとしてえらびだし、)
神はユダヤ人たちをご自分の特別な民として選び出し、
(えいこうにかがやくくもによってみちびき、また、どんなにしゅくふくしたいと)
栄光に輝く雲によって導き、また、どんなに祝福したいと
(おもっているかをおしめしになりました。さらに、いきるうえでのさまざまな)
思っているかをお示しになりました。さらに、生きる上でのさまざまな
(きそくもあたえてくださったので、かれらは、かみがじぶんたちに)
規則も与えてくださったので、彼らは、神が自分たちに
(なにをのぞんでおられるかをしることができました。)
何を望んでおられるかを知ることが出来ました。
(かみはまた、かれらにれいはいすることをおしえ、)
神はまた、彼らに礼拝することを教え、
(かずかずのすばらしいやくそくをあたえてくださいました。)
数々のすばらしい約束を与えてくだいました。
(かれらのせんぞには、かみをしんじるいだいなじんぶつがいます。)
彼らの先祖には、神を信じる偉大な人物がいます。
(きりすとも、にんげんとしてのしゅっせいについてだけいえばゆだやじんであり、)
キリストも、人間としての出生についてだけ言えばユダヤ人であり、
(かれらのどうほうだったのです。このきりすとこそ、すべてのものを)
彼らの同胞だったのです。このキリストこそ、すべてのものを
(しはいしておられるかたで、えいえんにほめたたえられるかみです。)
支配しておられる方で、永遠にほめたたえられる神です。
(それでは、ゆだやじんにたいするかみのやくそくはむこうになったのでしょうか。)
それでは、ユダヤ人に対する神の約束は無効になったのでしょうか。
(そんなことはありません。ゆだやじんにうまれついたものがみな、)
そんなことはありません。ユダヤ人に生まれついた者がみな、
(しんのいみでのゆだやじんだとはかぎりません。)
真の意味でのユダヤ人だとは限りません。
(ちすじのうえであぶらはむのしそんだからといって、)
血筋の上でアブラハムの子孫だからと言って、
(しんのいみでのあぶらはむのしそんとはかぎりません。)
真の意味でのアブラハムの子孫とは限りません。
(なぜなら、あぶらはむにはいさくのほかにこどもがいたが、)
なぜなら、アブラハムにはイサクのほかに子どもがいたが、
(かみのやくそくがてきようされるのは、)
神の約束が適用されるのは、
(いさくとそのしそんだけであるとせいしょにあるからです。)
イサクとその子孫だけであると聖書にあるからです。
(つまり、あぶらはむのこどもがぜんぶかみのこなのではなく)
つまり、アブラハムの子どもが全部神の子なのではなく
(かみがあぶらはむにおあたえになったすくいのやくそくを)
神がアブラハムにお与えになった救いの約束を
(しんじるひとびとだけがかみのこどもなのです。)
信じる人々だけが神の子どもなのです。
(かみはあぶらはむに「らいねんのいまごろ、わたしはあなたとさらにおとこのこをさずけよう」)
神はアブラハムに「来年の今ごろ、私はあなたとサラに男の子を授けよう」
(とやくそくされました。それだけでなく、かれのむすこいさくのばあいにも)
と約束されました。それだけでなく、彼の息子イサクの場合にも
(おなじことがいえます。そのつまりべかがみごもって)
同じことが言えます。その妻リベカが身ごもって
(ふたごをうもうとしているとき、かみはりべかに、)
ふたごを産もうとしている時、神はリベカに、
(「あにがおとうとにつかえる」とおつげになりました。)
「兄が弟に仕える」とお告げになりました。
(「わたしはえさうではなく、やこぶをしゅくふくする」とあるとおりです。)
「私はエサウではなく、ヤコブを祝福する」とあるとおりです。
(かみがこうせんげんされたのは、かれらがまだうまれてもおらず、)
神がこう宣言されたのは、彼らがまだ生まれてもおらず、
(まだよいこともわるいこともしていなかったときのことです。)
まだよいことも悪いこともしていなかった時のことです。
(このことからもはっきりわかるように、かみはさいしょからきめておいたことを)
このことからもはっきりわかるように、神は最初から決めておいたことを
(じっこうされたのです。かれらのおこないによってではなく、)
実行されたのです。彼らの行いによってではなく、
(かみのいしとえらびによって、すべてがけっていされたのです。)
神の意志と選びによって、すべてが決定されたのです。
(では、かみはふこうへいなのでしょうか。ぜったいにそんなことはありません。)
では、神は不公平なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
(かみはもーせにこういわれました。)
神はモーセにこう言われました。
(「わたしはめぐもうとおもうものをめぐみ、あわれもうとおもうものをあわれむ。」)
「私は恵もうと思うものを恵み、あわれもうと思うものをあわれむ。」
(したがって、かみのしゅくふくは、だれかがそれをえようとけっしんしたからとか、)
したがって、神の祝福は、だれかがそれを得ようと決心したからとか、
(そのためにどりょくしたからといって、)
そのために努力したからと言って、
(あたえられるものではありません。)
与えられるものではありません。