ロマ書10章 part1

背景
投稿者投稿者マナいいね4お気に入り登録
プレイ回数469難易度(4.5) 1491打 長文
タグ聖書 新約
新約聖書ローマ人への手紙10章前半です。
「救いは信仰と告白から」というタイトルです。
リビングバイブル訳

ありがとうございます。
神様の祝福が、あなたへ豊かにありますようにお祈りしています。

関連タイピング

問題文

ふりがな非表示 ふりがな表示

(あいするみなさん。わたしがこころからねがい、いのりもとめているのは、)

愛する皆さん。私が心から願い、祈り求めているのは、

(どうほうであるゆだやじんがすくわれることです。)

同胞であるユダヤ人が救われることです。

(わたしは、かれらがかみのほまれをどんなにねっしんにもとめているか、)

私は、彼らが神の誉れをどんなに熱心に求めているか、

(よくしっています。しかし、それはけんとうちがいのねっしんなのです。)

よく知っています。しかし、それは見当違いの熱心なのです。

(というのも、かれらには、きりすとがじぶんをかみのまえにただしいものとするために)

というのも、彼らには、キリストが自分を神の前に正しいものとするために

(しんでくださったことが、わかっていないからです。)

死んでくださったことが、わかっていないからです。

(そして、じぶんたちのただしさをみとめさせようとして、)

そして、自分たちの正しさを認めさせようとして、

(かみのすくいのみちにしたがわなかったのです。)

神の救いの道に従わなかったのです。

(かれらがりっぽうをまもることによっててにいれようとしている)

彼らが律法を守ることによって手に入れようとしている

(すべてのものを、きりすとはごじぶんをしんじるひとびとにあたえてくださいます。)

すべてのものを、キリストはご自分を信じる人々に与えてくださいます。

(きりすとは、りっぽうをしゅうけつなさったのです。)

キリストは、律法を終結なさったのです。

(もーせは、「かみのおきてとさだめをおこなうひとは、それによってすくわれる」)

モーセは、「神のおきてと定めを行う人は、それによって救われる」

(とかいています。しかし、しんこうをとおしてあたえられるすくいは、)

と書いています。しかし、信仰を通して与えられる救いは、

(こうおしえてくれます。「あなたはきりすとをみつけようとてんをさがしまわるひつようも)

こう教えてくれます。「あなたはキリストを見つけようと天を捜し回る必要も

(たすけていただこうとひきおろすひつようもない。」)

助けていただこうと引き降ろす必要もない。」

(また、「きりすとをもういちどふっかつさせようと、)

また、「キリストをもう一度復活させようと、

(ししゃのなかをあるきまわるひつようもない。」)

死者の中を歩き回る必要もない。」

(というのは、きりすとをしんじることによって、あたえられるすくいは、)

というのは、キリストを信じることによって、与えられる救いは、

(じぶんのこころのなかやくち、まさにわたしたちのすぐてのとどくところにあるからです。)

自分の心の中や口、まさに私たちのすぐ手の届くところにあるからです。

(なぜなら、もしじぶんのくちで「いえす・きりすとはわたしのしゅです」)

なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」

など

(とこくはくし、じぶんのこころで「かみはいえすきりすとをししゃのなかから)

と告白し、自分の心で「神はイエス・キリストを死者の中から

(ふっかつさせてくださった」としんじるなら、あなたはすくわれるのです。)

復活させてくださった」と信じるなら、あなたは救われるのです。

(ひとはこころでしんじることによって、かみのまえにただしいものとされ、)

人は心で信じることによって、神の前に正しいものとされ、

(そのしんこうをくちでこくはくすることによってすくわれるのです。)

その信仰を口で告白することによって救われるのです。

(せいしょはわたしたちに、「しゅ、きりすとをしんじるものは、)

聖書は私たちに、「主、キリストを信じる者は、

(けっしてしつぼうさせられることがない」とおしえています。)

決して失望させられることがない」と教えています。

(ゆだやじんとがいこくじんとのくべつはありません。)

ユダヤ人と外国人との区別はありません。

問題文を全て表示 一部のみ表示 誤字・脱字等の報告

マナのタイピング

オススメの新着タイピング

タイピング練習講座 ローマ字入力表 アプリケーションの使い方 よくある質問

人気ランキング

注目キーワード