芥川龍之介 地獄変②
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問題文
(さんよしひでのむすめとこのこざるとのなかがよくなったのはそれからのことでございます。)
【三】良秀の娘とこの小猿との仲がよくなったのはそれからの事でございます。
(むすめはおひめさまからちょうだいしたおうごんのすずを、うつくしいしんくのひもにさげて、それをさるのあたまへ)
娘は御姫様から頂戴した黄金の鈴を、美しい真紅の紐に下げて、それを猿の頭へ
(かけてやりますし、さるはまたどんなことがございましても、めったにむすめのみのまわりを)
懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまわりを
(はなれません。あるときむすめのかぜのここちで、とこにつきましたときなども、こざるはちゃんと)
離れません。或時娘の風邪の心地で、床に就きました時なども、小猿はちゃんと
(そのまくらもとにすわりこんで、きのせいかこころぼそそうなかおをしながら、しきりにつめをかんで)
その枕もとに坐りこんで、気のせいか心細そうな顔をしながら、頻に爪を噛んで
(おりました。こうなるとまたみょうなもので、だれもいままでのようにこのこざるを、)
居りました。こうなると又妙なもので、誰も今までのようにこの小猿を、
(いじめるものはございません。いや、かえってだんだんかわいがりはじめて、)
いじめるものはございません。いや、反ってだんだん可愛がり始めて、
(しまいにはわかとのさまでさえ、ときどきかきやくりをなげておやりになったばかりか、)
しまいには若殿様でさえ、時々柿や栗を投げて御やりになったばかりか、
(さむらいのだれやらがこのさるをあしげにしたときなぞは、たいそうごりっぷくにもなったそうで)
侍の誰やらがこの猿を足蹴にした時なぞは、大層御立腹にもなったそうで
(ございます。そののちおおとのさまがわざわざよしひでのむすめにさるをだいて、おまえへでるようと)
ございます。その後大殿様がわざわざ良秀の娘に猿を抱いて、御前へでるようと
(ごさたになったのも、このわかとのさまのおはらだちになったはなしを、おききになってから)
御沙汰になったのも、この若殿様の御腹立になった話を、御聞きになってから
(だとかもうしました。そのついでにしぜんとむすめのさるをかわいがるいわれもおみみに)
だとか申しました。その序に自然と娘の猿を可愛がる所由(いわれ)も御耳に
(はいったのでございましょう。「こうこうなやつじゃ。ほめてとらすぞ。」)
はいったのでございましょう。「孝行な奴じゃ。褒めてとらすぞ。」
(かようなぎょいで、むすめはそのとき、くれないのあこめをごほうびにいただきました。)
かような御意で、娘はその時、紅の衵(あこめ)を御褒美に頂きました。
(ところがこのあこめをまたみようみまねに、さるがうやうやしくおしいただきましたので、おおとのさまの)
所がこの衵を又見よう見真似に、猿が恭しく押頂きましたので、大殿様の
(ごきげんは、ひとしおよろしかったそうでございます。でございますから、おおとのさまが)
御機嫌は、一入よろしかったそうでございます。でございますから、大殿様が
(よしひでのむすめをごひいきになったのは、まったくこのさるをかわいがった、こうこうおんあいのじょうを)
良秀の娘を御贔屓になったのは、全くこの猿を可愛がった、孝行恩愛の情を
(ごしょうびなすったので、けっしてせけんでとやかくもうしますように、いろをおこのみになった)
御賞美なすったので、決して世間で兎や角申しますように、色を御好みになった
(わけではございません。もっともかようなうわさのたちましたおこりも、むりのないところが)
訳ではございません。尤もかような噂の立ちました起りも、無理のない所が
(ございますが、それはまたあとになって、ゆっくりおはなしいたしましょう。ここでは)
ございますが、それは又後になって、ゆっくり御話し致しましょう。ここでは
(ただおおとのさまが、いかにうつくしいにしたところで、えしふぜいのむすめなどに、おもいを)
唯大殿様が、如何に美しいにした所で、絵師風情の娘などに、想いを
(おかけになるかたではないということを、もうしあげておけばよろしゅうございます。)
御懸けになる方ではないと云う事を、申し上げて置けばよろしゅうございます。
(さてよしひでのむすめは、めんぼくをほどこしておまえをさがりましたが、もとよりりこうなおんなで)
さて良秀の娘は、面目を施して御前を下りましたが、元より悧巧な女で
(ございますから、はしたないほかのにょうぼうたちのねたみをうけるようなことも)
ございますから、はしたない外の女房たちの妬みを受けるような事も
(ございません。かえってそれいらい、さるといっしょになにかといとしがられまして、とりわけ)
ございません。反ってそれ以来、猿と一緒に何かといとしがられまして、取分け
(おひめさまのおそばからはおはなれもうしたことがないといってもよろしいくらい、ものみぐるまの)
御姫様の御側からは御離れ申した事がないと云ってもよろしい位、物見車の
(おともにもついぞかけたことはございませんでした。)
御供にもついぞ欠けた事はございませんでした。
(が、むすめのことはひとまずおきまして、これからまたおやのよしひでのことをもうしあげましょう。)
が、娘の事は一先ず措きまして、これから又親の良秀の事を申し上げましょう。
(なるほどさるのほうはかようにまもなく、みなのものにかわいがられるようになりましたが、)
成程猿の方はかように間もなく、皆のものに可愛がられるようになりましたが、
(かんじんのよしひではやはりだれにでもきらわれてあいかわらずかげへまわっては、)
肝腎の良秀はやはり誰にでも嫌われて相不変(あいかわらず)陰へまわっては、
(さるひでよばわりをされておりました。しかもそれがまた、おやしきのうちばかりでは)
猿秀呼りをされて居りました。しかもそれが又、御邸の中ばかりでは
(ございません。げんによがわのそうずさまもよしひでともうしますと、)
ございません。現に横川の僧都様(よがわのそうずさま)も良秀と申しますと、
(ましょうにでもおあいになったように、かおのいろをかえて、おにくみあそばしました。)
魔障にでも御遇いになったように、顔の色を変えて、御憎み遊ばしました。
((もっともこれはよしひでがそうずさまのごぎょうじょうをざれえにえがいたからだなどと)
(尤もこれは良秀が僧都様の御行状を戯画(ざれえ)に描いたからだなどと
(もうしますが、なにぶんしもざまのうわさでございますから、たしかにさようとは)
申しますが、何分下ざまの噂でございますから、確かに左様とは
(もうされますまい。)とにかく、あのおとこのふひょうばんは、どちらのほうにうかがいましても、)
申されますまい。)兎に角、あの男の不評判は、どちらの方に伺いましても、
(そういうちょうしばかりでございます。もしわるくいわないものがあったといたしますと、)
そう云う調子ばかりでございます。もし悪く云わない者があったと致しますと、
(それはにさんにんのえしなかまか、あるいはまた、あのおとこのえをしっているだけで、あのおとこの)
それは二三人の絵師仲間か、或は又、あの男の絵を知っているだけで、あの男の
(にんげんはしらないものばかりでございましょう。しかしじっさい、よしひでには、みたところが)
人間は知らないものばかりでございましょう。しかし実際、良秀には、見た所が
(いやしかったばかりでなく、もっとひとにいやがられるわるいくせがあったので)
卑しかったばかりでなく、もっと人に嫌がられる悪い癖があったので
(ございますから、それもまったくじごうじとくとでもなすよりほかに、)
ございますから、それも全く自業自得とでもなすより外に、
(いたしかたはございません。)
致し方はございません。
(よんそのくせともうしますのは、りんしょくで、けんどんで、)
【四】その癖と申しますのは、吝嗇(りんしょく)で、慳貪(けんどん)で、
(はじしらずで、なまけもので、ごうよくでーーいやそのなかでもとりわけはなはだしいのは、)
恥知らずで、怠けもので、強慾でーーいやその中でも取分け甚だしいのは、
(おうへいでこうまんで、いつもほんちょうだいいちのえしともうすことを、はなのさきへぶらさげている)
横柄で高慢で、何時も本朝第一の絵師と申す事を、鼻の先へぶら下げている
(ことでございましょう。それもがどうのうえばかりならまだしもでございますが、)
事でございましょう。それも画道の上ばかりならまだしもでございますが、
(あのおとこのまけおしみになりますと、せけんのならわしとか)
あの男の負け惜しみになりますと、世間の習慣(ならわし)とか
(しきたりとかもうすようなものまで、すべてばかにいたさずには)
慣例(しきたり)とか申すようなものまで、すべて莫迦に致さずには
(おかないのでございます。これはえいねんよしひでのでしになっていたおとこのはなしで)
置かないのでございます。これは永年良秀の弟子になっていた男の話で
(ございますが、あるひさるかたのおやしきでなだかいひがきのみこにごりょうがついて、)
ございますが、或日さる方の御邸で名高い檜垣の巫女に御霊が憑いて、
(おそろしいごたくせんがあったときも、あのおとこはそらみみをはしらせながら、ありあわせたふでとすみとで)
恐しい御託宣があった時も、あの男は空耳を走らせながら、有合せた筆と墨とで
(そのみこのものすごいかおを、ていねいにうつしておったとかもうしました。おおかたごりょうの)
その巫女の物凄い顔を、丁寧に写して居ったとか申しました。大方御霊の
(おたたりも、あのおとこのめからみましたなら、こどもだましくらいにしかおもわれないので)
御祟りも、あの男の眼から見ましたなら、子供欺し位にしか思われないので
(ございましょう。さようなおとこでございますから、きっしょうてんをえがくときは、いやしい)
ございましょう。さような男でございますから、吉祥天を描く時は、卑しい
(くぐつのかおをうつしましたり、ふどうみょうおうをえがくときは、ぶらいのほうめんのすがたを)
傀儡(くぐつ)の顔を写しましたり、不動明王を描く時は、無頼の放免の姿を
(かたどりましたり、いろいろのもったいないまねをいたしましたが、それでもとうにんを)
像りましたり、いろいろの勿体ない真似を致しましたが、それでも当人を
(なじりますと「よしひでのえがいたしんぶつが、そのよしひでにみょうばつをあてられるとは、いなことを)
詰りますと「良秀の描いた神仏が、その良秀に冥罰を当てられるとは、異な事を
(きくものじゃ」とそらうそぶいているではございませんか。これにはさすがのでしたちも)
聞くものじゃ」と空嘯いているではございませんか。これには流石の弟子たちも
(あきれかえって、なかにはみらいのおそろしさに、そうそうひまをとったものも、すくなくなかった)
呆れ返って、中には未来の恐ろしさに、匆々暇をとったものも、少なくなかった
(ようにみうけました。ーーまずひとくちにもうしましたなら、)
ように見うけました。ーー先ず一口に申しましたなら、
(まんごうちょうじょうとでもなづけましょうか。とにかくとうじ)
慢業重畳(まんごうちょうじょう)とでも名づけましょうか。兎に角当時
(あめがしたで、じぶんほどのえらいにんげんはないとおもっていたおとこでございます。)
天が下で、自分程の偉い人間はないと思っていた男でございます。
(したがってよしひでがどのくらいがどうでも、たかくとまっておりましたかは、もうしあげるまでも)
従って良秀がどの位画道でも、高く止って居りましたかは、申し上げるまでも
(ございますまい。もっともそのえでさえ、あのおとこのはふでづかいでもさいしょくでも、まるで)
ございますまい。尤もその絵でさえ、あの男のは筆使いでも彩色でも、まるで
(ほかのえしとはちがっておりましたから、なかのわるいえしなかまでは、やましだなどともうす)
外の絵師とは違って居りましたから、仲の悪い絵師仲間では、山師だなどと申す
(ひょうばんも、だいぶんあったようでございます。そのれんちゅうのもうしますには、かわなりとか)
評判も、大分あったようでございます。その連中の申しますには、川成とか
(かなおかとか、そのほかむかしのめいしょうのふでになったものともうしますと、やれいたどのうめのはなが、)
金岡とか、その外昔の名匠の筆になった物と申しますと、やれ板戸の梅の花が、
(つきのよごとににおったの、やれびょうぶのおおみやびとが、ふえをふくおとさえきこえたのと、)
月の夜毎に匂ったの、やれ屏風の大宮人が、笛を吹く音さえ聞えたのと、
(ゆうびなうわさがたっているものでございますが、よしひでのえになりますと、いつでも)
優美な噂が立っているものでございますが、良秀の絵になりますと、何時でも
(かならずきみのわるい、みょうなひょうばんだけしかつたわりません。たとえばあのおとこが)
必ず気味の悪い、妙な評判だけしか伝わりません。譬えばあの男が
(りゅうがいじのもんへえがきました、ごしゅしょうじのえに)
龍蓋寺(りゅうがいじ)の門へ描きました、五趣生死(ごしゅしょうじ)の絵に
(いたしましても、よふけてもんのしたをとおりますと、てんにんのためいきをつくおとや)
致しましても、夜更けて門の下を通りますと、天人の溜息をつく音や
(すすりなきをするこえが、きこえたともうすことでございます。いや、なかにはしびとのくさって)
啜り泣きをする声が、聞えたと申す事でございます。いや、中には死人の腐って
(いくしゅうきを、かいだともうすものさえございました。それからおおとのさまの)
行く臭気を、嗅いだと申すものさえございました。それから大殿様の
(おいいつけでかいた、にょうぼうたちのにせえなども、そのえにうつされただけのにんげんは、)
御云いつけで描いた、女房たちの似絵なども、その絵に写されただけの人間は、
(さんねんとたたないうちに、みなたましいのぬけたようなびょうきになって、しんだともうすでは)
三年と尽たない中に、皆魂の抜けたような病気になって、死んだと申すでは
(ございませんか。わるくいうものにもうさせますと、それがよしひでのえのじゃどうに)
ございませんか。悪く云うものに申させますと、それが良秀の絵の邪道に
(おちている、なによりのしょうこだそうでございます。が、なにぶんさきにももうしあげました)
落ちている、何よりの証拠だそうでございます。が、何分前にも申し上げました
(とおり、よこがみやぶりなおとこでございますから、それがかえってよしひではだいじまんで、いつぞや)
通り、横紙破りな男でございますから、それが反って良秀は大自慢で、何時ぞや
(おおとのさまがごじょうだんに、「そのほうはとかくみにくいものがすきとみえる」とおっしゃったときも、)
大殿様が御冗談に、「その方は兎角醜いものが好きと見える」と仰有った時も、
(あのとしににずあかいくちびるでにやりときみわるくわらいながら、「さようでございまする。)
あの年に似ず赤い唇でにやりと気味悪く笑いながら、「さようでございまする。
(かいなでのえしにはそうじてみにくいもののうつくしさなどともうすことは、わかろうはずが)
かいなでの絵師には総じて醜いものの美しさなどと申す事は、わかろう筈が
(ございませぬ。」と、おうへいにおこたえもうしあげました。いかにほんちょうだいいちのえしに)
ございませぬ。」と、横柄に御答え申し上げました。如何に本朝第一の絵師に
(いたせ、よくもおおとのさまのおまえへでて、そのようなこうげんがはけたものでございます。)
致せ、よくも大殿様の御前へ出て、そのような高言が吐けたものでございます。
(せんこくひきあいにだしましたでしが、ないないししょうに「ちらえいじゅ」という)
先刻引合に出しました弟子が、内々師匠に「智羅永寿(ちらえいじゅ)」と云う
(あだなをつけて、ぞうちょうまんをそしっておりましたが、それもむりはございません。)
諢名をつけて、増長慢を譏って居りましたが、それも無理はございません。
(ごしょうちでもございましょうが、「ちらえいじゅ」ともうしますのは、むかししんたんから)
御承知でもございましょうが、「智羅永寿」と申しますのは、昔震旦から
(わたってまいりましたてんぐのなでございます。)
渡って参りました天狗の名でございます。
(しかしこのよしひでにさえーーこのなんともいいようのない、おうどうもののよしひでにさえ、)
しかしこの良秀にさえーーこの何とも云いようのない、横道者の良秀にさえ、
(たったひとつにんげんらしい、じょうあいのあるところがございました。)
たった一つ人間らしい、情愛のある所がございました。