太宰治 姥捨④

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(みなかみえきにとうちゃくしたのは、あさのよじである。まだ、くらかった。しんぱいしていたゆきも)

水上駅に到着したのは、朝の四時である。まだ、暗かった。心配していた雪も

(たいていきえていて、えきのものかげにうすねずみいろしてしずかにのこっているだけで、)

たいてい消えていて、駅のもの蔭に薄鼠いろして静かにのこっているだけで、

(このぶんならばさんじょうのたにがわおんせんまであるいていけるかもしれないとおもったが、)

このぶんならば山上の谷川温泉まで歩いて行けるかも知れないと思ったが、

(それでもだいじをとってかひちはえきまえのじどうしゃやをたたきおこした。)

それでも大事をとって嘉七は駅前の自動車屋を叩き起した。

(じどうしゃがくねくねでんこうがたにきょくせつしながらやまをのぼるにつれて、のやまがやみのそらを)

自動車がくねくね電光型に曲折しながら山をのぼるにつれて、野山が闇の空を

(あかるくするほどまっしろにゆきにおおわれているのがわかってきた。「さむいのね。)

明るくするほど真白に雪に覆われているのがわかって来た。「寒いのね。

(こんなにさむいとおもわなかったわ。とうきょうでは、もうせるきてあるいているひとだって)

こんなに寒いと思わなかったわ。東京では、もうセル着て歩いているひとだって

(あるのよ。」うんてんしゅにまで、みなりのもうしわけをいっていた。「あ、そこをみぎ。」)

あるのよ。」運転手にまで、身なりの申し訳を言っていた。「あ、そこを右。」

(やどがちかづいて、かずえはかっきをていしてきた。「きっと、まだねている)

宿が近づいて、かず枝は活気を呈して来た。「きっと、まだ寝ている

(ことよ。」こんどはうんてんしゅに、「ええ、もすこしさき。」「よし、すとっぷ。」)

ことよ。」こんどは運転手に、「ええ、もすこしさき。」「よし、ストップ。」

(かひちがいった。「あとはあるく。」そのさきは、みちがほそかった。)

嘉七が言った。「あとは歩く。」そのさきは、路が細かった。

(じどうしゃをすてて、かひちもかずえもたびをぬぎ、やどまではんちょうほどをあるいた。)

自動車を棄てて、嘉七もかず枝も足袋を脱ぎ、宿まで半丁ほどを歩いた。

(ろめんのゆきはとけかけたままあやうくうすくつもっていて、ふたりのげたを)

路面の雪は溶けかけたままあやうく薄く積っていて、ふたりの下駄を

(びしょぬれにした。やどのとをたたこうとすると、すこしおくれてあるいてきた)

びしょ濡れにした。宿の戸を叩こうとすると、すこしおくれて歩いて来た

(かずえはすっとかけより、「あたしにたたかせて。あたしが、おばさんを)

かず枝はすっと駈け寄り、「あたしに叩かせて。あたしが、おばさんを

(おこすのよ。」てがらをあらそうこどもににていた。)

起すのよ。」手柄を争う子供に似ていた。

(やどのろうふうふは、おどろいた。いわば、しずかにあわてていた。かひちは、ひとり)

宿の老夫婦は、おどろいた。謂わば、静かにあわてていた。嘉七は、ひとり

(さっさとにかいにあがって、まえのとしのなつにくらしたへやにはいり、)

さっさと二階にあがって、まえのとしの夏に暮した部屋にはいり、

(でんとうのすいっちをひねった。かずえのこえがきこえてくる。「それがねえ、)

電燈のスイッチをひねった。かず枝の声が聞こえてくる。「それがねえ、

(おばさんのとこにいこうって、きかないのよ。げいじゅつかって、こどもね。」)

おばさんのとこに行こうって、きかないのよ。芸術家って、子供ね。」

など

(じしんのうそにきがついていないみたいに、はしゃいでいた。とうきょうはせる、をまた)

自身の嘘に気がついていないみたいに、はしゃいでいた。東京はセル、をまた

(いった。そっとろうさいがにかいへあがってきて、ゆっくりへやのあまどを)

言った。そっと老妻が二階へあがって来て、ゆっくり部屋の雨戸を

(くりあけながら、「よくきたねえ。」とひとこといった。そとは、いくらか)

繰りあけながら、「よく来たねえ。」と一こと言った。そとは、いくらか

(あかるくなっていて、まっしろなさんぷくが、すぐめのまえにあらわれた。たにまを)

明るくなっていて、まっ白な山腹が、すぐ眼のまえに現われた。谷間を

(のぞいてみると、もやもやあさぎりのそこにひとすじのたにがわがくろくながれているのもみえた。)

覗いてみると、もやもや朝霧の底に一条の谷川が黒く流れているのも見えた。

(「おそろしくさむいね。」うそである。そんなにさむいとはおもわなかったのだが、)

「おそろしく寒いね。」嘘である。そんなに寒いとは思わなかったのだが、

(「おさけ、のみたいな。」「だいじょうぶかい?」「ああ、もうからだは、)

「お酒、のみたいな。」「だいじょうぶかい?」「ああ、もうからだは、

(すっかりいいんだ。ふとったろう。」そこへかずえが、おおきいこたつをじぶんで)

すっかりいいんだ。ふとったろう。」そこへかず枝が、大きい火燵を自分で

(はこんできた。「ああ、おもい。おばさん、これ、おじさんのをかりたわよ。)

運んで来た。「ああ、重い。おばさん、これ、おじさんのを借りたわよ。

(おじさんがもっていってもいいといったの。さむくって、かなやしない。」)

おじさんが持っていってもいいと言ったの。寒くって、かなやしない。」

(かひちのほうにめもくれず、ひとりでいようにはしゃいでいた。)

嘉七のほうに眼もくれず、ひとりで異様にはしゃいでいた。

(ふたりきりになるときゅうにまじめになり、「あたし、つかれてしまいました。)

ふたりきりになると急に真面目になり、「あたし、疲れてしまいました。

(おふろへはいって、それから、ひとねむりしようとおもうの。」「したののてんぶろに)

お風呂へはいって、それから、ひとねむり仕様と思うの。」「したの野天風呂に

(いけるかしら。」「ええ、いけるそうです。おじさんたちも、まいにちはいりに)

行けるかしら。」「ええ、行けるそうです。おじさんたちも、毎日はいりに

(いってるんですって。」)

行ってるんですって。」

(しゅじんがおおきいわらぐつをはいて、きのうふりつもったばかりのゆきを)

主人が大きい藁ぐつをはいて、きのう降り積もったばかりの雪を

(ふみかためふみかためみちをつくってくれて、そのあとからかひち、かずえが)

踏みかため踏みかため路をつくってくれて、そのあとから嘉七、かず枝が

(ついていき、はくめいのたにがわへおりていった。しゅじんがじさんしたござのうえにきものを)

ついて行き、薄明の谷川へ降りて行った。主人が持参した蓙のうえに着物を

(ぬぎすて、ふたりゆのなかにからだをすべりこませる。かずえのからだは、)

脱ぎ捨て、ふたり湯の中にからだを滑り込ませる。かず枝のからだは、

(まるくふとっていた。こんやしぬるものとは、どうしても、おもえなかった。)

丸くふとっていた。今夜死ぬる物とは、どうしても、思えなかった。

(しゅじんがいなくなってから、かひちは、「あのへんかな?」と、こいあさぎりがゆっくり)

主人がいなくなってから、嘉七は、「あの辺かな?」と、濃い朝霧がゆっくり

(ながれているしろいさんぷくをあごでしゃくってみせた。「でも、ゆきがふかくて、)

流れている白い山腹を顎でしゃくってみせた。「でも、雪が深くて、

(のぼれないでしょう?」「もっとかりゅうがいいかな。みなかみのえきのほうには、ゆきが)

のぼれないでしょう?」「もっと下流がいいかな。水上の駅のほうには、雪が

(そんなになかったからね。」しぬるばしょをかたりあっていた。)

そんなになかったからね。」死ぬる場所を語り合っていた。

(やどにかえるとふとんがしかれていた。かずえは、すぐそれにもぐりこんでざっしを)

宿にかえると蒲団が敷かれていた。かず枝は、すぐそれにもぐりこんで雑誌を

(よみはじめた。かずえのふとんのあしのほうに、おおきいこたつがいれられていて、)

読みはじめた。かず枝の蒲団の足のほうに、大きい火燵がいれられていて、

(あたたかそうであった。かひちは、じぶんのほうのふとんはまくりあげて、てえぶるのまえに)

温かそうであった。嘉七は、自分のほうの蒲団はまくりあげて、テエブルの前に

(あぐらをかき、ひばちにしがみつきながら、おさけをのんだ。さかなは、かんづめのかにと)

あぐらをかき、火鉢にしがみつきながら、お酒を呑んだ。さかなは、罐詰の蟹と

(ほししいたけであった。りんごもあった。「おい、もうひとばんのばさないか?」「ええ、」)

干椎茸であった。林檎もあった。「おい、もう一晩のばさないか?」「ええ、」

(つまはざっしをみながらこたえた。「どうでも、いいけど。でも、おかねたりなくなる)

妻は雑誌を見ながら答えた。「どうでも、いいけど。でも、お金たりなくなる

(かもしれないわよ。」「いくらのこってんだい?」そんなことをききながら、)

かも知れないわよ。」「いくらのこってんだい?」そんなことを聞きながら、

(かひちは、つくづく、はずかしかった。みれん。これは、いやらしいことだ。)

嘉七は、つくづく、恥かしかった。みれん。これは、いやらしいことだ。

(よのなかで、いちばんだらしないことだ。こいつはいけない。おれが、こんなに)

世の中で、いちばんだらしないことだ。こいつはいけない。おれが、こんなに

(ぐずぐずしているのは、なんのことはない、このおんなのからだをほしがっている)

ぐずぐずしているのは、なんのことはない、この女のからだを欲しがっている

(せいではなかろうか。かひちは、へいこうであった。いきて、ふたたび、このおんなと)

せいではなかろうか。嘉七は、閉口であった。生きて、ふたたび、この女と

(くらしていくきはないのか。しゃくせん、それも、ぎりのわるいしゃくせん、これをどうする。)

暮して行く気はないのか。借銭、それも、義理のわるい借銭、これをどうする。

(おめい、はんきちがいとしてのおめい、これをどうする。びょうく、ひとがそれをしんじて)

汚名、半気ちがいとしての汚名、これをどうする。病苦、人がそれを信じて

(くれないひにくなびょうく、これをどうする。そうして、にくしん。「ねえ、おまえは、)

呉れない皮肉な病苦、これをどうする。そうして、肉親。「ねえ、おまえは、

(やっぱりわたしのにくしんにやぶれたのだね。どうも、そうらしい。」かずえは、ざっしから)

やっぱり私の肉親に敗れたのだね。どうも、そうらしい。」かず枝は、雑誌から

(めをはなさず、くちばやにこたえた。「そうよ。あたしは、どうせきにいられない)

眼を離さず、口早に答えた。「そうよ。あたしは、どうせ気にいられない

(およめよ。」「いや、そうばかりはいえないぞ。たしかにおまえにも、)

お嫁よ。」「いや、そうばかりは言えないぞ。たしかにおまえにも、

(どりょくのたりないところがあった。」「もういいわよ。たくさんよ。」ざっしを)

努力の足りないところがあった。」「もういいわよ。たくさんよ。」雑誌を

(ほうりだして、「りくつばかりいってるのね。だから、きらわれるのよ。」)

ほうりだして、「理屈ばかり言ってるのね。だから、きらわれるのよ。」

(「ああ、そうか。おまえは、おれを、きらいだったのだね。しつれいしたよ。」)

「ああ、そうか。おまえは、おれを、きらいだったのだね。しつれいしたよ。」

(かひちは、すいかんみたいなくちょうでいった。なぜ、おれはしっとしないのだろう。やはり)

嘉七は、酔漢みたいな口調で言った。なぜ、おれは嫉妬しないのだろう。やはり

(おれは、うぬぼれやなのであろうか。おれをきらうはずがない。それをしんじて)

おれは、自惚れやなのであろうか。おれをきらう筈がない。それを信じて

(いるのだろうか。いかりさえない。れいのそのひとが、あまりよわすぎるせいで)

いるのだろうか。怒りさえない。れいのそのひとが、あまり弱すぎるせいで

(あろうか。おれのこんなもののかんじかたをこそ、きょごうというのではなかろうか。)

あろうか。おれのこんなものの感じかたをこそ、倨傲というのではなかろうか。

(そんなら、おれのかんがえかたは、みなだめだ。おれの、これまでのいきかたは、)

そんなら、おれの考えかたは、みなだめだ。おれの、これまでの生きかたは、

(みなだめだ。むりもないことだ、なぞとりかいせず、なぜたんじゅんににくむことが)

みなだめだ。むりもないことだ、なぞと理解せず、なぜ単純に憎むことが

(できないのか。そんなしっとこそ、つつましく、うつくしいじゃないか。かさねてよっつ、)

できないのか。そんな嫉妬こそ、つつましく、美しいじゃないか。重ねて四つ、

(というふんぬこそ、たかくすなおなものではないか。さいくんにそむかれて、そのだげきの)

という憤怒こそ、高く素直なものではないか。細君にそむかれて、その打撃の

(ためにのみしんでゆくすがたこそ、せいじゅんのかなしみではないか。けれども、おれは、)

ためにのみ死んでゆく姿こそ、清純の悲しみではないか。けれども、おれは、

(なんだ。みれんだの、いいこだの、ほとけづらだの、どうとくだの、しゃくせんだの、)

なんだ。みれんだの、いい子だの、ほとけづらだの、道徳だの、借銭だの、

(せきにんだの、おせわになっただの、あんちてえぜだの、れきしてきぎむだの、にくしんだの)

責任だの、お世話になっただの、アンチテエゼだの、歴史的義務だの、肉親だの

(ああいけない。かひちは、こんぼうふりまわして、じぶんのあたまをぐしゃとたたきつぶしたく)

ああいけない。嘉七は、棍棒ふりまわして、自分の頭をぐしゃと叩きつぶしたく

(おもうのだ。「ひとねいりしてから、しゅっぱつだ。けっこう、けっこう。」)

思うのだ。「ひと寝いりしてから、出発だ。決行、決行。」

(かひちは、じぶんのふとんをどたばたひいて、それにもぐった。)

嘉七は、自分の蒲団をどたばたひいて、それにもぐった。

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