有島武郎 或る女②

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1 布ちゃん 5590 A 5.8 96.3% 1155.7 6716 255 89 2024/03/02

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(にようこはきべがたましいをうちこんだはつこいのまとだった。それはちょうど)

【二】 葉子は木部が魂を打ちこんだ初恋の的だった。それはちょうど

(にっしんせんそうがしゅうきょくをつげて、こくみんいっぱんはだれかれのさべつなく、このせんそうにかんけいの)

日清戦争が終局を告げて、国民一般はだれかれの差別なく、この戦争に関係の

(あったことがらやじんぶつやにじじついじょうのこうきしんをそそられていたころであったが、)

あった事柄や人物やに事実以上の好奇心をそそられていたころであったが、

(きべはにじゅうごというわかいとしで、あるだいしんぶんしゃのじゅうぐんきしゃになってしなにわたり、)

木部は二十五という若い齢で、ある大新聞社の従軍記者になってシナに渡り、

(つきなみなつうしんぶんのおおいなかに、きわだってかんさつのとびはなれたしんりょくのゆらいだぶんしょうを)

月並みな通信文の多い中に、きわだって観察の飛び離れた心力のゆらいだ文章を

(はっぴょうして、てんさいきしゃというなをはくしてめでたくがいせんしたのであった。そのころ)

発表して、天才記者という名を博してめでたく凱旋したのであった。そのころ

(じょりゅうきりすときょうとのせんかくしゃとして、きりすときょうふじんどうめいのふくかいちょうをしていた)

女流キリスト教徒の先覚者として、キリスト教婦人同盟の副会長をしていた

(ようこのははは、きべのぞくしていたしんぶんしゃのしゃちょうとしたしいこうさいのあったかんけいから、)

葉子の母は、木部の属していた新聞社の社長と親しい交際のあった関係から、

(あるひそのしゃのじゅうぐんきしゃをじたくにまねいていろうのかいしょくをもよおした。そのせきで、こがらで)

ある日その社の従軍記者を自宅に招いて慰労の会食を催した。その席で、小柄で

(はくせきで、しぎんのこえのひそうな、かんじょうのねつれつなこのしょうそうじゅうぐんきしゃははじめてようこを)

白皙で、詩吟の声の悲壮な、感情の熱烈なこの少壮従軍記者は始めて葉子を

(みたのだった。ようこはそのときじゅうくだったが、すでにいくにんものおとこにこいを)

見たのだった。葉子はそのとき十九だったが、すでに幾人もの男に恋を

(しむけられて、そのかこみをてぎわよくくりぬけながら、じぶんのわかいこころをたのしませて)

し向けられて、その囲みを手際よく繰りぬけながら、自分の若い心を楽しませて

(いくたくとはじゅうぶんにもっていた。じゅうごのときに、はかまをひもでしめるかわりにびじょうで)

いくタクトは充分に持っていた。十五の時に、袴をひもで締める代わりに尾錠で

(しめるくふうをして、いっときじょがくせいかいのりゅうこうをふうびしたのもかのじょである。そのあかい)

締めるくふうをして、一時女学生会の流行を風靡したのも彼女である。その紅い

(くちびるをすわしてしゅせきをしめたんだと、げんかくでとおっているべいこくじんのろうこうちょうに、)

口びるを吸わして主席を占めたんだと、厳格で通っている米国人の老校長に、

(おもいもよらぬうきなをおわせたのもかのじょである。うえののおんがくがっこうにはいって)

思いもよらぬ浮き名を負わせたのも彼女である。上野の音楽学校にはいって

(ヴぁいおりんのけいこをはじめてからにかげつほどのあいだにめきめきじょうたつして、きょうしや)

ヴァイオリンのけいこを始めてから二カ月ほどの間にめきめき上達して、教師や

(せいとのしたをまかしたとき、けーべるはかせひとりはしぶいかおをした。そしてあるひ)

生徒の舌を巻かした時、ケーベル博士一人は渋い顔をした。そしてある日

(「おまえのがっきはさいでなるのだ。てんさいでなるのではない」とぶあいそうに)

「お前の楽器は才で鳴るのだ。天才で鳴るのではない」と無愛想に

(いってのけた。それをきくと「そうでございますか」とむぞうさにいいながら、)

いってのけた。それを聞くと「そうでございますか」と無造作にいいながら、

など

(ヴぁいおりんをまどのそとにほうりなげて、そのままがっこうをたいがくしてしまったのも)

ヴァイオリンを窓の外にほうりなげて、そのまま学校を退学してしまったのも

(かのじょである。きりすときょうふじんどうめいのじぎょうにほんそうし、しゃかいではおとこまさりの)

彼女である。キリスト教婦人同盟の事業に奔走し、社会では男まさりの

(しっかりものというひょうばんをとり、かないではしゅみのたかいそしていしのよわいおっとをまったく)

しっかり者という評判をとり、家内では趣味の高いそして意志の弱い良人を全く

(むししてふるまったそのははのもっともふかいかくれたじゃくてんを、ぼしとしょくしとのあいだに)

無視して振る舞ったその母の最も深い隠れた弱点を、拇指と食指との間に

(ちゃんとおさえて、いっぽもひけをとらなかったのもかのじょである。ようこのめには)

ちゃんと押えて、一歩もひけを取らなかったのも彼女である。葉子の目には

(すべてのひとが、ことにおとこがそこのそこまでみすかせるようだった。ようこはそれまで)

すべての人が、ことに男が底の底まで見すかせるようだった。葉子はそれまで

(おおくのおとこをかなりちかくまでもぐりこませておいて、もういっぽというところで)

多くの男をかなり近くまで潜り込ませて置いて、もう一歩という所で

(つっぱなした。こいのはじめにはいつでもじょせいがまつりあげられていて、あるきかいを)

突っ放した。恋の始めにはいつでも女性が祭り上げられていて、ある機会を

(ぜっちょうにだんせいがとつぜんじょせいをふみにじるということをちょっかくのようにしっていたようこは、)

絶頂に男性が突然女性を踏みにじるという事を直覚のように知っていた葉子は、

(どのおとこにたいしても、じぶんとのかんけいのぜっちょうがどこにあるかをみぬいていて、そこに)

どの男に対しても、自分との関係の絶頂がどこにあるかを見ぬいていて、そこに

(きかかるとなさけようしゃもなくそのおとこをふりすててしまった。そうしてすてられた)

来かかると情け容赦もなくその男を振り捨ててしまった。そうして捨てられた

(おおくのおとこは、ようこをうらむよりもじぶんたちのじゅうせいをはじるようにみえた。そして)

多くの男は、葉子を恨むよりも自分たちの獣性を恥じるように見えた。そして

(かれらはひとしくようこをみあやまっていたことをくいるようにみえた。なぜというと、)

彼らは等しく葉子を見誤っていた事を悔いるように見えた。なぜというと、

(かれらはひとりとしてようこにたいしてえんこんをいだいたり、ふんぬをもらしたりするものは)

彼らは一人として葉子に対して怨恨をいだいたり、憤怒をもらしたりするものは

(なかったから。そしてすこしひがんだものたちはじぶんのぐをみとめるよりもようこを)

なかったから。そして少しひがんだ者たちは自分の愚を認めるよりも葉子を

(としふそうとうにませたおんなとみるほうがかってだったから。)

年不相当にませた女と見るほうが勝手だったから。

(それはこいによろしいわかばのろくがつのあるゆうがただった。にほんばしのくぎだなにあるようこの)

それは恋によろしい若葉の六月のある夕方だった。日本橋の釘店にある葉子の

(いえにはしちはちにんのわかいじゅうぐんきしゃがまだせんじんのぬけきらないようなふうをして)

家には七八人の若い従軍記者がまだ戦塵の抜けきらないようなふうをして

(あつまってきた。じゅうくでいながらじゅうしちにもじゅうろくにもみればみられるようなきゃしゃな)

集まって来た。十九でいながら十七にも十六にも見れば見られるような華奢な

(かれんなすがたをしたようこが、つつしみのなかにもさいばしったおもかげをみせて、ふたりのいもうととともに)

可憐な姿をした葉子が、慎みの中にも才走った面影を見せて、二人の妹と共に

(きゅうじにたった。そしてしいられるままに、けーべるはかせからののしられた)

給仕に立った。そしてしいられるままに、ケーベル博士からののしられた

(ヴぁいおりんのいってもかなでたりした。きべのぜんれいはただひとめでこのうつくしいさいきの)

ヴァイオリンの一手も奏でたりした。木部の全霊はただ一目でこの美しい才気の

(みなぎりあふれたようこのようしにすいこまれてしまった。ようこもふしぎにこの)

みなぎりあふれた葉子の容姿に吸い込まれてしまった。葉子も不思議にこの

(こがらなせいねんにきょうみをかんじた。そしてうんめいはふしぎないたずらをするものだ。)

小柄な青年に興味を感じた。そして運命は不思議ないたずらをするものだ。

(きべはそのせいかくばかりでなく、ようぼうーーほねぼそな、かおのぞうさのととのった、てんさいふうに)

木部はその性格ばかりでなく、容貌ーー骨細な、顔の造作の整った、天才風に

(あおじろいなめらかなひふの、よくみるとほかのぶぶんのせんれいなわりあいにかがっこつのはったつした)

蒼白いなめらかな皮膚の、よく見ると他の部分の繊麗な割合に下顎骨の発達した

(ーーまでどこかようこのそれににていたから、じいしきのきょくどにつよいようこは、じぶんの)

ーーまでどこか葉子のそれに似ていたから、自意識の極度に強い葉子は、自分の

(すがたをきべにみつけだしたようにおもって、いっしゅのこうきしんをちょうはつせられずには)

姿を木部に見つけ出したように思って、一種の好奇心を挑発せられずには

(いなかった。きべはもえやすいこころにようこをやくようにかきいだいて、ようこはまた)

いなかった。木部は燃えやすい心に葉子を焼くようにかきいだいて、葉子はまた

(さいばしったあたまにきべのおもかげをかるくやどして、そのいちやのきょうえんはさりげなくおわりを)

才走った頭に木部の面影を軽く宿して、その一夜の饗宴はさりげなく終わりを

(つげた。きべのきしゃとしてのひょうばんははてんこうといってもよかった。いやしくも)

告げた。木部の記者としての評判は破天荒といってもよかった。いやしくも

(ぶんがくをかいするものはきべをしらないものはなかった。ひとびとはきべがせいじゅくした)

文学を解するものは木部を知らないものはなかった。人々は木部が成熟した

(しそうをひっさげてよのなかにでてくるときのはなばなしさをうわさしあった。ことに)

思想をひっさげて世の中に出て来る時の華々しさをうわさし合った。ことに

(にっしんせんえきという、そのとうじのにほんにしてはぜつだいなはいけいをせおっているので、この)

日清戦役という、その当時の日本にしては絶大な背景を背負っているので、この

(ねんしょうきしゃはあるひとびとからはひーろーのひとりとさえしてすうはいされた。このきべが)

年少記者はある人々からは英雄の一人とさえして崇拝された。この木部が

(たびたびようこのいえをおとずれるようになった。そのかんしょうてきな、どうじにどこかたいもうに)

たびたび葉子の家を訪れるようになった。その感傷的な、同時にどこか大望に

(もえたったようなこのせいねんのかっきは、いえじゅうのひとびとのこころをとらえないでは)

燃え立ったようなこの青年の活気は、家じゅうの人々の心を捕えないでは

(おかなかった。ことにようこのははがまえからきべをしっていて、ひじょうにゆういたぼうな)

置かなかった。ことに葉子の母が前から木部を知っていて、非常に有為多望な

(せいねんだとほめそやしたり、こうしゅうのまえでじぶんのこともおとうとともつかぬたいどできべを)

青年だとほめそやしたり、公衆の前で自分の子とも弟ともつかぬ態度で木部を

(もてあつかったりするのをみると、ようこはむねのなかでせせらわらった。そしてこころを)

もてあつかったりするのを見ると、葉子は胸の中でせせら笑った。そして心を

(ゆるしてきべにこういをみせはじめた。きべのねついがみるみるおさえがたく)

許して木部に好意を見せ始めた。木部の熱意が見る見る抑えがたく

(つのりだしたのはもちろんのことである。)

募り出したのはもちろんの事である。

(かのろくがつのよるがすぎてからほどもなくきべとようことはこいということばでみられねば)

かの六月の夜が過ぎてからほどもなく木部と葉子とは恋という言葉で見られねば

(ならぬようなあいだがらになっていた。こういうばあいようこがどれほどこいのばめんを)

ならぬような間柄になっていた。こういう場合葉子がどれほど恋の場面を

(ぎこうかしげいじゅつかするにたくみであったかはいうにおよばない。きべはねてもおきても)

技巧化し芸術化するに巧みであったかはいうに及ばない。木部は寝ても起きても

(ゆめのなかにあるようにみえた。にじゅうごというそのころまで、ねっしんなしんじゃで、)

夢の中にあるように見えた。二十五というそのころまで、熱心な信者で、

(せいきょうとふうのほこりをゆいいつのたちばとしていたきべがこのはつこいにおいてどれほどしんけんに)

清教徒風の誇りを唯一の立場としていた木部がこの初恋においてどれほど真剣に

(なっていたかはそうぞうすることができる。ようこはおもいもかけずきべのひのような)

なっていたかは想像する事ができる。葉子は思いもかけず木部の火のような

(じょうねつにやかれようとするじぶんをみいだすことがしばしばだった。そのうちにふたりの)

情熱に焼かれようとする自分を見いだす事がしばしばだった。そのうちに二人の

(あいだがらはすぐようこのははにかんづかれた。ようこにたいしてかねてからあることではいっしゅの)

間柄はすぐ葉子の母に感づかれた。葉子に対してかねてからある事では一種の

(てきいをもってさえいるようにみえるそのははが、このじけんにたいしてしっととも)

敵意を持ってさえいるように見えるその母が、この事件に対して嫉妬とも

(おもわれるほどげんじゅうなこしょうをもちだしたのは、ふしぎでないというべきさかいをとおり)

思われるほど厳重な故障を持ち出したのは、不思議でないというべき境を通り

(こしていた。せこになれきって、おちつきはらったちゅうねんのふじんが、こころのそこのどうように)

越していた。世故に慣れきって、落ち付き払った中年の婦人が、心の底の動揺に

(しげきされてたくらみだすとみえるざんぎゃくなわるだくみは、としわかいふたりのきゅうしょをそろそろと)

刺激されてたくらみ出すと見える残虐な譎計は、年若い二人の急所をそろそろと

(うかがいよって、ちょうもとおれとつきさしてくる。それをはらいかねてきべがいのちかぎりに)

うかがいよって、腸も通れと突き刺してくる。それを払いかねて木部が命限りに

(もがくのをみると、ようこのこころにじゅんすいなどうじょうと、おとこにたいするむじょうけんてきなすてみな)

もがくのを見ると、葉子の心に純粋な同情と、男に対する無条件的な捨て身な

(たいどがうまれはじめた。ようこはじぶんでつくりだしたじぶんのおとしあなにたわいもなくよい)

態度が生まれ始めた。葉子は自分で造り出した自分の穽にたわいもなく酔い

(はじめた。ようこはこんなめもくらむようなはればれしいものをみたことがなかった。)

始めた。葉子はこんな目もくらむような晴れ晴れしいものを見た事がなかった。

(おんなのほんのうがうまれてはじめてめをふきはじめた。そしてめすのようなひごろの)

女の本能が生まれて始めて芽をふき始めた。そして解剖刀のような日ごろの

(ひはんりょくはなまりのようににぶってしまった。ようこのははがぼうりょくではおよばないのをさとって、)

批判力は鉛のように鈍ってしまった。葉子の母が暴力では及ばないのを悟って、

(すかしつなだめつ、おっとまでをどうぐにつかったり、きべのそんしんするぼくしをほうべんに)

すかしつなだめつ、良人までを道具につかったり、木部の尊信する牧師を方便に

(したりして、あらんかぎりのちりょくをしぼったかいじゅうさくも、なんのかいもなく、れいせいな)

したりして、あらん限りの知力をしぼった懐柔策も、なんのかいもなく、冷静な

(しりょぶかいさくせんけいかくをこんきよくつづければつづけるほど、ようこはきべをうしろにかばい)

思慮深い作戦計画を根気よく続ければ続けるほど、葉子は木部を後ろにかばい

(ながら、けなげにもかよわいおんなのてひとつでたたかった。そしてきべのぜんしんぜんれいをつめのさき)

ながら、健気にもか弱い女の手一つで戦った。そして木部の全身全霊を爪の先

(おもいのはてまでじぶんのものにしなければ、しんでもしねないようすがみえたので、)

想いの果てまで自分のものにしなければ、死んでも死ねない様子が見えたので、

(ははもとうとうがをおった。そしてごかげつのおそろしいしれんのあとに、)

母もとうとう我を折った。そして五か月の恐ろしい試練の後に、

(りょうしんのたちあわないちいさなけっこんのしきが、あきのあるごご、きべのげしゅくのひとまで)

両親の立ち会わない小さな結婚の式が、秋のある午後、木部の下宿の一間で

(とりおこなわれた。そしてははにたいするしょうりのぶんどりひんとして、きべはようこひとりの)

執り行われた。そして母に対する勝利の分捕り品として、木部は葉子一人の

(ものとなった。)

ものとなった。

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