有島武郎 或る女㊷

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(さんふらんしすこりょうじがざいりゅうにほんじんのきぎょうにたいしてぜんぜんれいたんでもうもくであると)

サンフランシスコ領事が在留日本人の企業に対して全然冷淡で盲目であると

(いうこと、にほんじんかんにしっしがはげしいので、さんふらんしすこでのじぎょうのもくろみは)

いう事、日本人間に嫉視が激しいので、サンフランシスコでの事業の目論見は

(よきいじょうのこしょうにあってだいたいしっぱいにおわったこと、おもいきったはってんはやはりそうぞう)

予期以上の故障にあって大体失敗に終わった事、思いきった発展はやはり想像

(どおりのべいこくのせいぶよりもちゅうおう、ことにしかごをちゅうしんとしてけいかくされなければ)

どおりの米国の西部よりも中央、ことにシカゴを中心として計画されなければ

(ならぬということ、さいわいに、さんふらんしすこでじぶんのはなしにのってくれるある)

ならぬという事、幸いに、サンフランシスコで自分の話に乗ってくれるある

(てがたいどいつじんにとりつぎをたのんだということ、しやとるでもそうとうのみせをみいだし)

手堅いドイツ人に取り次ぎを頼んだという事、シヤトルでも相当の店を見いだし

(かけているということ、しかごにいったら、そこでにほんのめいよりょうじをしている)

かけているという事、シカゴに行ったら、そこで日本の名誉領事をしている

(かなりのてつぶつしょうのみせにまずすみこんでべいこくにおけるとりひきのてごころをのみこむと)

かなりの鉄物商の店にまず住み込んで米国における取り引きの手心をのみ込むと

(どうじに、そのひとのしほんのいちぶをうごかして、にほんとのじきとりひきをはじめるさんだんで)

同時に、その人の資本の一部を動かして、日本との直取り引きを始める算段で

(あるということ、しかごのすまいはもうきまって、かりるべきふらっとのずめんまで)

あるという事、シカゴの住まいはもう決まって、借りるべきフラットの図面まで

(とりよせてあるということ、ふらっとはふけいざいのようだけれどもへやのあいた)

取り寄せてあるという事、フラットは不経済のようだけれども部屋の明いた

(ぶぶんをまたがしをすれば、たいしてたかいものにもつかず、すまいべんりはひじょうにいい)

部分を又貸しをすれば、たいして高いものにもつかず、住まい便利は非常にいい

(ということ・・・そういうてんにかけては、なかなかめんみつにいきとどいたもので、)

という事・・・そういう点にかけては、なかなか綿密に行き届いたもので、

(それをいかにもきぎょうからしいせっぷくてきなくちょうでじゅんじょよくのべていった。かいわの)

それをいかにも企業家らしい説服的な口調で順序よく述べて行った。会話の

(ながれがこうかわってくると、ようこははじめてどろのなかからあしをぬきあげたような)

流れがこう変わって来ると、葉子は始めて泥の中から足を抜き上げたような

(きがるなこころもちになって、ずっときむらをみつめながら、きくともなしにそのはなしに)

気軽な心持ちになって、ずっと木村を見つめながら、聞くともなしにその話に

(ききみみをたてていた。きむらのようぼうはしばらくのあいだにみちがえるほどrefine)

聞き耳を立てていた。木村の容貌はしばらくの間に見違えるほどrefine

(されて、もとからしろかったそのひふはなにかとくしゅなせんりょうでそこびかりのするほどみがきが)

されて、元から白かったその皮膚は何か特殊な洗料で底光りのするほどみがきが

(かけられて、にほんじんとはおもえぬまでなめらかなのに、あぶらできれいにわけたこい)

かけられて、日本人とは思えぬまでなめらかなのに、油できれいに分けた濃い

(くろかみは、せいようじんのきんぱつにはまたみられぬようなおもむきのあるたいしょうをそのはくせきのひふに)

黒髪は、西洋人の金髪にはまた見られぬような趣のある対照をその白皙の皮膚に

など

(あたえて、からーとねくたいのかんけいにもひとにきのつかぬこりかたをみせていた。)

与えて、カラーとネクタイの関係にも人に気のつかぬ凝りかたを見せていた。

(「あいたてからこんなことをいうのははずかしいですけれども、じっさいこんどという)

「会いたてからこんな事をいうのは恥ずかしいですけれども、実際今度という

(こんどはくとうしました。ここまでむかいにくるにもろくろくりょひがないさわぎで)

今度は苦闘しました。ここまで迎いに来るにもろくろく旅費がない騒ぎで

(しょう」といってさすがにくるしげにわらいにまぎらそうとした。そのくせきむらの)

しょう」といってさすがに苦しげに笑いにまぎらそうとした。そのくせ木村の

(むねにはどっしりとおもそうなきんぐさりがかかって、りょうてのゆびにはよっつまでほうせきいりの)

胸にはどっしりと重そうな金鎖がかかって、両手の指には四つまで宝石入りの

(ゆびわがきらめいていた。ようこはきむらのいうことをききながらそのゆびにめをつけて)

指輪がきらめいていた。葉子は木村のいう事を聞きながらその指に目をつけて

(いたが、よっつのゆびわのなかにこんやくのときとりかわしたじゅんきんのゆびわもまじっているのに)

いたが、四つの指輪の中に婚約の時取りかわした純金の指輪もまじっているのに

(きがつくと、じぶんのゆびにはそれをはめていなかったのをおもいだして、なにくわぬ)

気がつくと、自分の指にはそれをはめていなかったのを思い出して、何くわぬ

(ようすできむらのひざのうえからてをひっこめてあごまでふとんをかぶってしまった。)

様子で木村の膝の上から手を引っ込めて顎までふとんをかぶってしまった。

(きむらはひっこめられたてにおいすがるようにいすをのりだして、ようこのかおにちかく)

木村は引っ込められた手に追いすがるように椅子を乗り出して、葉子の顔に近く

(じぶんのかおをさしだした。「ようこさん」「なに?」またlove-sceneか。)

自分の顔をさし出した。「葉子さん」「何?」またLove-sceneか。

(そうおもってようこはうんざりしたけれども、すげなくかおをそむけるわけにも)

そう思って葉子はうんざりしたけれども、すげなく顔をそむけるわけにも

(いかず、ややとうわくしていると、おりよくじむちょうがかたばかりののっくをして)

行かず、やや当惑していると、おりよく事務長が型ばかりのノックをして

(はいってきた。ようこはねたまま、めでいそいそとじむちょうをむかえながら、「まあ)

はいって来た。葉子は寝たまま、目でいそいそと事務長を迎えながら、「まあ

(ようこそ・・・さきほどはしつれい。なんだかくだらないことをかんがえだしていたもん)

ようこそ・・・先ほどは失礼。なんだかくだらない事を考え出していたもん

(ですから、ついわがままをしてしまってすみません・・・おいそがしいでしょう」)

ですから、ついわがままをしてしまってすみません・・・お忙しいでしょう」

(というと、じむちょうはからかいはんぶんのじょうだんをきっかけに、「きむらさんのかおをみると)

というと、事務長はからかい半分の冗談をきっかけに、「木村さんの顔を見ると

(えらいことをわすれていたのにきがついたで。きむらさんからあなたにでんぽうがきとった)

えらい事を忘れていたのに気がついたで。木村さんからあなたに電報が来とった

(のを、わたしゃびくとりやのどさくさでころりわすれとったんだ。すまぬこと)

のを、わたしゃビクトリヤのどさくさでころり忘れとったんだ。すまぬ事

(でした。こんなしわになりくさった」といいながら、ひだりのぽけっとからおりめに)

でした。こんな皺になりくさった」といいながら、左のポケットから折り目に

(たばこのこながはさまってもみくちゃになったでんぽうしをとりだした。きむらはさっき)

煙草の粉がはさまってもみくちゃになった電報紙を取り出した。木村はさっき

(ようこがそれをみたとたしかにいったそのことばにたいして、けげんなかおつきをしながら)

葉子がそれを見たと確かにいったその言葉に対して、怪訝な顔つきをしながら

(ようこをみた。ささいなことではあるが、それがじむちょうにもかんけいをもつことだとおもうと、)

葉子を見た。些細な事ではあるが、それが事務長にも関係を持つ事だと思うと、

(ようこもちょっとどぎまぎせずにはいられなかった。しかしそれはいっしゅんかんだった。)

葉子もちょっとどぎまぎせずにはいられなかった。しかしそれは一瞬間だった。

(「くらちさん、あなたはきょうすこしどうかなすっていらっしゃるわ。それはそのとき)

「倉地さん、あなたはきょう少しどうかなすっていらっしゃるわ。それはその時

(ちゃんとはいけんしたじゃありませんか」といいながらすばやくめくばせすると、)

ちゃんと拝見したじゃありませんか」といいながらすばやく目くばせすると、

(じむちょうはすぐなにかわけがあるのをけどったらしく、たくみにようこにばつを)

事務長はすぐ何かわけがあるのを気(け)取ったらしく、巧みに葉子にばつを

(あわせた。「なに?あなたみた?・・・おおそうそう・・・これはねぼけ)

合わせた。「何? あなた見た?・・・おおそうそう・・・これは寝ぼけ

(かえっとるぞ、はははは」そしてたがいにかおをみあわせながらふたりはしたたか)

返っとるぞ、はははは」そして互いに顔を見合わせながら二人はしたたか

(わらった。きむらはしばらくふたりをかたみがわりにみくらべていたが、これもやがて)

笑った。木村はしばらく二人をかたみがわりに見くらべていたが、これもやがて

(こえをたててわらいだした。きむらのわらいだすのをみたふたりはむしょうにおかしくなって)

声を立てて笑い出した。木村の笑い出すのを見た二人は無性におかしくなって

(もういちどあたらしくわらいこけた。きむらというおおきなじゃまものをめのまえにすえておき)

もう一度新しく笑いこけた。木村という大きな邪魔者を目の前に据えておき

(ながら、たがいのかんじょうがみずのようにくもなくながれかようのをふたりはこどもらしく)

ながら、互いの感情が水のように苦もなく流れ通うのを二人は子供らしく

(たのしんだ。しかしこんないたずらめいたことのためにはなしはちょっととぎれて)

楽しんだ。しかしこんないたずらめいた事のために話はちょっと途切れて

(しまった。くだらないことにふたりからわきでたすこしぎょうさんすぎた)

しまった。くだらない事に二人からわき出た少し仰山(ぎょうさん)すぎた

(わらいは、かすかながらきむらのかんじょうをそこねたらしかった。ようこは、このばあい、)

笑いは、かすかながら木村の感情をそこねたらしかった。葉子は、この場合、

(なおいのころうとするじむちょうをとおざけて、きむらとさしむかいになるのがとくさくだと)

なお居残ろうとする事務長を遠ざけて、木村とさし向かいになるのが得策だと

(おもったので、ほどもなくきまじめなかおつきにかえって、まくらのしたをさぐって、そこに)

思ったので、程もなくきまじめな顔つきに返って、枕の下を探って、そこに

(いれておいたことうのてがみをとりだしてきむらにわたしながら、「これをあなたに)

入れて置いた古藤の手紙を取り出して木村に渡しながら、「これをあなたに

(ことうさんから。ことうさんにはずいぶんおせわになりましてよ。でもあのかたの)

古藤さんから。古藤さんにはずいぶんお世話になりましてよ。でもあの方の

(ぶまさかげんったら、それはじれったいほどね。あいやさだのがっこうのこともおたのみして)

ぶまさかげんったら、それはじれったいほどね。愛や貞の学校の事もお頼みして

(きたんですけれどもこころもとないもんよ。きっといまごろはけんかごしになって)

来たんですけれども心もとないもんよ。きっと今ごろはけんか腰になって

(みんなとだんぱんでもしていらっしゃるでしょうよ。みえるようですわね」とみずを)

みんなと談判でもしていらっしゃるでしょうよ。見えるようですわね」と水を

(むけると、きむらははじめてはなしのりょうぶんがじぶんのほうにうつってきたように、かおいろを)

向けると、木村は始めて話の領分が自分のほうに移って来たように、顔色を

(なおしながら、じむちょうをそっちのけにしたたいどで、ようこにたいしてはじぶんがだいいちの)

なおしながら、事務長をそっちのけにした態度で、葉子に対しては自分が第一の

(はつげんけんをもっているといわんばかりに、いろいろとはなしだした。じむちょうは)

発言権を持っているといわんばかりに、いろいろと話し出した。事務長は

(しばらくかざむきをみはからってたっていたがとつぜんへやをでていった。ようこは)

しばらく風向きを見計らって立っていたが突然部屋を出て行った。葉子は

(すばやくそのかおいろをうかがうとみょうにけわしくなっていた。「ちょっとしつれい」)

すばやくその顔色をうかがうと妙にけわしくなっていた。「ちょっと失礼」

(きむらのくせで、こんなときまでみょうによそよそしくことわって、ことうのてがみのふうをきった。)

木村の癖で、こんな時まで妙によそよそしく断って、古藤の手紙の封を切った。

(せいようけいしにぺんでこまかくかいたいくまいかのかなりあついもので、それをきむらがよみ)

西洋罫紙にペンで細かく書いた幾枚かのかなり厚いもので、それを木村が読み

(おわるまでにはひまがかかった。そのあいだ、ようこはあおむけになって、かんぱんでさかんに)

終わるまでには暇がかかった。その間、葉子は仰向けになって、甲板で盛んに

(にあげしているにんそくらのさわぎをききながら、ややくらくなりかけたひかりできむらのかおを)

荷揚げしている人足らの騒ぎを聞きながら、やや暗くなりかけた光で木村の顔を

(みやっていた。すこしまゆねをよせながら、てがみによみふけるきむらのひょうじょうには、ときどき)

見やっていた。少し眉根を寄せながら、手紙に読みふける木村の表情には、時々

(くつうやぎわくやのいろがいったりきたりした。よみおわってからほっとしたためいきと)

苦痛や疑惑やの色が往ったり来たりした。読み終わってからほっとしたため息と

(ともにきむらはてがみをようこにわたして、「こんなことをいってよこしているんです。)

ともに木村は手紙を葉子に渡して、「こんな事をいってよこしているんです。

(あなたにみせてもかまわないとあるからごらんなさい」といった。ようこはべつに)

あなたに見せても構わないとあるから御覧なさい」といった。葉子はべつに

(よみたくもなかったが、たしょうのこうきしんもてつだうのでとにかくめをとおしてみた。)

読みたくもなかったが、多少の好奇心も手伝うのでとにかく目を通して見た。

(「ぼくはこんどぐらいふしぎなけいけんをなめたことはない。けいがさってのちの)

「僕は今度ぐらい不思議な経験をなめた事はない。兄(けい)が去って後の

(ようこさんのいっしんにかんして、せきにんをもつことなんか、ぼくはしたいとおもってもできは)

葉子さんの一身に関して、責任を持つ事なんか、僕はしたいと思ってもできは

(しないが、もしめいはくにいわせてくれるなら、けいはまだようこさんのこころをぜんぜんせんりょう)

しないが、もし明白にいわせてくれるなら、兄はまだ葉子さんの心を全然占領

(したものとはおもわれない」「ぼくはおんなのこころにはまったくふれたことがないといっていい)

したものとは思われない」「僕は女の心には全く触れた事がないといっていい

(ほどのにんげんだが、もしぼくのじじつだとおもうことがふこうにしてじじつだとすると、)

ほどの人間だが、もし僕の事実だと思う事が不幸にして事実だとすると、

(ようこさんのこいにはーーもしそんなのがこいといえるならーーだいぶよゆうがあると)

葉子さんの恋にはーーもしそんなのが恋といえるならーーだいぶ余裕があると

(おもうね」「これがおんなのtactというものかとおもったようなことがあった。しかし)

思うね」「これが女のtactというものかと思ったような事があった。しかし

(ぼくにはわからん」「ぼくはわかいおんなのまえにいくとへんにどぎまぎしてしまってろくろく)

僕にはわからん」「僕は若い女の前に行くと変にどぎまぎしてしまってろくろく

(ものもいえなくなる。ところがようこさんのまえではまったくちがったかんじでものが)

物もいえなくなる。所が葉子さんの前では全く異(ちが)った感じで物が

(いえる。これはかんがえものだ」「ようこさんというひとはけいがいうとおりにすぐれた)

いえる。これは考えものだ」「葉子さんという人は兄がいうとおりに優れた

(てんぷをもったひとのようにもじっさいおもえる。しかしあのひとはどこかかたわじゃない)

天賦を持った人のようにも実際思える。しかしあの人はどこか片輪じゃない

(かい」「めいはくにいうとぼくはああいうひとはいちばんきらいだけれども、どうじにまた)

かい」「明白にいうと僕はああいう人はいちばんきらいだけれども、同時にまた

(いちばんひきつけられる、ぼくはこのむじゅんをときほごしてみたくってたまらない。)

いちばんひきつけられる、僕はこの矛盾を解きほごしてみたくってたまらない。

(ぼくのたんじゅんをゆるしてくれたまえ。ようこさんはいままでのどこかでみちをまちがえたのじゃ)

僕の単純を許してくれたまえ。葉子さんは今までのどこかで道を間違えたのじゃ

(ないかしらん。けれどもそれにしてはあまりへいきだね」)

ないかしらん。けれどもそれにしてはあまり平気だね」

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