夢野久作 押絵の奇蹟⑰/⑲
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問題文
(そののち、このじけんはそしょうもんだいとなり、ありなふじんのじっぷとこんらどじゅうだんしゃくとは)
その後、この事件は訴訟問題となり、アリナ夫人の実父とコンラド従男爵とは
(ほうていにおいてありなのていそうにかんしこくびゃくをあらそうこととなりしが、じゅうだんしゃくは、)
法廷に於てアリナの貞操に関し黒白を争うこととなりしが、従男爵は、
(そのくろかみせいねんのしょうぞうがとおなじじんぶつのそんざいをかたくしゅちょうせしにたいし、)
その黒髪青年の肖像画と同じ人物の存在を固く主張せしに対し、
(ありなふじんのじっぷのみかたとなりしいし、けん、べんごしらんどるふ・たりすまんしは)
アリナ夫人の実父の味方となりし医師、兼、弁護士ランドルフ・タリスマン氏は
(がんきょうなるこうべんをこころみていっぽもひかず。けっきょくどうしはわざわざふっこくにわたりて)
頑強なる抗弁を試みて一歩も退かず。結局同氏は態々仏国に渡りて
(くだんのしょうぞうがをえがきしがこうをともないきたり、そのがぞうががんらいえいこくにおいてえがかれし)
件の肖像画を描きし画工を伴い来り、その画像が元来英国に於て描かれし
(ものにあらず、すぺいんのいちとうぎゅうしのしぼうしたるにより、そのあいじんのこのみにまかせて)
ものに非ず、スペインの一闘牛士の死亡したるに依り、その愛人の好みに任せて
(しゅりょうふくをきたるすがたをがいがこうがしっぴつせしものなるが、ひょうばんのけっさくなりしため)
狩猟服を着たる姿を該画工が執筆せしものなるが、評判の傑作なりしため
(そのせいさくのとちゅうにおいてとうなんにかかり、てんてんしてえいこくにわたりたるものなるをもって、)
その製作の途中に於て盗難に罹り、転々して英国に渡りたるものなるを以て、
(さいぶにおいてみかんせいなるぶぶんがたたあるむねをいちいちそのがこうにしてきせしめつ。)
細部に於て未完成なる部分が多々ある旨を一々その画工に指摘せしめつ。
(ついでたりすまんしは、がめんじょうにしるせられたるしんきゅういくたのせっぷんほおずりのあと、)
次いでタリスマン氏は、画面上に印せられたる新旧幾多の接吻頬ずりのあと、
(なみだのこんせき、およびがめんにみをささえたるゆびのあとと、ありなふじんのしんちょうしもんそのたが)
涙の痕跡、及び画面に身を支えたる指の痕と、アリナ夫人の身長指紋その他が
(かんぜんにいっちするところより、ありなふじんがかねてよりこのがぞうにかなわぬこいごころを)
完全に一致するところより、アリナ夫人がかねてよりこの画像に叶わぬ恋心を
(ささげおりしことをりっしょうし、どうふじんがかつてあまでらにいらむとせししんりのしんそうを)
捧げおりし事を立証し、同夫人がかつて尼寺に入(い)らむとせし心理の真相を
(めいはくにして、そのていそうのにくたいてきにじゅんけつふじなることをかくほうめんよりしょうさいにわたりて)
明白にして、その貞操の肉体的に純潔不二なる事を各方面より詳細に亘りて
(ろんだんし、さらにすすんでぜんけい、ぎりしゃこく、ぼうおうひのれいをあげて、かかるじれいが)
論断し、更に進んで前掲、ギリシャ国、某王妃の例を挙げて、かかる事例が
(そんざいのかのうなることをせっぱしたるのち、いちだんとごきをつよめていいけるよう、)
存在の可能なる事を説破したる後、一段と語気を強めて云いけるよう、
(「ちかく、わがえいこくにおいてもいでんがくじょう、かかるげんしょうのそんざいしうることを)
「近く、吾が英国に於ても遺伝学上、かかる現象の存在し得ることを
(しょうめいしうべきじつれいあり。さいきんらっどれーふきんのいちたねばばにおいてしいくせられし)
証明し得べき実例あり。最近ラッドレー附近の一 種馬場に於て飼育せられし
(いちひんばは、いまよりさんねんいぜんにみせものようのはんばとこうびしていっぴきの)
一牝馬は、今より三年以前に見世物用の 斑馬(はんば)と交びして一匹の
(あいのこをうみ、かいぬしをしてきりをはくせしめしことあり。しかるに)
混血児(あいのこ)を生み、飼主をして奇利を博せしめし事あり。然るに
(それよりにねんごのさくねんどにおいてがいひんばをふつうのじょうばとこうびせしめたるに、)
それより二年後の昨年度に於て該牝馬を普通の乗馬と交びせしめたるに、
(きかいにも、いぜんのはいぐうたりしはんばとどうようのはんもんをでんぶよりだいたいぶにかけてとどめし)
奇怪にも、以前の配偶たりし斑馬と同様の斑紋を臀部より大腿部にかけて止めし
(こうまをうみたるをもって、げんざいしかいのせんもんか、および、いでんがくしゃかんの)
仔馬を生みたるを以て、現在 斯界(しかい)の専門家、及び、遺伝学者間の
(ぎろんのちゅうしんとなりおり、しかもしゃはんのきげんしょうをせつめいしうべき)
議論の中心となりおり、しかも這般(しゃはん)の奇現象を説明し得べき
(がくせつのうち、もっともけんいあるものとして、ほかのしょせつをあっとうしつつあるは)
学説のうち、最も権威あるものとして、他の諸説を圧倒しつつあるは
(もっかのところただひとつ、ーーせいぶつのおやこのがいぼうせいかくのそうじは、そのおやのしんりに)
目下のところ唯一つ、ーー生物の親子の外貌性格の相似は、その親の心理に
(せんざいせるしんこくなるきおくりょくが、そのせいちゅうとらんしとにえいきょうしたるものにほかならず)
潜在せる深刻なる記憶力が、その精虫と卵子とに影響したるものに外ならず
(ーーちょくせつのふぼいがいの、たにんにこくじせるこが、かんつうのじじつなくしてうまるること)
ーー直接の父母以外の、他人に酷似せる子が、かん通の事実なくして生るる事
(あるはこのどうりによるものなりーーというにあり。ゆえに、わがくにのかこにおける)
あるはこの道理に依るもの也ーーというに在り。故に、吾国の過去に於ける
(いくたのさいばんが、そのとうじのもっともゆうりょくなるがくりがくせつによりてけっていせられしせんれいに)
幾多の裁判が、その当時の最も有力なる学理学説によりて決定せられし先例に
(よるときは、このそしょうもまた、このせつをしんりとみとめてだんていせらるべきものなる)
依る時は、この訴訟もまた、この説を真理と認めて断定せらるべきものなる
(ことを、よはだんことしてしゅちょうしうるものなり。すなわちこのじけんは、ぜんじゅつのごとき)
事を、余は断乎として主張し得るもの也。即ちこの事件は、前述の如き
(しんりじょうたいにありて、けっこんをきひしつつありしありなじょうを、じゅうだんしゃくがついきゅうして)
心理状態に在りて、結婚を忌避しつつありしアリナ嬢を、従男爵が追求して
(しゃぜつのじにきゅうせしめ、しいてどうせいをしょうだくせしめしよりおこりしものにして、この)
謝絶の辞に窮せしめ、強いて同棲を承諾せしめしより起りしものにして、この
(ふじんのこのがぞうにたいするせいしんてきのていそうをやぶらしめしつみはむしろじゅうだんしゃくに)
婦人のこの画像に対する精神的の貞操を破らしめし罪は寧(むし)ろ従男爵に
(ありというべし。ありなじょうは、なにごともいうあたわずしてかし、なにごともいうあたわず)
在りと云うべし。アリナ嬢は、何事も云う能わずして嫁し、何事も云う能わず
(してしせり。そのていそうのこうけつなる、そのせいじょうのじゅんびなる、これをして)
して死せり。その貞操の高潔なる、その性情の純美なる、これをして
(うたがうべくんば、てんかいずれのところにかせいぎをもとめん。これをしも)
疑うべくんば、天下いずれのところにか正義を求めん。これをしも
(どうじょうせずんば、ちじょういずれのところにかじんどうをみとめん」となみだをふるって)
同情せずんば、地上いずれのところにか人道を認めん」と涙を揮って
(つうろんせしかば、まんじょうせきとしていうところをしらず。ただ、しょうにんせきに)
痛論せしかば、満場 寂(せき)として云うところを知らず。唯、証人席に
(ありしありなのじつふぼがきょきするあるのみ。ついにこのそしょうはじゅうだんしゃく)
在りしアリナの実父母が歔欷(きょき)するあるのみ。遂にこの訴訟は従男爵
(こらんどしのはいそとなり、ありなのれいと、じゅうだんしゃくのちによりてうまれたる)
コランド氏の敗訴となり、アリナの霊と、従男爵の血によりて生まれたる
(がいじのふじょりょう、および、そのじっぷにたいするいしゃりょうとしてきょがくのざいさんをぶんよして)
孩児の扶助料、及び、その実父に対する慰藉料として巨額の財産を分与して
(けっちゃくをみたりとなり。)
結着を見たりとなり。
(これをもってこれをみれば、こらいていそうにかんするうたがいをうけてべんそする)
これを以てこれを見れば、古来貞操に関する疑いを受けて弁疏(べんそ)する
(あたわず、えんおうにしせしふじんのなかにはかかるるいれいなしという)
能わず、冤枉(えんおう)に死せし婦人の中にはかかる類例なしという
(べからず。かつ、このはんれいとがくせつとをしんりとみとめてるいすいするときは、だんしにても)
べからず。且つ、この判例と学説とを真理と認めて類推する時は、男子にても
(かつてれんちゃくし、もしくはきおくせるじょせいににたるこを、げんざいのはいぐうにうましむる)
かつて恋着し、もしくは記憶せる女性に似たる児を、現在の配偶に生ましむる
(ことが、ありうべきどうりとなりきたるをもって、ばあいによりてはだんじょかんにおける)
事が、あり得べき道理となり来るを以て、場合によりては男女間に於ける
(せいしんてきのていそうのうむをも、けいじかのしょげんしょう、たとえばそのこにあらわれたる)
精神的の貞操の有無をも、形而下の諸現象、譬えばその児に現われたる
(とくちょうとうによりて、ぐたいてきにしょうめいされうるにいたるべくしたがって、ほうりつじょうにおける)
特徴等によりて、具体的に証明され得るに到るべく従って、法律上に於ける
(ていそうのじぎがげんざいよりもはるかにきょうしょうげんみつとなり、どうとくじょうよりみたるていそうの)
貞操の字義が現在よりも遥かに狭小厳密となり、道徳上より見たる貞操の
(いぎといっしあいいれざるにいたるとどうじに、いっぽうにはしゃはんのがくりをぎゃくりあくようする)
意義と一糸相容れざるに到ると同時に、一方には這般の学理を逆利悪用する
(かんつうのいんぺいじじつが、りくぞくとしてげんしゅつするじだいのちかきしょうらいにおいてきたりうべき)
かん通の隠蔽事実が、陸続として現出する時代の近き将来に於て来り得べき
(ことも、よそうするにかたからざることとなるべし。)
ことも、予想するに難からざる事となるべし。
(やくしゃいわくいじょうをようするに、せいぶつかいにおけるれいいしきのさようのげんかいふかしぎに)
◇訳者曰く 以上を要するに、生物界に於ける霊意識の作用の玄怪不可思議に
(してげんだいにおけるかがくちしきのよくついずいほそくしうべきものにあらざるは、)
して現代に於ける科学知識の克(よ)く追随捕捉し得べきものに非ざるは、
(たんににんしんにかんするぜんきにさんのとくれいにてらすもかくのごとくめいりょうなることしかり。)
単に姙娠に関する前記二三の特例に照すも斯くの如く明瞭なる事然り。
(いわんや、かかるびみょうなるじしょうをいっぺんのほうりつのじょうぶん、またはせんぱくなる)
況(いわ)んや、かかる微妙なる事象を一片の法律の条文、又は浅薄なる
(じょうしきのはんだんにまかせて、しんえんなるいがくてきのけんきゅうをぜんぜんどがいしせることわがくにの)
常識の判断に任せて、深遠なる医学的の研究を全然度外視せること吾が国の
(ほうていのごとくなるときは、そのきけん、そのふあんはたしていくばくぞや。)
法廷の如くなる時は、その危険、その不安果して幾何(いくばく)ぞや。
(さらにいわんや、いくたのむこをばっしてかえりみざるひじんどうにそうとうするときは、)
更に況んや、幾多の無辜(むこ)を罰して顧みざる非じん道に想倒する時は、
(れつじつのもとかんもうじゅりつせずんばあるべからず。)
烈日のもと寒毛樹立(かんもうじゅりつ)せずんばあるべからず。
(おうべいせんしんしょこくにおけるほういがくのはったつと、そのしゃかいてきけんいのいだいなる、)
欧米先進諸国に於ける法医学の発達と、その社会的権威の偉大なる、
(しんにせんぼうにこたえたりというべし。(いかをはぶく))
真に羨望に堪えたりと云うべし。(以下を省く)