江戸川乱歩 D坂⑬
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問題文
(「けいさつでは、きみのしもんがはんにんのしもんのうえにかさなって、それを)
「警察では、君の指紋が犯人の指紋の上に重なって、それを
(けしてしまったのだとかいしゃくしているのですが、しかしそれは)
消してしまったのだと解釈しているのですが、しかしそれは
(いまのじっけんでもわかるとおりふかのうなんですよ。いくらつよくおしたところで、)
今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、
(しもんというものがせんでできているいじょう、せんとせんとのあいだに、)
指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、
(まえのしもんのあとがのこるはずです。もしぜんごのしもんがまったくおなじもので、)
前の指紋の跡が残る筈です。もし前後の指紋が全く同じもので、
(おしかたもすんぶんたがわなかったとすれば、しもんのかくせんがいっちしますから、)
捺し方も寸分違(たが)わなかったとすれば、指紋の各線が一致しますから、
(あるいはあとのしもんがさきのしもんをかくしてしまうこともできるでしょうが、)
或いは後の指紋が先の指紋を隠してしまうことも出来るでしょうが、
(そういうことはまずありえませんし、たとえそうだとしても、)
そういうことは先ずあり得ませんし、たとえそうだとしても、
(このばあいけつろんはかわらないのです。)
この場合結論は変らないのです。
(しかし、あのでんとうをけしたのがはんにんだとすれば、すいっちに)
しかし、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチに
(そのしもんがのこっていなければなりません。ぼくはもしやけいさつではきみのしもんの)
その指紋が残っていなければなりません。僕はもしや警察では君の指紋の
(せんとせんとのあいだにのこっているさきのしもんをみおとしているのではないかとおもって、)
線と線との間に残っている先の指紋を見落としているのではないかと思って、
(じぶんでしらべてみたのですが、すこしもそんなこんせきがないのです。つまり、)
自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、
(あのすいっちには、あとにもさきにも、きみのしもんがおされているだけなのです。)
あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。
(--どうしてふるほんやのひとたちのしもんがのこっていなかったのか、)
--どうして古本屋の人達の指紋が残っていなかったのか、
(それはよくわかりませんが、たぶん、あのへやのでんとうはつけっぱなしで、)
それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、
(いちどもけしたことがないのでしょう。)
一度も消したことがないのでしょう。
(きみ、いじょうのことがらはいったいなにをかたっているでしょう。)
君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。
(ぼくはこういうふうにかんがえるのですよ。)
僕はこういう風に考えるのですよ。
(ひとりのあらいぼうじまのきものをきたおとこが、--そのおとこはたぶんしんだおんなのおさななじみで、)
一人の荒い棒縞の着物を着た男が、--その男は多分死んだ女の幼馴染で、
(しつれんというりゆうなんかもかんがえられますね--ふるほんやのしゅじんが)
失恋という理由なんかも考えられますね--古本屋の主人が
(よみせをだすことをしっていてそのるすのあいだにおんなをおそうたのです。)
夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。
(こえをたてたりていこうしたりしたけいせきがないのですから、おんなはそのおとこを)
声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男を
(よくしっていたにそういありません。で、まんまともくてきをはたしたおとこは、)
よく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果たした男は、
(しがいのはっけんをおくらすために、でんとうをけしてたちさったのです。)
死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立ち去ったのです。
(しかし、このおとこのいちごのふかくは、しょうじのこうしのあいているのを)
しかし、この男の一期(いちご)の不覚は、障子の格子のあいているのを
(しらなかったこと、そして、おどろいてそれをしめたときに、ぐうぜんみせさきにいた)
知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた
(ふたりのがくせいにすがたをみられたことでした。それから、おとこは)
二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は
(いったんそとへでましたが、ふときがついたのは、でんとうをけしたとき、)
一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、
(すいっちにしもんがのこったにそういないということです。)
スイッチに指紋が残ったに相違ないということです。
(これはどうしてもけしてしまわねばなりません。しかしもういちど)
これはどうしても消してしまわねばなりません。しかしもう一度
(おなじほうほうでへやのなかへしのびこむのはきけんです。そこで、おとこは)
同じ方法で部屋の中へ忍び込むのは危険です。そこで、男は
(ひとつのみょうあんをおもいつきました。それは、みずからさつじんじけんのはっけんしゃになることです。)
一つの妙案を思いつきました。それは、自ら殺人事件の発見者になることです。
(そうすれば、すこしもふしぜんもなく、じぶんのてででんとうをつけて、)
そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、
(いぜんのしもんにたいするうたがいをなくしてしまうことができるばかりでなく、)
以前の指紋に対する疑いをなくしてしまうことが出来るばかりでなく、
(まさか、はっけんしゃがはんにんだろうとはだれしもかんがえませんからね、)
まさか、発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、
(にじゅうのりえきがあるのです。こうして、かれはなにくわぬかおで)
二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で
(けいさつのやりかたをみていたのです。だいたんにもしょうげんさえしました。)
警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。
(しかも、そのけっかはかれのおもうつぼだったのですよ。いつかたってもとおかたっても、)
しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、
(だれもかれをつかまえにくるものはなかったのですからね」)
誰も彼を捕まえに来るものはなかったのですからね」
(このわたしのはなしを、あけちこごろうはどんなひょうじょうできいていたか。)
この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。
(わたしは、おそらくはなしのちゅうとで、なにかかわったひょうじょうをするか、)
私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、
(ことばをはさむだろうとよきしていた。ところが、おどろいたことには、)
言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、
(かれのかおにはなんのひょうじょうもあらわれぬのだ。)
彼の顔には何の表情も現われぬのだ。
(いったいへいそからこころをいろにあらわさぬたちではあったけれど、)
一体平素から心を色に現わさぬ質(たち)ではあったけれど、
(あまりへいきすぎる。かれはしじゅうれいのかみのけをもじゃもじゃやりながら、)
余り平気過ぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、
(だまりこんでいるのだ。わたしは、どこまでずうずうしいおとこだろうとおもいながら)
黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら
(さいごのてんにはなしをすすめた。)
最後の点に話を進めた。