人間失格【太宰治】31
第三の手記5です
自分も~へんねえ。」までです
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問題文
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(じぶんもそれをすすりましたがおゆのにおいがしてそうしておもちをたべたら)
自分もそれを啜りましたが、お湯のにおいがして、そうして、お餅をたべたら、
(それはおもちでなくじぶんにはわからないものでしたけっして)
それはお餅でなく、自分にはわからないものでした。決して、
(そのまずしさをけいべつしたのではありませんじぶんはそのときそれを)
その貧しさを軽蔑したのではありません。(自分は、その時それを、
(まずいとはおもいませんでしたしまたろうぼのこころづくしもみにしみました)
不味いとは思いませんでしたし、また、老母の心づくしも身にしみました。
(じぶんにはまずしさへのきょうふかんはあってもけいべつかんはないつもりでいます)
自分には、貧しさへの恐怖感はあっても、軽蔑感は、無いつもりでいます)
(あのおしることそれからそのおしるこをよろこぶほりきによってじぶんは)
あのおしること、それから、そのおしるこを喜ぶ堀木に依って、自分は、
(とかいじんのつましいほんしょうまた)
都会人のつましい本性、また、
(うちとそとをちゃんとくべつしていとなんでいるとうきょうのひとのかていのじったいをみせつけられ)
内と外をちゃんと区別していとなんでいる東京の人の家庭の実体を見せつけられ
(うちもそともかわりなくただのべつまくなしににんげんのせいかつからにげまわってばかりいる)
内も外も変りなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から逃げ廻ってばかりいる
(うすばかのじぶんひとりだけかんぜんにとりのこされほりきにさえみすてられたようなけはいに)
薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に取残され、堀木にさえ見捨てられたような気配に
(ろうばいしおしるこのはげたぬりばしをあつかいながら)
狼狽し、おしるこのはげた塗箸をあつかいながら、
(たまらなくわびしいおもいをしたということをしるしておきたいだけなのです)
たまらなく侘びしい思いをしたという事を、記して置きたいだけなのです。
(わるいけどおれはきょうはようじがあるんでねほりきはたって)
「わるいけど、おれは、きょうは用事があるんでね。」堀木は立って、
(うわぎをきながらそういいしっけいするぜわるいけどそのとき)
上衣を着ながらそう言い、「失敬するぜ、わるいけど。」その時、
(ほりきにおんなのほうもんしゃがありじぶんのみのうえもきゅうてんしましたほりきは)
堀木に女の訪問者があり、自分の身の上も急転しました。堀木は、
(にわかにかっきづいてやすみませんいまね)
にわかに活気づいて、「や、すみません。いまね、
(あなたのほうへおうかがいしようとおもっていたのですがね)
あなたのほうへお伺いしようと思っていたのですがね、
(このひとがとつぜんやってきていやかまわないんですさあどうぞ)
このひとが突然やって来て、いや、かまわないんです。さあ、どうぞ。」
(よほどあわてているらしくじぶんがじぶんのしいているざぶとんをはずして)
よほど、あわてているらしく、自分が自分の敷いている座蒲団をはずして
(うらがえしにしてさしだしたのをひったくってまたうらがえしにして)
裏がえしにして差し出したのを引ったくって、また裏がえしにして、
など
(そのおんなのひとにすすめましたへやにはほりきのざぶとんのほかには)
その女のひとにすすめました。部屋には、堀木の座蒲団の他には、
(きゃくざぶとんがたったいちまいしかなかったのですおんなのひとはやせて)
客座蒲団がたった一枚しか無かったのです。女のひとは痩せて、
(せのたかいひとでしたそのざぶとんはかたわらにのけていりぐちちかくのかたすみにすわりました)
脊の高いひとでした。その座蒲団は傍にのけて、入口ちかくの片隅に坐りました
(じぶんはぼんやりふたりのかいわをきいていましたおんなはざっししゃのひとのようで)
自分は、ぼんやり二人の会話を聞いていました。女は雑誌社のひとのようで、
(ほりきにかっとだかなんだかをかねてたのんでいたらしく)
堀木にカットだか、何だかをかねて頼んでいたらしく、
(それをうけとりにきたみたいなぐあいでしたいそぎますので)
それを受取りに来たみたいな具合いでした。「いそぎますので。」
(できていますもうとっくにできていますこれですどうぞ)
「出来ています。もうとっくに出来ています。これです、どうぞ。」
(でんぽうがきましたほりきがそれをよみじょうきげんのそのかおがみるみるけんあくになり)
電報が来ました。堀木が、それを読み、上機嫌のその顔がみるみる険悪になり、
(ちぇっおまえこりゃどうしたんだいひらめからのでんぽうでした)
「ちぇっ!お前、こりゃ、どうしたんだい。」ヒラメからの電報でした。
(とにかくすぐにかえってくれおれがおまえをおくりとどけるといいんだろうが)
「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を送りとどけるといいんだろうが
(おれにはいまそんなひまはねえやいえでしていながらその)
おれにはいま、そんなひまは、無えや。家出していながら、その、
(のんきそうなつらったらおたくはどちらなのですかおおくぼです)
のんきそうな面ったら。」「お宅は、どちらなのですか?」「大久保です。」
(ふいとこたえてしまいましたそんならしゃのちかくですからおんなは)
ふいと答えてしまいました。「そんなら、社の近くですから。」女は、
(こうしゅうのうまれでにじゅうはっさいでしたいつつになるじょじと)
甲州の生れで二十八歳でした。五つになる女児と、
(こうえんじのあぱーとにすんでいましたおっととしべつして)
高円寺のアパートに住んでいました。夫と死別して、
(さんねんになるといっていましたあなたは)
三年になると言っていました。「あなたは、
(ずいぶんくろうしてそだってきたみたいなひとねよくきがきくわかわいそうに)
ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。よく気がきくわ。可哀そうに。」
(はじめておとこめかけみたいなせいかつをしましたしづこというのが)
はじめて、男めかけみたいな生活をしました。シヅ子(というのが、
(そのおんなきしゃのなまえでしたがしんじゅくのざっししゃにつとめにでたあとは)
その女記者の名前でした)が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、
(じぶんとそれからしげこといういつつのじょじとふたり)
自分とそれからシゲ子という五つの女児と二人、
(おとなしくおるすばんということになりましたそれまではははのるすには)
おとなしくお留守番という事になりました。それまでは、母の留守には、
(しげこはあぱーとのかんりにんのへやであそんでいたようでしたがきのきく)
シゲ子は、アパートの管理人の部屋で遊んでいたようでしたが、「気のきく」
(おじさんがあそびあいてとしてあらわれたのでおおいにごきげんがいいようすでした)
おじさんが遊び相手として現れたので、大いに御機嫌がいい様子でした。
(いっしゅうかんほどぼんやりじぶんはそこにいました)
一週間ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。
(あぱーとのまどのすぐちかくのでんせんにやっこだこがひとつひっからまっていて)
アパートの窓のすぐ近くの電線に、奴凧が一つひっからまっていて、
(はるのほこりかぜにふかれやぶられそれでもなかなか)
春のほこり風に吹かれ、破られ、それでもなかなか、
(しつっこくでんせんにからみついてはなれずなにやらうなずいたりなんかしているので)
しつっこく電線にからみついて離れず、何やら首肯いたりなんかしているので、
(じぶんはそれをみるたびごとにくしょうしせきめんしゆめにさえみてうなされました)
自分はそれを見る度毎に苦笑し、赤面し、夢にさえ見て、うなされました。
(おかねがほしいないくらくらいたくさんかねのきれめが)
「お金が、ほしいな。」「……いくら位?」「たくさん。……金の切れ目が、
(えんのきれめってほんとうのことだよばからしいそんなふるくさい)
縁の切れ目、って、本当の事だよ。」「ばからしい。そんな、古くさい、……」
(そうしかしきみにはわからないんだこのままではぼくは)
「そう?しかし、君には、わからないんだ。このままでは、僕は、
(にげることになるかもしれないいったいどっちがびんぼうなのよそうして)
逃げる事になるかも知れない。」「いったい、どっちが貧乏なのよ。そうして、
(どっちがにげるのよへんねえ)
どっちが逃げるのよ。へんねえ。」