有島武郎 或る女91

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1 布ちゃん 5545 A 5.8 95.3% 961.1 5606 276 90 2024/04/18

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問題文

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(「なぜわたしはきべをすてきむらをくるしめなければならないのだろう。)

「なぜわたしは木部を捨て木村を苦しめなければならないのだろう。

(なぜきべをすてたときにわたしはこころにのぞんでいるようなみちをまっしぐらに)

なぜ木部を捨てた時にわたしは心に望んでいるような道をまっしぐらに

(すすんでいくことができなかったのだろう。わたしをきむらにしいておしつけた)

進んで行く事ができなかったのだろう。わたしを木村にしいて押し付けた

(いそがわのおばさんはわるい・・・わたしのうらみはどうしてもきえるものか。)

五十川のおばさんは悪い・・・わたしの恨みはどうしても消えるものか。

(・・・といっておめおめとそのさくりゃくにのってしまったわたしはなんという)

・・・といっておめおめとその策略に乗ってしまったわたしはなんという

(ふがいないおんなだったのだろう。くらちにだけはわたしはしつぼうしたくないと)

不甲斐ない女だったのだろう。倉地にだけはわたしは失望したくないと

(おもった。いままでのすべてのしつぼうをあのひとでぜんぶとりかえしてまだあまりきるような)

思った。今までのすべての失望をあの人で全部取り返してまだ余りきるような

(よろこびをもとうとしたのだった。わたしはくらちとははなれてはいられないにんげんだと)

喜びを持とうとしたのだった。わたしは倉地とは離れてはいられない人間だと

(たしかにしんじていた。そしてわたしのもっているすべてを・・・みにくいものの)

確かに信じていた。そしてわたしの持っているすべてを・・・醜いものの

(すべてをもくらちにあたえてかなしいともおもわなかったのだ。わたしはじぶんのいのちを)

すべてをも倉地に与えて悲しいとも思わなかったのだ。わたしは自分の命を

(くらちのむねにたたきつけた。それだのにいまはなにがのこっている・・・)

倉地の胸にたたきつけた。それだのに今は何が残っている・・・

(なにがのこっている・・・。)

何が残っている・・・。

(こんやかぎりわたしはくらちにみはなされるのだ。)

今夜かぎりわたしは倉地に見放されるのだ。

(このへやをでていってしまったときのれいたんなくらちのかお!)

この部屋を出て行ってしまった時の冷淡な倉地の顔!

(・・・わたしはいこう。これからいってくらちにわびよう、どれいのように)

・・・わたしは行こう。これから行って倉地にわびよう、奴隷のように

(たたみにあたまをこすりつけてわびよう・・・そうだ。・・・しかしくらちが)

畳に頭をこすり付けてわびよう・・・そうだ。・・・しかし倉地が

(れいこくなかおをしてわたしのこころをみもかえらなかったら・・・わたしはいきてるあいだに)

冷酷な顔をしてわたしの心を見も返らなかったら・・・わたしは生きてる間に

(そんなくらちのかおをみるゆうきはない。・・・きべにわびようか・・・きべは)

そんな倉地の顔を見る勇気はない。・・・木部にわびようか・・・木部は

(いどころさえしらそうとはしないのだもの・・・」)

居所さえ知らそうとはしないのだもの・・・」

(ようこはやせたかたをいたましくふるわして、くらちからぜつえんされてしまったものの)

葉子はやせた肩を痛ましく震わして、倉地から絶縁されてしまったものの

など

(ように、さびしくかなしくなみだのかれるかとおもうまでなくのだった。)

ように、さびしく哀しく涙の枯れるかと思うまで泣くのだった。

(しずまりきったよるのくうきのなかに、ときどきはなをかみながらすすりあげすすりあげ)

静まりきった夜の空気の中に、時々鼻をかみながらすすり上げすすり上げ

(なきふすいたましいこえだけがきこえた。ようこはじぶんのこえにつまされて)

泣き伏す痛ましい声だけが聞こえた。葉子は自分の声につまされて

(なおさらひあいからひあいのどんぞこにしずんでいった。)

なおさら悲哀から悲哀のどん底に沈んで行った。

(ややしばらくしてからようこはけっしんするように、てぢかにあったすずりばことりょうしとを)

ややしばらくしてから葉子は決心するように、手近にあった硯箱と料紙とを

(ひきよせた。そしてふるえるてさきをしいてくりながらかんたんなてがみをうばにあてて)

引き寄せた。そして震える手先をしいて繰りながら簡単な手紙を乳母にあてて

(かいた。それにはうばともさだこともだんぜんえんをきるからいごたにんとおもってくれ。)

書いた。それには乳母とも定子とも断然縁を切るから以後他人と思ってくれ。

(もしじぶんがしんだらここにどうふうするてがみをきべのところにもっていくがいい。)

もし自分が死んだらここに同封する手紙を木部の所に持って行くがいい。

(きべはきっとどうしてでもさだこをやしなってくれるだろうからといういみだけを)

木部はきっとどうしてでも定子を養ってくれるだろうからという意味だけを

(かいた。そしてきべあてのてがみには、「さだこはあなたのこです。そのかおを)

書いた。そして木部あての手紙には、「定子はあなたの子です。その顔を

(ひとめごらんになったらすぐおわかりになります。わたしはいままでいじからも)

一目御覧になったらすぐおわかりになります。わたしは今まで意地からも

(さだこはわたしひとりのこでわたしひとりのものとするつもりでいました。)

定子はわたし一人の子でわたし一人のものとするつもりでいました。

(けれどもわたしがよにないものとなったいまは、あなたはもうわたしのつみを)

けれどもわたしが世にないものとなった今は、あなたはもうわたしの罪を

(ゆるしてくださるかともおもいます。せめてはさだこをうけいれてくださいましょう。)

許してくださるかとも思います。せめては定子を受け入れてくださいましょう。

(ようこのしんだあとあわれなるさだこのままよりさだこのおとうさまへ」)

葉子の死んだ後  あわれなる定子のママより  定子のおとう様へ」

(とかいた。なみだはまきがみのうえにとめどなくおちてじをにじました。とうきょうにかえったら)

と書いた。涙は巻紙の上にとめどなく落ちて字をにじました。東京に帰ったら

(ためておいたよきんのぜんぶをひきだしてそれをかわせにしてどうふうするためにふうを)

ためて置いた預金の全部を引き出してそれを為替にして同封するために封を

(とじなかった。)

閉じなかった。

(さいごのぎせい・・・いままでとつおいつすてかねていたさいあいのものをさいごのぎせいに)

最後の犠牲・・・今までとつおいつ捨て兼ねていた最愛のものを最後の犠牲に

(してみたら、たぶんくらちのこころがもういちどじぶんにもどってくるかもしれない。)

してみたら、たぶん倉地の心がもう一度自分に戻って来るかもしれない。

(ようこはこうじんにさいあいのものをいけにえとしてねがいをきいてもらおうとするたいこの)

葉子は荒神に最愛のものを生贄として願いをきいてもらおうとする太古の

(ひとのようなひっしなこころになっていた。それはむねをはりさくようなぎせいだった。)

人のような必死な心になっていた。それは胸を張り裂くような犠牲だった。

(ようこはじぶんのめからもえいゆうてきにみえるこのけっしんにかんげきしてまたあたらしく)

葉子は自分の目からも英雄的に見えるこの決心に感激してまた新しく

(なきくずれた。「どうか、どうか、・・・どうーか」ようこはだれにともなく)

泣きくずれた。「どうか、どうか、・・・どうーか」葉子はだれにともなく

(てをあわして、いっしんにねんじておいて、おおしくなみだをおしぬぐうと、そっと)

手を合わして、一心に念じておいて、雄々しく涙を押しぬぐうと、そっと

(ざをたって、くらちのねているほうへとしのびよった。ろうかのあかりはたいはんけされて)

座を立って、倉地の寝ているほうへと忍びよった。廊下の明りは大半消されて

(いるので、がらすまどからおぼろにさしこむつきのひかりがたよりになった。)

いるので、ガラス窓からおぼろにさし込む月の光がたよりになった。

(ろうかのはんぶんがたりんのもえたようなそのひかりのなかを、やせほそっていっそう)

廊下の半分がた燐の燃えたようなその光の中を、やせ細っていっそう

(せたけののびてみえるようこは、かげがあゆむようにおともなくしずかにあゆみながら、)

背たけの伸びて見える葉子は、影が歩むように音もなく静かに歩みながら、

(そっとくらちのへやのふすまをひらいてなかにはいった。うすぐらくともったありあけのしたに)

そっと倉地の部屋の襖を開いて中にはいった。薄暗くともった有明けの下に

(くらちはなにごともしらぬげにこころよくねむっていた。ようこはそっとそのまくらもとに)

倉地は何事も知らぬげに快く眠っていた。葉子はそっとその枕もとに

(ざをしめた。そしてくらちのねがおをみまもった。)

座を占めた。そして倉地の寝顔を見守った。

(ようこのめにはひとりでになみだがわくようにあふれでて、あつぼったいような)

葉子の目にはひとりでに涙がわくようにあふれ出て、厚ぼったいような

(かんじになったくちびるはわれにもなくわなわなとふるえてきた。ようこは)

感じになった口びるはわれにもなくわなわなと震えて来た。葉子は

(そうしたままでだまってなおもくらちをみつづけていた。ようこのめにたまった)

そうしたままで黙ってなおも倉地を見続けていた。葉子の目にたまった

(なみだのためにくらちのすがたはみるみるにじんだようにりんかくがぼやけてしまった。)

涙のために倉地の姿は見る見るにじんだように輪郭がぼやけてしまった。

(ようこはいまさらひとがちがったようにこころがよわって、うけみにばかりならずには)

葉子は今さら人が違ったように心が弱って、受け身にばかりならずには

(いられなくなったじぶんがかなしかった。なんというなさけないかわいそうな)

いられなくなった自分が悲しかった。なんという情けないかわいそうな

(ことだろう。そうようこはしみじみとおもった。)

事だろう。そう葉子はしみじみと思った。

(だんだんようこのなみだはすすりなきにかわっていった。くらちがねむりのなかで)

だんだん葉子の涙はすすり泣きに変わって行った。倉地が眠りの中で

(それをかんじたらしく、うるさそうにうめきごえをちいさくたててねがえりを)

それを感じたらしく、うるさそうにうめき声を小さく立てて寝返りを

(うった。ようこはぎょっとしていきをつめた。)

打った。葉子はぎょっとして息をつめた。

(しかしすぐすすりなきはまたかえってきた。ようこはなにごともわすれはてて、)

しかしすぐすすり泣きはまた帰って来た。葉子は何事も忘れ果てて、

(くらちのとこのそばにきちんとすわったままいつまでもいつまでも)

倉地の床のそばにきちんとすわったままいつまでもいつまでも

(なきつづけていた。)

泣き続けていた。

(さんじゅうはち「なにをそうおずおずしているのかい。そのぼたんをうしろに)

【三八】 「何をそう怯ず怯ずしているのかい。そのボタンを後ろに

(はめてくれさえすればそれでいいのだに」くらちはくらちにしてはとくに)

はめてくれさえすればそれでいいのだに」倉地は倉地にしては特に

(やさしいこえでこういった、わいしゃつをきようとしたままようこにせをむけて)

やさしい声でこういった、ワイシャツを着ようとしたまま葉子に背を向けて

(たちながら。ようこはとんでもないしっさくでもしたように、しゃつのはいぶに)

立ちながら。葉子はとんでもない失策でもしたように、シャツの背部に

(つけるからーぼたんをてにもったままおろおろしていた。「ついしゃつを)

つけるカラーボタンを手に持ったままおろおろしていた。「ついシャツを

(しかえるときそれだけわすれてしまって・・・」「いいわけなんぞはいいわい。)

仕替える時それだけ忘れてしまって・・・」「いいわけなんぞはいいわい。

(はやくたのむ」「はい」ようこはしとやかにそういってよりそうようにくらちに)

早く頼む」「はい」葉子はしとやかにそういって寄り添うように倉地に

(ちかよってそのぼたんをぼたんあなにいれようとしたが、のりがこわいのと、)

近寄ってそのボタンをボタン孔に入れようとしたが、糊が硬(こわ)いのと、

(きおくれがしているのでちょっとははいりそうになかった。「すみませんが)

気後れがしているのでちょっとは入りそうになかった。「すみませんが

(ちょっとぬいでくださいましな」「めんどうだな、このままでできようが」)

ちょっと脱いでくださいましな」「めんどうだな、このままでできようが」

(ようこはもういちどこころみた。しかしおもうようにはいかなかった。くらちはもう)

葉子はもう一度試みた。しかし思うようには行かなかった。倉地はもう

(あきらかにいらいらしだしていた。「だめか」「まあちょっと」「だせ、)

明らかにいらいらし出していた。「だめか」「まあちょっと」「出せ、

(かせおれに。なんでもないことだに」そういってくるりとふりかえって)

貸せおれに。なんでもない事だに」そういってくるりと振り返って

(ちょっとようこをにらみつけながら、ひったくるようにぼたんをうけとった。)

ちょっと葉子をにらみつけながら、ひったくるようにボタンを受け取った。

(そしてまたようこにうしろをむけてじぶんでそれをはめようとかかった。しかし)

そしてまた葉子に後ろを向けて自分でそれをはめようとかかった。しかし

(なかなかうまくいかなかった。みるみるくらちのてははげしくふるえだした。)

なかなかうまく行かなかった。見る見る倉地の手ははげしく震え出した。

(「おい、てつだってくれてもよかろうが」ようこがあわてててをだすとはずみに)

「おい、手伝ってくれてもよかろうが」葉子があわてて手を出すとはずみに

(ぼたんはたたみのうえにおちてしまった。ようこがそれをひろおうとするまもなく、)

ボタンは畳の上に落ちてしまった。葉子がそれを拾おうとする間もなく、

(あたまのうえからくらちのこえがかみなりのようになりひびいた。「ばか!じゃまをしろと)

頭の上から倉地の声が雷のように鳴り響いた。「ばか! 邪魔をしろと

(いやせんぞ」ようこはそれでもどこまでもやさしくでようとした。)

いやせんぞ」葉子はそれでもどこまでも優しく出ようとした。

(「ごめんくださいね、わたしおじゃまなんぞ・・・」「じゃまよ。これでじゃまでなくて)

「御免くださいね、わたしお邪魔なんぞ・・・」「邪魔よ。これで邪魔でなくて

(なんだ・・・ええ、そこじゃありゃせんよ。そこにみえとるじゃないか」)

なんだ・・・ええ、そこじゃありゃせんよ。そこに見えとるじゃないか」

(くらちはくちをとがらしてあごをつきだしながら、どしんとあしをあげてたたみを)

倉地は口をとがらして顎を突き出しながら、どしんと足をあげて畳を

(ふみならした。ようこはそれでもがまんした。そしてぼたんをひろってたちあがると)

踏み鳴らした。葉子はそれでも我慢した。そしてボタンを拾って立ち上がると

(くらちはもうわいしゃつをぬぎすてているところだった。)

倉地はもうワイシャツを脱ぎ捨てている所だった。

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