有島武郎 或る女121

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問題文

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(「ながくながくおあいしませんでしたわね。わたしあなたをゆうれいじゃないかと)

「長く長くお会いしませんでしたわね。わたしあなたを幽霊じゃないかと

(おもいましてよ。へんなかおつきをしたでしょう。さだよは・・・あなたけさ)

思いましてよ。変な顔つきをしたでしょう。貞世は・・・あなた今朝

(びょういんのほうからいらしったの?」)

病院のほうからいらしったの?」

(おかはちょっとへんじをためらったようだった。)

岡はちょっと返事をためらったようだった。

(「いいえいえからきました。ですからわたし、きょうのごようすはしりませんが、)

「いいえ家から来ました。ですからわたし、きょうの御様子は知りませんが、

(きのうまでのところではだんだんおよろしいようです。めさえ)

きのうまでのところではだんだんおよろしいようです。目さえ

(さめていらっしゃると「おねえさまおねえさま」とおなきなさるのが)

さめていらっしゃると『おねえ様おねえ様』とお泣きなさるのが

(ほんとうにおかわいそうです」)

ほんとうにおかわいそうです」

(ようこはそれだけきくともうかんじょうがもろくなっていてむねがはりさけるようだった。)

葉子はそれだけ聞くともう感情がもろくなっていて胸が張り裂けるようだった。

(おかはめざとくもそれをみてとって、わるいことをいったとおもったらしかった。)

岡は目ざとくもそれを見て取って、悪い事をいったと思ったらしかった。

(そしてすこしあわてたようにわらいたしながら、)

そして少しあわてたように笑い足しながら、

(「そうかとおもうと、たいへんおげんきなこともあります。ねつのさがって)

「そうかと思うと、たいへんお元気な事もあります。熱の下がって

(いらっしゃるときなんかは、あいこさんにおもしろいほんをよんでおもらいに)

いらっしゃる時なんかは、愛子さんにおもしろい本を読んでおもらいに

(なって、よろこんできいておいでです」)

なって、喜んで聞いておいでです」

(とつけたした。ようこはちょっかくてきにおかがそのばのまにあわせをいっているのだと)

と付け足した。葉子は直覚的に岡がその場の間に合わせをいっているのだと

(しった。それはようこをあんしんさせるためのこういであるとはいえ、)

知った。それは葉子を安心させるための好意であるとはいえ、

(おかのことばはけっしてしんようすることができない。まいにちいちどずつだいがくびょういんまで)

岡の言葉は決して信用する事ができない。毎日一度ずつ大学病院まで

(みまいにいってもらうつやのことばにあんしんができないでいて、だれか)

見舞いに行ってもらうつやの言葉に安心ができないでいて、だれか

(めにみたとおりをしらせてくれるひとはないかとあせっていたやさき、)

目に見たとおりを知らせてくれる人はないかとあせっていた矢先、

(このひとならばとおもったおかも、つやいじょうにいいかげんをいおうとしているのだ。)

この人ならばと思った岡も、つや以上にいいかげんをいおうとしているのだ。

など

(このちょうしでは、とうにさだよがしんでしまっていても、ひとたちは)

この調子では、とうに貞世が死んでしまっていても、人たちは

(おかがいってきかせるようなことをいつまでもじぶんにいうのだろう。)

岡がいって聞かせるような事をいつまでも自分にいうのだろう。

(じぶんにはだれひとりとしてむねをひらいてこうさいしようというひとはいなくなって)

自分にはだれ一人として胸を開いて交際しようという人はいなくなって

(しまったのだ。そうおもうとさびしいよりも、くるしいよりも、)

しまったのだ。そう思うとさびしいよりも、苦しいよりも、

(かっととりのぼせるほどさだよのみのうえがきづかわれてならなくなった。)

かっと取りのぼせるほど貞世の身の上が気づかわれてならなくなった。

(「かわいそうにさだよは・・・さぞやせてしまったでしょうね?」)

「かわいそうに貞世は・・・さぞやせてしまったでしょうね?」

(ようこはくちうらをひくようにこうたずねてみた。)

葉子は口裏をひくようにこう尋ねてみた。

(「しじゅうみつけているせいですか、そんなにもみえません」)

「始終見つけているせいですか、そんなにも見えません」

(おかははんかちでくびのまわりをぬぐって、だぶる・からーのあわせを)

岡はハンカチで首のまわりをぬぐって、ダブル・カラーの合わせを

(ひだりのてでくつろげながらすこしいきぐるしそうにこうこたえた。)

左の手でくつろげながら少し息苦しそうにこう答えた。

(「なんにもいただけないんでしょうね」)

「なんにもいただけないんでしょうね」

(「そっぷとおもゆだけですがりょうほうともよくたべなさいます」)

「ソップと重湯だけですが両方ともよく食べなさいます」

(「ひもじがっておりますか」)

「ひもじがっておりますか」

(「いいえそんなでも」)

「いいえそんなでも」

(もうゆるせないとようこはおもいいってはらをたてた。)

もう許せないと葉子は思い入って腹を立てた。

(ちょうちぶすのよごにあるものが、しょくよくがない・・・)

腸チブスの予後にあるものが、食欲がない・・・

(そんなしらじらしいうそがあるものか。)

そんな白々しい虚構(うそ)があるものか。

(みんなうそだ。)

みんな虚構(うそ)だ。

(おかのいうこともみんなうそだ。)

岡のいう事もみんな虚構(うそ)だ。

(さくやはびょういんにとまらなかったという、それもうそでなくてなんだろう。)

昨夜は病院に泊まらなかったという、それも虚構(うそ)でなくてなんだろう。

(あいこのねつじょうにもえたてをにぎりなれたおかのてが、ようこににぎられて)

愛子の熱情に燃えた手を握り慣れた岡の手が、葉子に握られて

(ひえるのももっともだ。さくやはこのては・・・ようこはひとみをさだめて)

冷えるのももっともだ。昨夜はこの手は・・・葉子はひとみを定めて

(じぶんのうつくしいゆびにからまれたおかのうつくしいみぎてをみた。)

自分の美しい指にからまれた岡の美しい右手を見た。

(それはおんなのてのようにしろくなめらかだった。しかしこのてがさくやは、)

それは女の手のように白くなめらかだった。しかしこの手が昨夜は、

(・・・ようこはかおをあげておかをみた。ことさらにあざやかにあかい)

・・・葉子は顔を上げて岡を見た。ことさらにあざやかに紅い

(そのくちびる・・・このくちびるがさくやは・・・)

その口びる・・・この口びるが昨夜は・・・

(めまいがするほどいちどにおしよせてきたふんぬとしっととのために、ようこは)

眩暈がするほど一度に押し寄せて来た憤怒と嫉妬とのために、葉子は

(あやうくそのばにありあわせたものにかみつこうとしたが、からくそれを)

危うくその場にあり合わせたものにかみつこうとしたが、からくそれを

(ささえると、もうあついなみだがめをこがすようにいためてながれだした。)

ささえると、もう熱い涙が目をこがすように痛めて流れ出した。

(「あなたはよくうそをおつきなさるのね」)

「あなたはよくうそをおつきなさるのね」

(ようこはもうかたでいきをしていた。)

葉子はもう肩で息をしていた。

(あたまがはげしいどうきのたびごとにふるえるので、かみのけはこきざみに)

頭が激しい動悸のたびごとに震えるので、髪の毛は小刻みに

(いきもののようにおののいた。そしておかのてからじぶんのてをはなして、)

生き物のようにおののいた。そして岡の手から自分の手を離して、

(たもとからとりだしたはんけちでそれをおしぬぐった。)

袂から取り出したハンケチでそれを押しぬぐった。

(めにはいるかぎりのもの、てにふれるかぎりのものがまたけがらわしく)

目に入る限りのもの、手に触れる限りのものがまたけがらわしく

(みえはじめたのだ。おかのへんじもまたずにようこはたたみかけて)

見え始めたのだ。岡の返事も待たずに葉子は畳みかけて

(はきだすようにいった。)

吐き出すようにいった。

(「さだよはもうしんでいるんです。それをしらないとでもあなたは)

「貞世はもう死んでいるんです。それを知らないとでもあなたは

(おもっていらっしゃるの。あなたやあいこにかんごしてもらえばだれでも)

思っていらっしゃるの。あなたや愛子に看護してもらえばだれでも

(ありがたいおうじょうができましょうよ。ほんとうにさだよはしあわせなこでした。)

ありがたい往生ができましょうよ。ほんとうに貞世は仕合せな子でした。

(・・・おおおおさだよ!おまえはほんとにしあわせなこだねえ。)

・・・おお おお貞世! お前はほんとに仕合せな子だねえ。

(・・・おかさんいってきかせてください、さだよはどんなしにかたをしたか。)

・・・岡さんいって聞かせてください、貞世はどんな死にかたをしたか。

(のみたいしにみずものまずにしにましたか。)

飲みたい死に水も飲まずに死にましたか。

(あなたとあいこがおにわをあるきまわっているうちにしんでいましたか。)

あなたと愛子がお庭を歩き回っているうちに死んでいましたか。

(それとも・・・それともあいこのめがにくにくしくわらっているそのまえで)

それとも・・・それとも愛子の目が憎々しく笑っているその前で

(ねむるようにいきをひきとりましたか。)

眠るように息を引き取りましたか。

(どんなおそうしきがでたんです。)

どんなお葬式が出たんです。

(はやおけはどこでちゅうもんなさったんです。わたしのはやおけのよりすこし)

早桶はどこで注文なさったんです。わたしの早桶のより少し

(おおきくしないとはいりませんよ。・・・わたしはなんというばかだろう)

大きくしないとはいりませんよ。・・・わたしはなんというばかだろう

(はやくじょうぶになっておもいきりさだよをかいほうしてやりたいとおもったのに・・・)

早く丈夫になって思いきり貞世を介抱してやりたいと思ったのに・・・

(もうしんでしまったのですものねえ。うそです・・・それからなぜ)

もう死んでしまったのですものねえ。うそです・・・それからなぜ

(あなたもあいこももっとしげしげわたしのみまいにはきてくださらないの。)

あなたも愛子ももっとしげしげわたしの見舞いには来てくださらないの。

(あなたはきょうわたしをくるしめに・・・なぶりにいらしったのね・・・」)

あなたはきょうわたしを苦しめに・・・なぶりにいらしったのね・・・」

(「そんなとんでもない!」)

「そんな飛んでもない!」

(おかがせきこんでようこのことばのきれめにいいだそうとするのを、)

岡がせき込んで葉子の言葉の切れ目にいい出そうとするのを、

(ようこははげしいわらいでさえぎった。)

葉子は激しい笑いでさえぎった。

(「とんでもない・・・そのとおり。あああたまがいたい。わたしはぞんぶんに)

「飛んでもない・・・そのとおり。ああ頭が痛い。わたしは存分に

(のろいをうけました。ごあんしんなさいましとも。けっしておじゃまはしませんから。)

呪いを受けました。御安心なさいましとも。決してお邪魔はしませんから。

(わたしはさんざんおどりました。こんどはあなたがたがおどっていいばんですものね。)

わたしはさんざん踊りました。今度はあなた方が踊っていい番ですものね。

(・・・ふむ、おどれるものならみごとにおどってごらんなさいまし。)

・・・ふむ、踊れるものならみごとに踊ってごらんなさいまし。

(・・・おどれるものなら、ははは」)

・・・踊れるものなら、ははは」

(ようこはきょうじょのようにたかだかとわらった。おかはようこのものくるおしくわらうのをみると、)

葉子は狂女のように高々と笑った。岡は葉子の物狂おしく笑うのを見ると、

(それをはじるようにまっかになってしたをむいてしまった。)

それを恥じるようにまっ紅になって下を向いてしまった。

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