マタイ福音書 13章 part①
関連タイピング
-
プレイ回数449長文かな2559打
-
プレイ回数4471長文かな3347打
-
プレイ回数1634長文かな2485打
-
プレイ回数1137長文かな3144打
-
プレイ回数1529長文2562打
-
プレイ回数924長文3527打
-
プレイ回数1314長文2661打
-
プレイ回数219長文2276打
問題文
(そのひ、いえすはいえをでて、うみべにすわっておられた。ところが、おおぜいの)
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。ところが、大ぜいの
(ぐんしゅうがみもとにあつまったので、いえすはふねにのってすわられ、ぐんしゅうはみなきしに)
群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に
(たっていた。いえすはたとえでおおくのことをかたり、こういわれた、)
立っていた。イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、
(みよ、たねまきがたねをまきにでていった。まいているうちに、みちばたにおちた)
見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた
(たねがあった。するととりがきてたべてしまった。ほかのたねはつちのうすいいしじにおちた。)
種があった。すると鳥がきて食べてしまった。他の種は土の薄い石地に落ちた。
(そこはつちがふかくないので、すぐめをだしたが、ひがのぼるとやけてねがないために)
そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて根がないために
(かれてしまった。ほかのたねはいばらのちにおちた。すると、いばらがのびて、)
枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、
(ふさいでしまった。ほかのたねはよいちにおちてみをむすび、あるものはひゃくばい、)
ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、
(あるものはろくじゅうばい、あるものはさんじゅうばいにもなった。みみのあるものはきくがよい。)
ある者は六十倍、ある者は三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい。
(それから、でしたちがいえすにちかよってきていった、なぜ、かれらにたとえでおはなしに)
それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、なぜ、彼らに譬でお話しに
(なるのですか。そこでいえすはこたえていわれた、あなたがたには、てんごくのおうぎを)
なるのですか。そこでイエスは答えて言われた、あなたがたには、天国の奥義を
(しることがゆるされているが、かれらにはゆるされていない。おおよそ、もっている)
知ることが許されているが、彼らには許されていない。おおよそ、持っている
(ひとはあたえられて、いよいよゆたかになるが、もっていないひとは、もっている)
人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っている
(ものまでもとりあげられるであろう。だから、かれらにはたとえでかたるのである。)
ものまでも取り上げられるであろう。だから、彼らには譬で語るのである。
(それはかれらが、みてもみず、きいてもきかず、またさとらないからである。)
それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
(こうしていざやのいったよげんが、かれらのうえにじょうじゅしたのである。あなたがたは)
こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。あなたがたは
(きくにはきくが、けっしてさとらない。みるにはみるが、けっしてみとめない。)
聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
(このたみのこころはにぶくなり、そのみみはきこえにくく、そのめはとじている。それは、)
この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、
(かれらがめでみず、みみできかず、こころでさとらず、くいあらためていやされることがない)
彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがない
(ためである。しかしあなたがたのめはみておりみみはきいているからさいわいである。)
ためである。しかしあなたがたの目は見ており耳は聞いているから幸いである。
(あなたがたによくいっておく。おおくのよげんしゃやぎじんは、あなたがたのみていることを)
あなた方によく言っておく。多くの預言者や義人は、あなた方の見ていることを
(みようとねっしんにねがったが、みることができず、またあなたがたのきいていることを)
見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなた方の聞いていることを
(きこうとしたが、きけなかったのである。そこで、たねまきのたとえをききなさい。)
聞こうとしたが、聞けなかったのである。そこで、種まきの譬を聞きなさい。
(だれでもみくにのことばをきいてさとらないならば、わるいものがきて、そのひとのこころにまかれた)
誰でも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれた
(ものをうばいとっていく。みちばたにまかれたものというのはそういうひとのことである)
ものを奪いとって行く。道端にまかれたものというのはそういう人のことである
(いしじにまかれたものというのはみことばをきくとすぐによろこんでうけるひとのことである)
石地にまかれたものというのは御言を聞くとすぐに喜んで受ける人のことである
(そのなかにねがないので、しばらくつづくだけであって、みことばのためにこんなんやはくがいが)
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が
(おこってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらのなかにまかれたものとは、)
起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、
(みことばをきくが、よのこころづかいととみのまどわしとがみことばをふさぐので、みをむすばなく)
御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなく
(なるひとのことである。またよいちにまかれたものとはおことをきいてさとるひとのこと)
なる人のことである。また良い地にまかれたものとは御言を聞いて悟る人のこと
(であって、そういうひとがみをむすび、ひゃくばい、あるいはろくじゅうばい、あるいはさんじゅうばいにも)
であって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にも
(なるのである。またほかのたとえをかれらにしめしていわれた、てんごくはよいたねをじぶんのはたけに)
なるのである。また他の譬を彼らに示して言われた、天国は良い種を自分の畑に
(まいておいたひとのようなものである。ひとびとがねむっているあいだにてきがきて、むぎのなかに)
まいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に
(どくむぎをまいてたちさった。めがはえでてみをむすぶとどうじにどくむぎもあらわれてきた)
毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと同時に毒麦もあらわれてきた
(しもべたちがきていえのしゅじんにいった、ごしゅじんさま、はたけにおまきになったのはよいたねでは)
僕たちがきて家の主人に言った、ご主人様、畑におまきになったのは良い種では
(ありませんでしたか。どうしてどくむぎがはえてきたのですか。しゅじんはいった、)
ありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか。主人は言った、
(それはてきのしわざだ。するとしもべたちがいった、ではいってそれをぬきあつめましょうか)
それは敵の仕業だ。すると僕達が言った、では行ってそれを抜き集めましょうか
(かれはいった、いや、どくむぎをあつめようとして、むぎもいっしょにぬくかもしれない。)
彼は言った、いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
(しゅうかくまで、りょうほうともそだつままにしておけ。しゅうかくのときになったら、かるものに、)
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、
(まずどくむぎをあつめてたばにしやき、むぎのほうはあつめてくらにいれてくれといいつけよう。)
まず毒麦を集めて束にし焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれと言いつけよう。
(またほかのたとえをかれらにしめしていわれた、てんごくはひとつぶのからしだねのようなものである)
また他の譬を彼らに示して言われた、天国は一粒のからし種のようなものである
(あるひとがそれをとってはたけにまくとそれはどんなたねよりもちいさいが、せいちょうすると、)
ある人がそれをとって畑にまくとそれはどんな種よりも小さいが、成長すると、
(やさいのなかでいちばんおおきくなり、そらのとりがきて、そのえだにやどるほどのきになる。)
野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる。
(またほかのたとえをかれらにかたられた、てんごくはぱんだねのようなものである。おんながそれを)
またほかの譬を彼らに語られた、天国はパン種のようなものである。女がそれを
(とってさんとのこなのなかにまぜるとぜんたいがふくらんでくる。いえすはこれらのことを)
取って三斗の粉の中に混ぜると全体がふくらんでくる。イエスはこれらのことを
(すべて、たとえでぐんしゅうにかたられた。たとえによらないではなにごともかれらにかたられなかった。)
すべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。
(これはよげんしゃによっていわれたことがじょうじゅするためである、わたしはくちをひらいてたとえを)
これは預言者によって言われたことが成就するためである、私は口を開いて譬を
(かたりよのはじめからかくされていることをかたりだそう。それからいえすは、ぐんしゅうをあとに)
語り世の初めから隠されている事を語り出そう。それからイエスは群衆をあとに
(のこしていえにはいられた。するとでしたちはみもとにきていった、はたけのどくむぎのたとえを)
残して家にはいられた。すると弟子達は御もとにきて言った、畑の毒麦の譬を
(せつめいしてください。いえすはこたえていわれた、よいたねをまくものはひとのこである。)
説明してください。イエスは答えて言われた、良い種をまく者は人の子である。