風立ちぬ 堀辰雄 ㉗(終)

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投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね1お気に入り登録1
プレイ回数1174難易度(4.4) 4813打 長文
ジブリの「風立ちぬ」制作に当たり、参考とされた小説です。

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問題文

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(じゅうにがつにじゅうよっかよる、むらのむすめのいえによばれていって、)

十二月二十四日   夜、村の娘の家によばれて行って、

(さびしいくりすますをおくった。)

寂しいクリスマスを送った。

(こんなふゆはひとけのたえたさんかんのむらだけれど、)

こんな冬は人けの絶えた山間の村だけれど、

(なつなんぞがいじんたちがたくさんはいりこんでくるようなとちがらゆえ、)

夏なんぞ外人達が沢山はいり込んでくるような土地柄ゆえ、

(ふつうのむらびとのいえでもそんなまねごとをしてたのしむものとみえる。)

普通の村人の家でもそんな真似事をして楽しむものと見える。

(くじごろ、わたしはそのむらからゆきあかりのしたたにかげをひとりでかえってきた。)

九時頃、私はその村から雪明りのした谷陰をひとりで帰って来た。

(そうしてさいごのかれきばやしにさしかかりながら、)

そうして最後の枯木林に差しかかりながら、

(わたしはふとそのみちばたにゆきをかぶってひとかたまりにかたまっているかれやぶのうえに、)

私はふとその道ばたに雪をかぶって一塊りに塊っている枯藪の上に、

(どこからともなく、ちいさなひかりがかすかにぽつんとおちているのにきがついた。)

何処からともなく、小さな光がかすかにぽつんと落ちているのに気がついた。

(こんなところにこんなひかりが、どうしてさしているのだろうといぶかりながら、)

こんなところにこんな光が、どうして射しているのだろうと訝りながら、

(そのどっかべっそうのちらばったせまいたにじゅうをみまわしてみると、)

そのどっか別荘の散らばった狭い谷じゅうを見まわして見ると、

(あかりのついているのは、たったいっけん、たしかにわたしのこやらしいのが、)

明りのついているのは、たった一軒、確かに私の小屋らしいのが、

(ずっとそのたにのじょうほうにみとめられるきりだった。)

ずっとその谷の上方に認められるきりだった。

(「おれはまあ、あんなたにのうえにひとりっきりですんでいるのだなあ」)

「おれはまあ、あんな谷の上に一人っきりで住んでいるのだなあ」

(とわたしはおもいながら、そのたにをゆっくりとのぼりだした。)

と私は思いながら、その谷をゆっくりと登り出した。

(「そうしてこれまでは、おれのこやのあかりがこんなしたのほうのはやしのなかにまで)

「そうしてこれまでは、おれの小屋の明りがこんな下の方の林の中にまで

(さしこんでいようなどとはちっともきがつかずに。ごらんーー」)

射し込んでいようなどとはちっとも気がつかずに。御覧ーー」

(とわたしはじぶんじしんにむかっていうように、)

と私は自分自身に向って言うように、

(「ほら、あっちにもこっちにも、ほとんどこのたにじゅうをおおうように、)

「ほら、あっちにもこっちにも、殆どこの谷じゅうをおおうように、

(ゆきのうえにてんてんとちいさなひかりのちらばっているのは、)

雪の上に点々と小さな光の散らばっているのは、

など

(どれもみんなおれのこやのあかりなのだからな。」)

どれもみんなおれの小屋の明りなのだからな。」

(やっとそのこやまでのぼりつめると、わたしはそのままべらんだにたって、)

やっとその小屋まで登りつめると、私はそのままべランダに立って、

(いったいこのこやのあかりはたにのどのくらいをあかるませているのか、)

一体この小屋の明りは谷のどの位を明るませているのか、

(もういちどみてみようとした。)

もう一度見て見ようとした。

(が、そうやってみると、そのあかりはこやのまわりに)

が、そうやって見ると、その明りは小屋のまわりに

(ほんのわずかなひかりをなげているにすぎなかった。)

ほんの僅かな光を投げているに過ぎなかった。

(そうしてそのわずかなひかりもこやをはなれるにつれてだんだんかすかになりながら、)

そうしてその僅かな光も小屋を離れるにつれてだんだんかすかになりながら、

(たにまのゆきあかりとひとつになっていた。)

谷間の雪明りとひとつになっていた。

(「なあんだ、あれほどたんとにみえていたひかりが、)

「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、

(ここでみると、たったこれっきりなのか」)

此処で見ると、たったこれっきりなのか」

(とわたしはなんだかきのぬけたようにひとりごちながら、)

と私はなんだか気の抜けたように一人ごちながら、

(それでもまだぼんやりとそのあかりのかげをみつめているうちに、)

それでもまだぼんやりとその明りの影を見つめているうちに、

(ふとこんなかんがえがうかんできた。「ーーだが、このあかりのかげのぐあいなんか、)

ふとこんな考えが浮んで来た。「ーーだが、この明りの影の工合なんか、

(まるでおれのじんせいにそっくりじゃあないか。)

まるでおれの人生にそっくりじゃあないか。

(おれは、おれのじんせいのまわりのあかるさなんぞ、)

おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、

(たったこれっばかりだとおもっているが、ほんとうはこのおれのこやのあかりとどうように、)

たったこれっばかりだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、

(おれのおもっているよりかもっともっとたくさんあるのだ。)

おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。

(そうしてそいつたちがおれのいしきなんぞいしきしないで、)

そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、

(こうやってなにげなくおれをいかしておいてくれているのかもしれないのだーー」)

こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだーー」

(そんなおもいがけないかんがえが、わたしをいつまでも)

そんな思いがけない考えが、私をいつまでも

(そのゆきあかりのしているさむいべらんだのうえにたたせていた。)

その雪明りのしている寒いべランダの上に立たせていた。

(じゅうにがつさんじゅうにちほんとうにしずかなばんだ。)

十二月三十日   本当に静かな晩だ。

(わたしはこんやもこんなかんがえがひとりでにこころにうかんでくるがままにさせていた。)

私は今夜もこんなかんがえがひとりでに心に浮んで来るがままにさせていた。

(「おれはひとなみいじょうにしあわせでもなければ、またふこうでもないようだ。)

「おれは人並以上に幸福でもなければ、又不幸でもないようだ。

(そんなしあわせだとかなんだとかいうようなことは、)

そんな幸福だとか何んだとか云うような事は、

(かつてはあれほどおれたちをやきもきさせていたっけが、)

かつてはあれ程おれ達をやきもきさせていたっけが、

(もういまじゃあわすれていようとおもえばすっかりわすれていられるくらいだ。)

もう今じゃあ忘れていようと思えばすっかり忘れていられる位だ。

(かえってそんなこのごろのおれのほうがよっぽどしあわせのじょうたいにちかいのかもしれない。)

反ってそんなこの頃のおれの方が余っ程幸福の状態に近いのかも知れない。

(まあ、どっちかといえば、このごろのおれのこころは、)

まあ、どっちかと云えば、この頃のおれの心は、

(それににてそれよりはすこしかなしそうなだけ、)

それに似てそれよりは少し悲しそうなだけ、

(ーーそうかといってまんざらたのしげでないこともない。)

ーーそうかと云ってまんざら愉しげでないこともない。

(ーーこんなふうにおれがいかにもなにげなさそうにいきていられるのも、)

ーーこんな風におれがいかにも何気なさそうに生きていられるのも、

(それはおれがこうやって、なるたけせけんなんぞとはまじわらずに、)

それはおれがこうやって、なるたけ世間なんぞとは交じわらずに、

(たったひとりでくらしているせいかもしれないけれど、)

たった一人で暮らしている所為かも知れないけれど、

(そんなことがこのいくじなしのおれにできていられるのは、)

そんなことがこの意気地なしのおれに出来ていられるのは、

(ほんとうにみんなおまえのおかげだ。)

本当にみんなお前のお蔭だ。

(それだのに、せつこ、おれはこれまでいちどだっても、)

それだのに、節子、おれはこれまで一度だっても、

(じぶんがこうしてこどくでいきているのを、)

自分がこうして孤独で生きているのを、

(おまえのためだなんぞとはおもったことがない。)

お前のためだなんぞとは思った事がない。

(それはどのみちじぶんひとりのためにすきかってなことを)

それはどのみち自分一人のために好き勝手な事を

(しているのだとしかじぶんにはおもえない、あるいはひょっとしたら、)

しているのだとしか自分には思えない。或はひょっとしたら、

(それもやっぱりおまえのためにはしているのだが、)

それも矢っ張お前のためにはしているのだが、

(それがそのままでもってじぶんひとりのためにしているようにじぶんにおもわれるほど、)

それがそのままでもって自分一人のためにしているように自分に思われる程、

(おれはおれにはもったいないほどのおまえのあいに)

おれはおれには勿体ないほどのお前の愛に

(なれきってしまっているのだろうか?)

慣れ切ってしまっているのだろうか?

(それほど、おまえはおれにはなんにももとめずに、)

それ程、お前はおれには何んにも求めずに、

(おれをあいしていてくれたのだろうか?」)

おれを愛していて呉れたのだろうか?」

(そんなことをかんがえつづけているうちに、わたしはふとなにかおもいたったように)

そんな事を考え続けているうちに、私はふと何か思い立ったように

(たちあがりながら、こやのそとへでていった。)

立ち上りながら、小屋のそとへ出て行った。

(そうしていつものようにべらんだにたつと、)

そうしていつものようにベランダに立つと、

(ちょうどこのたにとせなかあわせになっているかとおもわれるようなあたりでもって、)

丁度この谷と背中合せになっているかと思われるようなあたりでもって、

(かぜがしきりにざわめいているのが、ひじょうにとおくからのようにきこえてくる。)

風がしきりにざわめいているのが、非常に遠くからのように聞えて来る。

(それからわたしはそのままべらんだに、)

それから私はそのままベランダに、

(あたかもそんなとおくでしているかぜのおとをわざわざききにいでもしたかのように、)

あたかもそんな遠くでしている風の音をわざわざ聞きに出でもしたかのように、

(それにみみをかたむけながらたちつづけていた。)

それに耳を傾けながら立ち続けていた。

(わたしのぜんぽうによこたわっているこのたにのすべてのものは、)

私の前方に横わっているこの谷のすべてのものは、

(さいしょのうちはただゆきあかりにうっすらとあかるんだまま)

最初のうちはただ雪明りにうっすらと明るんだまま

(ひとかたまりになってしかみえずにいたが、)

一塊りになってしか見えずにいたが、

(そうやってしばらくわたしがみるともなくみているうちに、)

そうやってしばらく私が見るともなく見ているうちに、

(それがだんだんめになれてきたのか、それともわたしがしらずしらずに)

それがだんだん目に慣れて来たのか、それとも私が知らず識らずに

(じぶんのきおくでもってそれをおぎないだしていたのか、)

自分の記憶でもってそれを補い出していたのか、

(いつのまにかひとつひとつのせんやかたちをおもむろにうきあがらせていた。)

いつの間にか一つ一つの線や形をおもむろに浮き上がらせていた。

(それほどわたしにはそのなにもかもがしたしくなっている、)

それほど私にはその何もかもが親しくなっている、

(このひとびとのいうところのしあわせのたに)

この人々のいうところの幸福の谷

(ーーそう、なるほどこうやってすみなれてしまえば、)

ーーそう、なるほどこうやって住み慣れてしまえば、

(わたしだってそうひとびとといっしょになってよんでもよいようなきのするくらいだが、)

私だってそう人々と一しょになって呼んでも好いような気のする位だが、

(ここだけは、たにのむこうがわはあんなにもかぜがざわめいているというのに、)

此処だけは、谷の向う側はあんなにも風がざわめいているというのに、

(ほんとうにしずかだこと。)

本当に静かだこと。

(まあ、ときおりわたしのこやのすぐうらのほうで)

まあ、ときおり私の小屋のすぐ裏の方で

(なにかがちいさなおとをきしらせているようだけれど、)

何かが小さな音を軋らせているようだけれど、

(あれはおそらくそんなとおくからやっととどいたかぜのために)

あれは恐らくそんな遠くからやっと届いた風のために

(かれきったきのえだとえだとがふれあっているのだろう。)

枯れ切った木の枝と枝とが触れ合っているのだろう。

(また、どうかするとそんなかぜのあまりらしいものが、)

又、どうかするとそんな風の余りらしいものが、

(わたしのあしもとでもふたつみつのおちばをほかのおちばのうえに)

私の足もとでも二つ三つの落葉を他の落葉の上に

(さらさらとよわいおとをたてながらうつしているーー。)

さらさらと弱い音を立てながら移しているーー。

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