目羅博士の不思議な犯罪一2 江戸川乱歩

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語り手の江戸川は、上野動物園で巧みに檻の中の猿をからかう「男」と出会う。「男」は江戸川に、猿の人真似の本能や、「模倣」の恐怖について語る。

動物園を出た後、上野の森の捨て石に腰をかけ、江戸川は「男」の経験談を聞くことにした。

一から五までで一つのお話です。

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問題文

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(「しりません。おおざるがどうかしたのですか」 わたしはすすんであいてのはなしを)

「知りません。大猿がどうかしたのですか」  私は進んで相手の話を

(きこうとした。 「ひとざとはなれたしんざんでね、ひとりたびのおとこが、おおざるにであったのです)

聞こうとした。 「人里離れた深山でね、一人旅の男が、大猿に出会ったのです

(そして、わきざしをさるにとられてしまったのですよ。さるはそれをぬいて、おもしろはんぶん)

そして、脇ざしを猿に取られてしまったのですよ。猿はそれを抜いて、面白半分

(にふりまわしてかかってくる。たびびとはちょうにんなので、いっぽんとられてしまったら、)

に振り廻してかかって来る。旅人は町人なので、一本とられてしまったら、

(もうかたなはないものだから、いのちさえあぶなくなったのです」 ゆうぐれのさるのおりのまえで、)

もう刀はないものだから、命さえ危くなったのです」  夕暮の猿の檻の前で、

(あおじろいおとこがみょうなはなしをはじめたという、いっしゅのじょうけいがわたしをよろこばせた。)

青白い男が妙な話を始めたという、一種の情景が私を喜ばせた。

(わたしは「ふんふん」とあいづちをうった。 「とりもどそうとするけれど、あいてはきのぼりの)

私は「フンフン」と合槌をうった。 「取戻そうとするけれど、相手は木昇りの

(じょうずなさるのことだから、てのつけようがないのです。だが、たびのおとこは、なかなか)

上手な猿のことだから、手のつけ様がないのです。だが、旅の男は、なかなか

(とんちのあるひとで、うまいほうほうをかんがえついた。かれは、そのへんにおちていたきのえだを)

頓智のある人で、うまい方法を考えついた。彼は、その辺に落ちていた木の枝を

(ひろって、それをかたなになぞらえ、いろいろなかっこうをしてみせた。さるのほうでは、かみさまから)

拾って、それを刀になぞらえ、色々な恰好をして見せた。猿の方では、神様から

(ひとまねのほんのうをさずけられているかなしさに、たびびとのしぐさをいちいちまねはじめたのです、)

人真似の本能を授けられている悲しさに、旅人の仕草を一々真似始めたのです、

(そして、とうとう、じさつをしてしまったのです。なぜって、たびびとが、さるのきょうに)

そして、とうとう、自殺をしてしまったのです。なぜって、旅人が、猿の興に

(のってきたところをみすまし、きのえだでしきりとじぶんのけいぶをなぐってみせた)

乗って来たところを見すまし、木の枝でしきりと自分の頸部をなぐって見せた

(からです。さるはそれをまねてぬきみでじぶんのくびをなぐったから、たまりません。)

からです。猿はそれを真似て抜身で自分の頸をなぐったから、たまりません。

(ちをだして、ちがでてもまだわれとわがくびをなぐりながら、ぜつめいしてしまった)

血を出して、血が出てもまだ我と我が頸をなぐりながら、絶命してしまった

(のです。たびびとはかたなをとりかえしたうえに、おおざるいっぴきおみやげができたというおはなしですよ。)

のです。旅人は刀を取返した上に、大猿一匹お土産が出来たというお話ですよ。

(ははは・・・・・・」 おとこははなしおわってわらったが、みょうにいんきなわらいごえであった。)

ハハハ……」  男は話し終って笑ったが、妙に陰気な笑声であった。

(「ははは・・・・・・、まさか」 わたしがわらうと、おとこはふとまじめになって、)

「ハハハ……、まさか」  私が笑うと、男はふと真面目になって、

(「いいえ、ほんとうです。さるってやつは、そういうかなしいおそろしいしゅくめいをもっているの)

「イイエ、本当です。猿って奴は、そういう悲しい恐ろしい宿命を持っているの

(です。ためしてみましょうか」 おとこはいいながら、そのへんにおちていたきぎれ)

です。ためして見ましょうか」  男は云いながら、その辺に落ちていた木切れ

など

(を、いっぴきのさるになげあたえ、じぶんはついていたすてっきで、くびをきるまねをして)

を、一匹の猿に投げ与え、自分はついていたステッキで、頸を切る真似をして

(みせた。 すると、どうだ。このおとこよっぽどさるをあつかいなれていたとみえ、)

見せた。  すると、どうだ。この男よっぽど猿を扱い慣れていたと見え、

(さるめはきぎれをひろって、いきなりじぶんのくびをきゅうきゅうこすりはじめたでは)

猿奴は木切れを拾って、いきなり自分の頸をキュウキュウこすり始めたでは

(ないか。 「ほらね、もしあのきぎれが、ほんとうのかたなだったらどうです。あのこざる)

ないか。 「ホラね、もしあの木切れが、本当の刀だったらどうです。あの小猿

(とっくにおだぶつですよ」 ひろいえんないはがらんとして、ひとっこひとりいなかった。)

とっくにお陀仏ですよ」  広い園内はガランとして、人っ子一人いなかった。

(しげったきぎのしたかげには、もうよるのやみが、いんきなくまをつくっていた。わたしはなんとなく)

茂った樹々の下陰には、もう夜の闇が、陰気な隈を作っていた。私は何となく

(みうちがぞくぞくしてきた。わたしのまえにたっているあおじろいせいねんが、ふつうのにんげんでなくて)

身内がゾクゾクして来た。私の前に立ている青白い青年が、普通の人間でなくて

(まほうつかいかなんかのようにおもわれてきた。 「まねというもののおそろしさが)

魔法使かなんかの様に思われて来た。 「真似というものの恐ろしさが

(おわかりですか。にんげんだっておなじですよ。にんげんだって、まねをしないではいられぬ)

お分りですか。人間だって同じですよ。人間だって、真似をしないではいられぬ

(かなしいおそろしいしゅくめいをもってうまれているのですよ。たるどというしゃかいがくしゃは、)

悲しい恐ろしい宿命を持って生れているのですよ。タルドという社会学者は、

(にんげんせいかつを「もほう」のにじでかたづけようとしたほどではありませんか」)

人間生活を『模倣』の二字でかたづけようとした程ではありませんか」

(いまはもういちいちおぼえていないけれど、せいねんはそれから、「もほう」のきょうふについて)

今はもう一々覚えていないけれど、青年はそれから、「模倣」の恐怖について

(いろいろとせつをはいた。かれはまた、かがみというものに、いじょうなおそれをいだいていた。)

色々と説を吐いた。彼は又、鏡というものに、異常な恐れを抱いていた。

(「かがみをじっとみつめていると、こわくなりやしませんか。ぼくはあんなこわいものは)

「鏡をじっと見つめていると、怖くなりやしませんか。僕はあんな怖いものは

(ないとおもいますよ。なぜこわいか。かがみのむこうがわに、もうひとりのじぶんがいて、さるのように)

ないと思いますよ。なぜ怖いか。鏡の向側に、もう一人の自分がいて、猿の様に

(ひとまねをするからです」 そんなことをいったのも、おぼえている。)

人真似をするからです」  そんなことを云ったのも、覚えている。

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