山本周五郎 赤ひげ診療譚 むじな長屋 2

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プレイ回数846難易度(4.5) 1964打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作短編です。
赤ひげ診療譚の第三話です。

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問題文

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(かれははずかしくなった。)

彼は恥ずかしくなった。

(おゆきなどにそんなことをいったのがはずかしいばかりでなく、)

お雪などにそんなことを云ったのが恥ずかしいばかりでなく、

(じぶんのしていることと、いまいったことばとにむじゅんをかんじたからである。)

自分のしていることと、いま云った言葉とに矛盾を感じたからである。

(いまおゆきにいったことはこちょうでもかたいじでもない、)

いまお雪に云ったことは誇張でも片意地でもない、

(つねにかんがえていることをしょうじきにくちにだしたまでであるが、そのはんめん、)

常に考えていることを正直に口に出したまでであるが、その反面、

(かれはこのようじょうしょでのしごとと、にいできょじょうとにつよくひきつけられていた。)

彼はこの養生所での仕事と、新出去定とにつよくひきつけられていた。

(ーーきらっていたそのうわぎを、すすんできるようになったのはりゆうがある。)

ーー嫌っていたその上衣を、すすんで着るようになったのは理由がある。

(けれども、かれのかんがえにへんかがおこっていなかったら、)

けれども、彼の考えに変化が起こっていなかったら、

(とうていそんなきもちにはならなかったであろう。)

とうていそんな気持にはならなかったであろう。

(りゆうといってもかわったことではなく、たんにひとりのびょうにんのことばにすぎないからだ。)

理由といっても変ったことではなく、単に一人の病人の言葉にすぎないからだ。

(でんづういんのまえをさがったなかとみさかに「むじなながや」とよばれるいっかくがあり、)

伝通院の前をさがった中富坂に「むじな長屋」と呼ばれる一画があり、

(そこはきょくたんにまずしいひとたちがすんでいることでしられていた。)

そこは極端に貧しい人たちが住んでいることで知られていた。

(のぼるはきょじょうのともで、しばしばそこへちりょうにいくうち、)

登は去定の供で、しばしばそこへ治療にいくうち、

(ややのさはちというびょうにんをうけもつようになった。)

輻屋(やや)の佐八という病人を受持つようになった。

(としはしじゅうごろくだろう、ほねぶとでがっちりしたからだをしているが、)

年は四十五六だろう、骨太でがっちりした躯をしているが、

(あきらかにろうがいにかかっており、みかけのたくましさとはぎゃくに、)

明らかに労咳にかかっており、見かけの逞しさとは逆に、

(はげしいすいじゃくとしょうもうがみとめられた。)

激しい衰弱と消耗が認められた。

(ーーどうかほんきになってようじょうするようにおっしゃってください。)

ーーどうか本気になって養生するように仰しゃって下さい。

(さはいのじへえはいくたびそういったかわからないし、)

差配の治兵衛は幾たびそう云ったかわからないし、

(きょじょうもくりかえして、きびしくあんせいをめいじた。さはちはおとなしくしょうちをする。)

去定もくり返して、きびしく安静を命じた。佐八はおとなしく承知をする。

など

(また、はつねつやせきのひどいときには、しごとをやすんでねるようだが、)

また、発熱や咳のひどいときには、仕事を休んで寝るようだが、

(すこしでもぐあいがいいとすぐにおきあがってしごとをする。)

少しでもぐあいがいいとすぐに起きあがって仕事をする。

(それをみつかってとがめられると、おおきなかおでてれたようにわらい、)

それをみつかって咎められると、大きな顔でてれたように笑い、

(あたまをかきながらつづけざまにおじぎをして、)

頭を掻きながら続けざまにおじぎをして、

(いかにもすまなそうにいうのであった。)

いかにも済まなそうに云うのであった。

(ーーもうこれでかたづきます、)

ーーもうこれで片づきます、

(これがかたづいたらすぐにねます、ほんとうにねますから。)

これが片づいたらすぐに寝ます、本当に寝ますから。

(さはちはわかいころいちどけっこんしたが、わずかはんとしばかりでわかれてしまい、)

佐八は若いころいちど結婚したが、僅か半年ばかりで別れてしまい、

(それいらいずっとひとりぐらしだという。)

それ以来ずっと独りぐらしだという。

(うでもそうとうだしよくかせぐけれども、れいのないほどむよくで、)

腕も相当だしよく稼ぐけれども、例のないほど無欲で、

(かせいだものはみなひとのためにつかってしまい、)

稼いだものはみな人のために遣ってしまい、

(じぶんはいまだにかざいどうぐもまんぞくにそろっていない、)

自分はいまだに家財道具も満足に揃っていない、

(とさはいのじへえからきいたことがあった。)

と差配の治兵衛から聞いたことがあった。

(そのさはちがあるとき、ふしんそうにのぼるのようすをながめながら、)

その佐八が或るとき、不審そうに登のようすを眺めながら、

(あなたはどうしてようじょうしょのうわぎをきないのか、とといかけた。)

貴方はどうして養生所の上衣を着ないのか、と問いかけた。

(あれはかんせいではないからだ、とのぼるはこたえた。きょじょうがどくだんできめたもので、)

あれは官制ではないからだ、と登は答えた。去定が独断できめたもので、

(べつにきていされたものではない。だからきようときまいとかってなのだといった。)

べつに規定されたものではない。だから着ようと着まいと勝手なのだと云った。

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