山本周五郎 赤ひげ診療譚 むじな長屋 4

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プレイ回数753難易度(4.2) 2425打 長文
映画でも有名な、山本周五郎の傑作連作短編です。
赤ひげ診療譚の第三話です。

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問題文

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(「しょうぐんけにごけいじがあって、)

「将軍家に御慶事(ごけいじ)があって、

(しょいりようがかさむからというりゆうらしい」)

諸入用が嵩(かさ)むからという理由らしい」

(「ごけいじだって」)

「御慶事だって」

(「なんでもごちょうあいのつぼねがひめをうんだので、)

「なんでも御寵愛(ごちょうあい)の局(つぼね)が姫を産んだので、

(しょうぐんけはひじょうによろこばれ、)

将軍家はひじょうによろこばれ、

(それをいわうためにいろいろなもよおしがあるそうだ、はっきりとはいわなかったが、)

それを祝うためにいろいろな催しがあるそうだ、はっきりとは云わなかったが、

(よりきはくちうらでそうにおわせていた、それでにいでさんはおこった」)

与力はくちうらでそう匂わせていた、それで新出さんは怒った」

(しょうぐんけにけいじがあったのなら、)

将軍家に慶事があったのなら、

(ざいにんをはなちきんこくをせよするのがとうぜんではないか、)

罪人を放ち金穀(きんこく)を施与するのが当然ではないか、

(きょじょうはそういいたかったのだ。)

去定はそう云いたかったのだ。

(おこったりゆうはそのてんであるが、そんなことをいえるたちばでもなし、)

怒った理由はその点であるが、そんなことを云える立場でもなし、

(いえばかみをそしることになる。)

云えば上(かみ)を謗(そし)ることになる。

(「けいひさくげんのことはしょうちしました、とにいでさんはいわれた、)

「経費削減のことは承知しました、と新出さんは云われた、

(しかし、かよいりょうじをていしすることはできません」)

しかし、かよい療治を停止することはできません」

(はんだゆうはそこでちょっとことばをきり、)

半太夫はそこでちょっと言葉を切り、

(まるでどごうするようにこえをひそめてつづけた、)

まるで怒号するように声をひそめて続けた、

(「ーーかれらはひんきゅうしやんでいるのです、せりょうのていしは、)

「ーーかれらは貧窮し病んでいるのです、施療の停止は、

(そのままかれらをしへおいおとすことです、わたしにはおうけできません、)

そのままかれらを死へ追いおとすことです、私にはお受けできません、

(もういちどごせんぎをねがいます、)

もういちど御詮議(ごせんぎ)を願います、

(ーーそういうなりたって、でてきてしまわれたんだ」)

ーーそう云うなり立って、出て来てしまわれたんだ」

など

(はなしているあいだに、ちょうしょくをしらせるばんがなった。)

話しているあいだに、朝食を知らせる板(ばん)が鳴った。

(ふたりはそのねをききながら、どちらもたとうとはしなかったし、)

二人はその音を聞きながら、どちらも立とうとはしなかったし、

(はんだゆうのはなしがおわってからも、しばらくじっとすわっていた。)

半太夫の話が終ってからも、暫くじっと坐っていた。

(「おがわしはどうなんだ」やがてのぼるがめをあげてきいた、)

「小川氏はどうなんだ」やがて登が眼をあげて訊いた、

(「あのひとはどっちのがわにたっているんだ」)

「あの人はどっちの側(がわ)に立っているんだ」

(「どっちでもないだろう、ほんとうならかれがそのせっしょうにあたるべきだ、)

「どっちでもないだろう、本当なら彼がその折衝に当るべきだ、

(ようじょうしょのせきにんしゃなんだからな」とはんだゆうがいった、)

養生所の責任者なんだからな」と半太夫が云った、

(「しかしかれはそのせきにすわっていただけだし、ひとこともものをいわなかった、)

「しかし彼はその席に坐っていただけだし、一と言もものを云わなかった、

(ーーおそらくどっちのがわのひとでもないだろうな」)

ーーおそらくどっちの側の人でもないだろうな」

(そしてはんだゆうはたちあがり、「めしにしよう」といってのぼるをみた、)

そして半太夫は立ちあがり、「飯にしよう」と云って登を見た、

(「にいでさんをおこらせないようにきをつけてくれ」)

「新出さんを怒らせないように気をつけてくれ」

(のぼるはじしんがなさそうにだまっていた。)

登は自信がなさそうに黙っていた。

(きょじょうはごぜんちゅうふきげんだった。)

去定は午前ちゅう不機嫌だった。

(むろんおこっているようなそぶりはみせないし、あらいこえをあげるわけでもないが、)

むろん怒っているようなそぶりはみせないし、荒い声をあげるわけでもないが、

(ふきげんでいらいらしていることはようすでわかった。)

不機嫌で苛いらしていることはようすでわかった。

(にゅうしょかんじゃのしんさつから、ちょうざいしょをかきおわるまで、)

入所患者の診察から、調剤書を書き終るまで、

(はんだゆうとのぼるはずっときょじょうについていたが、なにかあるたびに、)

半太夫と登はずっと去定に付いていたが、なにかあるたびに、

(ふたりはたがいにめでけいかいしあった。)

二人は互いに眼で警戒しあった。

(ーーなかなかいいようじゃないか。)

ーーなかなかいいようじゃないか。

(のぼるはこころのなかでそうつぶやいた。)

登は心の中でそう呟いた。

(もりはんだゆうというにんげんがきゅうにちかしく、またこのましくかんじられだしたこと、)

森半太夫という人間が急にちかしく、また好ましく感じられだしたこと、

(しかもそれがすこしもふしぜんでないことにおどろきをかんじた。)

しかもそれが少しも不自然でないことにおどろきを感じた。

(ーーすくなくともつがわよりにんげんらしい。)

ーー少なくとも津川より人間らしい。

(つがわげんぞうが「いなかものですよ」とけいぶしたことをおもいだし、)

津川玄三が「田舎者ですよ」と軽侮したことを思いだし、

(じぶんもおなじようなめでみていたことはわすれて、)

自分も同じような眼で見ていたことは忘れて、

(もりにはまなぶところさえありそうだ、などとおもうのであった。)

森にはまなぶところさえありそうだ、などと思うのであった。

(ちょうざいしょがおわると、きょじょうはがいしゅつのしたくをしながらのぼるをみた。)

調剤書が終ると、去定は外出の支度をしながら登を見た。

(「むじなながやのさはちのぐあいはどうだ」)

「むじな長屋の佐八のぐあいはどうだ」

(「べつにかわりはないようです」)

「べつに変りはないようです」

(「ではさきにまわるところがあるからいっしょにきてくれ」)

「では先に廻るところがあるからいっしょに来てくれ」

(はんだゆうとのぼるはろうかへでた。はんだゆうはちょうざいじょへはいろうとして、)

半太夫と登は廊下へ出た。半太夫は調剤所へはいろうとして、

(のぼるにふりかえりながらいった。)

登に振返りながら云った。

(「きをつけろよ」)

「気をつけろよ」

(のぼるはびしょうしながらうなずいた。)

登は微笑しながら頷いた。

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