「こころ」1-15 夏目漱石
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問題文
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(そのばんわたくしはせんせいといっしょにびーるをのんだ。)
その晩私は先生といっしょに麦酒を飲んだ。
(せんせいはがんらいしゅりょうにとぼしいひとであった。)
先生は元来酒量に乏しい人であった。
(あるていどまでのんで、それでよえなければ、)
ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、
(ようまでのんでみるというぼうけんのできないひとであった。)
酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。
(「きょうはだめです」といってせんせいはくしょうした。)
「今日は駄目です」といって先生は苦笑した。
(「ゆかいになれませんか」とわたくしはきのどくそうにきいた。)
「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。
(わたくしのはらのなかにはしじゅうさっきのことがひっかかっていた。)
私の腹の中には始終先刻の事が引っ懸っていた。
(さかなのほねがのどにささったときのように、わたくしはくるしんだ。)
肴の骨が咽喉に刺さった時のように、私は苦しんだ。
(うちあけてみようかとかんがえたり、よしたほうがよかろうかと)
打ち明けてみようかと考えたり、止した方が好かろうかと
(おもいなおしたりするどうようが、みょうにわたくしのようすをそわそわさせた。)
思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。
(「きみ、こんやはどうかしていますね」とせんせいのほうからいいだした。)
「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。
(「じつはわたしもすこしへんなのですよ。きみにわかりますか」)
「実は私も少し変なのですよ。君に分かりますか」
(わたくしはなんのこたえもしえなかった。)
私は何の答えもし得なかった。
(「じつはさっきさいとすこしけんかをしてね。それでくだらないしんけいをこうふんさせて)
「実は先刻妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神経を昂奮させて
(しまったんです」とせんせいがまたいった。)
しまったんです」と先生がまたいった。
(「どうして・・・」)
「どうして…」
(わたくしにはけんかということばがくちへでてこなかった。)
私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。
(「さいがわたしをごかいするのです。それをごかいだといってきかせても)
「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても
(しょうちしないのです。ついはらをたてたのです」)
承知しないのです。つい腹を立てたのです」
(「どんなにせんせいをごかいなさるんですか」)
「どんなに先生を誤解なさるんですか」
など
(せんせいはわたくしのこのといにこたえようとはしなかった。)
先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。
(「さいがかんがえているようなにんげんなら、わたしだってこんなにくるしんでいやしない」)
「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
(せんせいがどんなにくるしんでいるか、これもわたくしには)
先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には
(そうぞうのおよばないもんだいであった。)
想像の及ばない問題であった。