「こころ」1-20 夏目漱石
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問題文
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(わたくしはいまこのひげきについてなにごともかたらない。)
私は今この悲劇について何事も語らない。
(そのひげきのためにむしろうまれでたともいえるふたりのれんあいについては、)
その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、
(さっきいったとおりであった。)
先刻いった通りであった。
(ふたりともわたくしにはほとんどなにもはなしてくれなかった。)
二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。
(おくさんはつつしみのために、せんせいはまたそれいじょうのふかいりゆうのために。)
奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。
(ただひとつわたくしのきおくにのこっていることがある。)
ただ一つ私の記憶に残っている事がある。
(あるときはなじぶんにわたくしはせんせいといっしょにうえのへいった。)
或る時花時分に私は先生といっしょに上野へ行った。
(そうしてそこでうつくしいいっついのなんにょをみた。)
そうしてそこで美しい一対の男女を見た。
(かれらはむつまじそによりそってはなのしたをあるいていた。)
彼らは睦まじそに寄り添って花の下を歩いていた。
(ばしょがばしょなので、はなよりもそちらをむいてめをそばだてているひとが)
場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙だてている人が
(たくさんあった。)
沢山あった。
(「しんこんのふうふのようだね」とせんせいがいった。)
「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。
(「なかがよさそうですね」とわたくしがこたえた。)
「仲が好さそうですね」と私が答えた。
(せんせいはくしょうさえしなかった。ふたりのなんにょをしせんのほかにおくようなほうがくへ)
先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外に置くような方角へ
(あしをむけた。それからわたくしにこうきいた。)
足を向けた。それから私にこう聞いた。
(「きみはこいをしたことがありますか」)
「君は恋をした事がありますか」
(わたくしはないとこたえた。)
私はないと答えた。
(「こいをしたくはありませんか」)
「恋をしたくはありませんか」
(わたくしはこたえなかった。)
私は答えなかった。
(「したくないことはないでしょう」)
「したくない事はないでしょう」
など
(「ええ」)
「ええ」
(「きみはいまあのおとことおんなをみて、ひやかしましたね。)
「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。
(あのひやかしのうちにはきみがこいをもとめながらあいてをえられないという)
あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという
(ふかいのこえがまじっていましょう」)
不快の声が交っていましょう」
(「そんなふうにきこえましたか」)
「そんな風に聞こえましたか」
(「きこえました。こいのまんぞくをあじわっているひとはもっとあたたかいこえをだすものです。)
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。
(しかし・・・しかしきみ、こいはざいあくですよ。わかっていますか」)
しかし…しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」
(わたくしはきゅうにおどろかされた。なんともへんじをしなかった。)
私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。