山本周五郎 赤ひげ診療譚 徒労に賭ける 1
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問題文
(「びょうにんたちのふへいはしっている」)
「病人たちの不平は知っている」
(にいできょじょうはあるきながらいった、)
新出去定(にいできょじょう)は歩きながら云った、
(「びょうしつがいたじきで、ござのうえにやぐをのべてねること、)
「病室が板敷で、茣蓙(ござ)の上に夜具をのべて寝ること、
(しきせがおなじで、おびをしめず、つけひもをむすぶことなど、)
仕着(しきせ)が同じで、帯をしめず、付紐(つけひも)を結ぶことなど、
(ーーこれはびょうしつだけではなくいいんのへやもおなじことだが、)
ーーこれは病室だけではなく医員の部屋も同じことだが、
(びょうにんたちはろうやにいれられたようだといっているそうだ、)
病人たちは牢舎(ろうや)に入れられたようだと云っているそうだ、
(びょうにんばかりではなく、いいんのおおくもそんなふうにおもっているらしいが、)
病人ばかりではなく、医員の多くもそんなふうに思っているらしいが、
(やすもとはどうだ、おまえどうおもう」)
保本はどうだ、おまえどう思う」
(「べつになんともおもいません」そういってから、のぼるはいそいでつけくわえた、)
「べつになんとも思いません」そう云ってから、登はいそいで付け加えた、
(「かえってせいけつでいいとおもいます」)
「却(かえ)って清潔でいいと思います」
(「ついじゅうをいうな、おれはついじゅうはきらいだ」)
「追従を云うな、おれは追従は嫌いだ」
(のぼるはだまった。)
登は黙った。
(「われわれのなかで、もっともわるいのはたたみだ、むかしはあんなものはつかわなかった、)
「われわれの中で、もっとも悪いのは畳だ、昔はあんな物は使わなかった、
(みとのみつくにはしょうがい、そのでんちゅうにたたみをしかせなかったという、)
水戸の光圀は生涯、その殿中に畳を敷かせなかったという、
(それはこぶしてきなしっそとごうけんをとうとぶためだとつたえられるが、)
それは古武士的な質素と剛健をとうとぶためだと伝えられるが、
(そうではない、じじつはそういうきどりだったにしても、)
そうではない、事実はそういう気取りだったにしても、
(じゅうきょのしかたとしてはきわめてりにかなっていた、)
住居のしかたとしては極めて理にかなっていた、
(げんにたたみというものがいっぱんにつかわれるようになったげんろくねんだいまで、)
現に畳というものが一般に使われるようになった元禄年代まで、
(にせんよねんにわたっていたじきのせいかつがつづいていたことでもわかることだ」)
二千余年にわたって板敷の生活が続いていたことでもわかることだ」
(「しきだたみというものはあったのですね」)
「敷き畳という物はあったのですね」
(「それはきじんのちょうどであり、ぎれいとかねるときにつかうだけで、)
「それは貴人の調度であり、儀礼とか寝るときに使うだけで、
(いたじきというきほんにかわりはなかったのだ」ときょじょうはいった、)
板敷という基本に変りはなかったのだ」と去定は云った、
(「いたじきがもしごうりてきでなかったとしたら、すでにしきだたみがあったのだから、)
「板敷がもし合理的でなかったとしたら、すでに敷き畳があったのだから、
(もっとはやくたたみというものがいっぱんかされていたにそういない」)
もっと早く畳というものが一般化されていたに相違ない」
(みちはさかにかかっていた。しちがつちゅうじゅんのごごさんじ、)
道は坂にかかっていた。七月中旬の午後三時、
(こよみのうえではあきにはいったのだが、あつさはまなつよりもきびしかった。)
暦の上では秋にはいったのだが、暑さは真夏よりもきびしかった。
(そのひはびふうもなく、そらはあくいをしめすかのようにはれていて、)
その日は微風もなく、空は悪意を示すかのように晴れていて、
(うしろからてりつけるにっこうは、まるでてにふれることのできるこたいのように、)
うしろから照りつける日光は、まるで手に触れることのできる固体のように、
(りったいてきなおもさがかんじられるようであった。)
立体的な重さが感じられるようであった。
(のぼるはもちろん、やくろうをせおったたけぞうも、)
登はもちろん、薬籠を背負った竹造も、
(きもののせなかやにのうであたりはあせですっかりぬれているし、)
着物の背中や二の腕あたりは汗ですっかり濡れているし、
(ひたいからかお、えりくびなどにながれでるあせをふくのにいそがしかったが、)
額から顔、衿首などにながれ出る汗を拭くのにいそがしかったが、
(きょじょうはまったくあせをかいていない。)
去定はまったく汗をかいていない。
(ーーのぼるはこのことをなつにかかるころからきづいていた。)
ーー登はこのことを夏にかかるころから気づいていた。
(しぼうしつではないが、きょじょうはかたぶとりにこえている。)
脂肪質ではないが、去定は固太りに肥えている。
(りょううでやひろいかたにはきんにくがこぶをなしており、)
両腕や広い肩には筋肉が瘤(こぶ)をなしており、
(てもおおきいしゆびもひゃくしょうのようにふとい、)
手も大きいし指も百姓のように太い、
(こしだけはわかもののようにほそくひきしまっているが、)
腰だけは若者のように細くひき緊っているが、
(ざっとみためにはとしおいたおうしのようなかんじをあたえる。)
ざっと見た眼には年老いた牡牛のような感じを与える。
(ーーしたがって、あつさもひといちばいだろうとおもうのだが、)
ーーしたがって、暑さも人一倍だろうと思うのだが、
(どんなひざかりのみちでもへいきであるくし、けっしてあせというものをかかない。)
どんな日盛りの道でも平気で歩くし、決して汗というものをかかない。
(あついなどといわないことにはおどろかないが、あせをいってきもかかないということは、)
暑いなどと云わないことには驚かないが、汗を一滴もかかないということは、
(のぼるにはわけがわからなかった。)
登にはわけがわからなかった。
(ーーせんせいはあつくないのですか。)
ーー先生は暑くないのですか。
(あるときのぼるはそうきいてみた。きょじょうはげんかに、あついさ、とこたえた。)
或るとき登はそう訊いてみた。去定は言下に、暑いさ、と答えた。
(それがどうしたといわんばかりのへんじなので、)
それがどうしたといわんばかりの返辞なので、
(のぼるはあせのことまできくきにはならなかったのである。)
登は汗のことまで訊く気にはならなかったのである。
(「このくにのきこうはしっけがつよい、たたみはそのしっけとじんあいのたまりばだ」)
「この国の季候は湿気が強い、畳はその湿気と塵埃(じんあい)の溜り場だ」
(ときょじょうはつづけていった、)
と去定は続けていった、
(「ためしにどこのいえでもいい、)
「ためしにどこの家でもいい、
(そしていますすはきをすませたばかりのたたみをたたいてみろ、)
そしていま煤掃(すすは)きを済ませたばかりの畳を叩いてみろ、
(かならずじんあいがたつだろう、わらどこといであんだこのしきものは、)
必ず塵埃が立つだろう、藁床と藺(い)で編んだこの敷物は、
(しっけとじんあいをすい、それをためておくのにもっともつごうよくできている、)
湿気と塵埃を吸い、それを貯めておくのにもっとも都合よくできている、
(もちろん、ゆうふくなせいかつをしているものは、)
もちろん、裕福な生活をしている者は、
(たたみがえをしたりよくそうじさせたりすることで、)
畳替えをしたりよく掃除させたりすることで、
(そのふけつさをかなりなていどまでかんわできるが、)
その不潔さをかなりな程度まで緩和できるが、
(まずしいものではそんなわけにはいかない、)
貧しい者ではそんなわけにはいかない、
(やすもともだいぶうらながやなどをみてきたからしっているだろうが、)
保本もだいぶ裏長屋などを見て来たから知っているだろうが、
(じゅうねんいじょうもしきっぱなしで、たたみがえはしないしそうじもまんぞくにはやらないから、)
十年以上も敷きっ放しで、畳替えはしないし掃除も満足にはやらないから、
(しんのわらどこはしっけでぼくぼくになり、)
芯の藁床は湿気でぼくぼくになり、
(すりきれたたたみおもてのあいだからはらわたのようにはみだしている、)
擦り切れた畳表のあいだからはらわたのようにはみ出している、
(そこはのみとしらみのすで、)
そこは蚤(のみ)と虱(しらみ)の巣で、
(いきをするたびにわらくずやじんあいをすいこむことになる、)
息をするたびに藁屑や塵埃を吸いこむことになる、
(ゆかはひくく、そのしたのじめんはいつもしめっていてかわくひまがない、)
床は低く、その下の地面はいつも湿っていて乾くひまがない、
(こんなところにねおきをしていれば、びょうきにならないのがふしぎなくらいだ」)
こんなところに寝起きをしていれば、病気にならないのがふしぎなくらいだ」
(これをようじょうしょのようにいたじきにすれば、ゆかしたからのしっけもふせげるし、)
これを養生所のように板敷にすれば、床下からの湿気も防げるし、
(ござはたやすくにっこうやかぜにあてることができる。)
茣蓙(ござ)はたやすく日光や風に当てることができる。
(これだけをひかくしてみただけでも、)
これだけを比較してみただけでも、
(どっちがごうりてきかということはめいりょうではないか、ときょじょうはいった。)
どっちが合理的かということは明瞭ではないか、と去定は云った。