緋のエチュード　１０

(われわれがほーるでこのかいわをしているさいちゅう、)

我々がホールでこの会話をしている最中、

(しょうめんのへやにいっていたれすとれーどがおうへいな)

正面の部屋に行っていたレストレードが横柄な

(じこまんぞくしたたいどでてをすりあわせながらあらわれた。)

自己満足した態度で手を擦り合わせながら現れた。

(「ぐれっぐそん」かれはいった。「わたしはいま、さいこうにじゅうようなはっけんをしたところだ。)

「グレッグソン」彼は言った。「私は今、最高に重要な発見をしたところだ。

(これはもしわたしがかべをしんちょうにそうさしていなかったら、)

これはもし私が壁を慎重に捜査していなかったら、

(みすごされていたかもしれないものだ」)

見過ごされていたかもしれないものだ」

(はなしながらこのちいさなおとこのめはかがやいた。)

話しながらこの小さな男の目は輝いた。

(かれはあきらかにどうりょうにいっぽんとったというかんきをおしころしたようすだった。)

彼は明らかに同僚に一本とったという歓喜を押し殺した様子だった。

(「こちらにきてくれ」かれはあわただしくそのへやにもどりながらいった。)

「こちらに来てくれ」彼は慌しくその部屋に戻りながら言った。

(おそろしいしゅうようしゃがとりのぞかれて、)

恐ろしい収容者が取り除かれて、

(そのへやのくうきはまえよりすんだようにかんじられた。)

その部屋の空気は前より澄んだように感じられた。

(「さあ、そこにたって！」)

「さあ、そこに立って！」

(かれはくつでまっちをすりかべにむかってかかげた。)

彼は靴でマッチを擦り壁に向かって掲げた。

(「これをみろ！」かれはかちほこっていった。)

「これを見ろ！」彼は勝ち誇って言った。

(わたしはこのへやのせつめいをしたとき、)

私はこの部屋の説明をした時、

(ぶぶんてきにかべがみがはがれおちていたとかいた。)

部分的に壁紙が剥がれ落ちていたと書いた。

(へやのこのいっかくはとくにおおきなぶぶんがはがれ、)

部屋のこの一角は特に大きな部分が剥がれ、

(ざらざらしたきいろいしっくいぶぶんがしかくくみえていた。)

ざらざらした黄色い漆喰部分が四角く見えていた。

(このむきだしになったぶぶんに、)

この剥き出しになった部分に、

(あかいちもじでひとつのたんごがなぐりがきされていた。)

赤い血文字で一つの単語が殴り書きされていた。

(ｒａｃｈｅ)

RACHE

(「これをどうおもう？」)

「これをどう思う？」

(けいぶはげいにんがげいをひろうするようなふんいきでさけんだ。)

警部は芸人が芸を披露するような雰囲気で叫んだ。

(「これはへやのもっともくらいすみにあったからみすごされていた。)

「これは部屋の最も暗い隅にあったから見過ごされていた。

(そしてだれもそこをみようとおもわなかった。さつじんはんは、)

そして誰もそこを見ようと思わなかった。殺人犯は、

(じぶんじしんのちでこれをかいた。かべをしたたるこのよごれをみろ！)

自分自身の血でこれを書いた。壁を滴るこの汚れを見ろ！

(これでともかくじさつのせんはなくなった。なぜかくばしょとして、)

これでともかく自殺の線はなくなった。なぜ書く場所として、

(このすみがえらばれたか、おしえよう。)

この隅が選ばれたか、教えよう。

(まんとるぴーすのうえのろうそくをみろ。これをかいたとき、)

マントルピースの上のロウソクを見ろ。これを書いた時、

(あれにひがついていた。そして、あのろうそくがともされていれば、)

あれに火がついていた。そして、あのロウソクが灯されていれば、

(このすみは、かべのいちばんくらいぶぶんではなく、いちばんあかるいぶぶんだったはずだ」)

この隅は、壁の一番暗い部分ではなく、一番明るい部分だったはずだ」

(「きみがみつけたものに、いまなんのいみがある？」ぐれっぐそんは、)

「君が見つけたものに、今なんの意味がある？」グレッグソンは、

(それがどうしたというようなこえでたずねた。)

それがどうしたというような声でたずねた。

(「いみ？わからんのか。そのいみは、これをかいたやつが、)

「意味？分からんのか。その意味は、これを書いた奴が、

(じょせいめいのれいちぇる（ｒａｃｈｅｌ）とかくつもりだったということだ。しかし、)

女性名のレイチェル(Rachel)と書くつもりだったという事だ。しかし、

(このおとこ、いやおんなかもしれんが、はかきおわるまえにじゃまされた。)

この男、いや女かもしれんが、は書き終わる前に邪魔された。

(おぼえておくといい。このじけんがかいけつされたとき、)

覚えておくといい。この事件が解決された時、

(れいちぇるというなまえのじょせいがじけんにかんけいしていたことがわかるだろう。)

レイチェルという名前の女性が事件に関係していた事が分かるだろう。

(おわらいになるのはおおいにけっこうだ、しゃーろっくほーむずさん。)

お笑いになるのは大いに結構だ、シャーロックホームズさん。

(あなたはひじょうにあたまがきれるかもしれない。しかししょせん、)

あなたは非常に頭が切れるかもしれない。しかし所詮、

(けいけんをつんだりょうけんにはかなわない」)

経験を積んだ猟犬には敵わない」

(「ほんとうにもうしわけない！」)

「本当に申し訳ない！」

(きゅうにだいばくしょうしてれすとれーどのきげんをそこねていたほーむずがいった。)

急に大爆笑してレストレードの機嫌を損ねていたホームズが言った。

(「たしかにきみははじめてこれをみつけるてがらをたてた。そしていうとおり、)

「確かに君は初めてこれを見つける手柄を立てた。そして言うとおり、

(それはさくやのじけんのかんけいしゃによってかかれたという)

それは昨夜の事件の関係者によって書かれたという

(じょうきょうしょうこがそろっている。ぼくはまだこのへやをちょうさするじかんがなかった。)

状況証拠が揃っている。僕はまだこの部屋を調査する時間がなかった。

(しかししつれいしてこれからちょうさすることにしよう」)

しかし失礼してこれから調査することにしよう」

(かれはこういいながら、)

彼はこう言いながら、

(ぽけっとからまきじゃくとおおきなまるいかくだいきょうをさっととりだした。)

ポケットから巻き尺と大きな丸い拡大鏡をさっと取り出した。

(このふたつのきぐをてにかれはおともなくへやのなかをかけまわった。)

この二つの器具を手に彼は音も無く部屋の中を駆け回った。

(ときにはたちどまり、まれにひざまずき、いちどはうつぶせにねそべった。)

時には立ち止まり、まれにひざまずき、一度はうつ伏せに寝そべった。

(かれはこのしごとにひじょうにねっちゅうしていたので、)

彼はこの仕事に非常に熱中していたので、

(われわれのそんざいをわすれているようだった。)

我々の存在を忘れているようだった。

(かれはそのあいだずっとちいさなこえでぶつぶつとひとりごとをいい、つぎつぎに、)

彼はその間ずっと小さな声でぶつぶつと独り言を言い、次々に、

(かんたんのうめきごえ、くちぶえ、)

感嘆のうめき声、口笛、

(しんちょくときぼうをおもわせるちいさなさけびごえをあげつづけていた。)

進捗と希望を思わせる小さな叫び声を上げ続けていた。

(そのすがたをみればいやおうなしによくちょうきょうされた)

その姿を見れば否応なしに良く調教された

(じゅんけつしゅのりょうけんをおもいおこさずにはいられなかった。まるで、)

純血種の猟犬を思い起さずにはいられなかった。まるで、

(ねっしんにはなをならし、みうしなったにおいにであうまで、)

熱心に鼻を鳴らし、見失った臭いに出会うまで、

(えものがかくれたやぶのなかをすばやくさがしまわるりょうけんのすがたそのものだった。)

獲物が隠れた藪の中を素早く探し回る猟犬の姿そのものだった。

(２０ぷんいじょう、かれはちょうさをつづけた。)

20分以上、彼は調査を続けた。

(わたしにはかんぜんにみえないこんせきとこんせきのあいだのきょりを)

私には完全に見えない痕跡と痕跡の間の距離を

(ひじょうにきをつかってきちょうめんにけいそくした。)

非常に気を使って几帳面に計測した。

(そしてときにはおなじようにりかいにくるしむたいどでまきじゃくをかべにあてた。)

そして時には同じように理解に苦しむ態度で巻き尺を壁に当てた。

(あるばしょで、かれはゆかからしんちょうにちいさなはいいろのほこりをあつめ、)

ある場所で、彼は床から慎重に小さな灰色の埃を集め、

(ふうとうにいれてしまった。さいごにかれはかくだいきょうでかべのたんごをしらべ、)

封筒に入れてしまった。最後に彼は拡大鏡で壁の単語を調べ、

(ひとつひとつのもじをひじょうにめんみつに、せいかくに、てっていてきに、ちょうさした。)

一つ一つの文字を非常に綿密に、正確に、徹底的に、調査した。

(それがおわると、かれはまきじゃくとかくだいきょうをぽけっとにもどした。)

それが終わると、彼は巻き尺と拡大鏡をポケットに戻した。

(まんぞくしたようすだった。)

満足した様子だった。

(「てんさいとはむげんにどりょくできるのうりょくだといわれるが」)

「天才とは無限に努力できる能力だと言われるが」

(かれはほほえんでいった。「これはひじょうにわるいていぎだ。)

彼は微笑んで言った。「これは非常に悪い定義だ。

(しかしそれでもたんていのしごとにはこれがあてはまる」)

しかしそれでも探偵の仕事にはこれが当てはまる」

(ぐれっぐそんとれすとれーどは、)

グレッグソンとレストレードは、

(あまちゅあなかまのこうどうをひじょうにきょうみぶかく、)

アマチュア仲間の行動を非常に興味深く、

(いくばくかのけいべつをこめて、じっとみていた。しかし、)

いくばくかの軽蔑を込めて 、じっと見ていた。しかし、

(どうやらふたりは、わたしがじょじょにきづきはじめていたあるじじつを)

どうやら二人は、私が徐々に気付き始めていたある事実を

(ただしくにんしきできなかったようだ。それは、)

正しく認識できなかったようだ。それは、

(しゃーろっくほーむずのどんなわずかなどうさも、)

シャーロックホームズのどんなわずかな動作も、

(すべてなにかはっきりしたじつようてきなもくてきがあるということだ。)

すべて何かはっきりした実用的な目的があるということだ。

(「なにかわかりましたか？」ふたりがたずねた。)

「何か分かりましたか？」二人が尋ねた。