津軽 序編 太宰治 7
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問題文
(だいぶひろさきのわるくちをいったが、これはひろさきにたいするぞうおではなく、さくしゃじしん)
だいぶ弘前の悪口を言ったが、これは弘前に対する憎悪ではなく、作者自身
(のはんせいである。わたしはつがるのひとである。わたしのせんぞはだいだい、つがるはんのひゃくしょうで)
の反省である。私は津軽の人である。私の先祖は代々、津軽藩の百姓で
(あった。いわばじゅんけつしゅのつがるじんである。だからすこしもえんりょなく、このように)
あった。謂わば純血種の津軽人である。だから少しも遠慮無く、このように
(つがるのわるくちをいうのである。たこくのひとが、もしわたしのこのようなわるくちをきいて)
津軽の悪口を言うのである。他国の人が、もし私のこのような悪口を聞いて
(そうしてあんいにつがるをみくびったら、わたしはやっぱりふゆかいにおもうだろう。)
そうして安易に津軽を見くびったら、私はやっぱり不愉快に思うだろう。
(なんといっても、わたしはつがるをあいしているのだから。 ひろさきし。げんざいのこすうは)
なんと言っても、私は津軽を愛しているのだから。 弘前市。現在の戸数は
(いちまん、じんこうはごまんよ。ひろさきじょうと、さいしょういんのごじゅうのとうとは、こくほうにしていせられて)
一万、人口は五万余。弘前城と、最勝院の五重塔とは、国宝に指定せられて
(いる。さくらのころのひろさきこうえんは、にほんいちとたやまかたいがおりがみをつけてくれているそうだ)
いる。桜の頃の弘前公園は、日本一と田山花袋が折紙をつけてくれているそうだ
(ひろさきしだんのしれいぶがある。おやまさんけいといって、まいとしいんれきしちがつにじゅうはちにちより)
弘前師団の司令部がある。お山参詣と言って、毎年陰暦七月二十八日より
(はちがつついたちにいたるみっかかん、つがるのれいほういわきさんのさんちょうおくのみやにおけるおまつりに)
八月一日に到る三日間、津軽の霊峰岩木山の山頂奥宮に於けるお祭りに
(さんけいするひと、すうまん、さんけいのゆきかえりおどりながらこのまちをつうかし、まちは)
参詣する人、数万、参詣の行き帰り躍りながらこのまちを通過し、まちは
(いんしんをきわめる。りょこうあんないきには、まずざっとそのようなことがかかれてある。)
殷賑を極める。旅行案内記には、まずざっとそのような事が書かれてある。
(けれどもわたしは、ひろさきしをせつめいするにあたって、それだけでは、どうしてもふふく)
けれども私は、弘前市を説明するに当って、それだけでは、どうしても不服
(なのである。それゆえ、あれこれとねんしょうのころのきおくをたどり、なにかひとつ、ひろさきの)
なのである。それゆえ、あれこれと燃焼の頃の記憶をたどり、何か一つ、弘前の
(めんぼくをやくじょたらしむるものをびょうしゃしたかったのであるが、どれもこれも、)
面目を躍如たらしむるものを描写したかったのであるが、どれもこれも、
(たわいないおもいでばかりで、うまくゆかず、とうとうじぶんにもおもいがけなかった)
たわい無い思い出ばかりで、うまくゆかず、とうとう自分にも思いがけなかった
(ひどいわるくちなどでてきて、さくしゃみずからとほうにくれるばかりである。わたしは)
ひどい悪口など出て来て、作者みずから途方に暮れるばかりである。私は
(このきゅうつがるはんのじょうかまちに、こだわりすぎているのだ。ここはわたしたちつがるじんの)
この旧津軽藩の城下まちに、こだわりすぎているのだ。ここは私たち津軽人の
(きゅうきょくのたましいのよりどころでなければならぬはずなのに、どうも、それにしては、わたしの)
窮極の魂の拠りどころでなければならぬ筈なのに、どうも、それにしては、私の
(これまでのせつめいだけでは、このじょうかまちのせいかくが、まだまだあいまいである。)
これまでの説明だけでは、この城下まちの性格が、まだまだあいまいである。
(おうかにつつまれたてんしゅかくは、なにもひろさきじょうにかぎったことではない。にほんぜんこくたいていの)
桜花に包まれた天守閣は、何も弘前城に限った事ではない。日本全国たいていの
(おしろはおうかにつつまれているではないか。そのおうかにつつまれたてんしゅかくがそばにひかえて)
お城は桜花に包まれているではないか。その桜花に包まれた天守閣が傍に控えて
(いるからとて、おおわにおんせんがつがるのにおいをほしゅできるとは、きまっていない)
いるからとて、大鰐温泉が津軽の匂いを保守できるとは、きまっていない
(ではないか。ひろさきじょうがひかえているかぎり、おおわにおんせんはとかいのざんれきをすすりわるよいする)
ではないか。弘前城が控えている限り、大鰐温泉は都会の残歴をすすり悪酔する
(などのことはあるまい、とついさっき、ばかにちょうしづいてかいたはずだが、いろいろ)
などの事はあるまい、とついさっき、ばかに調子づいて書いた筈だが、いろいろ
(かんがえつめていくと、それもただ、さくしゃのびぶんちょうのだらしないかんしょうにすぎない)
考えつめて行くと、それもただ、作者の美文調のだらしない感傷にすぎない
(ようなきがしてきて、なにもかも、たよりにならず、こころぼそくなるばかりである。)
ような気がして来て、何もかも、たよりにならず、心細くなるばかりである。
(いったいこのじょうかまちは、だらしないのだ。きゅうはんしゅのだいだいのおしろがありながら、)
いったいこの城下まちは、だらしないのだ。旧藩主の代々のお城がありながら、
(けんちょうをほかのしんこうのまちにうばわれている。にほんぜんこく、たいていのけんちょうしょざいちは、)
県庁を他の新興のまちに奪われている。日本全国、たいていの県庁所在地は、
(きゅうはんのじょうかまちである。あおもりけんのけんちょうを、ひろさきしでなく、あおもりしにもって)
旧藩の城下まちである。青森県の県庁を、弘前市でなく、青森市に持って
(いかざるをえなかったところに、あおもりけんのふこうがあったとさえわたしはおもっている。)
行かざるを得なかったところに、青森県の不幸があったとさえ私は思っている。
(わたしはけっしてあおもりしをとくにきらっているわけではない。しんこうのまちにはんえいをみるのも)
私は決して青森市を特に嫌っているわけではない。新興のまちに繁栄を見るのも
(またそうかいである。わたしは、ただ、このひろさきしのまけていながら、のほほんがおで)
また爽快である。私は、ただ、この弘前市の負けていながら、のほほん顔で
(いるのがはがゆいのである。まけているものに、かせいしたいのはしぜんのにんじょう)
いるのが歯がゆいのである。負けているものに、加勢したいのは自然の人情
(である。わたしはなんとかしてひろさきしのかたをもってやりたく、まったくへたなぶんしょう)
である。私は何とかして弘前市の肩を持ってやりたく、まったく下手な文章
(ながら、あれこれとくふうしてつとめてかいてきたのであるが、ひろさきしのけっていてきな)
ながら、あれこれと工夫して努めて書いて来たのであるが、弘前市の決定的な
(びてん、ひろさきじょうのどくとくのつよさをびょうしゃすることはついにできなかった。かさねていう。)
美点、弘前城の独特の強さを描写する事はついに出来なかった。重ねて言う。
(ここはつがるじんのたましいのよりどころである。にほんぜんこく、どこをさがしてもみつからぬ)
ここは津軽人の魂の拠りどころである。日本全国、どこを捜しても見つからぬ
(とくいのみごとなでんとうがあるはずである。わたしはそれを、たしかによかんしているので)
特異の見事な伝統がある筈である。私はそれを、たしかに予感しているので
(あるが、かたちにあらわして、はっきりこれとどくしゃにこじできないのがくやしくて)
あるが、形にあらわして、はっきりこれと読者に誇示できないのがくやしくて
(たまらない。この、もどかしさ。)
たまらない。この、もどかしさ。