ああ玉杯に花うけて 第十二部 3
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問題文
(「はんたい!」とさけんだものがある。ひとびとはそのほうをみるとしはんがっこうののぶちであった)
「反対!」と叫んだものがある。人々はその方を見ると師範学校の野淵であった
(のぶちというのはもはんせいとしょうせられているせいねんで、かんぶんやえいごにちょうじ)
野淵というのは模範生と称せられている青年で、漢文や英語に長じ
(そのがくもんのゆたかなてんにおいてせんせいたちもしたをまいておそれている。)
その学問の豊かな点において先生達も舌を巻いておそれている。
(かれはそこぢからのあるせいりょうとゆうぜんたるたいどでまずこういった。「ただいまのべんしの)
かれは底力のある声量と悠然たる態度でまずこういった。「ただいまの弁士の
(しんちしきをそんけいするとともにわがはいはそのろんしにおおいなるうたがいをはさまねばならない)
新知識を尊敬するとともにわが輩はその論旨に大なる疑いをはさまねばならない
(ことをいかんにおもいます、べんしはえいゆうふひつようをとなえました。えいゆうのたいしょうは)
ことを遺憾に思います、弁士は英雄不必要を唱えました。英雄の対象は
(どれいであるといいました。ぐうぞうをはかいしてみんしゅうてきにならねばならぬといいました)
奴隷であるといいました。偶像を破壊して民衆的にならねばならぬといいました
(はたしてそうでしょうか、ああはたしてさるか」ごちょうはいっぺんして)
はたしてそうでしょうか、ああはたして然るか」語調は一変して
(たいせききゅうはんをくだるいきおいもってしんこうした。 「もしこのよにえいゆうなかりせばにんげんは)
大石急阪を下る勢いもって進行した。 「もしこの世に英雄なかりせば人間は
(いかにみじめなものであろう、こじんはさくらをはなのおうとしょうした、)
いかにみじめなものであろう、古人は桜を花の王と称した、
(よのなかにたえてさくらのなかりせばひとのこころやのどけからましとえいじた、)
世の中に絶えて桜のなかりせば人の心やのどけからましと詠じた、
(ごじんはのにあそびやまにあそぶ、そこにさくらをみる、いちまつのかすみのなかに)
吾人は野に遊び山に遊ぶ、そこに桜を見る、一抹のかすみの中に
(あるいはけんがいせんじんのうえにあるいはりょくほこうろうのほとりにあるいは)
あるいは懸崖千仭の上にあるいは緑圃黄隴のほとりにあるいは
(なこそのせきにあるいはよしののきゅうせきに、こらいいくおくまんにん、はるのさくらのはなをめでて)
勿来の関にあるいは吉野の旧跡に、古来幾億万人、春の桜の花を愛でて
(だいしぜんのせつりにかんしゃしたのである、もしさくらがなかったらどうであろう、)
大自然の摂理に感謝したのである、もし桜がなかったらどうであろう、
(しゅんぷうちょうていをふけどもらっかにいななけるこまもなし、なんちょうしひゃくはっしんじ、)
春風長堤をふけども落花にいななける駒もなし、南朝四百八十寺、
(いらかせいたいにうるおえどもよろいのそでになみだをしぼりしちゅうしんのおもかげをしのぶよしもなかろう)
甍青苔にうるおえども鎧の袖に涙をしぼりし忠臣の面影をしのぶ由もなかろう
(はなありてこそごじんはてんちのびをしる、えいゆうありてこそにんげんのいなるをみる、)
花ありてこそ吾人は天地の美を知る、英雄ありてこそ人間の偉なるを見る、
(じんるいのなかにもっともひいでたるものはえいゆうである、えいゆうはもくひょうである、)
人類の中にもっとも秀いでたるものは英雄である、英雄は目標である、
(らしんばんである、ごじんはそのけいれきやこうせきをみてたどるべきみちをしる、)
羅針盤である、吾人はその経歴や功績を見てたどるべき道を知る、
(ぜんべんしはきよもり、よりとも、たいこう、いえやす、なぽれおんをれっきょしごじんのそせんがかれらに)
前弁士は清盛、頼朝、太閤、家康、ナポレオンを列挙し吾人の祖先がかれらに
(しんりゃくせられ、れいしされたといったがいずれのときにおいてもみんしゅうのうえに)
侵掠せられ、隷使されたといったがいずれのときに於いても民衆の上に
(けっしゅつせるえいゆうがしょうずるのである。きよもり、よりとも、たいこう、なぽれおんが)
傑出せる英雄が生ずるのである。清盛、頼朝、太閤、ナポレオンが
(うまれなければ、ほかのえいゆうがうまれててんかをとういつするであろう、)
生まれなければ、他の英雄が生まれて天下を統一するであろう、
(ひぼんのさいあるものがぼんじんをくしするのは、ひぼんのかがくしゃがでんきやじきや)
非凡の才あるものが凡人を駆使するのは、非凡の科学者が電気や磁気や
(がいちゅうやどくえきをくしするとおなじである。ろこくはそびえとせいふをたてたが)
害虫や毒液を駆使すると同じである。露国はソビエト政府を建てたが
(かれらをしきするものはれーにんととろつきーである。いたりーは)
かれらを指揮するものはレーニンとトロツキーである。イタリーは
(でもくらしーをはいしてむっそりーにをえいゆうとしてすうはいしている、えいゆうしゅぎは)
デモクラシーを廃してムッソリーニを英雄として崇拝している、英雄主義は
(えいえんにほろびるものでない、えいゆうのなきくにはくにでない、うちゅうにしんりがあるごとく)
永遠にほろびるものでない、英雄のなき国は国でない、宇宙に真理があるごとく
(にんげんにえいゆうがあるものである、いたずらにえいゆうをむしせんとするものは)
人間に英雄があるものである、いたずらに英雄を無視せんとするものは
(みずからえいゆうたるあたわざるもののぜつぼうのしっとである」 「そうだそうだ」)
自ら英雄たるあたわざる者の絶望の嫉妬である」 「そうだそうだ」
(としょうぎたいはあたまにはちまきをしておどりあがった。 「おれのいいたいことを)
と彰義隊は頭に鉢巻きをしておどりあがった。 「おれのいいたいことを
(みんないってくれた」 ひとびとはのぶちのそうちょうなかんぶんくちょうのえんぜつを)
みんないってくれた」 人々は野淵の荘重な漢文口調の演説を
(きゅうしきだとおもいつつもそのねつれつなこえにみせられて、きょうするがごとくかっさいした、)
旧式だと思いつつもその熱烈な声に魅せられて、狂するがごとく喝采した、
(てづかはきまりわるそうにあたまをたれた。じつをいうとかれのろんしは)
手塚はきまりわるそうに頭を垂れた。実をいうとかれの論旨は
(あるしゃかいしゅぎのどうじんざっしからぬすんだものなので、そのあたらしそうにみえるところが)
ある社会主義の同人雑誌から盗んだものなので、その新しそうに見えるところが
(すこぶるきにいったのであった。かれはこのえんぜつでおおいに「しんじん」ぶりを)
すこぶる気にいったのであった。かれはこの演説で大いに「新人」ぶりを
(みせびらかすつもりであったが、のぶちにいっしゅうされたのでたまらなく)
見せびらかすつもりであったが、野淵に一蹴されたのでたまらなく
(しゅうちをかんじた。そうしてすくいをもとむるようにこういちのほうをみやった。)
羞恥を感じた。そうして救いを求むるように光一の方を見やった。
(こういちはだまってえんだんのほうへあるいた。ひとびとはさかんにはくしゅした。)
光一はだまって演壇の方へ歩いた。人々はさかんに拍手した。
(こういちはへいそあまりぎろんをこのまなかった。かれはじぶんでもえんぜつはへただと)
光一は平素あまり議論をこのまなかった。かれは自分でも演説はへただと
(おもっている。だがみなのすすめをこばむことはできなかった。)
思っている。だがみなのすすめをこばむことはできなかった。
(かれはえんだんにのぼったときむねがなみのごとくおどった。そうしてじぶんながら)
かれは演壇にのぼったとき胸が波のごとくおどった。そうして自分ながら
(かおがまっかになったことをかんじた。だがそれをせいすることもできなかった。)
顔がまっかになったことを感じた。だがそれを制することもできなかった。
(かれはちゅうちょした。それはさながらむらがるとらのまえにでたひつじのごとく)
かれは躊躇した。それはさながら群がるとらの前にでた羊のごとく
(よわよわしいたいどであった。 せんぞうはじっとめをすえてこういちをにらんでいた。)
弱々しい態度であった。 千三はじっと目をすえて光一をにらんでいた。
(「ちくしょう!あいつなにをいやがるだろう、へんなことをいったらめちゃめちゃに)
「畜生! あいつなにをいやがるだろう、へんなことをいったらめちゃめちゃに
(こうげきしていつかのふくしゅうをし、まんざのまえではじをかかしてやろう」)
攻撃していつかの復讐をし、満座の前で恥をかかしてやろう」
(おそらくとうやのかいじょうでせんぞうほどふかいちゅういをもってこういちのえんぜつを)
おそらく当夜の会場で千三ほど深い注意をもって光一の演説を
(きいていたものはなかったろう。 いっぽうにおいててづかはほっといきをついた。)
聴いていたものはなかったろう。 一方において手塚はほっと息をついた。
(すくいのふねがきたのである。しはんののぶちをやっつけてくれるだろう。)
救いの船がきたのである。師範の野淵をやっつけてくれるだろう。
(「ぼくはえんぜつがへたですからよくしゃべれません」 いかにもおずおずした)
「ぼくは演説がへたですからよくしゃべれません」 いかにもおずおずした
(ちょうしでしかもひくいかっきのないこえでこういちはいった。 「へたなやつだなあ」と)
調子でしかも低い活気のない声で光一はいった。 「へたなやつだなあ」と
(せんぞうははらのなかでいった。 「ふだんにいくらいばってもはれのばしょでは)
千三は肚の中でいった。 「ふだんにいくらいばっても晴れの場所では
(ものがいえないだろう、へそにちからがないからだ」 かいしゅうもまたこういちがあんがい)
物がいえないだろう、へそに力がないからだ」 会衆もまた光一が案外
(へたなのにしつぼうした。 「しかしぼくはのぶちくんのせつにさんせいすることはできません)
へたなのに失望した。 「しかしぼくは野淵君の説に賛成することはできません
(のぶちくんはえいゆうとはなとをひかくしてびぶんをならべたがそれはかあらいるのやきなおし)
野淵君は英雄と花とを比較して美文を並べたがそれはカアライルの焼き直し
(にすぎません、いかにもえいゆうはひつようです、だがのぶちくんのいうようなえいゆうは)
にすぎません、いかにも英雄は必要です、だが野淵君のいうような英雄は
(ぜんぜんふひつようです、いかんとなればむかしのえいゆうはこくりみんふくをおもとせずして)
全然不必要です、いかんとなれば昔の英雄は国利民福を主とせずして
(じこのりがいのみをおもとしたからです、とよとみがしょこうをせいした。)
自己の利害のみを主としたからです、豊臣が諸侯を征した。
(いえやすがきゅうおんあるたいこうのいこをほろぼしてせいけんをわたくしした、そうして)
家康が旧恩ある太閤の遺孤を滅ぼして政権を私した、そうして
(こうしつのたいけんをぬすむことさんびゃくよねん、きよもりにしろよりともにしろ、ことごとく)
皇室の大権をぬすむこと三百余年、清盛にしろ頼朝にしろ、ことごとく
(そうである、かれらはせいぎによらざるえいゆうである、ふせいのえいゆうはばつざんとうかいの)
そうである、かれらは正義によらざる英雄である、不正の英雄は抜山倒海の
(ゆうあるももってそんけいすることはできません、ぶおうはちゅうおうをうった)
勇あるももって尊敬することはできません、武王は紂王を討った
(それはちゅうおうがふせいだからである、なぽれおんはおうしゅうをりゃくした、それは)
それは紂王が不正だからである、ナポレオンは欧州を略した、それは
(こくみんのきぼうであったからである、きそよしなかをうったときよしつねは)
国民の希望であったからである、木曽義仲を討ったとき義経は
(とにはいるやいなやだいいちばんにこうきょをしゅごした、かれはせいぎのえいゆうである、)
都に入るやいなや第一番に皇居を守護した、かれは正義の英雄である、
(くすのきまさしげのちゅうはいうまでもない。ふじわらのかまたりのちゅうもまたいうまでもない。)
楠正成の忠はいうまでもない。藤原鎌足の忠もまたいうまでもない。
(そもそもしょくんはあしかがたかうじ、たいらのきよもり、みなもとのよりともをもえいゆうとなすであろう。)
そもそも諸君は足利尊氏、平清盛、源頼朝をも英雄となすであろう。
(かれらはこくぞくである、しんしのぶんをみだすものはほかにひゃくせんのこうありとも)
かれらは国賊である、臣子の分をみだすものは他に百千の功ありとも
(えいゆうとしょうすることはできない、こらいえいゆうとしょうするものはたいていかんゆう、)
英雄と称することはできない、古来英雄と称するものは大抵奸雄、
(きょうゆう、あくゆうのたぐいである、ぼくはこれらのえいゆうをにくむ、それとどうじに)
梟雄、悪雄の類である、ぼくはこれらの英雄を憎む、それと同時に
(かまあしのごとき、なんこうのごとき、こうしのごとき、きりすとのごとき、いやしくも)
鎌足のごとき、楠公のごとき、孔子のごとき、キリストのごとき、いやしくも
(せいぎのしはこころをつくしきをかたむけてすうはいする、それになんのふしぎがあるか、)
正義の士は心をつくし気を傾けて崇拝する、それになんのふしぎがあるか、
(まんにんにけっしゅつするざいありといえどもゆげのどうきょうをえいゆうとなしえようか、さんていを)
万人に傑出する材ありといえども弓削道鏡を英雄となし得ようか、三帝を
(ながしたてまつりしほうじょうのとをえいゆうとなしえようか、しょくん!しょくんはさいごうなんしゅうを)
流し奉りし北条の徒を英雄となし得ようか、諸君! 諸君は西郷南洲を
(えいゆうなりとしょうす、はたしてかれはえいゆうであるか、かれはけっしゅつしたるじんざいに)
英雄なりと称す、はたしてかれは英雄であるか、かれは傑出したる人材に
(そういないが、いやしくもきんきにたいしてつつさきをむけたものである、)
相違ないが、いやしくも錦旗にたいして銃先を向けたものである、
(すでにたいぎにかえす、なんぞえいゆうといいえよう」 ひつじはがぜんとらになった。)
すでに大義に反す、なんぞ英雄といいえよう」 ひつじは俄然虎になった。
(しょじょはだっとになった。いままでえんえんとながれたおがわのみずがいっしゃして)
処女は脱兎になった。いままで湲々と流れた小河の水が一瀉して
(うみにいるやいなやどとうほうはいとしていわをくだきいしをひるがえした。)
海にいるやいなや怒涛澎湃として岩を砕き石をひるがえした。
(こういちのぜっとうはひのごとくねっした。 「のぶちくんはまんぜんと)
光一の舌頭は火のごとく熱した。 「野淵君は漫然と
(えいゆうのごりやくをといたが、いかなるものがこれえいゆうであるかをとかない、)
英雄のご利益をといたが、いかなるものがこれ英雄であるかを説かない、
(ただしきえいゆうとよこしまなるえいゆうとをいっかつしてがいねんてきにそのかかふかを)
正しき英雄とよこしまなる英雄とを一括して概念的にその可か不可を
(ろんずるはろんきょにおいてすでにはくじゃくである」 )
論ずるは論拠においてすでに薄弱である」
(「ひやひや」とてづかはたちあがってさけんだ。)
「ひやひや」と手塚は立ちあがって叫んだ。