堀辰雄 あいびき 1

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(ひとつのこみちがおいしげったはなとくさとにおおわれてほとんどきえそうになっていたが、)

一つの小径が生い茂った花と草とに掩われて殆ど消えそうになっていたが、

(それでもどうやらわずかにそのあとらしいものだけをのこして、)

それでもどうやら僅かにその跡らしいものだけを残して、

(まがりながらそのあきやへとひとをみちびくのである。)

曲りながらその空家へと人を導くのである。

(もうひとがすまなくなってからよほどになるのかもしれぬ。)

もう人が住まなくなってから余程になるのかも知れぬ。

(それまでせいようじんのすまっていたらしいことは、)

それまで西洋人の住まっていたらしいことは、

(そのささやかなみかげいしのあいだにはめこまれたひょうさつにかすかにa.erskineと)

そのささやかな御影石の間に嵌めこまれた標札にかすかにA.ERSKINEと

(よこもじのよめるのでもしられる。)

横文字の読めるのでも知られる。

(そのあきやはちょうどあるややきゅうなけいしゃをもったさかみちのちゅうふくにあった。)

その空家は丁度或るやや急な傾斜をもった坂道の中腹にあった。

(いったいにさかみちというものが)

一たいに坂道というものが

(どれでもたしょうひとをゆめみごこちにさせるせいしつのものである。)

どれでも多少人を夢見心地にさせる性質のものである。

(そういうさかみちのちゅうとまできてふとあしをとめたしゅんかん、)

そういう坂道の中途まで来てふと足を止めた瞬間、

(ひょいとそんなあれはてたていえんがめにはいるので、)

ひょいとそんな荒れ果てた庭園が目に入るので、

(ひとはますますそのあきやをなんだかゆめのなかででもみているようなきがするのである。)

人はますますその空家を何だか夢の中ででも見ているような気がするのである。

(あるひのこと、そのさかみちをひとりのしょうねんとひとりのしょうじょとが)

或る日のこと、その坂道を一人の少年と一人の少女とが

(たがいにかたをすりあわせるようにしておりてきた。)

互いに肩をすりあわせるようにして降りてきた。

(ちいさなこいびとたちなのかもしれない。)

小さな恋人たちなのかも知れない。

(そういえば、さっきからじぶんらのためのlove-sceneによいような)

そう云えば、さっきから自分等のためのlove-sceneによいような

(ばしょをさんざさがしまわっているのだが、)

場所をさんざ捜しまわっているのだが、

(それがどうしてもみつからないですっかりこまってしまっているような)

それがどうしても見つからないですっかり困ってしまっているような

(ふたりにみえないこともない。)

二人に見えないこともない。

など

(そんなふたりがそのさかのちゅうとまでおりてきて、ふとあしをとめて、)

そんな二人がその坂の中途まで下りて来て、ふと足を止めて、

(そういうえのようなあきやとそのにわとをめにいれたのである。)

そういう絵のような空家とその庭とを目に入れたのである。

(それをみると、ふたりはたがいにめとめとでこんなかいわをしたようだった。)

それを見ると、二人は互いに目と目とでこんな会話をしたようだった。

(「ここならだれにもみられっこはあるまい」「ええ、わたしもそうおもうの・・・・・・」)

「ここなら誰にも見られっこはあるまい」「ええ、私もそう思うの……」

(そうきめたのか、ふたりはそのさかのちゅうふくからかれらのせいぐらいあるざっそうを)

そう決めたのか、二人はその坂の中腹から彼等の脊ぐらいある雑草を

(かきわけながらそのあきやのにわへずんずんはいっていった。)

かき分けながらその空家の庭へずんずんはいって行った。

(ちょっとふあんそうなめつきでよこもじのかいてあるひょうさつをちらりとみながら。)

ちょっと不安そうな眼つきで横文字の書いてある標札をちらりと見ながら。

(そのていえんのおくぶかくには、かれらがなまえをしらないようなはなが)

その庭園の奥ぶかくには、彼等が名前を知らないような花が

(どっさりさいていた。しょうねんはそのひとつのくさむらをさしながら、)

どっさり咲いていた。少年はその一つの叢を指しながら、

(「やあ、ばらがさいていらあ・・・・・・」と、いくぶんうわずったこえでいった。)

「やあ、薔薇が咲いていらあ……」と、いくぶん上ずった声で云った。

(「あら、あれはばらじゃありませんわ」)

「あら、あれは薔薇じゃありませんわ」

(しょうじょのこえはまだいくらかしょうねんよりもおちついている。)

少女の声はまだいくらか少年よりも落着いている。

(「あれはへびいちごよ。あなたははなさえみればなんでもばらだとおもうひとね・・・・・・」)

「あれは蛇苺よ。あなたは花さえ見れば何でも薔薇だと思う人ね……」

(「そうかなあ・・・・・・」 しょうねんはすこしふまんそうにみえる。)

「そうかなあ……」  少年はすこし不満そうに見える。

(それからふたりはだまったままそのあきやのまわりをいちじゅんしてみた。)

それから二人は黙ったままその空家のまわりを一巡して見た。

(まどがらすがところどころやぶれている。が、そのやぶれめから)

窓硝子がところどころ破れている。が、その破れ目から

(ふたりがいくらせのびをしてのぞいてみても、ひっそりとたれているほこりまみれの)

二人がいくら脊伸びをして覗いて見ても、ひっそりと垂れている埃まみれの

(かあてんにさえぎられて、そのなかのようすはよくみえなかった。)

カアテンにさえぎられて、その中の様子はよく見えなかった。

(それでもだいどころのところなどはないぶがちらりとみえた。)

それでも台所のところなどは内部がちらりと見えた。

(そこなどはいろんなだいどころどうぐがざつぜんとちらかっていて、なかには)

そこなどはいろんな台所道具が雑然と散らかっていて、中には

(たおれたまんまのもあり、そしてそれらのものはいちめんにこぼれた)

倒れたまんまのもあり、そしてそれらのものは一面にこぼれた

(かべつちのようなものでうもれていた。)

壁土のようなもので埋もれていた。

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